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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 極彩は花畑を見つめていた。

「この国が勝手に爆撃して、勝手に勝ったくせに偉そうなんですよ、この戦争賛美者!今すぐ叩き出してやるからな」

 菖蒲はなおも叫び続ける。

「熱病患者みたいですよ」

 極彩は菖蒲にそう言って、花畑の前にたじろいだ。まるで弟のような花たちを踏み付けることが出来ず、彼の元に近寄れない。翡翠は菖蒲を無視し彼女に近付く。殴られ、蹴られ、罵られ、首の骨をへし折られかけたのだとばかりの痛みを訴える眼差しで彼は極彩を見下ろした。

「翡翠さんには感謝しています」

 柳眉が針金のような眼鏡の淵の奥で歪んだ。

「とてもお世話になりましたから」

 視界の端で菖蒲が銀灰を支え起こし、花畑から助け出されていることに意識を取られる。誰と話しているのか、誰かと話していたことすらも忘れていた。

「貴女には俺を殴る権利がある」

「ないです。弟は負けを認めました。トドメを刺さないでくださったことは、やはり感謝しかありません」

 歯軋りが聞こえた。

「夫はどうしたんですか」

「別れました」

 彼は自嘲するように口の端を吊り上げ、極彩とすれ違う。

(つるばみ)さんのご遺体はどこにあるんですか」

「東雲南区の墓園です」

 革靴が小気味良い音をたて、彼は式場のある方へ向かっていった。銀灰を引き摺る菖蒲もそれを聞いていたらしかった。極彩は小さくなっていく背中を追っていた。

「橡さんのご遺体、ですか」

 極彩は首肯した。しかしまずは弟のことが先だった。菖蒲から少年を預かり、膝に寝かせる。鼻血を手巾で拭いながら、意識の朦朧としている弟を待った。彼はなんどか姉を認識したようだが大きな目は虚ろに青空を迎える。

「銀灰くん」

「あの人の、言うとおりっす」

 濡れた目が短い間極彩を捉える。銀灰は起きると彼女へ背を向け、膝を抱いた。

「白梅ちゃんのこと、1人の女の人として好きなんす」

 傍で聞いていた菖蒲がぺちりと自身の額を叩いた。

「初めて会った時から…聞かされてた女の子の話と全然違って、ビックリはしたんす」

 銀灰の周りにはまた白抜きの黒いアゲハチョウが飛び回る。

「一緒に暮らしたいと思ったのはホントっす。このまま世間一般(フツー)の姉ちゃんとして見られると思ったんすよ。いつか冷めるって…でも余計好きになっちゃうだけっした。隠そうと思ってたのに…知られたら終わりだって…」

 弟になんてなれなかったんす。銀灰は振り返って上手く笑顔を貼り付けていた。菖蒲は頭を抱えたまま極彩に対して花畑の奥を指差す。先に帰っていろという意図がそこにはあった。頭を下げて彼女は花畑と花畑で作られた道を、行きと同じく辿っていった。停留所で牛車を拾い、蟄居先へ戻る。遠路だったはずだが短く感じられた。空はすでに暗くなっていた。そのまま帰るには気が重く、不言通りを歩く。朝早くからの遠出に身体は疲れていたが、早く休みたいという気にはならなかった。反対方向の南へ下り、酒屋の区画を散策する。用は無かった。ただ時間を潰したかった。色街に繋がる通りの前で男にぶつかった。目付きの悪い、髭面の寡黙そうだが粗野な感じのある見た目で、極彩を一瞥した。黒髪が不言通りの燈火に赤く照っている。

 オレぁ女には興味ねぇんだよ。他を当たってくれ。

 低く静かで、どこか上品さを漂わせた喋り方をしていた。すぐに謝ると舌打ちが返ってくる。見覚えのある出で立ちだったがまったく思い出せなかった。

 ンな目で見ても、女は嫌ぇなんだ。あっち行け。いくら積まれても相手しねぇんだよ。

 しっしと手で追い払われる。極彩はもう一度謝ってその場を立ち去った。飯を作る気も起きず、弟に買って帰っていた焼菓子店の前を通り帰路につく。日常に戻れる気がしても、そうはならないことは分かっていた。女豹倶楽部の閉まる時間に合わせ、屋敷へ帰った。すでに天晴組は到着しているらしく、玄関には光が灯っていた。石黄の声がする。

「おかえりなさいませ。よかった。帰って来ないかと思いました」

 居間には石黄と淡藤がいた。石黄の傍には小さな鉄製の籠が置かれていた。中には滑車が取り付けられ、小さな毛玉が動いている。ネズミとは少し違ったがネズミによく似ていた。

「ただいま帰りました」

「姫様に贈り物を持ってきたんです」

 石黄に会釈し、淡藤に本題を促す。副組長は苦々しい顔をで組長へ話題を返した。

「絹毛鼠の毛皮ちゃんです。この前死んじゃったんですけど、若様が新しく作ってくださったんですよ。嬉しいんですけど、また死んじゃったら悲しいので姫様に贈りますね。間男に逃げられたって聞きました。すぐ死んじゃうから同じ名前付けるといいですよ」

 小さな滑車がカラカラと鳴っている。白地に焼けた小麦のような柄のネズミ然とした生物が延々と走っている。淡藤はそれが素顔の顰め面をしていたが、見慣れたものよりも不快の念が幾分濃かった。石黄の笑い声と滑車の物音が広い居間に響く。

「今日はその間男の結婚式だったと若様から聞きました。可哀想だから元気付けろと。毛皮ちゃんが死んじゃう間に見つけるといいですよ。でもおかしいな、今日は確か群青殿の…?」

 石黄は隣の淡藤に訊ねた。口数の少ない副組長は首肯する。

「偶然にも今日は姫様もご存知の群青が結婚式でして…」

「奇遇ですね」

 滑車の生物は鉄籠に取り付けられた給水器を齧った。

「報告は以上です。特に寂しさも感じておりませんので、こちらの受け取りは遠慮させていただきたく」

 早急に帰るよう遠回しに要求するが石黄は白々しく笑んでばかりだった。淡藤は上司に帰ることを促すが、彼は恍けているだけなのか本気なのか居座り続ける。

「姫様。約束、忘れていませんよね」

「はい。ですが今日いきなりというのはその、準備や用意というものが…」

「今日がいいです」

 副組長は不愉快の色をさらに強くして2人を注視している。再び絹毛鼠が滑車を回す。押し切られる形で極彩は了承した。

「あの側近殿…(うち)の紫煙にバレてしまう前に、約束を果たしてもらいますよ」

「…組長、無理に居座るのは…」

 淡藤は諌めるが石黄は彼にいやらしく笑うだけで引く様子はない。

「奥さん死んじゃって、旦那さん消えちゃって間男にも捨てられた姫様の心境(キモチ)、分かるでしょ?傷を舐め合ったらどうかな。膿んで腐っちゃうかな…?姫様はそもそも若様の人形(モノ)だから、良いって。壊さなければいいっておっしゃってた。身籠らないし大怪我してもすぐ治るから、殺さなければ好きにしていいって」

「組長、今の発言はひどく姫様を侮辱しています。謝るのが筋かと」

 そうかな。石黄は疑心を露わにしたが、形式的に深々と額を床に伏せた。

「わたしは気にしておりませんが…その、あまり個人的な家庭の事情を暴露してしまうのは…」

「ああ、そうでした?失礼」

 淡藤に対しても深く頭を下げた。妻を失ったと軽く言われた無表情の男は上官を制止する。

「帰りましょう。姫様はお疲れです」

 石黄は渋々と帰る姿勢をみせた。

「今日のところは帰ります。でも約束は守ってください。あと毛皮ちゃんは置いていきます。可愛がってくださいね」

 石黄は滑車を回す動物を覗き込んだ。

「そのネズミ、前世は何だったと思いますか?どうすれば姫様のネズミになれるんだろう?一体何をして、どんな悪事を働いて、どれほどの罪人だったんだろう?今日は訳あって5人斬り殺しました。今月で12人目です。今、命を捨てたら…姫様の何になれますか」

絹毛鼠…ハムスターの意。

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