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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「少なくとも白昼の城下で携帯してるもんじゃありませんや」

 膝から崩れてしまいそうで男の胸元を掴んで耐える。時雨塗りを少し太い指が焦らすようになぞり上げた。体温まで知っているような気がして戦慄いた。耳元で笑われる。立ち眩みを起こし、空いた手で支えられた。

「別に、ちょうどいい刺身包丁がなかっただけ」

「生魚捌くにも野菜収穫するにもそんな御大層な刀である必要はねェな。貸してやろうか?浅緋(あさあけ)屋にあるぞ」

 自身と同化してしまったのかと錯覚するほど過敏に桃花褐を感じ取る短刀に手を伸ばし、体温の高い手を外させる。抵抗もなくすんなりと彼は放した。

「忙しいの。何か用があった?」

「胡散臭い占い師の真似事のお披露目を、ね」

 で、誰を殺りに行くんで?。桃花褐は女を解放する。

「占ってみたらいいでしょう」

 鬱陶しい巨躯の脇をすり抜け目的地に向かおうとするが、男は後ろからついてきた。

「…そうだな。じゃあまずは材料を集めねェと。生年月日は?」

「捨て子だから知らない」

 桃花褐は黙った。気にしている事柄ではない。両親や同胞、出身地や誕生日のことは知らないが、故郷や家族だと思えた者はいた。他の孤児たちのことは知らないが、彼女自身は気拙さを向けられる謂れはないつもりでいた。だが同時に違う考えが浮かび、迂闊さに気付く。

「じゃあ養子か」

 数拍遅れて桃花褐は大して疑心を抱いた様子もなく訊ねる。

「そう」

「じゃぁ出身も分からねェか」

「…うん」

 反応してしまってから答える必要はないように思われた。

「なら手相見るのが早ぇや」

 前回手首を捻挫させてから学んだのか包み込むようにやんわりと火傷しそうなほど熱い掌に腕を取られる。しかし彼は手相を見ようとはしなかった。垂れた穏やかな目に射される。

「不本意ならやめておくこった」

「何の話?」

「言い当てたら、ここでお別れかい?」

「護身用。それ以外に刃物なんて持ち歩いて何があるの?」

 桃花褐は苦笑して暑苦しく伸びた硬そうな毛を掻いた。

「人殺しが護身たぁ不穏だな」

 彼の体温が馴染み、彼の熱さが消えていく。調子が狂いそうだった。背を向けるが、手は掴まれたまま放されそうにない。

「力尽くで止めまさ。悪ィね、俺に見つかったのが運の尽きってこった。ンでも俺にとっちゃ、天のお導きだ」

 片手で紫雷(しでん)教の独特な作法で挨拶する。やっと拘束と体温から放されるが、彼は飛び跳ね、手首足首を解し、準備体操をしはじめる。適当に受け流していた力尽くで止めるという言葉がふと強く色を持つ。桃花褐を観察する。勝てるか否か、数式のない計算をする。体格的には不利だった。性差だけでなく、平均的な体型の男性でもおそらく勝つ見込みがない。腕力では敵わないだろう。技術に於いても技量と加減に自信がなかった。捕らえられたらそこで決着する。しかし、陽気に笑ういとこを思えば、易々とやめるという選択は消え失せる。勝算はない。垂れ目と見つめ合い牽制しながら距離を測る。彼は余裕の笑みを浮かべていた。

――クマに会ったら戦うな

 師の言葉が蘇る。それがクマを傷付けるなという意味だったのか、クマには勝てないという意味だったのか当時は分からなかった。踵で地面を確かめる。爪先に力を込めた。

――クマに会ったら戦うな。己が力量を知らずして上には行けない

 爪先が地面を弾く。

「おい!」

 唯一でも勝算を見出すなら瞬発力だろう。歩幅は大いに違うが、駆け出しの活力しか今はない。目的地とは反対の方角にも構わず、有利になりそうな道を選んでいく。冗談で済んでいたならよかったが、本気あれば確実に負ける。自身の勝利が極彩の中には一切思い描けないでいた。後方を確認も出来ないまま目的地から遠ざかっていく。屋根付き商店街を抜け、住宅地を横切る。入り組んだ路地から少しずつ色街に続く道を正していく。

「嬢ちゃん。天のお導きをナメないことでさ」

 撒いたと思った。しかし足元に棒手裏剣が突き刺さる。爪先を動かせない。背筋が一瞬で凍った。呼吸の仕方を間違えて喉が詰まった。時雨塗りの短刀を強く握り込む。狭い路地だった。懐に入り込めれば時間は稼げるかも知れない。

「何か事情があんだろ?抱え込み気質なあんさんのことだ」

「桃花褐さんのお節介に世話になることじゃない」

「手ェ汚して取り返しのつかないことになる前に、どうにかしねェと多分後悔する。俺もあんさんも」

「そう。取り返しがつかなくなる前に、どうにかしないと…」

 鞘ごと短刀を構えた瞬間、横から袖を摘ままれる。それが何者かは分からなかったが、目の前の垂れ目でないことは確かだった。力を加えられる方向に身を委ねる。

「嬢ちゃん!」

 桃花褐が追ってくるのが見えた。引っ張られる方角は色街だった。建物の壁にぶつかりそうなほど激しく角を曲がり、遠回りしながら桃花褐と出会(でくわ)した道に戻り、そこから細い裏道に入った。腐卵臭漂う小路に着き、放される。息切れしながら相手を確認する。汚れた老翁がいた。垢染みた服装で、何日か身を清めていないらしく、強い体臭がある。おそらく浮浪者だった。

「これは返しますじゃい」

 老人は息を整えると紙幣を数枚、極彩に差し出した。彼女は訳が分からず、顔を顰める。そういった仕事の者だと誤解されているのなら、断らなければならない。

「お前さん、色街の娘さんじゃろ?」

「…いいえ」

 老人は黙る。数歩、彼は強張った顔をして後退った。

「…空巣か」

「いいえ」

「じゃあどうして時間外の愛庭館(めいていかん)に来た?」

 初対面ではないかも知れないとは口振りから察したが、口封じに金を握らせた物乞いらしかった。

「食材の配達です」

 適当な嘘は瞬時に見抜かれたらしく訝しげな眼差しを向けられる。

「とにかく、これは返しますじゃい。少し使ぅてしもうたが」

「これを受け取ったら、わたしは空巣ということになりそうなので、受け取れません」

 老人を振り切り、指定された風俗店へ向かう。副組長から預かった偽造の履歴書を確認した。落としてはいない。

「困りますじゃ」

 だが翁は極彩についてきた。

「寄付でも折鶴にでもしてください。誓って空巣はしておりませんので」

 鬱陶しさを態度で示す。伝わらないのか、彼は(なお)も食い下がる。

「金は回ってこそ価値があるというもの…お嬢さんが稼いだ金ですじゃ。少し、ほんの少し使ぅてしまいましたが、お嬢さんが使わにゃなりません」

 少し背の低い老人は極彩の袖を引っ張り、金を返そうとする。金に困ったことは彼女にもある。だが色街で投げた金は容易に受け取ってはならない気がした。

「わしはこれから死にますじゃ…必要ないんじゃ。遺品として回収されればこの金はただの紙と金属。それ以上それ以下の価値はなくなる…」

「どうして死ぬんです」

 老人はさらりと言って流したが、極彩は思わず立ち止まってしまった。老人も急に足を止めたため、反動が容赦なく痩せ細った身体を襲った。だが転ぶことはなかった。

「生きるだけの理由がないんじゃ。それだけじゃな。この金はお返しします、返します」

 老人は彼女の問いにわずかに意表を突かれたようだった。

「ご自分で?」

「話せば(しがらみ)になりますじゃ。お嬢さん、早ぅ、この金を…」

 加虐娘・女豹倶楽部に向いていた足が老人に直った。

「その金を使い果たす、そのために生きるのはどうです。何にせよ、わたしは受け取る気がない」

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