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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 紫暗に会うため地下牢を訪れる。今日はいつもより早い時間帯だった。山吹が暫く花緑青との舞の合同練習になるらしい。そのため灰白はその間早めに日課が終わる。山吹のいない山吹の部屋で雑用係とローブに刺繍を入れたり、下回りたちの作業着の(ほつ)れや破れを直したりしていた。風月王と二公子が帰ってくるらしかった。そろそろ、この生活が終わるのかも知れない。

「紫暗」

 縹の配慮で紫暗の牢の近くは明かりが強かったはずだが今日は弱い。照明器具には困らない風月国では、あまり目にしない、ガラスの球体の中の炎。地下牢には電気が通っていないらしく、いつも灰白は入口で貸し出される燭台を手にしていた。今日は紫暗の牢の前だけに灯っている。

「紫暗?」

 呼んでも返事がない。具合が悪いのだろうか。

「は…い」

 潰れたような、(しわが)れた低い返事が小さく聞こえた。照らされた柵。藁が積まれた堀の近くで丸まったまま横たわる身体。開きっ放しの牢の扉。不衛生な牢で薄汚れた衣服がさらに不自然に汚れている。

「紫暗!」

 灰白は牢の中へ駆け寄った。抱き起こすと、軽く突き放される。

「極彩様、今自分、汚いので…」

 口角を切らした痣だらけの顔だが口調は軽々しい。

「誰がこんなこと…」

 声を荒げてしまう。衣類は汚れてはいるが、人為的な乱れはない。額に血が滲んでいる。紫暗は誤魔化すように切れた口元を吊り上げる。鼻血も出ていたらしく、人中に乾いた血が付いている。

「珊瑚様…?」

 思い当たる人物が1人しかいない。紫暗はただ俯くだけ。

「どうして…珊瑚様は紫暗のこと…」

「何故自分が命拾いしたのか、何故ここにいるのかご存知なのかは分からないですけど、こうなったのは多分、自分が二公子に異動願を出したからだと思います」

 紫暗は今の格好には合わない快活な笑みを浮かべた。時折外観の印象に似合わない雑さや豪快さのある仕草を見せることことがある。紫暗のそういった差に灰白は落ち着いた。

「もう出よう、ここじゃなくたって…離れ家にいたらいいよ…」

 紫暗は少し迷いを見せた。踏まれたか蹴られたか、汚れた衣類の裾や袖。藁や埃を塗り付ける血や傷。

「そうですね。ここにいても、極彩様や縹様のお手を煩わせるだけですし」

 紫暗は衣を叩きながら腰を上げる。

「立てる?」

 足を引き摺る紫暗の腕を肩に回す。

「ありがとうございます。自分が世話係なのに…」

「何言ってるの。世話係だって人なんだから、こういう時はあるよ」

 軽い身を支えながら歩く。きっと珊瑚はそうは思っていないのだろう。

「極彩様は朽葉様に似ています」

 地上に繋がる階段で紫暗が言った。

「朽葉様に?」

「はい。気さくなところとか、優しいところとか。国のこと、よく考えてくださっていたんですけどね…」

 紫暗はもともとは朽葉の雑用係だったらしかった。朽葉の口添えで朽葉の死後雑用係は格上げになったが、二公子か三公子の世話係に異動せねばならず、紫暗は選考から漏れ、帯同出来なかったのだと話す。辞めていく者もいたらしかった。炎ではなく電気によって照らされた横顔は牢で見たときよりも汚れが目立ったがどこか晴れやかだ。

「尊敬していたんです。そういうのを素直に向けさせてくれるような人じゃなかったんですけどね」

 灰白は朽葉と会ったことはあっても、人柄までは分からなかった。協力的であること以外、公子であることも知らなかった。そしてすでにあの時点で自死を命じられていたらしかったことも。

「みんなで助命嘆願したんです。でもダメでした。予定通り朽葉様は亡くなって…最後まで嘆願した群青殿も、もともと冷遇されていたのに…結局干されました」

 灰白が使っている第一浴場を目指す。その間も紫暗は朽葉との思い出を語る。朽葉は縹にとって兄弟のようだったらしいが、紫暗にとってもまた兄のようで時に父のようだったらしい。愛されていたのは十分に伝わったが、風月王は彼に死を贈った。

「自分はもう、尊敬する主を失いたくないんですよ」

 紫暗の目が灰白を捕らえた。強い眼差し。脳裏を過った怯えた目を向ける少年。魘され懇願する、今の主。このままではいけない。灰白はそう思った。風月王を討つ前にやらねばならないことがある。

 第一浴場は、縹のローブの色味によく似た、目に痛い派手な色で統一されている。灰白は入浴しないという意図を察した紫暗は遠慮がちに暖簾をくぐる。

「だから極彩様、あまり無茶しないでくださいね」

 紫暗は1人、第一浴場に消えていく。灰白はそのまま珊瑚の自室へ向かった。崩れたはずの木製の防塞はまた組み直されている。

「珊瑚様」

 扉を叩く。曇った返事と、扉の取手(ノブ)が軋む音。

「またあんたか」

 冷ややかな双眸が暗闇の中から現れる。珊瑚の自室には地下牢のように電気が通っていないのだろうか。

「話があるんだけど」

「ふぅん、俺はないけど、いいよ」

 片眉を上げて顎で入室を促す。やはり電気が通っていないのか、照明が点くことはない。珊瑚の姿を暗さの中で見失う。暗幕の奥の紫は頼りない。

「で、話って?」

 左から声がする。まだ目が慣れていない。

「この前のこと…」

「この前の話?」

「もう他の人に乱暴しないって話」

 相手が相手だけに身構えてしまうが、視覚があまり機能していない。

「それで?」

「なんで紫暗のこと、あんなに痛め付けるの」

 薄っすらとだが視界が慣れてくる。

「フツーなら首吊るなり首が飛ぶなりするところだったんだよ。それをちょっと可愛がるくらいで説教か」

 悪怯れる様子はない。むしろ腹立たしく思っている灰白のほうが厚かましいとさえ言いたそうだった。

「もう紫暗や群青殿たちに酷いことしないで」

「群青に泣いて縋られでもしたのかよ。それともあの下女か」

「…そうしてくれたらよかったけど…でもそうなる前に」

「じゃあ、条件呑むわけ?」

 灰白は返事を躊躇った。縹に迷惑をかけるだろう。紫暗の抵抗は何だったのか。

「うん」

「素晴らしい自己犠牲だな、美しいよ」

「だから約束して。もう紫暗を殴ったり…紫暗だけじゃない。群青殿も、他の人たちも…」

 珊瑚は無言だ。約束は出来ないということか。灰白は顔を顰める。少しずつ暗さには慣れてきてはいるがまだ珊瑚の姿が判別出来る程度だ。

「あんな言葉、いちいち信じてたワケ」

「信じるしかないでしょ。嘘なの?」

 濃い陰が素速く動く。反射で躱す。次の一打もまた躱す。爽やかだが冷たい花の香りがした。カツン、と軽い音が天井から聞こえ、照明が点く。突然の光に目を細める。

「何、するの…?」

 灰白は咎めた。珊瑚は無言のまま、まるで自分は被害者だとばかりの様子だった。もう一度振り上げられた腕を一瞬突き、壁へ倒れ込むよう誘い込む。武芸は四季国で身に付けた。流れのまま反撃しそうになった手を止める。壁に顔を打ち付けた珊瑚を灰白は見下ろした。顔を上げた珊瑚は鼻を押さえる。鼻血は出ていない。強い憎悪を宿した目。珊瑚は立ち上がるとまた灰白へ向かう。武芸の筋は褒められたことがない。だが珊瑚には武芸が仕込まれていないのか、それとも冷静さを欠いているからか容易く往なせる。灰白から手を出さず、逃げ、躱す。(わざ)と数少ない家具や壁の近くへ誘導する。焦れた珊瑚が観葉植物を倒す。鳥籠に入った明るい色の鳥が首を忙しなく捻った。その鳥籠が引っ掛けられた細い柱も倒そうとして、だが我に返ったらしく受け身も取らずに転ぶ。

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