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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「彼らしいね。雑務の指示だけ出してくれたら、隈が消えるまで休んでもらったらいいけれど彼は許さないだろうな」

 灰白は珊瑚とのことは言わなかった。縹は何と言うだろうか。だがもともとは珊瑚と婚約する予定だったのだから大した反応はしないだろう。情を捨てろと言う縹にはこの件について触れられるのを灰白は苦々しく思った。

「大した負担にはなっていないから十分に療養なさいと伝えておいて。別に群青くんが要らないという意味ではないけれど」

 縹は最後の1枚に印を押し終え、紙束を机に叩いて整える。

「分かりました。では…あ、縹さんもあまり無理しないでくださいね」

 紙束が打ち付けられる音が止まった。縹は出来上がった書類を凝視している。

「伝言忘れずに伝えなさい」

 新たな書類の束が作業机に乗せられる。

「はい。失礼します」

 執務室を出て、医務室へ向かう。下回りの者たちが忙しなく行き交う場所からは離れている。医務室へ入ると花緑青と診察台に乗った群青が灰白へ顔を上げる。首から右腕を布で吊り下げている。額には白い布が強く貼り付けられている。

「調子はどうなの」

「特にこれといったことはございませんでした」

「本当?」

 灰白は花緑青に確認する。困った笑みを浮かべて首を振る。灰白は呆れた目で群青を見下ろした。

「群青殿、叔父上は大した負担にはなっていないから十分に療養なさい。別に群青殿が要らないという意味ではないけれど…って言ってた。雑務の指示だけ出してほしいって」

「そうですか。ただ…1人に任せられる量では…」

「だって群青殿、書類作業出来るの?」

 群青は俯く。年齢は灰白と同じ頃に思えたが、幼く映った。

「そのまま少し休養なさいって伯父上も言ってたから」

「…はい…」

 諦めがつかないらしい。萎れた返事が聞こえた。医務室の外に車が止まる。四季国では馬が引っ張る籠を、しなやかな野生動物を思わせる形の黒く照る金属が引いている。体格がくっきりと現れる皮の衣服を身につけ、頭を球体が覆っている。灰白は窓から不思議そうに見知らぬそれらを見ていた。籠からは白衣の老人が出てきた。大きな箱を持っている。外から医務室へ入ってきた。

「初めて見ました」

「バイクっていうんです。緊急時にしか来ませんから、珍しいですよね」

 群青は緩んだ表情を見せた。バイクと呼ばれた金属の乗り物が風月国でどの程度珍しいのかは分からなかったが、群青のこの表情は珍しいと思った。医務室の者がその老人に一言二言話して群青の元へ案内する。怪我の様子を伝えているらしかった。

「では、群青殿、お大事に」

 花緑青と共に医務室を出る。医務室の扉を閉めると花緑青は灰白の手を掴んだ。

「…極彩様、本当に…その、三公子と…」

 花緑青の目が泳ぐ。灰白は花緑青の揺れる簪の飾りを見つめる。

「…私、暗器とか物騒な物なんて何も持ってません…」

「花緑青殿が妙な物持ってるだなんて少しも思ってないよ」

 花緑青は思っていたよりも落ち込んでいるらしかった。群青が負傷したことか、灰白が珊瑚に婚約を迫られたことか、花緑青自身が疑われた挙句衣服に手を掛けられたことか。

「極彩様が来てくださらなかったら私…」

 怖かっただろう。一段落して感情が溢れて出したらしい。灰白は花緑青の背を撫でる。花緑青の境遇は知らないが灰白の日常に、疑われ無理矢理衣服を脱がされそうになる場面は今日までなかった。

「部屋まで送るね」

 話によると花緑青も特別待遇らしく一室与えられていた。城の最北端西側にある城の者が寝泊まりする屋敷の前で別れる。ここは住み込みの下回りが共同生活していたり、他にも下回りよりも上の者たちが暮らしている。花緑青はありがとうございますを繰り返して、灰白が曲がるまで花緑青は灰白の背を見ていた。

 灰白は離れ家に戻る前に地下牢へ向かう。

「紫暗」

 空の赤みを帯びた青を借りた暗い地下牢の通路を歩く。声と足音が大きく響く。肌寒く感じるが雰囲気のせいだろう。初めて来た時は不気味だったが慣れてしまった。

「はい」

 紫暗の返事に安堵する。髪を下ろし、衣服も変えられ、汚れの落とされた紫暗の姿が見えたことでさらに安心した。3夜に1回、地下牢の湯浴みを使えるらしかった。灰白のためにと縹が紫暗の牢の周りだけ明かりを灯していた。

 今日あったことを話す。日記を書くように。紫暗は相槌を打った。冷えた飯が柵の前に置かれているが手をつけた様子はない。扉は開いているはずだが、出てくる様子もなく、2人の間を錆びた鉄の棒が隔てている。身は清められているがまだ傷の跡が残る顔。

「また来るね」

「…はい」

 紫暗は目を伏せる。まだ出てくるつもりはないらしかった。



 2日経つと群青は仕事に戻っていた。山吹の課題を訊きに医務室を訪ねる。医務室に置かれた机と椅子を動かして簡易的な作業場を設け、そこに下回りの者が座って忙しなく書類に印を押している。群青は起きていた。血色も良い。昨日の昼過ぎには鎮痛剤の副作用か、寝台の周りを淡い色味の引き幕・カーテンで囲われていた。

「極彩様、ご足労いただきありがとうございます」

 右腕を布で吊るし、額に包帯を巻いた姿で寝台の上にいる。いつも着ている服ではなく病衣に刺繍で見慣れたローブを羽織っている。

「山吹様の今日の課程を訊きに来たんだけど」

「それなら、こちらです。今日は加減法を。進捗の場合によって加算本だけでも構いません」

 黒い装丁の帳面を開く。貼られていたらしい紙を渡す。万が一自身が眠ってしまった時のために書き残してあったらしい。利き手でない方で書いたのか字が歪んでいる。目を通しながら群青の説明を聞く。山吹には何度も何度も同じ内容を違う教材や例を用いて繰り返す教育方法を取っているらしい。

「はい。では。お大事に」

 昨日寝起きでまだきちんと意識の戻っていない群青にかけたものと同じ言葉。もうすぐ眠ってしまうのだろう、瞼が重そうだった。

「極彩様」

 医務室の扉に手を掛けると群青が呼び止めた。どこか切羽詰まった色を感じて灰白はぎょっとした。

「何?」

「いいえ…何でもございません。呼び止めて申し訳ありません」

 何か言いたそうではあったが灰白は首を傾げて山吹の部屋へ向かった。

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