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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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「どうして!」

 気付けば怒鳴っていた。剣士の胸倉を掴み、掌が彼の肉の薄い頬を打っていた。

「極彩様…?どうなさいました…?」

 怪我人は腹を押さえ、痛みにかそれとも尋常でない様子にか、顔を顰めながら訊ねた。

「死相の正体です」

 胸倉を掴んだまま、車の昇降口へ引っ張る。小柄な少女が座面から落ちることも厭わない怪我人を制していた。大した速度のない牛車から、共に転がり落ちた。煙草の匂いが極彩を庇い、地に叩き付けられる。それでも脚や肘を強かに打った。車内で大声がして、道を流れていく車がゆっくりと止まった。牛が低く呻いた。

「二公子がお待ちです」

「二公子がお待ち、二公子がお待ち、二公子がお待ちって!結局長引かせているのは誰!」

「問の意図が分かりません」

 己を庇い、下敷きになった隙だらけの若者の頬をもう一度張った。小さな矢尻が捨てられた場所へ引き返す。

「二公子がお待ちです」

「黙りなさい!」

 再び発した怒声が自身の頭部を殴打する。

「どうなさいました」

 紫暗に支えられながら群青が牛車から降りてきた。額に手を添え、感情を抑える。大切な物を失くしたのだと伝え、見つかるまで帰れないと告げた。若者の鋭い、物言いたげな顔面を激しく殴り付けたくなった。

「お怪我はありませんか」

「わたしはない」

「一連の責任はわたくしの勝手な行動にあります。先に帰り、事の次第を二公子へお伝えします」

 まだ城で仕事していた頃の堂々とした態度は懐かしさがあった。わずかに冷静さを取り戻す。

「そんなことをして大丈夫なの」

 麗らかな風貌で、しかし言葉の真意は陰湿に圧力をかけてくることは用意に考えられることだった。

「はい。城に着きましたら、こちらまで牛車を送るよう手配いたします」

「…お願い」

 彼は拱手して牛車へ戻っていく。紫暗はその躯体を支えながらも、苛烈な若者と一緒に置き去りにしてしまわなければならない女へ振り向いた。牛車が発進する。爪先から脳天を駆け上がった激しい熱が鎮まり、強打した部分だけに熱が残り、痛みと化した。怪我人を遣ってまで何故小石に執着しているのか自身でも分からなかった、ただ美しい沼と藤黄の静かな語りが脳裏と耳にこびりついている。道端の草を掻き分け、透明感のある黒い石を探した。日が昇っていく。迎えの牛車が訪れ、群青たちの帰城を知る。諦めと期待が鬩ぎ合い、漫然としていく。話で聞いただけの男児の形見でしかない。ただの遺留品であって、形見でもないかも知れない。近くの住宅街が活気に満ちてきた頃に先端の欠けた鏃を見つけた。

「見つかった」

 喉が詰まる。叢の中で四つ這いになりながら地面へ目を凝らす剣士へ声をかけた。言葉もなく2人は牛車へ乗った。牛は尾を揺らし、草を食んでいた。城は近かった。群青のことが気に掛かり、腹の底の痺れに近い疼きに落ち着かないまま対面に座る紫煙の監視に耐える。先端部の欠けた黒曜石を眺める。装飾用でも観賞用でもない、ただただ実用性が問われた、よくある鏃だった。

「二公子を傷付ける(おそれ)があります」

 紫煙の双眸もまた手の中のガラス質の石を彷彿させた。そういうところは親友のような少女とは対照的だった。

「襲わなければ傷付かないでしょう」

「万が一ということがあります。昨今の世情を鑑みれば二心(にしん)がないとは限りません」

「そんな危険因子を二公子に会わせるわけ」

 ですから捨てていただくのが望ましいです、と言って彼は黙った。

「これは…形見…預かり物だから」

「形見だろうと預かり物だろうと武器は武器です」

 欠けた石を指で転がす。破片まで探す気にはなれなかった。鏃のみで実用性を失っているというのに、先端を欠いた石の殺傷能力は簪や箸よりも低い。

「けれど、もうそういう用途では使わない」

「二公子の御前で武器の類を所持するということに変わりはありません」

 任務にさらなる支障が生じるとでも考えているのか、彼はさらに問い詰めることはしなかった。牛車が城へと着く。日当たりの悪い廊下を抜け、やがて窓もない閉鎖的な通路へ入った。昼夜の感覚を損なわせる仄暗い照明が緊張感を持たせた。荘重(そうちょう)な木彫りの扉が開かれる。広間は相変わらず暗く、部分的に強い光が当てられていた。天藍はその下で座具の肘掛に頬杖をついていた。陽気に口の端を上げる様が、極彩を懐かしい気分にさせた。

「おかえり彩ちゃん。話は群青から聞いているよ」

 階段の前で深く揖礼する。群青は治療を受けているらしかった。藤黄のことを報告し、遅れたことを詫びる。

「ああ、いいよ。気にしないで。紫煙もご苦労。煙草でも吸ってきな」 天藍は背凭れに深く上体を沈め、投げやりに言った。紫煙は一礼して辞した。足音はなかったが、扉の音は小さく軋んだ。

「群青が元気そうでよかったよ。怪我してるのはびっくりしたけどね。あれほどの病人が、君といると回復してるんだもんな……おっと、ごめんね。そういうつもりじゃなかったんだ」

 天藍は上品に口元を押さえた。何のことだかすぐに見当がつかなかった。

「群青殿の怪我については、申し訳ございませんでした」

「君が謝ることじゃないよ」

 天藍は極彩へ労いの言葉を並べると休むように言った。叔父の様子を見にいく覚悟がつかず、離れ家へ向かう途中の廊下が騒がしかった。荒々しい女の声からして言い争いらしかった。野次馬をするつもりはなかったがその近くを通らねばならなかった。少々の興味で騒ぎを覗いた。下回りや官吏が壁を作っているのが見えた。

「ああっ、極彩様!お帰りなさいませ」

 集団の中に蘇芳がいたらしく、情けない声を上げてその場の者の視線を集めた。穏やかな顔立ちの中に困惑が窺えた。懲罰房の三公子へ物品を届ける依頼をされた時と同じ質のものが含まれているのを嫌でも察してしまう。

「お疲れ様でございます」 

 なるべく無関心を装って切り抜けるつもりで、蘇芳が参加しているらしき問題へ目配せしてから大したことでもなさそうに捉え、挨拶する。

「極彩様」

「天藍様に会わせなさいよ!」

 気の強げな女の声がよりいっそう大きく響いた。

「ねぇ、あんた!そこの!」

 反射的に向いてしまう。栗毛色の長い髪の、極彩と同年代くらいの女が人垣に阻まれながらも暴れていた。極彩へ手を伸ばしている。

「はい」

「ああっ極彩様!」

 呼び掛けに応じてしまうと蘇芳は焦る。

「群青殿か藤黄殿に取り次いで!お訊ねしたいことがあるの!」

 言葉を理解するよりも早く、騒ぎを引いて眺めていた老年官吏のひとりが別の廊下へ誘導した。おさわがせいたしました、と添えられ部外者でいるようにと念を押されているみたいだった。遠回りして離れ家へ戻った。予定よりも開けてしまっていたそこは親しんで鼻腔に溶けていた生活の香りが改めて現れていた。大窓の奥で大小の人影が忙しなく動いている。桃花褐と珊瑚が庭で組手稽古をしていた。珊瑚の膝は治ったようで、また少し背が伸びているようだった。窓を開けるよりも早く桃花褐は気付いたようで珊瑚を往なし、軽々と芝生の上に転がす。

「おう、おかえり嬢ちゃん」

「ただいま。ごめんなさい。すぐに帰ってくるつもりだったのだけれど」

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