14
3日経つ。まるで数時間のような感覚だった。新しい世話係を下げ離れ家に座る。縹がしばしば様子を見にきたが何を話したのかは覚えていない。朝食も済ませていたが何を食べたのかも覚えていなかった。食器を厨房に運ぶ。戻る途中で縹が声をかけた。
「君、大丈夫かい」
毒々しい色味のローブが目を引く。
「叔父上…」
縹は灰白に触れようとして、だが躊躇ってその手は落ちる。
「山吹様のところへ行く前に、懲罰房に行くかい」
「…はい」
縹はまた不機嫌さを露わにする。
「まだ早いけれど、多少の誤差には目を瞑るよ、形式的過ぎる」
群青ならばきっちり分刻みで3日日間という決まりを守るのだろう。厨房で縹と合流し懲罰房へ向かった。地下は全てが牢屋と懲罰房になっているのかかなり広い。等間隔に空けられた窓から射し込む光は強くはなく、薄暗く黴臭かった。水が叩きつけられる音がする。2人分の足音が大きく木霊する。牢が並ぶがどこも空で、人が収容されている様子がない。灰白は足早に歩く。縹との距離が開いていく。
「紫暗」
「ここに」
返事があると灰白は走った。出入り口から随分と遠い。通り過ぎて、視界の脇に入った小さな姿に後ろへ下がる。紫暗が壁に凭れて座っていた。衣服は汚れ、髪は乱れている。項垂れていた顔が上がる。血、痣、傷。充血した片目が灰白を見る。灰白は言葉を失っていた。
「紫暗…」
「今日が処刑の日ですか」
袖口が血で汚れている。灰白は強く首を振った。意識も言葉もしっかりしている。
「分かっています、即日に処刑でないということは、助かったんですね」
虚しい笑みが腫れた口元に浮かぶ。痣や腫れはあるが日が経てば治りそうだ。縹の足音が近付いてくると紫暗はわずかに身動いだ。無罪放免というわけではなかったのだ。牢の前に来た縹へ掴みかかりそうになるが、その前に縹が紫暗へ謝った。
「すまないね。何の咎めも無しとなるとおそらく誤魔化しが利かなくてね。群青くんというよりは三公子のほうなのだけれど」
「そんな…謝っていただくことは何もありません…感謝のしようがありません」
声が弱々しい。話すのが億劫なようだった。縹は紫暗の爪先から乱れた髪をまでを眺める。
落ちた声は感情がない。まるで何か読み上げているようだ。砕けた態度を取りつつも普段は折り目正しい紫暗は座ったまま。そしてまた項垂れている。
「紫暗、大丈夫なの?」
「加減が難しくてね。規則通りにはしたのだけれど」
縹が処罰したらしい。灰白は俯いた。全て灰白が巻き込んだことだった。群青を怒ることも縹を責めることも出来る立場にない。
「もう、出られるの?」
「ボクが印を押せば、すぐにでも出られるけれど、君はどうする?」
縹が立ち上がる様子のない紫暗へ訊ねた。紫暗は首を横に振る。断られるとは思ってもいなかった。
「すぐに使い物になる状態ではないので…」
縹は紫暗の入っていた牢の鍵を解く。紫暗が驚いたらしく顔を上げた。
「もし三公子や群青くんに解雇を命じられたら、君はボクが雇う。姪の世話を今後も頼むよ」
はい。消え入りそうな声だった。縹が肩を抱き寄せる。
「戻ろうか」
項垂れたままの紫暗のいる牢を何度も振り返りながら縹に促され歩く。
「紫暗の今後のこと…ありがとうございます」
「大変なのはこれからだからね。情は捨ててもらいたいけれどせめて話し相手は必要だろう」
縹を見上げる。長い睫毛に囲われた瞳が揺らぐ。
「それが、朽葉さんだったんですか」
「…」
縹は灰白を見た。目が合う。にこりと微笑まれた。穏やかな目元。
「群青くんとは上手くやっているかい?疑われると厄介だからね」
はぐらかされる。だが心当たりがあるだけに灰白はそのことを指摘出来なかった。
「なんでですか…」
「いいや、特に深い意味はないよ。彼が少し君を心配していたから。彼に心配されるとは君もなかなかやるね」
心配されるような様相や生活程度なのは群青のほうだ。
「…もし国の人々全員が珊瑚様に手を上げたら、みんな処す気なんですか」
「彼ならそうするかも知れないね」
「家族でも、ですか」
「それが彼なりの規則の解釈なら、そうだろうね」
「群青殿に感情はないんですか」
「やたらと彼に突っ掛かるね。やはり何かあったのかな?」
縹は少し愉快そうだった。
「業の深い立場だからね。そう見えてしまうかも知れない」
懲罰房や地下牢へ繋がる短い階段を上がる。縹と別れて山吹のもとへ向かった。
「ごくさい」
いつもは遠慮のない山吹がどこか控えめに思えてきたのは慣れなのか。それとも実際に加減しているのか灰白には分からなかった。
「山吹様、遅れてごめんなさい」
山吹は灰白の頭を撫でている。心配しているようだった。
「ごくさい、しあん、やまぶき…みどり!」
新しい世話係が入ったらしい。それが早急な人員補充のようで広い懲罰房に満身創痍のまま1人残っている紫暗の姿が脳裏を過る。
「どなたか、入ったんですね」
この部屋に思い当たる人物はいない。雑用係として2人部屋に控えているが見覚えがある顔だった。
「みどり、ひらひら。くるくる。ちょうちょ…」
楽しそうに新しく来た者の話をする。紫暗のことは忘れ去られてしまった気がして灰白は興味が湧かないまま相槌を打つ。控えていた雑用係が群青からの伝言を灰白を伝える。
「やまぶき、しあん、わんわん」
「はい。きっと紫暗は戻ってきますから、それまで待ちましょう」
もう戻ってこないかも知れない。縹は紫暗の今後も考えていたが、紫暗が拒否するかも知れない。傷付いた姿。まだ珊瑚に蹴り倒されていたほうが軽傷だったかも知れない。背を引かれる。振り向くと山吹は怒られた子のような目を向けた。他人の感情の機微に敏いらしい。
_群青が提示した課題は有名著書の書き写しでだった。字の書き方を何度も繰り返していたが山吹はなかなか字を覚えなかった。長文を書き写していく山吹の隣で灰白は雑用係を手伝う。縹が羽織っているローブと同じ形をしているが色が違う。これは城の制服らしかった。黒い布が使われた、裾まで伸びる衿に金糸で刺繍を入れていく。裁縫は四季国で早いうちから教えられていた。縹が着ていると重苦しい印象があったが手に取ってみると薄手で、軽く、柔らかい。時折山吹を見ると静かにペンを紙面に滑らせている。
「ごくさい」
「終わりましたか」
山吹が出来上がった物を見せる。歪んだ字だが読めなくはなかった。以前あった、左右反転した字や違う字がないかを確認する。
「では少し休憩しましょうか」
刺繍していた手を止め、ローブを畳む。細かい作業に目元を弱く揉むと、山吹が数度肩を揉み解す。
「出来上がった分は先にわたしが持って行ってしまいますね。遅れましたから」
雑用係たちが刺繍を終えたローブを畳んで積み上げる。大浴場の隣のランドリーと呼ばれる洗濯に特化した部屋へ向かう。積み重ねられたローブが視界を妨げる。
「極彩様でいらっしゃいますか」
ローブによってあまり前が見えない。名を呼ばれ、足を止める。




