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彩の雫  作者: .六条河原おにびんびn


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 紫暗は焦っていた。灰白は危ないからと止めようとしたのも間に合わず、厨房に走り去っていく。廊下の先には、タオルという特殊な加工をされ、吸水性に優れた拭くための布や衣類、他にも縹が着ていた物と同じローブや、書類などが落ちている。運ぶ途中でこの騒ぎに巻き込まれたのが窺える。

 お前ら全員クビだ!解雇だ!二度とその面見せるな!

 厨房から聞こえる感情の昂った叱責と詰問。若い男の声に思われた。

 群青、お前もいい気になるなよ!とっとと辞めさせたっていいんだからな!

 出された群青の名。そして騒めく他の声。思ったよりも人がいるらしい。群青が辞めると城はどうなるのだろう。新しい指導者が立てられるのだろうか。何故人手が足らないのだろう。

 鈍い音がした。厨房から出てくる物。灰白の目の前をグラスが転がりながら横切った。群青を辞めさせられる立場にある者が厨房にいるらしい。灰白はグラスを拾う。厨房入り口の暖簾に遮られ、中の様子はよく見えないが1人の前に多くの者が床に頭を着けたまま固まっている。

「ああ、君、また会ったね」

 縹が前からやって来た。煩わしそうに髪を掻き上げながら床に落ちてる物を眺め、その先に立っていた灰白には何も見ていないような爽やかさで声を掛ける。

 バカにしやがって!頭下げときゃ丸く収まるとでも思ってんのか!

 相変わらず暴言は続いている。

「どうなってるんですか?」

「神隠しではないだろうね」

 縹の言う意味が分からず、厨房に入ろうとする縹を追うと、少し待っていなさいとと言われて灰白は屈んで暖簾の下から中の様子を見た。群青と紫暗が他の者たちよりも前に出て頭を下げたまま動かない。

「三公子、どうなさいました」

 縹が落ち着いた声を掛けると、黒い髪の男が振り返る。口角が上がっているが、反抗的な目は縹に敵意を抱いていた。彼が三公子なのかと灰白は若い男を観察する。

「どうなさっただと?お前のせいでもあんだよ」

 拳が振りかぶられ、灰白は顔を逸らした。質量のあるものを殴る生々しい音がする。

「申し訳ありません、申し訳ありません!」

 紫暗が頭を上げては何度も頭を床に打ち付けるかのように下げる。三公子と呼ばれた若い男の脚が横から紫暗を蹴り倒した。

「三公子!」

 縹の非難めいた声。

「なんだよ、その目。気に入らないな。お前が戻ってきたのも、いきなり帰ってきてこんな高官に就けてるのもな。三下から出直せよ」

「三公子、怒りをお鎮めくださいませ。今回の件の責任は全てこの群青にあります」

 三公子と呼ばれた男。灰白が婚約するはずだった者だ。三公子は体勢を崩し、また額を床に着ける紫暗の腕を踏む。

「そうやって頭下げてれば何でも赦せてもらって、いい御身分だよなぁ」

 紫暗の腕を踏んだまま群青を謗る。足に力を込めたらしく、紫暗は痛みに呻いた。小さな肩が震えている。

「紫暗を放しなさいよ」

 灰白は厨房に入っていった。三公子は鼻梁に皺を寄せる。

「やっぱり骨の1本くらい折っとくんだったな」

「やめなさいったら!」

 灰白は若い男の足を押して紫暗の肩を抱き寄せる。殴られ頬を赤くした縹がうんざりした顔をしたが構っていられなかった。

「大丈夫?」

「信賞必罰。俺の(めい)に背いたんだ、死刑だっておかしくない。そうだろ?」

 灰白は三公子を睨み上げた。

「で、群青。質問だ。お前のお得意の嘘だのはったりだの詭弁は要らない。この女が例の俺の婚約者か?」

 群青の白くささくれの目立つ指が汚れた厨房の床を引っ掻く。

「違います」

 三公子は群青から灰白へ冷たい目を映す。嘘ではない。あくまで予定だった。そして実際は山吹の付き人だ。

「群青」

「はい」

「お前、俺のコト、ばかにしてんの?」

「…いいえ」

 頭を上げないことに対してか、それとも灰白が勝手に答えたことに対してか、他のことに対してなのか。三公子の脚が動き、灰白は咄嗟に紫暗を放すと群青を庇った。だが衝撃は来ない。背後で生理的に不快感を催す音がした。

「余所者が偉くなったな?」

 三公子が鼻で嗤う。灰白の背に柔らかく当たる何かが当たり、振り向くまでもなく視界に入った躑躅色に反射する赤。

「は、な…叔父上…」

「可愛い姪ですから、多少は差し出がましい真似はいたしますよ、三公子」

 縹の手が鼻を押さえ、白い指の間から血が滴る。灰白はきょろきょろと辺りを見回して拭く物を探す。

「懐紙…えっとタオル…いや、ティッシュ…」

 慌てて灰白は周りの人々に助けを求める。懐紙に相当するものが瞬時に思い付かず、袖口で拭おうとすると縹に腕を突っ撥ねられて嫌がられた。

「大丈夫だよ、鼻血だ。大袈裟なものではないよ」

 縹が焦る灰白を宥めようと手を伸ばしたが、鼻血まみれなことを思い出したらしくその手はまた鼻に戻る。

「三公子、何卒、何卒お許しくださいませ。責任は全てわたくしが取らせていただきます…」

 三公子は近くに置かれた柳刃包丁を眺めた。手に取って、しげしげと見つめる。細長い刃渡りが光って威嚇しているようだった。

「ほんとに?」

 灰白は三公子を見上げた。何を言い出すのだろうか。嫌でも分かってしまって。

「責任ねぇ…?大兄上みたいに、自分で腹切って死ぬ?見届けたんだろ?なぁ、どんな顔して、何言って死んでったんだ?」

「ふざけないで」

 群青が答える前に灰白は立ち上がった。だが出てくる言葉がなかった。面と向かった三公子は泣きそうな目をしている。驚いた灰白に、三公子は顔を逸らす。

「群青、しっかり片しておけよ」

「御意のままに致します」

 つまらなそうに三公子は厨房を出ていく。目元を擦った後ろ姿を灰白は見つめていた。周りの者たちも活動をはじめる。

「本当に、申し訳ありませんでした」

 紫暗がまた頭を床に擦り付ける。顔を上げた群青の唇からは血が出ていた。一瞬虚ろな目をしていたが、紫暗に気付くと我に返った。

「どういうこと?あの人が三公子?なんで怒ってるの?」

 群青と紫暗の間に灰白が割り込む。

「あの方が三公子です、極彩様が婚約するはずだった、珊瑚様。昨日、呼び出しを受けまして、極彩様に会わせるようにと仰せつかっていたのですが、独断で会わせてはいけないと思って…」

「昨日、群青くんと話している時に激昂していらしたものね。君も聞いていたのか。会ったら婚約などと言っていられないくらいに痛い目に遭わせて帰らせてやる、だったかな」

 周りにいた者からティッシュを渡されたらしく、ある程度鼻血が拭き取られているが、手に付いて乾いた血は小さな鱗のようだった。

「昨日…?」

「君が山吹様と竹林にいた時だよ」

 そして繋がった。群青の頬の腫れ。縹の口角の傷。紫暗の肘もおそらく昨日の段階で痛めつけられたのだろう。

「群青くん、極彩ったらこの傷、ボクたちが喧嘩でもしたのかと思ったらしくてね」

 群青は唇の傷を指先でゆっくりなぞって、縹殿と喧嘩はご遠慮させていただきたいですね、と苦笑した。

「群青くんの判断は分からないけれど、あの様子では君の判断は間違ってなかったと思うよ、ボクはね」

 肩を落とす紫暗に縹は言った。

「君に落ち度はない。私がこの有様だから、相談するのを躊躇ったんだろう。だとしたら私の管理の問題だ。これからも城のため心して励んでくれ」

 4人は動きはじめる厨房の中でまだ地面に座ったままだ。だが周りの者たちは器用に避けていく。

「…参りましたね」

 群青は小さく零す。散乱した食器類や陶器やガラスの破片を片付けはじめた雑用係たちに、片付けは自分がすると言って各自持ち場につくよう指示を出す。

「誰がやっても同じでしょう。何も仕事を増やさずとも…」

「三公子自ら、わたくしを指名なさいましたから」

 三公子の言葉を気にしているのかと灰白は思った。朽葉の自死の際、傍にいた。群青はよろよろと立ち上がって、散乱した皿を拾い上げていく。使えるか否かを確認しながら。縹は群青が遠ざかると半目で灰白を向いた。

「待ってなさいって叔父上、言ったよね?」

「ご、ごめんなさい。だって…」

「極彩様を巻き込んでしまったのは自分です!」

 紫暗が灰白の前に立つ。ならお仕置きが必要だね、と紫暗の何度も額を床に擦り付けて赤くなったそこを縹は軽く指で弾いた。

「ボクは執務室に戻るよ。全く…」

 縹は鼻血で汚れた似合わないローブを脱ぎ、腕に掛けると去っていく。

「ありがとうね、紫暗。わたしのこと庇ってくれてたんでしょ」

 紫暗の細い肩を掴み、向かい合う。まだあどけなさの残る顔がくしゃりと歪む。だが持ち直し、一度目元を拭うだけ。

「極彩様にも結局はご迷惑をお掛けしました。解雇される覚悟も出来ております」

 半ば自棄になっているように思えた。灰白は紫暗を辞めさせようなどとは微塵も考えていない。

「そんな覚悟、今は要らないよ」

 悔しそうに下唇を噛む紫暗の小ぶりな鼻を指で軽く押す。

「さ、山吹様のところに行こう」

 灰白は背を叩く。紫暗は食器類を拾っている群青にもう一度短く謝った。

「そうでした、極彩様。先ほどは庇っていただいて…わたくしの不徳の致すところです」

「え、わたし?でもわたしもお…叔父上に庇ってもらったし、怪我も何もしてないから!」

 灰白は頭を下げる群青にそう残して山吹の部屋を目指した。

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