第一話 始動
主人公の名前は松原一と読んであげて下さい。
宵闇に沈んだ道場。
天窓から月光が差し込み、光の筋が宙を裂いている。夜の道場の中央に一人、黒の着物に身を包んだ少年が刀を携えて座す。衣擦れの音すら響かない、静かな室内。閉じられていた目がゆっくりと開かれる。目の前に刀が掲げられ、鞘から抜かれる。月の光を受け、刀身が鋭い光を放つ。少年は立ち上がって鞘を投げ捨てた。真っ直ぐに構えられた刀身と同じ光が瞳に宿る。
シュッ、と刀が勢いよく振り下ろされた。闇の中に斬撃の筋を幾つも残していく。
蝋燭で照らされた室内では、三味線の古風な音楽が奏でられる。僧が語るは、この地に残る古からの言い伝え。
「昔昔、闇を司る神がこの地を闇で覆い尽くしてしまったそうだ。化け物が暴れまわり、田畑は荒れ、人々は散々苦しんだ」
「光の神が闇の神を成敗し、この地に光を取り戻した。人々の苦しみは全て消え、闇の神は地の底に封印されたそうだ」
「幾千の時を経て、月が地に一番近づく時、その封印は解き放たれてしまうと云う」
「世は乱れ、大戦が起こり、人々は絶望に苦しむことになろう。闇の神は地の底から這い出でて、この世界を破滅せしめんと必ずやってくる」
「しかし、時を同じくして神の子が現れ再び世界を救うだろう」
傍で話を聴いていた男が神妙に顔を伏せた。その横顔を蝋燭の灯がゆらりと照らす。
「守らねば……。せめて、明日の夜までは」
男の呟きはそっと闇に溶けた。
汗がサッと散った。
刀と共に光を受けて、暗い道場の中できらきらと輝く。全身に力を込めた時の息遣いが無音の室内に響いて、それ以外の音はもう何も聞こえない。肺から絞り出す度に荒くなっていく息は、まるで生命の波動のよう。
月は満月の一つ手前。明日は少年と少女の目出度き日。そして運命の日。真っ直ぐな鋼の瞳が、刃の切っ先を見つめた。
月の下、遠くから何者かの咆哮が響き渡った。
**********
快晴の空。
雲一つない、抜けるような青空。
「せいや!」
凛とした声と、木と木の打つかる音が響いた。木々で寛いでいた鳥達が驚いてばさばさと飛び立つ。自然と列を成したその影は、日の光の中に吸い込まれて消えていく。天窓から太陽の光が射し込み、道場の中を明るく照らしている。木刀が空気を切り裂き、シュッと耳元で音が鳴った。
二人の男が道場にて手合わせをしている。何方の額にも首筋にも汗が滲み、動く度に滴が散る。
「止め!」
低い声が響いた。一瞬ビリビリと道場が揺れる。
「お前、強くなったな!」
赤髪の大男が腰に手を当ててガハハと豪快に笑った。満足そうに立派な髭を撫ぜる。もう一方の小柄な少年も刀を下ろし小さく礼をする。その息は大男と対称的に乱れている。
「やっと一人前になりおった。この雷豪、感無量である!松原、次からお前も本格的に参戦することになるぞ。覚悟しておけ」
雷豪は再びガハハと地響きにも似たような声で笑い、松原の細い肩を叩いてうんうんと深く頷く。
「然し、今日は盛大に祝おう!お前の新たな門出となる日じゃ。どれ、殿に挨拶してこい」
雷豪の言葉に頷いて松原は乱れた息と着衣を整え道場を出た。この稽古着では失礼になるので、一先ず藩士が生活する場所として充てがわれている宿舎へと向かう。途中、庭で鍛錬をしている藩士達と擦れ違った。
「おう、松原。その様子じゃ雷豪さんに認められたんだな。今から殿への御挨拶か」
一人の藩士が話しかけてきた。松原が頷くとそうかと笑顔が返ってきた。
「おめでとう。よくやれよ!」
藩士も元の鍛錬に戻り、松原も再び歩き出す。自室に辿り着くと部屋に入り稽古着の着物から武装へと着替え始める。
此処は西の果ての地『士の国 千久然藩』である。
武士の国である『士の国』は幾つかの「藩」という小国が集まる形で成っており、千久然藩はその一つである。豊かな森林に囲まれ、藩主や藩士達が生活する城と、町民達が生活や商いを営み賑わう城下町で構成されている。武士の国であるといっても、この大陸では先の100年以来大規模な戦は起こっていない。あるとしたら領地拡大を目論む藩同士の小競り合いだ。千久然藩は幸いそんなこともなく、隣藩とは実に良好で平和な日々を過ごしている。それでもこの国が武力を主体に成り立っているのは「いつか」の為、この地の言い伝えが信じられているからに他ならない。
黒のマフラーを翻しながら向かったのは城の上層。
「松原一、只今参上いたしました」
面を上げいとの言葉で徐に顔を上げる。
左右ずらりと列して座るのは千久然藩の藩政に関わる重鎮。最奥に座るのは、藩主千久然種恭。その前に淑やかに座しているのは藩主の姫君花姫である。
「松原よ、よく来た。待っていたぞ!雷豪から話は聴いている。これで其方も漸く一人前の武士だ。今日は誠に目出度い日じゃ」
「はい、御父様。今日は私と一様の十六の誕生日で御座います!誠に目出度い日で御座います!」
「花姫、そうだな。はは、だがそうはしゃぐものではない。準備はしっかりとしておるからな。安心せい」
「あら、申し訳御座いません。す、少しばかり急いてしまいました」
花姫に頷き種恭は松原に向き直った。
「そうだ松原、今日は其方の十六の誕生日。立派な我が藩士の仲間入りである!」
「はっ。この松原一、本日より改めて忠誠を尽くし精進して参ります。殿の為藩の為命を懸けて戦う所存で御座います」
「良い!では、恒例の、と参ろうか。雷豪!」
「はっ!!」
頭にはてなを浮かべる松原と花姫以外は、何やらにやにやと笑っている。すると、何処に隠れていたのか、藩士達が殿!殿!と口々に言いながら部屋へと入ってきた。
「さあ皆!今から恒例の腕試しといこうではないか!」
松原遂にお前もだな!とあっという間に囲んできた先輩藩士達が口々に囃し立てている。雷豪が奥から持ち出してきたのは一振りの太刀だった。
「我が家宝、太刀白竜である」
種恭はそれを受け取って松原と呼んだ。短い返事と共に松原が近くに寄る。
「この我が宝刀は英雄と共に歴戦を勝ち超えてきた刀と云われている。美しく強い素晴らしい太刀だ。だが、中々に変わった刀でな。
どうやら選ばれた者でないと宝刀を鞘から抜くことができないのよ。それが力なのか、それとも運命なのか分からないのだが」
「……はあ」
「先程言うた通り、十六の誕生日を迎えるものは一人前の武士となる、というのは知っているな」
「はい」
「そこで毎年恒例の儀式として、十六の誕生日を迎えた者にこの刀を抜けるかどうか腕試しひいては運試しをしているという訳だ!!依って、松原!今日はお前の番だな。何、抜けなくても心配するな。今まで抜いた者はおらん!」
種恭が差し出した刀を、松原は慎んで受け取る。賑やかだった室内が急に静かになった。藩士達や雷豪、花姫までが興味津々と見つめている。その中心で松原は戸惑いながらも姿勢を正し鞘と柄を握る。
「……白竜、その姿を見せよ」
呟きと共に力が込められた。ぐっと少し抵抗するような感触の後、ゆっくりと鞘から刀が抜かれる。まるで神々しい光を放っているような、否、実際に光を放って美しい刀身が姿を現した。全員が息を呑む。切っ先まで抜かれ、そして掲げられる。
「…………抜いた」
「おぉお!抜きおった!!」
暫しの沈黙の後、ドッと歓声が上がる。雷豪の大きな笑い声と四方から拍手が鳴る。刀を抜いてみせた当の本人である松原は、その中で未だ不思議そうな顔でまじまじと刀身を眺めていた。種恭と雷豪が目を合わせて頷く。
「松原!この刀はな、実はわしや雷豪も抜いたことがなかったのだ。だが、お前は見事に抜いた。白竜から選ばれたのだ」
再びゆっくり刀を鞘に仕舞う松原の近くに寄り、肩に手を置く。
「宝刀は今からお前に預ける。その刀で多くの武功を挙げよ!」
「然し、殿、私は抜いただけでこの刀を振るうには余りに未熟者で、」
「良い!様々な戦場を駆け今にお前は強くなる。お前が持っておくのだ」
依然何言かを言おうと口を開いたが、力強い目で圧され言葉に詰まった松原は、暫し逡巡した後に刀を掲げ頭を下げた。
「これより太刀白竜、有り難く拝領いたします」
「うむ」
嬉しそうに松原の肩を叩いてから種恭は戻った。
「今宵は宴じゃ!盛大な酒盛り故、夜まで皆休むがよい」
おおと歓声が上がり皆礼をして部屋を後にする。最後に松原が礼をすると嬉しそうに花姫が手を振った。
廊下では藩士達が待ち構えていて部屋を出た瞬間押し潰される様に頭を撫でられた。凄いのお!やったな!と言われがしがしとされたが、凡そ満足したようでまた後でな、と散っていく。突然の短い嵐が去って一人残された松原は目を瞬かせながら呆けていたが、ひらりと廊下の角に消えた影を見逃さなかった。気付いてぱたぱたと追いかける。
「あの、」
宿舎へと戻る道すがら、高い位置で一つに結われた長い髪に声を掛ける。
立ち止まらず無言で顔だけが振り向く。
「真木さんも来て下さっていたのですか」
「雷豪さんにお前も来いと言われただけだ」
ふいと素っ気なく前を向く。
真木義友。若くして、千久然藩随一の剣豪である。
先程抜刀の儀の際、障子付近で見ていたのを松原は気付いていた。集まりや呑みの席にも滅多に顔を出さず、何処で何をしているのか藩士でも分からない真木が、あの儀に顔を出していたのが珍しいと思っていたのだ。
松原は二歩後を付いて歩きながら、自分より背の高い真木のひらりと揺れる髪をじっと見上げていた。
「明日から真木さんが稽古をつけて下さると聞きました」
「頼まれたからな。仕方なくだ。お前を早くその刀に見合う武士に育てろと」
「よろしくお願いします。頑張ります」
「ふん。……手加減はしない。精進しろ」
「はい」
体格が違う分徐々に二人の差は開いていく。遂に止まってくれなかった真木の背に松原は礼をしようと立ち止まると、逆髪を潰してぼすっと何かが頭の上に乗っかった。
「うわっ」
「……どうせ書庫の本は全て読んだのだろう。暇潰しにこの兵法書でも読んでおけ」
顔を上げると真木が頭に本を押し付けていた。それを受け取ると足早に去っていく。今度こそその背に礼をする。先程散々撫でられてぼさぼさになった髪が再びぼさぼさになってしまった。
本の表紙をじっと見ながら、馴れ合いを嫌うーその様に見えるー真木が若武者の育成係になるのはとても珍しいことだと思った。幾ら雷豪の頼みと雖も断りそうなものだが、と松原はぼんやりと考えていた。然し、剣豪から稽古をつけてもらえる機会などそうそう無いものである。戦はいつ起こるか分からない。何時でも戦えるようにしておかなければ。髪を直しながら、取り敢えず宿舎の自室へと歩いていると太陽の傾きを見て、約束を思い出した。
兵法書を抱えて、慌てて城下町へと向かう。
「すみません。遅くなりました」
城下町にある茶屋に顔を出すと、あら、と声が返ってくる。此処はお婆さんと娘が二人で営む老舗の茶屋である。内緒で城を抜け出した花姫に誘われて時々御茶をする店だ。
「来てくれてありがとね。早速で悪いんだけど、上新粉もらってきてくれる?」
「はい」
そのまま違う店へと移動する。茶屋では甘味も出す為大量の上新粉が必要だが、女手しかいないので何十キロの重さのある上新粉の袋を幾つも運ぶのは困難だ。そこで松原は時折手伝いに来ている。手伝いは茶屋に限ったことではなく、若い男手が不足しているのは何処も同じなので城下町の店には殆ど行っている。今日は手伝いに行くと前もって約束していたので、こうして顔を出したのだ。上新粉を受け取って町中を歩いていると様々な人から声を掛けられた。
「松原くん、今日は誕生日らしいな」
「そりゃあ目出度い!これ持っていきな」
「これもどうぞ!日頃の感謝も込めて」
「うちのも!」
「ありがとうございます」
上新粉の袋の上に林檎や団子や花やらを置かれる。気前の良い笑顔の数々に断ることも申し訳なくなって素直に受け取る。それらを落とさないようにしながら茶屋に辿り着くと暖簾を潜った瞬間、わあと驚かれて笑われた。
「御使いありがとう。沢山お祝いを貰ったのね!相変わらず愛されてるわね」
取り敢えず贈り物を茶屋の机に置いてもらい、上新粉の袋を指定された場所に置く。ふうと一息吐くと、さあ座ってと席に案内された。
「私達からも日頃の感謝も合わせて御祝いさせてもらうわね」
奥に消えた女店主を暫く座って待つ。目を瞑ってみると、外から活気のある町の声や足音が聞こえる。入ってきた心地良い風が頬を撫でていく。湯気で温まった空気と茶の良い香りが店内に広がる。軒先にぶら下げられた鈴の音がチリンと小さく鳴った。
はい!と声を聞こえて目を開けると、目の前に善哉が置いてあった。
「細やかだけど。貴方の好きな物をね」
「いいんですか」
見上げて訊くと女店主は人懐っこい笑顔で頷いた。戴きます、と手を合わせて湯気の立つ椀をそっと持って一口。小豆の風味が鼻腔を通り上品な甘さが広がる。餅を食べるとみょんと伸びた。焼いてあるので香ばしい。味わって食べていると、本当に美味しそうに食べるね、と笑われた。
「善哉食べる時はいつも目が輝いているもんね。姫様は三色団子!貴方達二人は本当に可愛いわ」
自覚がなかったので松原は照れて頬を掻いたが、姫が三色団子を食べている時の表情を思い浮かべて、成程自分はあのような顔をしているのだなと思った。善哉の温かさが茶屋の人々の温かさの様に感じられる。食べ終えて御馳走様でしたと手を合わせると、そろそろ戻らないといけないんじゃないと言われた。
「はい。ではまた。善哉本当に御馳走様でした」
「いいのよ。また姫様と一緒に御出でね!」
見送られて店を出る。
今度は自分から誘ってみようか、と考えながら城へ戻る道中、御土産に三色団子を買えば良かったと松原は小さな後悔をした。
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「今日は松原と姫様の御誕生日である!松原!これからも日々精進し、強く賢い武士になりなさい。我が家族の目出度き門出を祝福す!」
乾杯の音頭が取られ、酒盛りやお囃子、踊りなどが始まった。大皿に盛られた刺身や多くの酒、鍋等いつもより豪勢な食事が机を埋めている。
「おめでとう」
「これからも頑張れよ」
と、祝いの言葉をかけられては空いた杯に酒をなみなみと注がれる。
肩に寄りかかられたり頭を叩かれるように撫でられたりと、その対応に困りながらも注がれた酒を呑み誰かの自慢話に耳を傾ける。姫君を祝う宴でもあるので真木も参加しており、端でひとり酒を飲みながら外を眺めている。
宴は進み、床に酔っ払いやら酒瓶やらが乱れている頃、松原は呑みすぎたかと思い夜風に当たりにいった。
城の中から見えた月は、大きな青白い満月だった。
「一様!」
不意に後ろから声を掛けられ振り向くと、花姫が立っていた。
「主役が何処へ行ったかと思うと、此処でしたか。皆、どうやら羽目を外しすぎたようですね」
微笑みながら隣へと歩み寄ってくる。
「一様ももう十六。どんどん外の世界へ出て逞しくなるのでしょうね」
城の外に広がる景色を見つめて花姫が言う。
その横顔は少し寂しそうに見えた。
「姫を守る為に強くなります」
しっかりと姫の方を向いて真っ直ぐに見つめて言うと、姫の顔が少し赤らんで頷いた。姫も酒を嗜んだのだろうか。冗談と取られていなければよいが、と思った。
松原と花姫とは幼馴染である。藩主の姫君と幼馴染とは随分数奇なことだが、松原の出自は実のところ曖昧なのである。分かっていることは早くに両親を亡くしたということ。千久然藩の領地の道端に傷だらけで転がっていた松原を、偶然花を摘もうと出掛けていた姫が見つけて連れ帰ったのだ。治療を施され目を覚ました松原は名前も境遇も何も覚えておらず皆途方に暮れていたが、種恭と花姫が藩で育てると決め、住む場所と名前と誕生日を与えた。この日は、誕生日であると共に、二人が出会った日でもある。
「でも一様は此処の藩士、私の家族です。そのことをどうか忘れないでくださいね」
その言葉に頷くと、花姫は嬉しそうに笑った。
「あの」
「はい」
花姫は言葉を切った。続きを待つが中々言えないようだ。首を傾げて隣を見ると、また頬が赤らんでいる。酔いが回ってしまったのだろうか。部屋まで己が介抱した方がいいだろうかと考えていると、今夜、と小さな声が聞こえた。
「今夜、その、二人で!」
「松原、少し此方へ来なさい」
花姫の言葉は種恭に遮られた。花姫は少し膨れ面をして、続きはまた言います、と言った。礼をして種恭の元へ行く。前に正座すると、種恭も杯を置き姿勢を正して真剣な表情で向き合った。
「お前に話しておかなければならないことがある。今から心して聴くように。実はな、お前は、」
ゴォオオオォォン
突然大きな音ともに城が揺れた。
「何事だ!」
種恭が叫び立ち上がろうとした瞬間、鋭い大きな爪が城を抉った。穴の空いた虚空から、黒い影が顔を覗かせる。
鋭い角と牙の、巨大な鬼だ。
「グアアアアァァ!!!!」
「なに!?」
城の高さ程もある鬼は太い腕を振り回して城の壁を殴り破壊していく。雷豪をはじめ、藩士達は臨戦体勢を取り慌てて刀を抜く。
「殿は御退がり下さい!皆の者、殿と姫を御守りするのだ!」
雷豪の声が響いて藩士達が一斉に応じる。一早く真木が反応して鬼へと突撃する。斬りつけ腕に傷を付けたものの鬼はビクともせず雄叫びを上げながら暴れ回る。
「チッ、急所を狙うしか」
「姫!」
然し、鬼の一番近くにいるのは花姫だった。夜風に当たっていたのが悪かった。鬼が突然ぴたりと動きを止めて顔をぐるりと花姫の方へ向ける。そして視界に捉えると目が怪しく光った。
護らなければ。
松原は咄嗟に刀を抜いて駆け出した。
「きゃあああ!」
背後から飛び付いて急所を斬ろうと機を窺っていた真木は初動が遅れ、その隙に鬼の大きな手が花姫を鷲掴みにした。
「姫!」
「一様!」
手を伸ばした。
あと少しで届きそうな瞬間、鬼が素早く動いた。伸ばされた花姫の手にあと数センチ届かなくて、手が空を切る。
「打て!」
必死で弓矢を放つも鬼はビクともせず森林を踏み躙りながら、姫を連れたまま巨体に似合わない速さで城を離れていく。
「姫ーーー!」
そして凄まじい咆哮をあげながら、鬼は夜の闇の中へと姿を消していった。
松原の悲痛な叫び声だけが、夜空に浮かぶ満月に虚しく響いた。