成り上がり商会長の半生記
「会長。ソーマ様がお見えです」
執務室での書類整理に追われていたオレは、部下の呼びかけに手を止めた。
「ああ、通してくれ」
急ぎの仕事も抱えているが、彼が相手となれば話は別だ。
なにせ彼は、しがない露天商だったオレが、わずか数年で世界一の大商会の商会長にまで登りつめることになった大恩人なのだから。
「よう、儲かってるか?」
いつもと同じような気安さで、ソーマは片手を上げながら部屋に入ってきた――。
◇◆◇◆◇◆◇
幼い頃からアイテム職人に憧れていたオレは、親元を離れる年頃になると工房に弟子入りした。
親方に怒鳴られ、兄弟子たちにぶん殴られながらも下積み修行に励むこと数年。
朝から晩まで終わりのない雑用に負われる日々。限られた時間の中で少しでもアイテム作成の技術を磨こうと懸命に努力を続けた。
だが、そんなオレの気持ちとは裏腹に、オレにはアイテム作りの才能がこれっぽっちもなかったようだ。
一人前のアイテム職人としてやっていくには、アイテム作成スキルが必須だ。
どんなものを作るにしろ、スキルがあるのとないのとでは、作るための手間や時間も完成品の質も段違いだ。
たとえば、木の皿一枚作るにしても、木工スキル持ちならば半刻もあれば十分だ。しかし、スキルがなければ、その数倍の時間がかかるし、でき上がったものも半値以下の価値しかない。
それくらい、職人にとってスキルは欠かせないものだ。
普通だったら、1〜2年も修行すれば、なにかしらの作成スキルを覚えるものだ。
それなのにオレは5年間必死になっても、たったひとつのスキルも習得できずにいたのだった。
そんなオレに、ある日転機が訪れた――。
「で、その輪っかは何なんだ?」
「さあ、自分でもよくわかりません……」
親方はオレが作成した輪っかを両手でもてあそんでいる。その声には若干の苛立ちが含まれているように感じられた。
輪っかは腕輪くらいのサイズで、引っ張れば少し伸びる柔らかさだ。
しかし、それが何であるのか、作った本人であるオレですら理解していなかった。
「自分で作っておいてわかんねえのか?」
「はい。そういうスキルなので……」
ようやく覚えた念願のスキル。
しかも、それはユニークスキル――世界中でオレだけしか持っていない特別なスキルだった。
このスキルは、オレが望んでいたアイテム作成に関するものだった。
しかし、ユニークスキル故か、作れるものは一般的ではなかった。
素材も入手困難なものばかり、現在のオレにはこの輪っかひとつ作ることだけしかできなかった。
そして、でき上がったのは謎の輪っか。不親切なことに、それが何なのか、スキルは教えてくれない。
ひょっとすると何らかの付与効果を備えたマジックアイテムなのでは、と淡い期待を抱いたオレは知り合いの鑑定スキル持ちに鑑定を依頼してみた。
だが、その結果は芳しいものではなかった。鑑定スキルを使用すると、そのアイテムの使い方や効果が頭の中に浮かぶらしいのだが、オレが作った輪っかの場合は見たこともない文字が表示されたそうだ。「何かはよくわからないが、魔力も感知できないし、どうせ大したものではない」と鑑定した知人も匙を投げる始末だった。
念のためにその謎の文字を書き写し、色々と調べてみたが、残念ながら何の手がかりも得られなかった。
結局、オレのユニークスキルでできたことは、使い途のわからない、引っ張ればちょっと伸びる謎の輪っかをひとつ作れただけだった――。
「5年もかかってやっと覚えたのが、何の役に立つかわからないクズスキルだと?」
「すみません」
「バカヤロー。てめーなんかクビだっ!!!」
親方の罵声とともに、オレは長年勤めた工房を叩き出されることになった。
長い間、芽が出なかったオレがようやく覚えたスキルがまるで使えないものだと判明し、ついに親方の堪忍袋の緒が切れたのだった。
――工房を追い出されたオレは、露天売りで糊口をしのいだ。
市がたつ広場の一角に小さなゴザを敷き、食器や小箱などの自作の木工製品を並べる。
ロクな作成スキルも持っていないオレには、安価な日用品を作ることしかできなかった。
たまに訪れる客の相手をする以外は、日がな一日座り込んで木材を削り続けた。
露天商は過酷な商いだった。
夏の猛暑に肌を焼かれ、冬の極寒に身体の芯から凍えつく。
雨が降れば、客足は途絶え、売上はガタ落ちだ。
それでも生きていくためには、それしか方法がなかった。オレにできることはそれだけだった。
そんな生活が2年以上も続いた――。
手間暇をかけて作った品物もスキル無しのせいで、二束三文で買い叩かれてしまう。
多少の悪天候でも店を開き続けたが、日々を過ごす小銭を稼ぐので精一杯だった。
1日1個の硬いパンとクズ野菜。虫が湧く安宿の大部屋での雑魚寝。
それだけで、オレの稼ぎのほとんどが飛んでいってしまう。
代わり映えのしないツラい日々。
こんな生活をいつまで続ければいいのか――。
絶望に黒く塗りつぶされ、この生活から抜け出すためになにかをするという気力も起こらなくなっていた。
ただただ、惰性だけで昨日と同じように起き、ゴザを広げ、木を削り、夜になったら眠る。それだけの日々だった。
ソーマと出会ったのは、そんな泥沼の生活を続けていた頃だった――。
「これ、お兄さんが作ったの?」
いつものように、広げたゴザに腰を下ろし、なにかを考える気力もなく木材を削っていたオレに、若い男らしい声が届いた。
顔を上げると、そこには若いというよりも幼いといった方がよさそうな少年が立っていた。
少年が指差していたのはゴザの片隅にもうしわけ程度におかれていた一品だ。
オレが扱う商品のほとんどは木製の日用品だ。唯一の例外が、少年が興味を示したそれだった。
「ああ、そうだ」
それはオレが工房を追い出されるキッカケとなった、謎の輪っかだった。
作ったオレ自身もそれが何なのか知らないし、使い途もわからない。
たまに酔狂な客が冷やかしで手を伸ばすこともあったが、オレが満足に説明できないものだから、今までひとつとして売れたことはなかった。
「それ、ちょうだい」
「いいのか? 100ゴルドだぞ?」
「はいよ」
少年がためらいもなく金貨を放ってきたから、オレは驚愕した。
この輪っかが売れるなんて、微塵も思っていなかったからだ。
なにに使うものなのかわからない。それだけでも商品として致命的なのに、コレにはもうひとつ致命的な問題があった。
オレのユニークスキルで作り出した品は、どれも売り値を変えられないのだ。
誰かに売るには、100ゴルドでなければならない。それ以外の価格では取引不可能。そんな厳しい制約が課せられていたのだ。
100ゴルドといえば、金貨1枚の値だ。
何に役立つのかわからない品物にそんな大金を支払う奴なんかいるはずがない。
いろいろな商人に売却を持ちかけても、鼻で笑われただけだったし、興味本位で価格を尋ねてきた客に値段を告げて、「ふざけてんのか」と掴みかかられたこともあった。
それでも、オレが持っている唯一のスキルで作り出した品だ。
売れるわけはないと思いつつも、未練たらしくすみっこに並べることだけは止められなかった――。
驚いたオレは少年の顔をマジマジと凝視してしまった。
金貨を支払ったというのに、少年は気負った様子もない。まるで銅貨で串焼きを買うときのような振る舞いだった。
貴族か金持ちのボンボンか?
それにしては、ありきたりの服装だ……。
道楽や気まぐれで散財するような人間には見えない。
それに、新しい玩具を与えられた子どものように目を輝かしている。
ひょっとして、この少年は――。
「おい、それがなにか知っているのか?」
「ああ、知ってるよ」
「ホントか!?」
「俺の故郷のものだからな」
「頼む。オレに教えてくれ。作ったオレもそれが何なのか知らないんだ」
気がついたら、オレは少年にすがりついていた。
「ああいいよ。俺も色々聞きたいことがあるし。俺が奢るから、ちょっとメシでも食いながら話さないか?」
この少年こそがソーマだった。彼との出会いが、オレの人生の二度目の転機だった。
彼のおかげで、オレはどん底から脱出し、自分でも想像していなかった成功を掴むことができたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「それで、その輪っかは何なんだ?」
「これか? これは虫よけリングだよ」
ソーマは自身の腕にはめた輪っかを眺めながら嬉しそうな顔をしている。
「虫よけ?」
「ああ、これを付けてれば、虫が近寄って来ない。こっちに来てなにがツラかったって、地味に虫がツラかったんだよな。他のことはわりと魔法でなんとかなったんだけど、虫だけはどうしようもなくて困ってたんだよな。いやあ、ホントに助かったわ」
「なんだ……そんなもんだったのか……」
ソーマは心の底から嬉しそうにしているが、オレはひどく落胆していた。
強いモンスターが寄ってこないというのだったら、金貨1枚の価値はあるだろう。だけど、たかが虫ごときにそれだけ払うのはソーマみたいな変わり者くらいだ。
「なんだよ。落ち込んだ顔して。これ凄いアイテムなんだぞ」
「嘘つけ。虫が来ないだけだろ」
「いや、ホントだって。鑑定してみたけど、ほぼ完全に虫を避けられるんだ。オレの故郷のヤツよりよっぽど高性能だぞ」
「でも、所詮は虫じゃねえかよ。そんなものに金貨1枚の価値なんかあるもんか」
「いやいや、虫をナメたらダメだぞ。毒を持っている虫もいるし、虫は病気を運ぶんだ。それになにより気持ち悪いだろ」
ソーマは力説するけど、安宿の雑魚寝で一晩過ごせば、全身を虫に食われまくる。
そんな毎日を過ごし、慣れきっているオレにはいまいちピンとこない話だった。
それに、本当にそんな効果があるのか、オレは信じ切れずにいた。
「でも、オレはずっとそれを持っていたけど、虫たちは遠慮なくやって来たぞ?」
「ああ、装備しないと効果ないからな」
ソーマの説明によると、装備者の魔力と反応して初めて効果が発揮されるそうだ。
――そういうことは早く教えてくれよ……。オレはあらためて自分のスキルの不親切さを呪った。
クズスキルと諦めてきっていたユニークスキル――それが役立つかもしれないと思ったオレは、ソーマにすべてをさらけ出した。
オレのユニークスキルは、いろいろなアイテムのレシピを教えてくれるものだった。そのレシピに従えば、簡単にアイテムを作ることができた。
問題なのは、できあがったアイテムが何であるのか、さっぱりわからないことだ。
レシピにはアイテム名が書いてあるが、例の謎の文字で記されていた。素材名の表記は読めるものだったことだけが救いだ。それすら読めなかったら、本当にお手上げだった。
さらなる問題点は、作成するための素材はどれもこれも入手が困難なもの。なにせ、そのほとんどが名前も聞いたことすらないものばかりだったのだ。せっかく無数のレシピが与えられても、宝の持ち腐れだった。
下積み時代に溜め込んだ小金をつぎ込んで、虫よけリングひとつ分の素材を集めるのがオレの限界だった。
「なるほど。アンタのスキルについては大体把握したよ。凄いスキルだな。俺も欲しいくらいだ」
ソーマは高レベルの鑑定スキル持ちだった。
それにアイテムや素材に関しての知識も豊富だった。
話を進めていくうちにオレのスキルについて理解したばかりか、レシピに書かれていた謎の文字も解読できた。なんと、その文字はソーマの故郷で用いられている文字だったのだ。
それからもソーマは頻繁にオレのところに訪れた。
そのたびに、山ほどの素材を抱えてきて、「これで作っておいてくれ、よろしくな」とタダで貴重な素材を惜しげもなく置いていった。
もちろん、前回置いていった素材で作ったアイテムはすべてお買い上げだ。
タダで貰った素材から金貨1枚もするアイテムがどんどん作れるのだ。
ソーマと出会ってしばらくした頃には、オレは見たこともない大金を手にしていた。
さすがに申し訳なく思ったオレは素材の買い取りを提案したが、「いいからいいから」とソーマは決して金を受け取らなかった。
「貴重なアイテムを作ってもらえるんだ。素材代なんかどうでもいいよ。それにお金には困ってないし」
そう言って固く辞退するソーマはいったい何者なのだろうか?
気前の良さだけではない。
入手困難な素材を集めてくるチカラもある。
不思議に思ったけど、恩人のことを詮索する気はなかったから、オレはあまり深く考えないことにした。
ソーマとの出会いによってオレの生活は激変した。
上等な宿に泊まり、今まで見たこともなかった贅沢なご馳走を毎日たらふく食べる毎日。
ガリガリに痩せていたオレが、腹回りの贅肉を気にするようになる日が来るとは思っていなかった。
あの日を境に、露天は畳んだ。
ソーマから受け取る大量の素材が積まれた、宿の広い部屋にこもり、朝から晩までアイテムを作り続けた。
いくらユニークスキルのおかげで簡単に作れるとはいえ、ソーマが持ち込む素材の量は尋常ではなかった。
数日おきに尋ねてくるソーマの期待に答えようと、オレは寝る間も惜しんで懸命に作り続けた。
休む暇もないほどだったけど、オレは幸せだった。
寝食の心配もない。
自分が作ったものを欲しがる人がいて、それに高いお金を支払ってくれる。
しかも、それはオレにしか作れないものだ。
もの作りに追われる日々でも、露天商時代とは雲泥の差だった。
◇◆◇◆◇◆◇
ソーマと出会ってから数ヶ月経った頃の話だ。
オレのユニークスキルに新たな能力が追加された。
それは『レシピ貸与』というものだった。
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『レシピ貸与』
レシピを他人に貸すことができ、借りた人はそのレシピのアイテムを作成できるようになる。
完成品の所有権はオリジナルスキルの持ち主にあり、売却時に製作者は1割の報酬(10ゴルド)を受け取る。
レシピはあくまでも貸与されるものであり、オリジナルスキルの持ち主はいつでも返却を要求できる。
オリジナルスキルの持ち主が死亡した場合、貸与されたレシピは回収され、使用不能になる。
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「まるでフランチャイズだな……」
オレの説明を聞いたソーマはそうつぶやいた。
その言葉の意味はよくわからなかったが、続けてソーマはサラッととんでもない提案をしてきた。
「よし、商会を立ち上げよう」
そう言うなり、オレの返事も聞かずにソーマは宿を飛び出した。
それからはアッという間の展開だった。
ソーマが何をしたのか知らないが、その日のうちにオレは貴族街の一等地に店を構える商会の主になっていた。しかも、十数人の従業員つきだ。
「こいつらは俺の配下だから、安心して使ってやってくれ」
ソーマの言葉を継いで、全員がオレに深く頭を下げた。
それまでオレひとりでやっていたアイテム作成を『レシピ貸与』した従業員たちと一緒に行うようになり、生産量は十倍以上になった。
ソーマの言葉通り、彼らはよく働いてくれた。生産スピードはオレよりも遅いが、文句ひとつ言わずにオレの言いつけ通りの仕事をしてくれた。
今までひとりぼっちだったオレに、仲間ができたようでとても嬉しかった。
宿屋でアイテムを作り続けた日々も幸せだったが、商会を持てたこと、ひとりではなくなったことの幸せは比べられないほどだった。
商会を立ち上げたことによる変化はもうひとつあった。顧客が増えたのだ。
ソーマがさまざまな素材を仕入れてきてくれるので、作れるアイテムの種類もかなり増えていた。
虫よけリングはともかく、その価値がわかるような品物も作れるようになっていた。
例えば、食器だ。
普通は食器といえば、木製や金属製、あるいは王侯貴族向けの陶磁器が一般的だ。
しかし、オレのユニークスキルで作れるのは、そのどれでもなかった。
軽くて丈夫。傷もつきにくく、鮮やかな色彩。
どこでも目にしたことがない、見事なものだった。
これなら金貨を支払う価値があるというのも、うなずける話だ。
食器以外にも、色々なものがつくれるようになっていた。半分くらいは何なのかがわからなかったが、わかるものはどれも一級品だと理解できた。
使途の明らかなものもそうでないものも、ソーマの要求に従って大量に作り続けた。
相変わらず、完成品の大部分はソーマが持っていったが、それ以外にもソーマの紹介で貴族客が訪れるようになった。
貴族相手の作法など知らなかったから最初はビクビクしていたが、従業員に教えてもらってなんとか事なきを得た。「ソーマ殿の知人ならば、多少の無礼は気にせずとも良い」と公爵様に言われたときはたまげたものだ。
それでも、慣れとは恐ろしいもので、一ヶ月も経つ頃には、王族相手でも普通に振る舞えるようになっていたから不思議なものだ。
生産量が増えたせいで、素材が不足しないか心配だったが、それも杞憂に終わった。
露天商をやってた頃には耳にしたこともなかった素材でも、商会や貴族のツテを用いれば入手することができたのだ。
本人は明言しなかったが、ソーマのコネも大きかったのだろう。
◇◆◇◆◇◆◇
労働力と素材に不安がなかったので、オレの商会はどんどんと大きくなっていった。
それと引き換えに、オレの立場も変わっていった。
アイテム作成に関しては、新たに追加されたレシピの試作をするくらいで、部下たちに任せるようになっていき、他の商会と取引したり、別の都市に支店を立ち上げたりと、商会を指揮するのがオレの仕事の大半を占めるようになっていった。
商会は順調に成長を続けたが、一年ほど経った頃にひとつ問題が浮上してきた。在庫がダブつくようになってきたのである。
オレのユニークスキルの制約が原因だった。
スキルで作ったアイテムはどれも、100ゴルドでしか売ることができないのだ。
他で入手できない価値のある品とはいえ、その高い価格ゆえに売れる量には限りがあるのだ。いくら貴族とは言っても、その財布は無尽蔵ではない。
他都市に支店を構えたり、他国への輸出を行ったりと取りうる手はすべて打ったが、それでも頭打ちだった。
困り果てたオレは、ソーマに相談してみた。
「よし、デノミすっか。ちょっと待ってろ」
『レシピ貸与』の説明時と同様に、ソーマは意味不明な言葉を残して去っていった。
そして翌日、国王からの御布令が出された――。
『銅貨1枚を100ゴルドと改める』
通称デノミ令と呼ばれることになったこの御布令は、要約すれば、この通りである。
現在は銅貨1枚が1ゴルド。100ゴルドは金貨1枚の値だ。これを改変するというのであった。
「ソーマが仕組んだことだよな?」
「仕組んだとか、人聞き悪いなあ。まあ、俺がやったんだけどな」
「大丈夫なのか?」
「まあ、最初は少し混乱するかもしれないけど、すぐに落ち着くはずだ」
ソーマが言うには、通貨の呼び名が変わるだけ、すべてのものの値段が100倍になるだけで、経済に影響はないそうだ。
現在の債務についても、100倍に変更するように御布令にあるので、そちらも問題ないらしい。
「でも、なんでわざわざこんなことを?」
「こうすれば、誰でも買えるだろ?」
すべての物の値段が100倍になる。
現在1ゴルド、つまり銅貨1枚で買えるパンは100ゴルドになるが、銅貨1枚で買えることには変わりがない。
ただし、唯一の例外がある。
それはオレのユニークスキルで作成されたアイテムだ。
スキルの制約があるから、値上げができないのだ。
貨幣単位が変わっても、うちのアイテムの価格は100ゴルドのまま。
「アンタが作るアイテムは俺の故郷のものだって言っただろ?」
「ああ、そうだったな」
「俺の故郷だと、パン1個の値段で買えるんだよ」
デノミ令によって、うちのアイテムは銅貨1枚、パン1個と同じ値段で買えるようになるのだ!
「今までは貴族相手の商売だったけど、これからは庶民が相手だ。さあ、これから忙しくなるぞ」
貴族が大金を支払っても欲しがるようなアイテムが、パン1個の値段で買えるようになるのだ。
どれだけの客が殺到するのか、想像もつかない……。
「デノミが実施されるまではまだ時間があるとは言え、のんびりしてられないな。素材の確保はオレの方でなんとかするから、アイテムの増産と支店立ち上げの準備はそっちに任せるぜ」
それからはロクに寝る暇もないほどだった。
オレの人生でもっとも忙しい時期だった。
支店用地の買収や建設、従業員の確保、店に並べる商品の選定、アイテムの大量生産。課題は山積みだった。
なんとか乗り切ることができたのは、ソーマが新たに送ってくれた人材のおかげだ。オレひとりだったら、到底不可能だっただろう。
――そして、デノミ令の施行当日。
王都内だけでも10店舗を用意したのだが、どの店も長蛇の列ができ、閉店時間までそれが途絶えることはなかった。
オレのスキルから名前を取った商会――『ヒャッキン商会』は市井の人々に大歓迎で受け入れられたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
それからも、ヒャッキン商会は店舗を増やし続けた。
毎日、どこかで新規開店があるほどの勢いだった。
今では、規模で言えば世界一の商会だ。
このような急成長を遂げたので、他の商会や職人ギルドから妨害を受けたりしないか心配だったが、それも問題なかった。
ウチで取り扱うのは、オレのユニークスキル『ヒャッキン』で作れるアイテムだけだ。他商会とは、商品の棲み分けができているし、素材の買い取りのおかげで、むしろ良好な関係を築けていた。
職人ギルドに関しても、ウチの商品と競合するような品を作っていた職人をウチで優先的に雇用するようにしたので、とくに揉めることもなかった。
それに、ソーマが睨みを利かせてくれていたのも、大きいのだろう。
出会ったときはただの少年だと思っていたが、大商会を営むようになって、ソーマがもつ影響力の大きさをあらためて実感した。
組織のトップに立つ者にとって、ウチにちょっかいを出してソーマを敵に回すよりも、良好な関係を結んだ方が得であることは明らかだった。
このように仕事は順調で、部下にも恵まれた充実した日々。
今は忙しいが、もう少し経って落ち着いたら家庭を持つことも考えている。オレがその気になれば、相手はよりどりみどり。貴族や富豪から「ぜひ娘をもらってくれ」と言われるほど――それが今のオレの境遇だ。
当代一の成功者とみなされ、誰もがうらやむ立場であるはずであるのに、オレは悩みを抱えていた――。
執務室の机に向かい、書類の山を前にしながらも、その悩みに気を取られ、いまいち仕事に集中できないでいた。
そんなときに、ソーマが久しぶりにオレの下を訪れてきた。
「よう。儲かってるか?」
「おかげさまでな。随分と久しぶりだったな」
数ヶ月ぶりだというのに、ソーマはまったく変わりのない気安い様子だった。
「今日は何か入用か?」
「あー、今日はそういうんじゃないんだ。ちょっと話したいことがあってな……」
ソファーに腰掛けたソーマは、彼には珍しくためらいがちにそう言った。
ここ最近は必要なものがあっても、配下の人間を使いに寄越すばかりで、ソーマ本人が顔を出すことはなかった。
だから、珍しいこともあるものだと思ったが、どうやらなにか事情があるようだ。
「実は……故郷に帰ることになってな」
「――――」
「ようやくこの世界での俺の役目も終わったしな」
以前本人から聞いたのだが、ソーマは異世界からやってきた勇者だ。そちらの世界での名は佐藤双真というらしい。
ただの少年だと思っていたのが、そんな大人物だったとは、話を聞いた当初はずいぶん驚かされたものだった。見た目からオレより年下だと思っていたが、実は年上だったことにもビックリした。
年齢も立場もオレより上だと明らかになった後も、ソーマは態度を変えなかった。馴れ馴れしいほどの気楽さで接してくるし、オレにもそれを要求してきた。堅苦しいのは背中がむず痒くなるんだそうだ。
異世界から来た勇者だと聞かされて、納得がいった面もある。オレのユニークスキルについて理解が深かったのも道理だ。
ソーマの世界には100均という店があるそうだ。オレのスキル『ヒャッキン』で作成できるのは、その店で売っている製品。こっちの世界には存在しないものばかりだし、鑑定スキルで表示される説明もあちらの世界の言語で書かれている。異世界人であるソーマ以外にはわからないわけだ。
作ったアイテムの売値を変更できないのも、そこら辺が理由らしい。
そんな異世界からの勇者であるソーマが、役目を終えて元の世界に帰ってしまう……。
「じゃあ、オレの役目も終わりだな」
オレが頑張ってきた一番の理由は、ソーマへの恩返しだった。
何の役にも立たないと思っていた『ヒャッキン』の使い道を見出してくれて、価値を認めてくれたソーマ。
どん底の生活からオレを救ってくれたソーマ。
オレのアイテムを楽しそうに受け取り、新しいレシピが追加されるのをワクワクと待っているソーマ。
彼に喜んでもらいたいという一心で、オレは懸命に働き続けてきた。
だが、ここ最近は代理を寄越すばかりで、本人は音沙汰もなかった。
オレはまだソーマの役に立っているんだろうかと、不安に思い悩む日々だった。
そして、オレが一番恐れていた日が、ついにやって来てしまった。
ソーマが帰るなら、オレにできることは……もうなにもない。
「はっ? なに言ってんだ?」
「だって、ソーマが帰るなら、オレがアイテム作る必要もなくなるだろ」
「…………。おまえバカか? なんのために俺が頑張ってきたと思ってんだっ!」
温厚なソーマにしては珍しく激高した物言いだった。
その態度にオレもカチンときた。
長い間貯めこんでいた思いが爆発したんだ。
「わかるわけねーだろ! 大体、いつもアレしろ、コレしろだけで、たいした説明もないじゃねーか。それでも、オレはオマエに喜んでもらいたいから、色々と頑張ってきたんだよ。それなのに、最近はロクに顔も見せやしねーし。挙句の果てには、元の世界へ帰るだと。ちょっとはこっちの気持ちも考えやがれっ!!!」
「――――」
いきなり大声を張り上げながら怒りをぶちまけるオレに、ソーマはハッとしたように黙りこんだ。
ソーマの前でこんな自分を見せたのは、これが初めてだった。
「……ソーマには感謝してる。食うのにも精一杯だったオレが、今じゃこんな立派な身分だ。いくら礼を言っても、言い切れない。だから、オレはオマエの役に立ちたかったんだ。オマエの喜ぶ顔が見たかったんだよ」
ソーマの瞳をじっと見つめる。
オレは長年抱えていた自分の悩みを打ち明けることを決心した。
ソーマに告げるべきかどうか、ためらいはあったが、これでソーマとお別れになってしまうかもしれない、今しか機会はないかもしれない、そう思うと打ち明けずにはいられなかった。
「以前から、オレだけこんないい思いをさせてもらって良いんだろうかと感じていたんだ。工房を叩き出されるほど才能のないアイテム職人だったオレが、今では世界一の商会の主だ。オレをクビにした親方がペコペコと頭を下げてくる立場だ。たしかに、ここに至るまで色々と努力はしてきた。でも、それだってオレがたまたまユニークスキルを持っていたからだ。神様の気まぐれで別の奴がスキルを持っていたら、ここに座っているのはオレじゃなくてソイツだ。なのに、オレだけこんなに恵まれてていいんだろうか?」
「んなこと言ったら、俺だって同じだろ。俺だってたまたま女神に選ばれて勇者やってるだけだろ。スキルは与えられたものでも、アンタは全力を尽くしてこれまでやってきた。それで十分じゃねえか。配られたカードで勝負するしかない、そんなこと俺の世界じゃ犬でも知ってることだぞ。それに――」
ソーマは真剣な表情で続ける。
「――この商会にどれだけの人間が関わってるんだ?」
支店の数はすでに数百。従業員だけでも万を超える。素材のやり取りや運送に携わる外部の人間まで含めると膨大な人数になる。
「アンタのスキルのおかげで、それだけ多くの人間が職を得て、食っていくことができるんだ。アンタがソイツらの面倒を見ているようなものなんだよ。それだけじゃない。ヒャッキンのおかげで、どれだけ多くの人の生活が楽になったと思ってんだ。『ヒャッキン』の食料のおかげで飢えずに済んでいる人がどれだけいると思ってんだ」
1年ほど前から、スキルに食料品のレシピが追加されるようになった。どれも味わったことのない衝撃的な美味しさで、しかも、栄養価がとてつもなく高い。
まだ広く行き渡るほどの量は生産できないが、それでも多くの人を飢えから救ったのは事実だ。
それに、ソーマが涙を流しながら喜んで食べてくれたこともオレには嬉しかった。
「たった数年でみんな、すげー豊かになったんだよ。『ヒャッキン』は世界を変えたんだよ。俺の願いを叶えられるんだよ」
ソーマの願い?
「俺がこの世界に呼ばれたのはさ、魔王を倒すためなんだよな」
以前にも聞いた話だ。
この世界では、長い間人間と魔族が争いを続けている。王都付近は直接的な被害はないが、魔族領との境付近は常に戦場だ。
この争いを終わらせるために魔王を倒す。その目的で、ソーマは女神によって異世界から使わされた勇者だった。
「だけどさー、俺は考えたんだよね。魔王を倒しました。はい、めでたしめでだし。それで終わるのかなって」
「…………」
「この世界はさー、生きてくのもツラいんだよな。魔族と戦争中ってものあるけどさ、それを抜きにしても過酷過ぎる」
「まあな……」
露天商時代の生活を振り返ると、ソーマの言葉にも納得だ。
それにあの頃のオレだけじゃない。その日を生き延びることだけで必死な人々が大勢いる。
「だったらさ、豊かにすればいいじゃん、って思ったんだよ。どうせ勇者やるんだったら、みんなに幸せになって欲しいじゃん。そのためになにができるんだろ、って考えてたときに、ちょうどアンタに出会ったんだ」
今度はオレがハッとする番だった。
「アンタのスキルがあれば、それができるんだよ」
そう言って、ソーマは初めてオレと出会った時のようなニッコリとした笑顔を浮かべた。
オレだけこんな恵まれてていいのか?
ソーマの役に立っているのか?
長年の悩みはソーマの言葉で両方とも一気に解決した。
これまでひとりで悩み続けてきたのがバカみたいに思えた。
「そうか。オレはちゃんとソーマの役に立っていたのか……」
「当たり前だ。そんなに思いつめてたんなら、とっとと相談すればよかっただろ」
「そんなこと言っても、お前は自分の用が済むと、こっちの話も聞かずにさっさと帰っちゃうじゃねえかよ」
「…………。ああ、すまん。悪かった」
バツが悪そうに顔を掻くソーマを見て、オレもひと安心した。
『ヒャッキン』はアイテムを作れば作るほどレシピが増える。
アイテムを大量生産したり、店舗を増やしたりというソーマの指示は、新しいレシピを得るため、ソーマが欲しいアイテムを入手するためだと思っていたが、そうではなかったんだ。
ソーマはこの世界の住人のことを考えて行動してくれていたんだ。
さすがは勇者様だ。考えることのスケールが違う。
自分のことばかり気にして、悩んでいたオレとは大違いだ。
でも、これで吹っ切れた。ソーマの願いを実現させるために、オレの残りの人生をすべて捧げてやる。
「いいか、俺が目指しているのはこんなもんじゃねえぞ。パン1個で殺しあう世界なんか、俺は許さねえからな」
◇◆◇◆◇◆◇
「つーことで、ヒャッキン商会の次の仕事だ――」
ソーマの願いを叶えるため、ヒャッキンを世界中に普及させるため、そのための具体的な手段についての話し合いだ。
ネックになっているのは生産量。『レシピ貸与』によって生産体制は整っているのだが、ソーマが望むように世界規模での供給となると、素材が圧倒的に不足している。
だが、その点もすでにソーマは解決したそうだ。そのための協力者をこれからここに呼ぶのだと。
ソーマが呪文を唱えると、部屋中が眩い光に包まれた――。
その光が収まると、ソーマの隣にひとりの女性が立っていた。
見たこともないような絶世の美女だ。しかも、ただ美しいだけではない。
凍てつくような冷たい眼差し。凛とした佇まい。
その全身から恐ろしいほどの魔力が漏れている。
只者ではないことは、シロウトのオレでもわかった……。
「コイツは先日即位したばかりの新魔王だ」
ソーマは平然としているが、オレの方は圧倒されて身動きひとつとれずにいた。
背中を冷たい汗が流れ、青ざめた顔をしているオレを見て、ソーマが隣の女性をたしなめる。
「ほら、落ち着けって。ビックリしてるだろ」
ソーマが魔王の頭をコツンと叩くと、彼女から放たれていた威圧感が急に消失した。
「すまんな。コイツは気を抜くと威圧スキル発動しちゃうからな」
安堵からホッと一息つく。
露天商時代にゴロツキに絡まれて、死を覚悟したこともあったが、そんなのとは比べ物にならないほどだった。
彼女が魔王だということが、身を持って感じられた。
ソーマが一緒じゃなかったら、一目散に逃げ出しているところだ。
「これからのことはアンタとコイツに任せようと思ってな」
相変わらずソーマの行動はムチャクチャだ。まさか、魔王と一緒に仕事をする日が来るとは……。
そう思い魔王に視線を向けると、威圧感が消えた彼女はなにかソワソワとしている。
「ソーマ殿」
「ん? なんだ?」
「例のものを早く……」
「ああ、わかったわかった。ホント、おまえは食いしんぼキャラだな。わりーけど、ちょっとこれで作ってくれ」
ソーマは取り出したいくつかの素材をテーブルに並べる。
ソーマが望んでいるものはすぐにわかった。
比較的最近覚えたレシピだ。
オレはスキルを使って、アイテムを作り出す。
でき上がったのは、『ポテチ』という名の食品だ。
「ほら、約束の品だ」
ソーマがポテチを袋ごと放ると、それを受け取った魔王は待ちきれないとばかりに袋を引き裂き、手を突っ込む。
「こらっ。ちゃんと『いただきます』だろっ」
ソーマが犬に躾をするように叱ると、魔王は渋々といった感じで手を戻し、両手を合わせて「……いただきます」と言ってから、ソファーに腰を落とし、ポテチを食べ始めた。
待ちきれなそう様子だったから、すごい勢いで食べ切るんじゃないかと思ったが、予想外にも魔王は1枚ずつ味わい尽くすかのように大事そうにポテチを食べ始めた。
目を閉じて恍惚とした表情でポテチをゆっくりと咀嚼していく魔王。
彼女の美貌とも相まって、その姿はきわめて艶めかしいものだった。
その姿は魔王ではなく、ただのポテチ中毒者にしか見えなかった。
ちなみに、ソーマが言うには、先ほどの威圧も敵意があったとかではなく、単にポテチが待ちきれずにうっかり発動してしまっただけらしい。
そんな魔王の痴態を呆れたように見届けてから、ソーマが口を開く。
「んじゃ、この間にこっちの話を進めておくか――」
オレのユニークスキルでアイテム作成するための素材は、どれも特殊で入手が困難なものばかりだ。
しかし、それは人間の領土に限った話だ。こっちにはあまり存在しない貴重な素材でも、魔族の領土では比較的容易に入手ができるのだ。
例えば、ポテチの主原料である『じゃがいも』なんかも、魔族領では見向きもされずに雑草扱いでゴロゴロと生えているらしい。
「あいつらバカだから、料理とか出来ないんだよ。そのくせ、美味いものに目がないんだから、どうしようもないよな」
ソーマが語る、魔族が人間に戦争を仕掛けた理由。
それはあまりにもワガママでくだらないものだった。
「だいたい、戦争を仕掛けた理由だって、人間はオレたちより美味そうなもの食べてて気に入らんから、だってよ。アタマ悪すぎだよな」
そんな理由で多くの命が失われてきたかと思うと、怒りを感じずにはいられなかった。
そして、それと同時になんともやるせない気持ちになった。
でも、それなら打つ手がある――。
「だったら、ヒャッキンの商品が役に立つんじゃ?」
実際、この魔王もポテチに夢中だ。
いつの間にか、小動物みたいにハムハムと小さく齧る食べ方にチェンジしていた。本当に魔王なのか?
「俺もそう思ったんだよ。美味いもの食わせてやるから、人間と仲良くしろっつったんだどさー、魔王とかその家臣とか、年寄りはアタマが硬くってさー、聞く耳持たないんだわ。だから、ソイツらまとめてぶっ潰して、話のわかるコイツを後釜に据えたんだ。なあ?」
ソーマが同意を求めるように、魔王へと顔を向けた。
魔王は黙って小さくうなずいたが、相変わらず全神経はポテチに向けられているようだった。
たしかに、目の前でハムハムしているのが、人間と敵対している魔族の王だとは到底思えない。
ポテチを与えておけば、なんでも言うこと聞きそうだ。
「そんでもって、こいつ主導で魔族をまとめ上げさせて、人間との争いを終わらせることにしたんだよ」
「そんな、簡単に言われても……」
まあ、実際ソーマにとっては朝飯前のことなんだろうな。
今までもそうだったけど、この勇者サマはとんでもないことを、サラッとやってのけるな。
「オマエんとこの商品を食べさせたら、だいたいの奴は納得したぞ。まあ、グダグダ抜かす奴もいたけど、ちょっと強めに説得したら、ちゃんと納得してくれたしな」
説得された魔族に同情せずにはいられない……。
「魔族が素材を育てて、人間が商品を作って売りさばく。そういう役割分担で、これから仲良くやっていけるだろ。そうすりゃ、みんなハッピーだ」
自分の仕事はもう終わったからな、と清々した表情のソーマだ。
「つーわけで、人間代表のおまえさんには、魔族代表のコイツと仲良くやっていって欲しいんだわ。ほら、おまえからも言うことあるだろ」
ソーマが魔王に話を向けた。
いつの間にかポテチを完食していた魔王は、いまだに余韻に浸っていたようだが、ソーマの言葉でようやく我に返った。
大事そうに抱えていた空袋を丁寧にたたみ、両手を顔の前で合わせて「ごちそうさまでした」と小さくつぶやいた。
魔王は立ち上がり、ゆっくりとオレの方に歩み寄ってくる。
そして、オレの傍らに跪き――彼女の美貌と威圧感に動けずにいるオレの両手を、しっかりと握りしめた。
「お願いです。私と結婚してくださいっ」
「へっ!?」
あまりに予想外なセリフに、思わず間抜けな声が出てしまった。
こんな美女に上目遣いの潤んだ瞳でプロポーズされたら、一も二もなく了承してしまいそうだが、魔王からのプロポーズというあまりにも非現実な展開についていくことができなかった。
「こう見えても、コイツは魔族ではそれなりに由緒正しい家柄のお嬢様だし、今じゃ立派な魔王様だ。大陸一の大商人であるアンタとも釣り合いが取れるだろ?」
「いや、そういう話じゃ……」
「それとも、タイプじゃなかったか? ロリっ子がよかったか?」
「いや、そうじゃないけど……」
魔王に視線を向けると、彼女は潤んだ瞳でこちらを熱く見つめていた。
その真剣な眼差しは、決して冗談やなんかで言ってるのではないことを物語っていた。
眺めているだけで魂が蕩けそうになるほどの美しさだ。
出会ったときとは違う意味で、鼓動が高鳴っているのがわかった。
我慢しきれなかったオレは思わず視線をずらし――視界に飛び込んできた弾きれんばかりの双丘。
彼女は、整った顔立ちだけでなく、完璧ともいえる均整のとれた肢体をも兼ね揃えていた。
「まんざらじゃなさそうだな。だったら、いいじゃねえか。魔族は相手に尽くすぞー。この果報者め」
他人事のように、脳天気にソーマが笑っている。
たしかに、結婚相手としては文句なしだ。むしろ、これだけの相手であれば、こちらから頭を下げてお願いしたいくらいだ。
しかし、ひとつ疑問がある。
「でも、なぜオレなんかと……。べつに、オレたちが結婚までしなくても、協調していけるんじゃないか?」
政略結婚みたいなものなのだろうか?
「魔族は強い異性に惹かれるのです」
「だったら、オレなんかよりソーマのほうが、よっぽどいいんじゃ……」
「あー、俺じゃダメだ。元の世界に帰っちゃうし、これ以上増やしたら、ヨメたちに殺されちゃう――」
ソーマは首を大きく振って否定する。
そうだ……ソーマは帰ってしまうのだ…………。
「――それに、コイツが惚れてるのは、俺じゃなくてアンタだよ。アンタじゃなきゃダメなんだ」
その言葉に、魔王は深く頷いた。
「魔族が強い相手に引かれる理由。それは――強い者に着いていけば、オイシイものが食べられるからですっ!」
あまりもな理由に、思わずズッコケそうになった。
「なっ? アンタじゃなきゃダメだろ? この世界でポテチを作れるのはアンタだけなんだから」
「お願いですっ! 私と結婚してくださいっ! そして、お腹いっぱいポテチを食べさせてくださいっ!!!」
◇◆◇◆◇◆◇
――あれから1週間が過ぎた。
先日、調停式が行われ、幾世代にも及んだ人間と魔族の戦争は終わりを告げた。
これからは、両者が手を取り合い、ともに支えあって生きていくのだ。
オレと彼女のように――。
調停式の目玉は、オレと魔王の結婚式だった。
立会人は、もちろん、ソーマだ。
世界初となる人間と魔族の大々的な挙式。
それに異を唱える者は誰もいなかった。
両種族間に遺恨がないかといえば、嘘になる。
だが、ほとんどの人はウンザリしていたのだ。
過去に囚われてこれ以上無益な争いを続けるよりも、未来を見て新たな一歩を踏み出す道を望んだのだ。
人間は平安を求めて、魔族は美味しい食べ物を求めて。
この世界は、ひとつになったのだ――。
オレがその架け橋になれたことは、とても光栄だった。
クズスキルと思い込んでいたオレのスキルが、その役に立ったことが誇らしかった。
ソーマの願いを叶える一助となれたことが嬉しかった。
こうしてオレは、一夜にして世界一有名な人間となったのだ。
オレを恨んだり、妬んだりしている奴もいるだろう。
オレのスキルを奪おうとする奴が現れるかもしれない。
だが、オレは安心している。
なにせ、オレに危害を加えようとする奴は魔族全体を敵に回すハメになるのだ。
魔族にとって、オレは美味しい食べ物を作れるかけがえのない存在。
ヒャッキンの食料を安価で惜しげもなく提供するオレを英雄扱いする風潮もあるくらい。その食欲への忠実さに、呆れたほどだ。
それに、オレの嫁さんは世界最強だ。もちろん、ソーマを除いての話だが。アイツは規格外だから、比べるのが間違っている。子どもの競争におとなが参加するくらいの反則ぶりだ。
そんなソーマを除外すれば、嫁さんは間違いなく世界最強。残りの魔族すべてを合わせても、嫁さんの強さには及ばないらしい。
嫁さんは権力にも戦いにもまったく興味がなかった。ただ、穏やかに暮らしていればそれで満足だった。だから、魔族の権力争いからも距離をおき、人間に危害を加えることもなく、ひっそりと隠居のような生活を送っていたのだ。
そして、ポテチと出会ったことで、嫁さんの人生が動き出した――。
「はじめて生きるということの意味を知りました。そして、これが人の手によるものであると知った瞬間、私は悟りました。これを作り出した人と結婚するために、私は生まれてきたのだと」
たった一週間という短い期間だけど、嫁さんと過ごしてひとつわかったことがある。
――オレの嫁さんは世界一だ!!!
初対面の印象からは想像もつかなかったが、嫁さんはとても賢かった。
少し前からソーマは魔族領で素材となる植物の栽培、モンスターの養殖を試していたそうだ。
実験段階で十分に成功が見込めたので、最終的には魔族領の広域に渡る大規模な生産場をつくることが目標となった。
この計画を指揮しているのが、オレの嫁さんだ。
人員の割り振りや資材の分配など――うちの商会の有能な部下も顔負けの見事な手腕だった。
それに配下を動かす才にも長けていた。ひと癖もふた癖もある魔族の脳筋どもが、嫁さんのひと声に従う様は圧巻だ。
こうした実務家として優れた一面をもった嫁さんだが、オレとふたりきりになると別人のように変貌する。
ソーマが「魔族は一途だ」と言っていたように、オレに全力で愛情を注いでくれるんだ。
嫁さんほどの熱情で愛される幸せ者はオレ以外にいないだろう。
嫁さんはこの一週間、ポテチを食べ続けた。
他の食べ物もひと通り試させてみたのだが、結局、ポテチに匹敵するものはなかったようだ。
ほとんどいつも欠かすことなく、ポテチをつまんでいた。
それだけ食べて平気なのかと心配になったが、バツグンのスタイルには微塵の影響もないようだ。
蕩けるような顔をしてポテチをついばんでいる嫁さんは、普段の凛々しい姿とのギャップが最高にカワイくて愛おしい。
――そんな嫁さんは今、オレの腕に自分の腕を絡ませ、しなだれかかるようにして座っている。
場所はオレの執務室だ。
嫁さんとオレは密着してソファーに並ぶ。
至近距離から嫁さんの体温と匂いが伝わってくる。
いまだに慣れないオレは、それだけでのぼせ上がってしまう。
そんなオレの視線に気づいた嫁さんがこっちを見上げ、微笑みかけてくる。
あー、もう、カワイイなあ!!!
ちなみに、今はポテチは我慢してもらっている。
「後でね」と伝えたときの、小さく口をすぼめながらも了承してくれた顔もカワイかったな――。
「コホン」
向かいのソファーから、咎めるような咳払いが聞こえてくる。
そうだった。今は、二人っきりじゃないんだった……。
「そろそろ、いいか?」
「あー、すまんすまん」
しびれを切らしたソーマが尋ねてくる。
ソーマに訊かれて、この一週間のオレと嫁さんの様子を話しているうちに、アレコレ思い出してしまい、ついつい、二人だけの世界に入り込んでいたようだ。
「まあ、仲良さそうで何よりだ」
呆れ顔のソーマに対し、オレと嫁さんは気恥ずかしげに顔を見合わせた。
◇◆◇◆◇◆◇
「今日くらいは外まで見送らせろよ」
「ああ」
楽しい時間ほど、あっという間に過ぎてしまう。
オレたちは執務室で思い出話に花を咲かせたが――もう時間だ。
いつもだったら、ここでお別れだ。「見送りなんかいらねーよ」と面倒くさがるソーマに合わせて、今まではそうしてきた。
だが、今日ばかりは敷地の外まで見送らせてもらう。
従業員総出で列をつくり、ソーマとその嫁たちを送り出す。
ここの従業員の半数以上は、彼らと何らかの縁があった者たちだ。
別れの言葉を交わし合い、抱きしめ合い、涙を流している。
――最後にオレと嫁さんが横に並んで、ソーマと向き合う。
「嫁さん泣かすなよ」
「ソーマこそな」
「いや、俺の方が泣かされそうだわ。アイツら、つえーもん」
「ははっ。ちげーねえ」
「まあ、あっちでもなんとか頑張るわ」
ソーマはこっちの世界でできた6人の嫁全員を連れて帰るのだと。
いつもやりたい放題なソーマを完全に尻に敷いている美人で可愛い嫁たちだ。
きっと、あっちでも苦労することだろう。
まあ、自業自得だ。好き勝手やってきたんだから、それくらいの責任とりやがれ!
別に羨ましいとか、思っていない。
オレには、この嫁さんひとりで十分だ。
これまでソーマの喜ぶ顔が見たくてアイテムを作ってきたけど、これからは嫁さんを喜ばすためにポテチを作って生きていくんだ。
「そっちもガンガン子作りに励んでくれよな。この世界はオマエたちにかかってるんだからな」
その言葉に、オレも嫁さんも顔が真っ赤になって黙りこんでしまった。
結婚したとは言え、箱入りだった嫁さんも、仕事一筋で色事とは縁がなかったオレも、そっち方面はからっきしだ。嫁が6人もいるソーマとは違う。
だけど、ソーマが言うように避けては通れない問題だ。
子作りはオレたち二人だけの問題ではなく、この世界の将来に関わる重要な問題なのだ。
これには数カ月前にオレのスキルに追加された『のれん分け』という能力が関係している。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
『のれん分け』
『ヒャッキン』スキルの後継者を指定できる。
後継者はオリジナルスキル所有者の死後、スキルを継承する。
後継者は随時変更可能かつ複数人指定可能。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
オレのユニークスキル『ヒャッキン』を使えるのは、世界中でオレだけだ。
オレが死んだら、『貸与』しているレシピも無効になり、誰も『ヒャッキン』のアイテムを作れなくなる。
しかし、『のれん分け』で後継者を定めておけば、オレが死んでもヒャッキン商会は存続できる。オレの死後も、豊かな世界を維持できるんだ。
だからといって、安易に後継者を決めるわけにはいかない。『ヒャッキン』は世界を左右するスキルだ。
本当に信頼できる相手にしか『のれん分け』すべきではない。
人間と魔族の両側に立って考えられる者でなければならない。
そういう意味では、オレと嫁さんの間に生まれた子どもほどの適任者はいないだろう。
ソーマがオレと嫁さんの結婚話を持ちだしたのも、この『のれん分け』の存在が大きく影響しているのだろう。
ソーマのことだから、ここまで考えて、自分が元の世界に帰っても大丈夫だと判断したのだろう。
もちろん、絶対に上手くいくとは限らない。
『のれん分け』された者が私利私欲に走るかもしれない。
『ヒャッキン』の権利をめぐって争いが起きるかもしれない。
でも、そこまでソーマに頼るわけにはいかない。
それは残された我々の問題だ。
自分たちができることを、ちゃんとやっていけばいいだけだ。
オレの残りの人生で、やらなきゃならないことは山積みだ。
だけど、なによりも大切なのは、後継者を作り、正しく育てていくことだ。
大変な責任だ。でも、オレひとりじゃない。嫁さんがいる。
オレと嫁さん二人でなら、やっていける。
「んじゃ、そろそろ帰るわ」
いつもの軽い調子でソーマが別れを告げる。
その口調も、柔らかい笑顔も、いつもと同じだ。
だけど、ソーマがここを訪れることは二度とない。
今日、ソーマは帰る。
ソーマのいた世界へ。
ソーマのいるべき世界へ。
やるべきことを終えて、帰って行く――。
「後はオレに任せろ。ソーマの願いは必ず叶えてみせる」
「おう、任せたぞ。俺も自分の世界に戻って頑張るわ」
オレとソーマはお互い決意を胸に、固く握手を交わした――。
はじめましての方は、はじめまして。
ご存じの方は、毎度ありがとうございます。
まさキチと申します。
最後までお読みいただきありがとうございます。
お楽しみいただけたでしょうか。
ブクマ・評価でご支援いただけると、創作の励みになりますので、どうぞ、よろしくお願いします。
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