第7話「お家は危険が多い」
「ただいま、です」
「おかえりなさい海佳ちゃん。お父様には会えた?」
「いえ。自宅にはお父様も、誰もまだ帰っていなかったので」
「そうなの? 残念ね。それにしてもすごい荷物ね」
「はい、必要なものが多くて……」
実家に荷物を取りに戻って月ノ宮家に帰ってくると咲良さんがふんわりとした笑顔で出迎えてくれた。
「女の子は何かと入り用だものね。今日は疲れたでしょう? お風呂沸いてるから入って良いわよ」
「咲良さん、ありがとうございます。片付け終わったら入ります」
「うん、わかったわ。待ってるわね」
「……待ってる?」
「あ、夕食がもうすぐできるからまた後でね?」
「は、はい」
咲良さんは急に夕食の準備を思い出してキッチンの方に消えていった。
「……本当にここで暮らすんだよね」
あてがわれた自室へ向かう階段を上がりながら自分に、私自身に訴えかけるように呟く。
別に嫌だとかそういう気持ちはなかった。
それでもドキドキと期待と不安が私の中に確かにあった。
「ここにセットしてっと……私の大好きだった乙女シリーズは欠かせないよね」
部屋に入って衣類や目覚まし時計なんかの日用品をタンスやクローゼットに収納したり、私が普段使いしてるノートパソコンの中身を見る。
私が特に好きな繰り返しプレイする名作美少女ゲームがインストールされているのを見て自然と笑顔になる。
「こんなのもあったっけ」
お気に入りの髪留めが入った宝箱。
私は髪留めというかかんざしとか髪飾りのように髪に身に付けるものが好きだった。
昔はよくお父様やお母様におねだりしてたっけ。懐かしい。
でもそのことを今日という日まですっかり忘れてた。
そのことを宝箱を抱きしめて思い出した。
それはそのくらい私が引きこもりであったことの証明だった。
「懐かしいわね、それ」
「えっ? 飛鳥ちゃん!?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。それに、飛鳥って呼び捨てにしてって言ったわよね?」
「うぅ……ごめんなさい。慣れなくて」
「そう……まあいいわ。それより、早くにお風呂に入ってきたら? 沸いてるわよ」
突然、背後から声が聞こえて驚いた。
背後にいたのは飛鳥。
私の幼馴染で初恋でもある女の子。
「そういえばさっき、咲良さんがそんなこと言ってたっけ」
「えぇ。早く入りなさい? あとがツカえてるんだからね」
「それなら一緒に入る? なんて」
「……死にたいの?」
「……一人で入ります」
私は飛鳥の殺意の波動から逃げるようにお風呂に向かった。
「誰も、いないよね……?」
脱衣場で纏っていた服を脱いでカゴの中に入れる。
居候のような身の上だからかしっかりと確認してから中へ。
「ふぅ……温かい」
桶でお湯をすくって身体にかける。
ははぁ、お湯の温かさが身に染みる。
「海佳ちゃん? 入るわよ?」
「……ふぇ?」
私はどこかの萌えキャラの声を出していた。
そういうものは得てして不測の事態に出てしまうものだった。
「あら、素敵」
「ひうっ! どどどどうして咲良さんが!?」
「ふふっ、そんなの決まってるじゃない」
「き、決まってるって?」
私は身体を反らして両腕を使って隠すのに対して。裸なのに咲良さんは平然としていた。
そっか、女の子同士だから。
でも、私はどうしても意識してしまう。
「海佳ちゃんとお風呂に入りたいからよ」
「へ? そんな、私と?」
「えぇ……愛佳の妹の海佳ちゃんと」
「お姉さまと?」
知らなかったけど咲良さんと愛佳お姉さまは知り合いだった。
そっか、咲良さんは生徒会だし、お姉さまと面識あるのも当然だよね。
「えぇ、本当に似ているわ、愛佳と」
「ひゃっ!? ちょ、どこ触って──」
「海佳ちゃんのおっぱい」
「そ、そんな、嬉しそうに言われても」
「嬉しいわ。海佳ちゃんと二人だけでお話ししたかったし」
後ろから抱きついてきたかと思えばいきなり胸を触られて逃げるように距離を取る。
は、恥ずかしい……まさか、一緒にお風呂にいるだけじゃなくて、か、身体のふれあいまで……
「嫌だった?」
「嫌とかそういう問題じゃ、」
「私ね、愛佳のことが好きなの」
「そうなんですか。って、ええっ!?」
「驚いたでしょ? 実の姉が好きな人がいて」
「そ、それは……」
驚かないわけがない。
こんなに近くでお姉さまのことが好きな人がいるなんて。
「もちろん、性的な意味でも好きよ?」
「せ、性的な意味って……」
「だからかなぁ、海佳ちゃんのこともそういう目で見ちゃうの」
「そういう目って落ち着いてください」
「落ち着いてるわ。海佳ちゃんのお肌、すっごく白くて綺麗よ。ここも、そうなのかしら?」
「っ……見ないでください」
「あら、かわいい」
注がれた視線の先がわかって、私は恥ずかしくて腕や手で隠した。
今まで私が性的な目を向けたことはあったけど性的に見られたことはなかった。
性的な目で見られるのってこんなに、恥ずかしいんだ。
「ふふ、本当に愛佳のしない顔をするのね」
「咲良さん……」
「キス、しちゃう?」
「え……?」
どぎりと心臓が鳴った。
キスという言葉だけじゃない。
顔と顔、唇と唇が触れそうな距離までいつの間にか近付いていたことに驚いた。
驚いて、目を閉じて、
「海佳ー、シャワーの使い方とかわかる?」
「へ? 飛鳥?」
「何よ、すっとんきょうな声出して。わかるの?わからないの?」
「わかる、けど……」
「そう。なら良かったわ。他に何かわからないこと、ない?」
「今のところはないよ?」
海佳ちゃんの声がした。
浴室の外から。
気付いたら、咲良さんは自分の身体を洗っている。何事もなかったかのように。
「ないなら良いわ。でも何かわからないことがあったらちゃんと聞きなさいよ? わからないことをわからないままにしないこと。いい?」
「は、はい……」
「よろしい。そういえば咲良姉さん知らない?」
「さ、咲良さん?」
満足したような飛鳥の声が聞こえてくる。
そんな声も可愛かった。
でも唐突な咲良さんの話題には驚いた。
咲良さんの方を見ると人差し指を立てて口元に当てている。言うなということらしい。
「えぇ……どこにいるか知らない?」
「し、知らないよ?」
「本当に?」
「……うん、知らない」
「そう。まったく、どこの行ったのやら」
呆れたような声を出すと、飛鳥は脱衣場を出ていった。
声ももちろん聞こえない。
「飛鳥は行ったみたいね」
「そうみたいです」
「それにしても、本当に飛鳥は海佳ちゃんのことが好きなのね」
「はい?」
「わからない? ふふっ、まぁ、あんな態度じゃわからないのも当然よね」
「え、えっと」
「まあいいわ。なんだか白けちゃったし。私は上がるわね。また入りましょうね? 海佳ちゃん?」
「あ、はい」
突然のことに生返事しかできず浴室から出てくる咲良さんを見送ることしかできなかった。
「はぁ、なんだか疲れたな……」
それからお風呂を済ませて、食事も終えて部屋に戻ってエロゲを楽しむ。
心が休まるなぁ。
「海佳、起きてるか?」
「っとと……伊吹さん?」
「ああ、部屋に入っていいか?」
「どうぞ」
私に休まる時間はない。
戸を叩く音の後に伊吹さんの声がする。
無視するわけにもいかないし、伊吹さんを部屋に招き入れた。
「悪いな海佳。ってまたエロゲかよ……」
「む……悪いですか?」
「悪かないけど、せっかく伊吹ちゃんという王子様が来たんだから今はやめようぜ」
「わかってますよ。さすがに伊吹さんの目の前でエロゲやる勇気は私にはないし」
パタンとPCを閉じる。
いくらゲーム仲間の伊吹さんでも、目の前でエロゲを続ける勇気はなかった。
それに、何か私に用事があって来たんだろうし。
「そりゃ良かった。ところで海佳はまだ飛鳥のこと好きなのか?」
「好き、ですけど……どうしてそんなことを?」
「あたしにチャンスはないかなって」
「チャンス?」
「ああ、何て言うか──海佳のこと、好きなんだよ」
「え……? 伊吹さんが私を?」
伊吹さんは美人で正直、ベッドの上で隣に座ってるだけでなんだかドキドキした。
ネトゲとかでは全然感じないのに近くにいると、なんだか妙な気分になる。
伊吹さんの言葉のせいか心臓の音も激しくなる。
「ああ、海佳のサポートのおかげですごく助かったし、狩りに行く度、海佳のことが好きになっていったんだ」
「い、伊吹さん……そんな、私、なんて」
私の右手に伊吹さんの左手が重なり絡む。
伊吹さんの絡み方は優しく思いやりのある絡ませ方だった。温かくてなんだか顔も熱くなる。
「海佳はあたしのこと嫌いか?」
「嫌いじゃないです……」
「良かった。なら、」
「その聞き方はずるい。ずるいよ、伊吹さん」
「ずるくても、海佳があたしを見てくれるならずるくてもいいよ」
「な、ななっ……」
「ははっ、海佳、顔真っ赤だぞ? かわいいなあ」
「う、うぐっ……」
なんだか私が飛鳥に言いそうなことを真面目に伊吹さんに言われて顔が熱い。
頭まで撫でられるし……なに、モテ期? 朝霧海佳、人生初のモテ期到来ですか? エロゲ主人公、朝霧海佳の誕生ですか! 嬉しい気もするけど、それが伊吹さんなんて。
「そんな睨むなよ。でもあたしが海佳を好きだって気持ちは本当だからな。飛鳥も良いけど、あたしのことも気にかけてほしい」
「ひあっ!? はぁ……ふぅー、はぁ……」
「……どうした海佳、いきなりラマーズ法なんか実践して。なんか産まれそうなのか?」
「違います……なんか苦しくて」
尊すぎて死にかけた。
なんて言えるわけない。
唐突な呼吸困難はつらい。
萌え死にしそうになったときは特にやばいよ……うぅ、伊吹さん、頭おかしいよ。
「苦しい? まさか熱でもあるのか?」
「そんなのあるわけ──」
ぴたりと重なる私と伊吹さんのおでこ。
一瞬、世界よ時よ止まれというセリフが脳裏によぎって時間が止まったかと思った。
ついでに私の息も時と一緒に止まったような錯覚すら覚えた。
「熱はないな、うん」
「ばたんきゅー」
「は? おま、海佳!?」
こうして私はベッドに倒れ込んだのでした。
ちゃんちゃん。
「はあ、朝か」
気付いたら朝。
どうやら私はあれで気絶してそのまま眠ってしまったらしい。
そして私は再びあのお嬢様学校に通うことになる。
どうしよう、この家だけでも命が危ないのに。
女子校になんか通ったら命がいくつあっても足りないよ。
できれば呼吸器のお世話にはなりたくないな。
頑張って私の心臓。
たぶん、この家だけじゃなく女子校生活でも興奮すると思うから。