第6話「海佳の姉」
学校が終わって飛鳥たちとは一緒に帰ることなく実家まで帰り道を歩く。
それは私の必要な荷物を取りに戻るため。
でもあらためて思った。
学校に通って夕日を見る。
それだけで何か気持ちが違ってくる気がした。
「海佳」
「え? 愛佳お姉、さま?」
「本当に復学していたのね。あなたのことだから二度とこの学園には通うことはないと思っていたのだけど」
名前を呼び、声掛けられて振り返るとそこには腰ほどまである長い黒髪、高身長で切れ長の瞳、スタイル抜群の容姿、そして落ち着いた佇まい。
私なんかではとても真似できない。
この人の名前は仙上院愛佳。
私の実の姉だ。
「それは……」
「あなたは決して強くはない。事実、あなたは昔、私たちの両親が離婚するまで仙上院の屋敷に閉じこもっていたわ。仙上院家では私の次に目立つ方だったあなたが。中学生のときのことを引きずっているだろうあなたがどうして今頃になって、それとも中学生の頃のアレは忘れたの?」
「忘れてません……」
「呆れた。忘れてないのに通おうだなんて。猫がライオンの縄張りに飛び込むようなものよ」
「この場合、ライオンはお姉さまになるのかな」
「……黙りなさい」
「は、はい」
お姉さまを怒らせてしまった。
そういえばお姉さまは茶化されるのが昔から嫌いだったっけ。
「まったく、この学園に戻ってきたばかりのあなたでも知っているでしょう? この学園が転入生を受け入れることに否定なことを」
「……話に聞くくらいは」
「それを知っておきながらなぜ、通う気になったの? 言っておくけれど、ここにはあなたに告白されて気持ち悪がっていた女生徒もいるわ」
「……いるんですか」
「えぇ、当然ね。あなたは私に似て可愛いし、目立つから。もしかしたらまた顔を合わせるかもしれないわ」
「大丈夫です」
そうだ。
この学園に通ったら、通い続けていたらあの人と顔を合わせるかもしれないんだ。
でもそれでも私は通いたい。
栞ちゃんや瑞希さんという友達ができたんだもの。
なのに、またあの生活に戻るのは──ううん、もしかしたら私は戻るべきなのかもしれない。
でも頑張って勇気を出したのに元の生活に戻るなんて。
「何が大丈夫なの? こんなに悲しい顔をして」
「……でも、私は戻りたくないんです」
「それは朝霧の家に帰りたくないってこと? それならうちに、仙上院家に帰ってきなさい。お母さまには小言を言われるかもしれないけど、妹たちはあなたの帰りを今でも待ってるわ。私も──」
愛佳お姉さまの手が私の頬に触れる。
つねるでも引っ張るでもなく優しく包むような手に懐かしさを感じる。
危うく泣きそうになる。
お姉さまの顔を見ることなんてあの日以来だ。
でも愛佳お姉さまの優しさに甘える資格なんて、仙上院家の家名を捨てた今の私にはなかった。
「違うんです。朝霧の家に戻りたくないわけじゃないです。今は家を少し離れて飛鳥ちゃんの、桜川の家で暮らさせてもらってますから、高校を卒業するまではどこに戻るとかはありません」
「そう……でもそれなら寮で暮らせばいいじゃない。朝霧家でも寮費くらいは払えるでしょう?」
「わかりません。私、お金のこととかよくわからないので」
「そうね。少なくともあの人があなたに、手元に残ったたった一人の娘だとしてもそんなことは教えるとは思えないし」
愛佳お姉さまは私の頬からその手を離して背中を向け空を仰ぐ。
私もそれにならって空を見る。
茜色の空は夜の訪れを知らせるように朝方よりも寒く、夕陽が沈みつつあった。
「お姉さまは寮暮らしなんですか?」
「えぇ、寮なら屋敷ほど縛られることもないし食事もある程度は融通が利くからその分は寮暮らしは良いわね。縛られるという点では自由に外出はできない上に、うちのメイドやら執事やらが定期的に様子を見に来ることくらいかしら……それさえなければ快適そのものだけど」
「くす、楽しそうですね」
「楽しいとも違うけれど……何がおかしいの?」
「いえ、お姉さまがとても楽しそうに寮暮らしの良さを熱弁なさるのでつい」
愛佳お姉さまはどこか晴れ晴れとしていた。
私が仙上院家にいた頃の愛佳お姉さまは何か、人目を気にしているように見えた。
食事中も、私と話しているときすらもどこか上の空のようなことが何度かあった。
だけど今の愛佳お姉さまは何もない、何かを気にする風もなくごく自然に私を見て話してくれて、それがとても新鮮で嬉しくて自然笑みが零れてた。
「ね、熱弁ってあなたね……だいたい別に私は熱弁などしてないわ。あなたが寮暮らしについて聞いてきたから答えただけよ」
「確かにそうなんですけど、でもお姉さまがこうやって、私とお話をしていただけることが堪らなく嬉しくて楽しくて、寮での生活も良いなぁって少し羨ましくなってきました」
「そ、そう。そうね、あなたの寮暮らしの参考になったら良いけれど」
「なりました! でも寮暮らしはまだ先の話になりそうですけど」
「そうかしら?」
「え?」
「……なんでもないわ。あなたがきちんと決めたことなら私は何も言わない。頑張りなさい。海佳」
「あ──はいっ、ありがとうございますお姉さま!」
愛佳お姉さまはクールで素っ気ない印象を与えがちだけど、本当はそんなことないあったかい人なんだ。
私だって少ない気持ちでも楽しい時間をくれる愛佳お姉さまは素敵だと思う。
だからこそ、愛佳お姉さまは生徒会長という大役に就いているんだ。
「それじゃ、ここで。またね、海佳」
「はい、愛佳お姉さま。また学園で!」
終始和やかな雰囲気なまま私と愛佳お姉さまは別れた。
私はただ愛佳お姉さまのお姿が見えなくなるまで控えめに手を振り続けた。