第3話「学校の朝」
「聞くところによると今まではー……その、不登校だったようですね」
「あ、はい……」
職員室で話を終えると廊下を出て、担任の先生と一緒に行くことになった。
美少女ゲームなら緑髪で眼鏡という不人気要素を一身に背負ってくれそうな飛騨先生。
それでいて、人当たりの良さそうな、こうやって話してるだけでも優しそうな感じが伝わってくる。
「どうして、学校に来ようって思ったの? あ、変な意味じゃなくてね!? 先生、朝霧さんが学校に来てくれるのはとても嬉しいの! でも、どうしてかなって気になって……」
不登校というか、高校自体、通うのが初めてで本当に今まで在校扱いになってるのが不思議なくらい。
行くか行かないかだったら私は間違いなく行かないを選択していたと思う。
それでも私がいる理由は一つだけ。
「その、初恋の女の子が私に学校に来てほしいって行かなきゃ駄目だって言ってくれて」
「えっ! 初恋!? しかも女の子!?」
「はい、とってもかわいい自慢の女の子です」
私はついつい顔が熱くなるのを感じながら言った。
でもどうしてだろう?
「な、なんか付き合ってるみたいな」
「付き合ってません……むしろ、嫌われてて、」
「そ、そうなんだ……頑張ってね。先生、応援してるから」
「はいっ、ありがとうございます!」
こんなに心強い言葉をかけてくれるのに先生との距離が開いたような……
「先生?」
「な、なに?」
「なんか、遠くないですか?」
「そ、そんなことは……教師と生徒、正しい距離ですよ」
「………」
やっぱり、先生も気持ち悪いとか思ってるのかな。
初恋とはいえ、女の子を好きになるってことを……
「あ、朝霧さん……?」
「は、はい?」
「泣いて……涙が、」
「えっ……?」
飛騨先生が驚いたような声を上げる。
眼鏡の奥も似たような色合いで先生が言った言葉を聞いて、ようやく、私自身が両目から涙がポタポタと廊下に滴り落ちていることが理解できた。
頭と感情が追いつかない……
「ごめんなさい先生、私ーー」
「ごめんなさい朝霧さん……本当に、本当につらかったのね。自分が女の子を好きになることを、その気持ちを拒絶されることをーー」
「飛騨、先生……?」
何が起こっているんだろう? 飛騨先生に抱きしめられて、飛騨先生も泣いている……?
「ごめんなさい、勝手に……先生、取り乱しちゃった」
「そ、そんなことは……」
「そこで少し、話しましょうか」
飛騨先生は私を解放すると眼鏡を外して目元の涙をハンカチで拭ってもう一度眼鏡をする。
改めて周りを見て、少し歩いた先にある場所を指を差して言った。
そこには保健室と書かれていた。
「はい。保健室、ですか?」
「そう。ここでね、よく昔、お姉さまと話していたの」
「お姉さま……?」
飛騨先生は三つあるうちの外が見える窓際のベッドに座って私も座ったことを目で確認すると話を始めた。
急にお姉さまという言葉をが出てきて、戸惑った。
「そう。丁度、先生が朝霧さんくらいの頃かな、憧れの先輩というかお姉さまがいてね? その人のことが好きだったの」
「それは先輩とか友達として、」
「違う。明確に恋愛対象としてお姉さまのことが好きだった。でも言い出せなかったの」
「それはどうして?」
私だったら絶対に言う。
あなたが好きだって、私はあなたのことがとても好きだって知ってほしいわかってほしい。
そして私のことを好きになってほしい。
だけど、次の言葉を聞いて息ができなくなるくらいに苦しくなった。
「それはね、お姉さまには好きな男性がいることを知っていたから」
「……好きな、男性……」
飛騨先生の言葉を呟くように繰り返す。
私はもし、飛鳥ちゃんに好きな男の子がいたらどうするんだろう? 飛騨先生はどうしたんだろう?
「……飛騨先生は言わなかったんですか? その、お姉さまに、好きって」
「言ってしまったわ……悩んで悩んで、きっとそれでも私の気持ちを受け入れてくれるってお姉さまならって当時は信じていたから。若気の至りってやつかしら? ーーでも結果はごめんなさいで……当時は目一杯泣いたのを覚えてるわ」
「………」
「もうお姉さまなんて呼ばないでって泣きながらお姉さまの口から聞いたときは頭が真っ白になって倒れて、気づけばこの保健室のベッド。死んでしまいたいなんて思ったときもあったけど」
「そんな……」
「でもね? お姉さまと同じくらい、この学院が好きで私自身が生徒だった頃、お姉さまと呼ばれるようになって後輩たちが可愛くなって、教師になってからは生徒たちが可愛くてたまらないの」
「飛騨先生……」
飛騨先生は屈託のない笑顔で私の頭を撫でてくれた。
その手はとても温かく優しい手のひらだった。
「でもね、先生がダメだったからって朝霧さんに好きであることを諦めなさいとか止めなさいとか言うつもりはないの。私は忘れてしまっていたけど、あなたのその素直に好きという気持ちは忘れないでほしいの」
「私は忘れたくありません……この気持ちを」
「うん。それは誰でもないあなただけの気持ちだから。頑張ってね、先生、朝霧さんの恋、応援してるから」
「はい! 嫌われてますけど……」
「あー……そうだったー……」
飛騨先生は失言だったと頭を抱えた。その表情からも飛騨先生の人の良さが伝わってくるみたいでなんだか嬉しかった。
「ふふっ、飛騨お姉さまでもできなかったこと、私がやります!」
「ちょっ、ちょっと朝霧さん!? お姉さまはやめて!」
「えへへ……もちろん、冗談です。お姉さま!」
「あ、また! 待ちなさい朝霧さーん!」
「早く来てください。時間、なくなりますよ」
まだモヤモヤすることはあるけど、飛騨先生のおかげで少し気持ちが楽になって飛騨先生を“お姉さま”なんて呼んでみる。
すると、飛騨先生は顔を真っ赤にして私を追いかけてきた。
それがなぜかとても楽しく感じた。
「まったく、先生をお姉さまなんて……冗談でも許されませんよ」
「す、すみません……」
「それとですね、廊下を走ってはいけません。はしたない。だいたい朝霧さんは淑女としてなっていません。自覚も足りません」
「あ、あの? 飛騨先生……?」
「そもそも当校は淑女教育に重きを置いていて、先ほどのようにおふざけで私のことをお姉さまと呼んだり、廊下を走るなど以ての外で」
「うう……すみませんでした……」
その後、淑女とは何か、淑女教育とはどのようなものか、そして私には何が足りないのかを教室に到着するまでたっぷりと説明していただきました。
正直、地獄でした。
「それでは朝霧さん、こちらがあなたが明日から通う教室です」
「え? 今日からじゃないんですか?」
「申し訳ありません。実はまだ先生たちに伝わってなくて……午後からならどうにかなると思いますが、感覚としては初めての学舎で午後まで待つのツラくないですか?」
「大丈夫です。確かに怖くはありますけど、このまま帰って明日出直すのは……」
「そうですか? 無理をせず、明日からでも良いのですよ?」
それはなかなかに勇気がいることだった。
半ば九頭竜家の人たちに背中を押される形でここまで来たけど、今まで中学時代のあの出来事があってから引きこもって通学を拒絶してきた私が明日からと言うのは例えるならシンデレラが魔法が解けて翌日に私服でお城に向かうほどの暴挙。
今日帰ったら多分、怖すぎてそのまま実家に帰ってしまうかもしれない。
「ありがとうございます飛騨先生。でも大丈夫、適当にお昼まで時間を潰してますから」
「先生も今日は朝霧さんに付き合いましょうかーー」
「飛騨先生は優しいですね、彼女いますか?」
「い、いませんけど……ってそこは聞くなら彼氏でしょう?」
「えへへ……私は百合女子ですから!」
私は飛騨先生の優しい提案を相殺するように訊いた。
飛騨先生の返しに私は笑顔で言った。
「それもそうですね」
「否定なしかぁ……でもそっちの方が私は嬉しいです!」
すっかり慣れたのか飛騨先生は否定もなくにこやかに笑った。
私はそれに微笑みで返した。
「それでは図書館に行きましょうか」
「え? 私はこれから自由行動をーー」
「そういうわけには行きません。あなたにはこの午前中に学院のルールを学んでいただきます」
「えっ……ま、待ってください! 私はこれから用事が、」
「自由行動は許しませんよー」
飛騨先生は私の手をしっかり掴んで離さず嫌がる私を無理矢理図書館にーー
「モノローグで人聞きの悪いことを言わないでください」
「メタい!?」
飛騨先生に拳骨をお見舞いされてなぜか私の考えを見抜かれた。
「そこは痛いでしょう? さあ、おふざけはそのくらいにして行きますよ」
「至って真面目なんですが!?」
こうして私は飛騨先生に連れられて図書館で学院のルール、些細なことから大きなことまで正午になるまで学ぶことなったのだった。