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Limit of mental  作者: くらしかる
8/12

思い出の33R

朝方、通勤ラッシュの始まる直前の肌寒いガレージの前にステージアを横付けする。今日でお別れだ。チャイムを鳴らすまでもなく店長は外においでなすった。そして、いよいよ対面だ。俺のGT-Rッ!!

店長がシャッターをゆっくりと開けた。朝日に輝く白色のボディ、左目の少し上に貼ってあるnismoのステッカー、間違いない!俺のRだ!また一段と凄みをますGT-Rに興奮を抑えきれない。

「ステージアはどうだった。何か、得られるモンはあったかい?」

社長が問う。

「まだ漠然と課題が出てきただけですね。走り込んで解決するしかないかなと。」

しばしの沈黙が襲う。社長はタバコに火をつけ、壁にかけてあるキーを取った。

「あまり深追いはするなよ。」

キーは投げられた。

「お前はもう、あの世界に棲む人間じゃあないんだ。」


公道300km/h。その高い壁はもう過去のものとなりつつある。量産スポーツカーの最高出力は俺の時代の倍になり、あの頃ハンドルにかじりついて出した公道200km/hはエアコンをつけたまま、片手で女とイチャイチャしながら容易く出せるものになった。考えたことはあるだろうか、例えばデパートに買い物に行ったとしよう、そこにR35が駐車場に止まっている。その横に家族連れのノアが止めて、反対側にはちょっとガラの悪いあんちゃんの乗ったシャコタンのクラウンが止まっている。何か珍しいことはあるだろうか?もうR35なんて珍しくもなんともない。しかし、その日常に囲まれ、溶け込んでいるこの車は300km/h以上で走ることが出来る。ただの高級車ではないのだ。公道300km/h、もはや日常の1場面とも言えるかもしれない。それでもなお、まだあの聖域は侵されない。あの世界に棲む人間だけは時間が止まったままだ。日常の裏側の非日常、あの世界ではドライバーと車、それしかない。ただアクセルを踏むだけでは入れない世界だ。


「ええ。ありがとうございます。」


VR38に火を入れ、Dレンジで走り出す。朝の澄んだ空気に乾いたV6の音がよく通る。駅前の交差点の信号で停車、通勤ラッシュの喧騒の中に自分を置く。歩行者信号が変わると共に行き交う下を向いた人々。小走りでその合間を縫うスーツ姿の若い男性。すり抜けてきて並ぶ原付はダルそうに信号を見つめている。息が詰まりそうだった。

やがて信号が変わる。原付は白煙を吐きながら荒々しく加速していく。対面通行の決して広くはない道を路駐や歩行者が狭め、どうしようもない閉塞感が襲う。大通りに出ても同じことだ。タクシーの群れに揉まれ、幹線道路の渋滞に飽き飽きする。長いアイドリングになるため水温も若干の上昇を見せる。空冷ならあるいはアウトだ。

そして新木場から首都高へ。さっきまでピクリとしか動いていなかったスピードメーターは辛うじて60km/hを指している。湾岸線も渋滞気味で未だ閉塞感は解消されない。ずっとこうやって息を詰まらせて生きてきた。東京という街は得てしてそういうものだ。良くも悪くも密度が濃い。車の流れも、人の流れも。その高い密度は出会いを産み、同時にトラブルも産む。

"道路交通情報センターより、今の主な高速道路の状態をお伝えします"

"首都高速湾岸線上り大井ジャンクション付近で、乗用車とトラックの事故のため、およそ3キロの渋滞が発生しています"

東京はトラブルが尽きない。言いようのない息苦しさを感じた。俺は正直東京はあまり好きではない。

高校までいた群馬を思い出す。高卒の先輩が買ったS13シルビアターボの助手席で夜の山に繰り出した高3の夏、受験勉強ほっぽり出して直管の爆音とバックタービンの音に夢中だった。同時に昼間になるとまた息苦しい成績争いに身を置いた。冬になればその息苦しさに夜も支配された。


もう一度、あの開放感が欲しかった。全てから自由になるあの感覚が。


受験が終われば自由になると信じていた。だから東京の有名私立大学に入った。でも、開放されなかった。「合格おめでとう」。そう言われる度、嬉しさと共にまたあの息苦しさに見舞われた。そんな時、33Rがデビューした。親に、買ってくれ、と宣った。少しの反抗のつもりだった。反抗することで親のレールから外れられると思った。

しかし、免許を取ったその日。手元にGT-Rが来た、真っ赤な目立つGT-Rが。親が買ってくれた。反抗のつもりでたった1回宣っただけなのに。「合格祝い」と言って。色さえ選ばせてくれなかった。


俺に、選択肢は、なかった。


人は俺を贅沢だと思うだろう。親が買ってくれたのだから文句を言うなと。金を払ったのは親なのだからお前に選択肢がないのは当然だと。


でも考えて欲しい。これは誰の車なのかと。

俺の車でないなら俺は要らない。


入学してしばらくは1度もRに乗らなかった。俺の車でない気がしたからだ。

親からは多額の仕送りがあった。働かなくても正直よかった。でも、必死でアルバイトをした。あのGT-Rを自分のものにするために。わずか3ヶ月で全塗装代60万が溜まった。そして俺のRは白くなった。純白のGT-Rが俺の車だった。


そして夜の首都高に繰り出した。


俺はその時だけ自由だった。300馬力のRB26を全開にしているその瞬間は紛れもなく自由だった。チューンアップも始まった。ブーストアップ、ブレーキパッド交換から始まったチューニングは段々規模を増して行った。インタークーラーを置き換え、タービンを替え、オイルクーラーも入れてクラッチも替えた。仲間も増えた。スープラ、Z、GTO、そして同じGT-R。非現実的な日々だった。あっという間に時間が過ぎていく。大学ではそれほど友人もできなかった。まあこんな事して、他に趣味などほとんどない人間に寄り付く人間が少ないのは当然のことなのだろう。無論オンナもいなかった。職を得てからはひたすら33Rのために働いた。時間をガソリンに、タイヤに替え、ひたすらに首都高を走った。6連スロットルが全開になったときの音を今でも鮮明におぼえている。一気に7000まで駆け上がるタコメーターと全身の血が背中から搾り取られそうになる加速。多いときで毎日、最低でも週2で首都高に行く生活は6年続いた。25歳のときに18万キロを迎えたエンジンがついにブローした。そしてやり直した。全て。クランクシャフトに至るまで全てバラしてバランス取り、研磨、必要ならば交換した。エンジンはボアアップで2796cc、ツインターボは以前と同口径でオーバーホール。200ccのボアアップと各部オーバーホールは確実にポテンシャルを向上させた。シャシダイで850馬力、スクランブルブースト時には900馬力を発揮するエンジンは、まさに俺の全てだった。レース用ではなく、あくまでレギュレーションという枷を取り払った「ストリートスペシャル」。それはまるでどす黒く光る宝石のような、強力で凶悪な、それでいておそろしく繊細な機械だった。化け物、怪物、あの車はそう呼ぶしかなかった。こんなストリートスペシャルはその辺に転がってるわけじゃない。ましてやあの時代だ。でも、ソコには仲間がいた。同じスピードで走れるヤツが。


矢沢、2JZ改3.1Lシングルターボ1000馬力仕様の白い80スープラを操る逸材。レース関係者にしょっちゅうヘッドハントを食らうチューニングカーのスペシャリスト。


そして荒木さん、オレンジのランボルギーニ・ディアブロにツインターボをぶち込んで1000馬力オーバーまで持っていったやばい人。湾岸でメーター読み370km/hを叩き出した伝説の人だ。

こんな人達と走ってると、正直湾岸でのオールクリアはスクランブルブースト使ってもギリギリだった。スクランブルブースト時の250km/hからのフル加速はいつも快感だったのを覚えている。現役首都高最速の名を確かにその手中に収めていた。もちろん首都高内外から挑戦者は絶えない。大阪から、京都から、広島、福島、青森まで。函館ナンバーのバイパー相手したときもあった。そしてそいつらをブッチぎる。俺らが首都高最後にして最大の砦、それを自負していた。少し奢っていたのも否めない。


奢れるものも久しからず、盛者必衰の理。よく言ったもんだ。


来るその夜。対するは栃木からきた70スープラと32R。芝浦PA集合でC1外回り経由して環状線へ、そのまま辰巳JCTから湾岸線合流大黒PAでゴール。オレと矢沢で迎え撃つ。

約束の土曜日、夜23:30。芝浦ランプでスタート、すぐにC1に入る。首都高随一のテクニカルセクション、2.8Lツインターボの中回転域のトルクをフルに使い俺の33がリードする。続く70スープラは若干トラクションが厳しそうだ。32Rと矢沢のビッグシングル勢はブーストが立ち上がりきらないらしくワンテンポ遅れて追従してくる。一般車の合間を縫うようにして200km/hクルーズしていく。あっという間にC1が終わり箱崎JCTから環状エリアに入る。一気に上がるアベレージスピード、戦況も変化する。70スープラのペースが落ちていき、32Rと矢沢が前に出る。さらに一般車のパスに手間取った俺と32Rの間合いが詰りテールトゥノーズ状態に。スクランブルブーストを使用してまで逃げようとするも、スリップストリームで加速した32Rの勢いは凄まじく並走状態のまま迎える辰巳JCT。目の前にはトラックが1台、市川方面へ向かう車線を走行している。そこへ2台のGT-Rが時速250km/hで突っ込む。スクランブルブーストは7000回転で1.5キロをかけ続ける。ここに来て32Rが加速を初めた。NOSか…。この加速に付いていけるのは……矢沢だけだ。スープラの鼻先を32Rのリアバンパーに突きつけて猛追、3台の距離は急接近する。頭一つ32Rが出たままトラックとの距離が詰まる。市川方面の車線にいるのは俺、このままチキンレースを続ける理由もない。矢沢の後ろにつこうとバックミラーを確認したそのとき、

ノーウィンカーでトラックが車線を変更しだした。

急激に迫る壁に3台ほぼ同時にフルブレーキ、しかし矢沢がほんの一瞬遅れた。バランスを崩した矢沢は32Rを小突く。姿勢を乱す2台、タイヤは泣き叫ぶ。32Rのドライバーは自分の車をコントロール仕切れていないらしく横を向いた32Rが接近してくる。巻き込まれるっ…………!!咄嗟にシフトダウンして加速、市川方面に向かう車線に退避。寄りかかるものを失った32Rはコンクリートウォールに引き込まれた。矢沢、矢沢はどうなった?!誘導帯に車を寄せハザードを焚く。


そして車から降りた光景に戦慄した。


そこに80スープラは見えなかった。左フロントを派手に潰した32Rと、何か狼狽えているように徐行する70スープラのライトが視界を遮る。そしてその合間に何かが見える。白い、おそらく白かったはずの鉄の塊。それは燃え上がった。燃えた、というより爆発した、の方が適切だろうか。ガソリンに引火したのだろう。派手な轟音と衝撃、火の粉を撒き散らして。それは爆発した。矢沢のスープラ、あいつのスープラはどこに行った?きっと東京側の車線で無事でいるのだろう。そうに違いない。しかしそうなったらあの鉄の塊はなんだ?あの火に包まれているぐしゃぐしゃの鉄はなんだって言うんだ?いやそんなはずはない。あいつに限ってそんな、そんなこと、こんなつまらないことで死ぬような奴じゃ、こんな…たったそれだけで。


冬の夜空が 紅く染まった 。



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