本物と偽物
本物と偽物を分けるものは何か。本物が本物たりうる所以は何なのか。すべては本物から始まる。
銃火器、日本刀、戦闘機、そしてレースカー
この全てに共通する美学。
「機能美」
目的の性能を貪欲に追求するがために、全ての贅肉をそぎ落とし、優雅さや華やかさとは程遠い魔的な美しさを纏ったその人工物には、ある種共通したオーラがある。ある特定の人種を魅了してならない薬物のような強烈なオーラが。
ーthe Legendー
果てしなく続くトンネルに荒々しいV6ターボエンジンのエキゾーストノートがコダマする。時速80kmからのフル加速でも膨大なトルクを四輪で蹴り出す加速はドライバーをシートに磔にし、世界規模でも五本の指に入る加速性能はいつ何時もドライバーの意向にそった、ないしそれ以上のスピードで異次元へ誘う。そう、時速200kmオーバーのあの世界へと。
右側のパドルシフトをクリックして4thへシフトアップ。最新鋭のDCTは文字に偽りなきイナズマシフトを披露してその暴力的な加速を途切れさせない。瞬く間に迎えた4th7000回転、そしてすぐに7500回転、赤のインジケーターの点灯を確認してシフトアップ!速度計に目を移せばそこには250の数字が並ぶ。口元の緩みを自覚しながらアクセルを戻す。全身の血が背中から抜き取られるようなこの感覚、いい、実にいい。最っ高だ。腹の底から笑いが起きる。
東京湾アクアライン
この延々と続くこの直線はオレのようなスピード狂を虜にしてやまない。首都高速道湾岸線、東名高速道路と並ぶストレートコースだ。時速160kmまで速度は落ちた。このスピードレンジでも時速100-120kmで走る一般車とはスピード差はまだある。近づく追い越し車線を走るミニバンの赤い二つの眼差しを左へひらりとかわす。5thを選択したギアはトップギアに入る。それと同時に高鳴った鼓動も落ち着きを取り戻し一般車の流れの中に飲み込まれた。頭上を緑色の看板が通過する。海ほたるの入口が近づいたことを知らせるものだった。何かに突き動かされるように走行車線に流れ、そのまま海ほたるへのスロープを駆け上がった。無計画に立ち寄った海ほたるだが、幸い駐車スペースは空いていた。 ついさっきまでレットゾーンまで回っていたというエンジンは何事もなかったかのように理性的なサウンドを奏で、いつもどおり安定した心拍を刻んでいた。そう、いつも通り。
日産GT-R 通称R35(サンゴー)。
世界でも名高い加速性能を有するその車は徹底的な計算の上に成り立つスーパースポーツ。500馬力を優に超える3.8ℓV6ツインターボ、VR38DETTを心臓部に宿し、それを四輪でアスファルトへ無駄なく伝える。全てにおいて意地が垣間見える。例えばそう、駆動系。R35の採用するトランスアクスルレイアウトはその意地の結晶とも言えよう。このレイアウトはフロントにエンジンを搭載し、トランスミッションをリアデフに直結する方式だ。つまり、プロペラシャフトはクランクシャフトと同速で回転する。ただそれだけならば(だけというのも変な話だが)他にも採用例はある。例えばシボレーコルベットやレクサスLFAもその口だ。だがAWDとなれば話しは違う。一旦リアデフに送られた動力を別のシャフトを介してフロントに入力する。一見無駄に見えるこのレイアウトがこの驚異のバランスを仕立て、そして1.7tの巨体を有り得ない速度で運動させるのだ。
他の採用例はたったの2件。フォードRS200、そう理論上最速と言われたあの車とフェラーリFFこの二台しかないのだ。そのこだわりこそがこの車を生み、この車を地上の戦闘機たらしめる。いや、違うな。例えるならそう、ヤマト。戦艦ヤマトだ。不遇の運命を辿ったあの時代最強の戦艦、「大和」。その血を、精神を、間違いなくこのRは継いでいる。名前に他ならぬ「大和魂」を。いくら理性で押さえつけたところで変わらない、煮えたぎる本質をこいつは持っている。言い換えるならば計算づくで創られた魂とでも言おうか、だがそれは決してニセモノではない、本当の魂なのだ。
ゼロを指し光を失ったタコメーターから視線は下に移り、ステアリング中央に鎮座する「GT-R」のバッジを捉えた。真っ赤な「R」が海ほたるの街頭を反射する。胸いっぱいにGT-Rを吸い込むと、ドアコックを引き潮風に当たった。ルーフに手を置き、そのままAピラーを撫でる。Rを指先で感じる。そのまま手はボンネットへ。2つのダクトのあるボンネットをこうしてまじまじと見るのは初めてかもしれない。
「あちっ」
熱を感じた俺の神経は反射的に手を引っ込めた。考えてみれば当たり前か。10cm程したにはさっきまで毎分7000回の爆発に耐えた鉄の塊があるのだから、そりゃ熱いわ。
コーヒー...
俺は呟いた
「コーヒー飲みてぇなあ」
ほとんど衝動だった。唐突に喉がコーヒーを欲した。そう思い立つと、R35のその特殊なドアノブをこじってドアの向こうの財布を携行し、挿さったキーを引っこ抜いてドアをロックして...自販機に向かった。そして絶望した。自販機は二機しかなかったが、よもや自分の愛飲している銘柄がないとは思わなかった。
おいおい、今時スリー〇フにも置いてあるぜ...?
よって俺の買い物は予想を大きく上回る時間を要してしまったことは言うまでもない。ようやく品定めを終えた俺は160円を投入し、一本のブラックコーヒーを購入した。
買う理由が金ならやめとけ、買わない理由が金なら買っておけ、か。
コーヒーをすすりながら呟いた。よくできた言葉だな。
コーヒーを右手に提げ、車へと歩く。リモートキーにRが反応を示し、解錠した。
GT-Rとの間合いは詰まる。潮風を体いっぱいに受けながらドアノブを押し出した。
はっ...!
思わず息を呑む。背中に感じる存在感。痛いほどささるそれを発する物体は影も形も見えない。ただ、その存在感の根源は後方のトラックの向こう側にあるのは確信した。
見てみたい。
衝動にかられ押し出したドアノブを引っ込めた。トラックの群れの向こうに隠れる正体を是か非でも見てみたくなった。一歩一歩近づいていく。トラックとトラックの間をすり抜けた先にそれはあった。
「RX-3...!」
マツダ サバンナ、通称RX-3。当時レースで唯一GT-Rと互角に渡り合ったその車はR殺しと謳われ、当時GT-Rの天敵だった。おそらく、今も。
漆黒のボディは白い光に鈍く光り、オーバーフェンダーはカーボンに換装され純正より気持ち大きいような気もする。車高は下げてはあるが、必要以上に下げているわけではなく、逆にそれが運動性能の高さを暗示させ、ブラックのワタナベホイールの裏にははっきりと大口径ドリルドディスクブレーキが確認できた。コクピットを覗くとタコメーターは12000rpmスケールに換装され、ダッシュボードの上には四連メーター。なんと一番手前はブースト計。つまるところコイツはターボ車だ。そして極めつけはリア。トランクには後期純正のスポイラーが鎮座して、視線を下に移せば青く焼けたチタンマフラーがその独特の色彩を光らせる。セミスリックタイヤは溶け、リアバンパーには無数の飛び石の痕跡が見られる。そして控えめながらその姿をチラつかせるのはフロアパネルとディフューザーは飾りではない。こいつは間違いなく......。
本物だ。 本物の戦闘機だ。
見れば見るほど飾り気のない戦いのためだけに生まれてきたようなフォルムがそれを何より雄弁に物語る。
─怖いっ...!
その溢れる覇気は俺を怖気付かせるには十分すぎた。まるで武将に目線だけで制圧された下級武士のように、俺は戦意の一つ残らず堕とされ、尻尾を巻いて帰るしかなかった。
コーヒーを飲み干し、左手でスタートボタンを押し込む。するとセルが回りエンジンは小さく一吠えして低いアイドルを維持した。RX3を見てすっかりその気が失せた俺はセットアップスイッチを三つ全て上向きを選択する気力すらなかった。Dを選択し、ゆっくりと車を走らせる。パドルシフトには手も触れず、車に全てを任せてクルーズする。本線に合流する際すらタコメーターが4000を超えることはなかった。あっという間にミッションはトップへ。スピードメーターは依然時速110km付近をうろちょろするだけだ。こうしてる分にはGT-Rは実に紳士的でさっきまで250km/hで走っていた車と同一な物体にすら思えない。
背後から独特なエンジン音が迫る。モーターの回るようにスムースで甲高いその音を唄えるのはこの世で唯一、RE搭載車だけだ。そう、先のRX3のように。
過ぎ去るテールランプを何をするでもなく見送った。俺は逃げた。そうさ、ここに白状しよう。
俺はあの天敵から逃げ出した。
ごめんな、GT-R、こんな意気地なしが君のドライバーで本当に
...ごめんな。
どーもくらしかると申します!今回どうしても湾岸線を舞台にした小説を書きたくなりましてですねぇ、頭の中の妄想を書き出してみました。