第七話 織田信長
-第六話 あらすじ-
褒美として大工を所望した鈴。
しかし、主たる大工は皆、岐阜城普請に当たる信長の下に集まっているという。
鈴の落胆を見た奇妙丸は、父、信長の下へ直接願い出ようと言い出した。
信長を恐れ、一度は断った鈴だが、謎の迫力を持つ少年勝蔵に脅しをかけられ、泣く泣く岐阜城への短い旅へと出る事に。
奇妙丸と勝蔵、鈴、そしてなぜかついてきた夏との珍道中。彼らを待ち受けるのは…?
引き続き本編をお楽しみください。
三~四時間程歩いた頃だろうか、前方に大きな山が見える城下町の焼け跡の様な場所に着いた。
戦場跡のそこは、家屋が焼けた臭いと、いまだ鼻につく程の血の臭いが充満していた。
「ひどい……。町の人達なんかは、どうしているんですか?」
「心配には及ばない、町民などは戦が始まるのを察知すると、蜘蛛の子を散らすようにいなくなるものだ」
「そう、なんですか」
だとしても、たくさんの人の血が流れた事には変わりない。
そしてその血の跡を、さっきまで恋愛相談をしていた十一の子供が、平然と踏みつけて歩く姿にこの戦国の世という恐ろしい場所を、改めて怖いと思った。
目を背けてなるべく早く通り過ぎたいと、自然と早足になる。
焼けた町を抜けると、今度は細い山道へと入り、うねうねとした軽い坂道がしばらく続くと、山頂の方から男性の怒鳴り声や、コンコンといった金属を叩く音らが聞こえてきた。
「もう着くぞ」
四時間弱歩いた上に、坂道をくねくね長く歩いて私の足は持ち上げるのに精一杯で、暑さもあって息も上がっていたのに、あとの三人は平気な顔で歩いている。
息も絶え絶え到着した頂には、数え切れない程の職人や炊き出しをしている女の人達がいて、喧騒と言っていいほどの活気で溢れかえっている。
そんな中、異質な程にど派手な集団が目についた。――この時代の不良?
なるべく関わりたくないと思っているのに、私の前を歩く奇妙丸はその集団の方へとずんずん歩みを進めていく。
「おい」
「あん? ん、あ! 奇妙丸様!?」
「父上はどこじゃ?」
「へぇ! さっきまであそこに、あれ?」
男が指差した方向に、どうやらいなかったらしい。「ふっ」と笑った奇妙丸は、やれやれと首を振った。
「父上が一定の場所におるわけないだろう」
「ですね……」
「まぁよい、見物しがてら探してみる。おぬしらも父上をお見かけしたら、奇妙丸が来ていると伝えておいてくれぬか」
そう指示すると、こちらへ向き直り、「鈴殿、そういうわけで、手分けして探そう」と無茶振りをかまし、勝蔵と二人でさっさと行ってしまった。
どういうわけ!? という心の声は届かず、夏と二人取り残された。ぼーっと辺りを見回している夏には期待出来そうもない。
「夏さんは大殿様の顔を知っているんですか?」
「知っている、といえば知っている。あまり近くでは見たことはないが」
「うーん。まぁ気が付いたら教えてくださいね」
とだけ言って、きょろきょろしながら見て回る。
――そういえば、肖像画なら見たことあるんだよね。
平成の義務教育を受けた者なら、きっと誰もが一度は目にしている織田信長の肖像画。
なんとなく自信を持って、肖像画に似た顔を捜した。――捜したといっても、五分も歩き回らないうちにお腹に飼っている怪獣がぐぅと鳴った。
その音を聞いた夏が、私の肩をとんとんと叩くと、くいっと顎で何かを指す。
もう発見したのかとそちらを見ると、そこは炊き出しで、女性達がおむすびを配っていた。
「――休憩しましょうか」
夏の返事を待たずにそこへ行くと、逞しそうな女性におむすびを手渡され、それを持って、少し低めの石垣で日影になっている場所を選んで夏と並んで腰掛ける。
「あ~つ~いぃぃ。うぅ、一回座るともう立てないかもぉ」
「ならば置いていく」
「そんなぁ……」
汗でまとわりつく髪をかきあげながらおむすびを頬張り、夏の冷たさや、無茶振りをした奇妙丸にぶつぶつ恨み言を言っていると。
「だれだ」
と突然上の方から声を掛けられる。
声のした方を見ると、さっきの集団よりも一際目立つ様相の男性が石垣の上に立っていた。
真っ赤な小袖で片腕を袖から出し、朱色の紐で髷を結っている。――そして何より、恐ろしい程に美形だった。
口一杯に頬張っていたおむすびを必死に飲み込み、
「し、塩川鈴……です!」
と慌てて言ったら口からご飯粒が飛んだ。
「聞かぬ名だ。だれだ」
米粒が飛んだ時、右の眉だけが一瞬ぴくりと上がったけど、それ以外は無表情で、美形なだけになんだか怖くも感じた。
「え……っと」
また名乗ろうか、どうしようかなんて考えていたら、横にいた夏が一歩前に出て片膝を付いた。
「お初にお目にかかります、私は小折城にて吉乃様にお仕えしております名を夏と申します。この者は私に並び、名を塩川鈴と申します」
「ほう。して」
「はっ、此度は奇妙丸様に伴って参りました」
「……」
その美形の男性は、夏をじっと見るだけで、何も言っていないのに夏は目を開き、視線を落とし言葉を続けた。
「奇妙丸様より、この者への褒美として、大工をお借り願えぬかと伺いに……」
「……」
よく見ると、夏は冷や汗をかいているようで、若干だけど声も震えて聞こえる気がする。こんな夏は初めて見る。――緊張してる?
ほんの数秒だったと思うけど、その沈黙がすごく長く感じた。その男がやっと口を開きかけた時。
「父上!」
私達の後方から奇妙丸が小走りで近づいてくると、それに気付いた夏は、ほっとしたように目を瞑った。――父上?
「小僧、城におらぬと思えば、ここにおったのか」
「……」
目を細めて奇妙丸を見ただけなのに、奇妙丸は黙ってしまう。
「大工は無理だ帰れ」
「……無理を承知でお願いに上がりました。父上、どうか願いをお聞き届けください!」
肖像画と全然違くない!? てゆーか奇妙丸様とも全然似てないよねっ!?
私が想像していたのは、ひょろっとしたちょび髭のおじさんで。
「――ぷ」
思わず噴出した私に、奇妙丸も夏も、そしてついでに勝蔵さえも目を剥いて驚いた。――誰よりも先に口を開いたのは信長。
「なにがおかしい?」
「あ、いやすいません、ちょっと。あなたが奇妙丸様のお父上の大殿様なら……」
「なんだ」
「あの綺麗な吉乃様と、大殿様のような美形から生まれたのがこのマメ狸だと思ったらおかしくて……ぷぷぷ」
私の言葉が続くにつれ、みるみる内に青褪めていく奇妙丸の顔が険しく歪み、叫びとも悲鳴とも似た声で私を怒鳴りつける。
「鈴殿!」
またも片眉を上げ、口を開こうとする信長を遮って奇妙丸が声を荒げた。
「場を弁えて物を申せ!」
奇妙丸は信長の足元に駆け寄るとその場に平伏す。
「父上、まことに申し訳御座いませぬ! どうか、どうかお許しを!」
奇妙丸の様子を見て、(やってしまったかも)って思った。――のに。
「ぶわっはっはっはっはっは、まめ狸!」
当の信長は、突然豪快に笑い始めた。
皆唖然としている中、また無表情に戻りつつあった信長を、困惑しながら信長を見上げる奇妙丸。
「ち、父上?」
「なんだ、まめ狸」
と答えた信長は、自分の言葉にまた笑った。その返答がおかしくて、つい私も声を上げて笑ってしまった。
「良いな」
「あ、いえなんかすいません、ありがとうございます」
何が良いんだか分からないけど、謝罪とお礼を言っておく。信長は満足気に奇妙丸に向かって言った。
「こやつが大工を所望していると申すか」
「は、はい。左様でございます」
「貸してやる」
即答すると、甲高い大きな声で「岡部!」と誰かを呼んだ。
その声にどこからかすっ飛んできたのは、四十歳くらいの貫禄のあるおじさん。
「お呼びで?」
「お前、ちょっと行って来い」
そんな言葉だけで経緯も意図も分かるわけないのに、岡部と呼ばれたおじさんは「へぇ」と言ってそれ以上何も聞かない。
「それで?」
岡部は私に近付くと、腕を組み、踏ん反り返った。
私はこれまた私手縫いでボロボロな、リュックとはもはや呼べない形をしたリュックに手をいれ中を漁る。
モタついている間、信長は私と夏の方を見やると、
「あべこべなことよ」
謎の言葉を残してどこかへ行ってしまう。かと思うと、別の場所から甲高い怒鳴り声が聞こえたりした。
瞬間移動!? などと突っ込みを入れている場合ではなく、岡部の高圧的な視線にあたふたとリュックの中身をひっくり返す。
「あった!」
そうして手に持ったのは、大工さんに作ってもらおうと慣れない筆と墨で書いた図面。
「これを、作ってもらいたいんです!」
「これは……」
岡部は紙を両手に持ち広げると、まじまじと見た。
「へ、下手過ぎて何が書かれているのか……」
「え」
「この四角いのは、屋敷か何かか?」
「え!? ち、ちがいます! 湯船です! 湯船!」
「舟? こ、これが舟だと?」
私達の”?”ばかりのやり取りに、奇妙丸は岡部の手を掴んで紙を自分の目線に下げると、目を細めて眺めた。
「鈴殿。そなた、無知だ無知だと思ってはおったが、字もろくに書けぬとは……」
十一歳の少年に憐れみの表情を向けられ、それはもう必死になって説明を始める。
もはや慣れない筆と墨で描かれたそれよりも、こっちのが早いと言わんばかりに、落ちていた枝を拾って地面に絵を描き説明する。
何メートルが何尺かなんて、私には分からないから、もう原寸大で。身振り手振りを交えて説明を終えた頃には、陽が傾き始めていた。
全てを何とか理解したらしい岡部は、「ふむ」と頷くと
「こりゃ面白ぇ仕事になりそうだ」
と、先程とは打って変わって、人懐こそうな笑みを浮かべた。
「と、まぁ作りてぇもんはよく分かったが、そんなに時間も掛けてらんねぇからな」
すぐに岡部は部下らしい男を呼びつけ、あれこれ指示を出し始める。
「材料の手配はしておいた。すぐに行くぞ」
岡部さん、なんて仕事の速い! なんて関心している間にも今度は馬を三頭引き連れて来て、私達は岡部の馬を貸してもらい、馬上の人となった。
岡部と奇妙丸、私と夏、そして勝蔵は一人、小さな身体で器用に馬を乗りこなす。
いざ、元井ノ口から出発しようという時、一人で馬に乗れない私に向かって、勝蔵は勝ち誇ったようにニヤリと口元に意地悪な笑みを作る。――くっ、嫌なやつ!!
でも、そんなことを気にしていられたのは最初だけで、いざ走り出すと、私は馬の首に両手を巻きつけ掴っているのに必死で、考える余裕などなかった。
小折城に到着した時には陽が完全に落ちてしまっていて、無様な馬乗りと、朝から歩き通しで疲れていたし、明日の大工仕事に備えて早めに休む事に。
自室に戻り、汚れた服だけ着替え布団に突っ伏すと、そのまま眠ってしまっていた。
愛する信長様は勿論美形です、夢見ててごめんなさい。