第伍話 原田と塙(2)
――――…………
『わっ』
両手にバースデーケーキを抱えた私は、段差に躓き派手に転んだ。
『すずちゃん!』
両手に持たれていたケーキは遠くに飛ばされ、慌てて舞が中身を確認すると、勿論ぐちゃぐちゃの状態だった。転んだ痛みと、ケーキの状態にショックを受けて泣き喚く私。
『すずちゃん、大丈夫だよ。まいのおこづかいでまた買ってきてあげる!』
『でもすず痛くて歩けないも……ぐすっ』
私は転んだ状態から起き上がることもせずにそう言うと、舞が自身の財布を取り出して中を覗く。
『じゃぁすずちゃんはここで待ってて、ね? まいが行ってすぐ戻るから、ここにいてね?』
『うん……』
『知らない人についていっちゃダメだからね』
『うん……いつもママが言ってるから知ってるもん』
『そうだね、じゃぁまいいってくるね!』
舞は一人、来た道を走って戻って行く。
その後姿をまだぐすぐすと泣きながら見送ると、私はその河原で蹲り、ただただ河の流れを見ていた。
『……?』
自分の上にかかった影に上を向くと……
――――…………
何かの気配で目が覚めた。――私の上に覆う影。
「わっ、いった!!」
勢い良く起き上がると、ごちんっと何かに額をぶつける。一体何事かと自身を覆う影に視線を向けたら、そこには眉間に深い皺を刻んだ夏が額を押さえてこちらを睨んでいた。
「なにをするんだ」
「何をって、夏さんこそ何やってんですか!? あぁもうびっくりした……いてて」
「今朝、奇妙丸様がいらした。お前を呼んでいる。部屋の前に来たら、お前がうなされていたから起してやろうとしたんだ。感謝しろ」
「えっもう朝? うひゃーひさびさに良く寝たなぁ」
う~んと伸びをして立ち上がると、夏はもう用がないとばかりにふいっと部屋から出て行った。
奇妙丸への挨拶の前に、と吉乃の朝餉の膳を用意してから彼女の部屋へ入ると、中には丁度奇妙丸がいた。なにやら神妙な顔をしている。
「奇妙丸様、こちらにいたんですか。奇妙丸様の分の朝餉は持ってきてないですよ?」
「あぁ鈴殿、吉乃殿に出陣の挨拶に参ったのだ。おれの朝餉など構わずとも良い」
そう言って吉乃へと向き直ると、とても十一歳の子供とは思えぬしっかりとした口調で言う。
「明日、美濃へご出馬なさる父上と共に参ります。勝ち戦といえど、万が一何が起こるか分らぬのが世の常。それ故、ご挨拶に伺った次第でございます」
「相分り申した、ご武運を」
奇妙丸に視線を合わせる事なく素っ気無くそう言った吉乃に、普段私たちに見せる優しさは垣間見えない。
自分に目も向けない吉乃へ深々と頭を下げた奇妙丸は、そのまま立ち上がり部屋を出て行った。
「吉乃様! あんまりじゃないですか! 戦に出るって……まだ子供なのに!」
吉乃のあまりに冷たい態度に業を煮やし思わず口をついたが、吉乃の悲痛な表情に言葉が止む。
「吉乃様……?」
問いかけると、物言わぬ吉乃の代弁をするように福が言った。
「幼い我が子の出陣を嘆かない母がおるものか。吉乃様だとて抱きしめ、声をあげ引き留めたいのだ。だが、お立場がそれを許さぬ。分かってやれ。奇妙丸様とて理解しておる」
「――でも、私にはそんな立場なんてもの分りません!」
そう言い捨てて部屋を飛び出し奇妙丸の後を追うが、探せど姿は見えず、仕方なく自室へ戻る事にした。
いまや、会いたくても会えない母を思い、吉乃を責めてしまった。
短気をおこした事を少し反省しながら障子を開くと……、
「わっ、奇妙丸様っ! 人の部屋で何やってんですか!」
「来たか。何って、そなたを待っておった」
「私を? あぁそういえば夏さんが何か言ってたような」
「とにかく座れ」
促され目の前に座ると、奇妙丸はがばっと勢い良く頭を下げた。
「え、ちょっとちょっとなんですか急に!? 頭を上げてください!」
「此度、母上の事をも救ってくれたと聞いた。鈴殿、そなたには言葉では言い尽くせぬ程、感謝している」
「救っただなんてそんな、薬師様や、皆さんが精一杯ご看病をしたからですよっ」
「良い、分かっておる。それでな、そなたに褒美の一つでもやりたいのだが……。おれにはまだそなたにやれる所領がないからな。何か、願いはないか?」
所領って、そんなもんもらっても困るし! なくて良かったよ! という突っ込みは心の中に留めて、曖昧に笑って「何も」と言った。
「何も? 金銀や、豪華な着物、化粧道具などでも良いのだぞ?」
身を乗り出して聞いてくる奇妙丸に、う~んと唸って思いついた事を口に出す。
「あ、ありました。お願い事!」
「おお? なんだ、何でも申せ」
「大工さんを紹介してもらいたいです!」
「は? 大工? 屋敷でも建てたいという事か?」
それはどうかなと顎に手を当て考え始めた奇妙丸。
「んなばかな……。ちょっと作りたいものがあるんです。勿論屋敷とか大きな物じゃないんですけど」
「馬鹿だと?」
「いえ、そこは気にしないでください」
「まぁ良い、大工、だな。美濃から帰還次第手配してやろう」
「本当ですか!? やったぁ! ……ところで、その子は?」
奇妙丸の後ろに気配を消して座っている男の子。最初から気になってたけど、なんだか突っ込む暇がなくて、ここでやっと聞けた。
「あぁこの者は、父上の信頼する家臣の次男で森勝蔵という。一人で城を出てくると周りが五月蝿いのでな。此度はちゃんと供を連れて参ったのだ」
御供って、子供じゃ駄目でしょって思ってちらりとそっちを見ると、その勝蔵と呼ばれた少年のこちらを見返す眼光の鋭さに驚く。
河尻も恐かったけど、この少年は何かあればすぐにでも喉元に喰らいついてやろうとしているような、そんな目をしている。
奇妙丸様が仔狸なら、この子は野生の虎とか狼みたいだ。
小さな身体に、目だけがぎらぎらとしていて少し異様に見えた。勝蔵から視線をはずし、奇妙丸に問う。
「奇妙丸様、合戦へ行くって本当ですか?」
「あぁ、そうだ。しかし、戦と言っても、おれが槍や弓を持って戦うというわけではないぞ。おれは父上について、戦がどういうものか学びにゆくのだ」
「……気を付けてくださいね」
「まぁ色々話したいところではあるのだがな。今日は戻らねばならん。次はゆるりと話そう」
そう言って立ち上がった奇妙丸達を大門まで見送ると、そのついでに医院へ吉乃の薬剤をもらいに立ち寄った。
医院の扉を少し開くと、中で上半身裸の男性の後ろ姿が見え、薬師の小言が聞こえてきた。
「まったく、明日の戦仕度を今日まで延ばした挙句、怪我までするとは。一体何をお考えか!」
「いやはや面目ない。しかしな薬師殿、手足の一本や二本捥げていようともおれは一騎当千の働きをしてみせるぞ、あ、いたた」
「手足の一本二本を自分で捥いでたら世話ないんですよ!」
「いた、いたた、ちょっ、薬師殿、もう少し加減をしてくだされ……」
そんなやり取りを戸の外から見て笑っていると、上から声が降ってきた。
「覗きが趣味か?」
「え、ちがっ、って、近っ!」
上向きに振り返ると、すぐそこに塙の顔があり、驚いて声をあげる。
私の後ろに覆いかぶさるように戸に右腕を付き、中を覗きこむ体勢だった為に、急に振り返った私と向き合う形になった。
「えーっと、塙さんでしたよね?」
「あぁ、そうだが、どこかで会ったか?」
「はい、蕎麦屋さんで。原田さんに助けていただいた時に……あ、でも覚えてなければ、いいです」
「くくっ、冗談だ、男の格好をしている女子など簡単に忘れるはずなかろう?」
この格好をしている間、この時代では女と思われた事はなかったから、少し驚いた。
「私が女だと、分かっていたんですか?」
そう聞いた私の髪を、塙は空いている左手で優しく自分の口元へ持ってゆく。
「お前からは男の匂いがしないからな」
「は? あ、あの、そろそろ、ど、どいていただけますか?」
「嫌だと言ったら?」
不敵に笑う塙の妖艶さに思わず頬が熱くなった。
「はいはぁーい。そこまでー!」
という声と同時に後ろの戸が開いた。そこに現れたのは原田で、なぜか後ろからがっちりと羽交い絞めにされる。
「直政さぁ~、おれ言ったよなぁ? ぽにいの坊ちゃんはおれのだから手出すなってよぉ」
「手など出していない」
「あっそ」
「は、離してください!」
原田の腕の中でもがくも、がっちりと押さえつけられびくりともしない。
「ぽにいちゃんさー、おれ、明日から生死を掛けて戦しにいくんだよねぇ」
「――だからなんなんですか!?」
そこでぐるりと回転させられかと思うと、肩を両手で掴れた。
正面には原田の顔がある。可愛い仔犬を連想させるような愛嬌のある顔に、真剣さを醸し、思わず黙って見つめてしまう。
「だからさぁ。最後の別れだと思って、口付けしてくんねーかなぁ?」
そう言った時には左手は腰にまわり、私の身体ごと引き寄せ、右手は頬に添えられていた。
「ふっっっざけんなっよ!!」
ごつんっといい音が鳴った。
「いいいいっっっってええええ!!!!」
私の頭突きがヒットした顎を押さえ呻く原田に、
「人気があるだとかなんだか知らないけど、誰でも尻尾振ってついてくるなんて思うなよっ! この女ったらしっ!」
と言い捨て、呆気に取られていた薬師から薬剤を受け取ると、部屋から出ようと戸へ急ぐ。
「そこ、どいてください」
まだ戸口に立っていた塙に冷たくそう言うと、塙は「くくっ」と笑って、私に道を譲った。
蕎麦屋で助けてくれて、いい人なのかと思っていたから余計に腹が立った。
怒りに任せてどすどすと音を立てて廊下を歩いていると、どこからか現れた夏に「五月蝿い」と怒られた。
そのまま美代を探して炊事場に向かい、奇妙丸が手土産にと持ってきたという菓子を持って自室へ戻り、怒りを鎮める為に菓子を食べながら、美代に話を聞いてもらう。
「原田殿に頭突きを……ぷっ」
笑ったのは、夏。あのまま、また用もなく後ろをついてきてここにいる。
「――今、笑いました?」
「笑ってなどいない」
「え、なんでそんな嘘つくの!? 今笑いましたよね!?」
私が”ここ”へ来てかれこれ二ヶ月程、夏が笑ったのを見たのは初めてだった。
「笑ってなどいない。お前、女子が頭突き……ぷっ」
「ほらっ! 笑った! ってか笑うところじゃないけど!」
「あははははっっ」
「ちょっと! 美代さんまでー!」
明日から隣国で合戦が起きるだなんて、全然実感が湧かないまま、いつも通り明日を迎えようとしていた。
壁ドン!