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六月の雪  作者: ぽちこ
第一章 生駒の方
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第弐話 生駒屋敷

 ここは永禄十年(一五六七年)尾張犬山。

 かの織田信長が統べる国である。織田信長が、田楽桶狭間にて今川を打ち破ったのが七年前。


 この七年尾張国内を統一させ、まさにこの年、墨俣城すのまたじょうを足掛かりに天下統一への第一歩を踏み出そうとしていた。

 ちなみに墨俣城とは、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられている〔墨俣一夜城すのまたいちやじょう〕である。


 この年には、歴女諸君の愛する〔伊達政宗だてまさむね〕〔真田幸村さなだゆきむら〕〔立花宗茂たちばなむねしげ〕が世に誕生することになるのだが、それはまた別のお話。


 この当時日本全国の注目を集めていた主な出来事としては、毛利元就もうりもとなりが中国地方をほぼ平定し、北九州にまたがる、広大な版図を築いており、東では上杉謙信と武田信玄の両雄が、川中島の地にて激しく火花を散らしている。


 京では、第十三代将軍・足利義輝あしかがよしてるが、三好三人衆と松永久秀まつながひさひでらによって殺害され、幕府の権威が失墜するという大事件が起こる。


 世はまさに、激動の戦国時代である。



◇◆◇



 ひたすら歩き続けた私は、息も絶え絶え、どうやら生駒屋敷”らしき”場所へと辿り着いた。


 ”らしき”というのも、私が知っている〔生駒屋敷跡〕とはまるで違い、水を張った幅広の堀、土塁に囲まれ、物見櫓やぐらまであるその屋敷は、”屋敷”というのもおかしいくらいに立派なお城だったから。


 そこに辿り着くまでに、私なりに色々と考えた結果、ひとつの結論に至る。

 これは、”夢”だと。きっとあのまま車に轢かれてしまって、今は病院で寝ているのかもしれない、なんて事まで考えて、母を思うと少し泣けたりもした。


 でもどうせ夢ならば、戦国時代を思い切り楽しんでしまえと、持ち前のポジティブさで前に進んではみたものの……


 平成の世とは違い、まっすぐと行っても、あっちへ曲がりこっちへ曲がり舗装をされていない道は、でこぼことしていて歩きづらく体力に自身のあった私でも二時間以上かかり、もうへとへと。


 夢だから思い通りになるなんて思ったら大間違いで、喉も渇くしお腹も減る。

「水よ出ろ!」なんて呪文まがいな事も口にしたけど何も出ないし、ただの怪しい人になっただけ。


 それはともかく、これで間違いなく水は飲めるはず。多分きっと。お願いします。

 といっても大門らしき場所はまだ先。今は、屋敷に隣接している広場のような場所を通り過ぎるところだ。


 横目でちらりと広場を見ると、数人の男達がポニー(?)で駆けている。

 乗馬訓練……? いや、まさかポニーで……? あ、でもさっき会った河尻とかいう怖いおじさんもポニーに乗ってたなぁ。

 なんとなく歩む速度を緩めて眺めてたら、こちらに気が付いた一人の若者がポニーに跨りながら近づいてきた。


「よう坊主。なんだ? 馬術の練習でもしに来たんか?」


「あ、いえ、ただの通りすがりです。……あの、この仔ってポニーですよね? 大人の男の人なんて乗せて平気なんですか?」


 ポニーらしきそれを指差して問うと、なぜか柵越しに私の歩く速度に合わせて横をゆく男は首を傾げて頭をく。


「ぽにい? この馬の名前か? 聞いたことねーな。んで平気かって、何が?」


「(馬なの!?)……随分と小さい、ですよね?」


「小さい? 標準だと思うが、まぁもっとでかいやつもいなくもないけどな。おれたちは、これだ」


 男は、馬だと言うそれに目を落とし、「あっ」と気付いた様に言い足した。


「ぽにい、という立派な名があるんだったな。いつもは空いている馬に乗っているが、今後はぽにい、お前にしようか」


 そう言いながら、馬の背を愛おしそうに撫でる。――違うとも言えずにただ苦笑いでやり過ごし、


「あの生駒屋敷って、そこですよね?」


 話を逸らした。男は私の指差す方向へ目をやると、撫でるのを止めて頷く。


「あぁ、そう呼ぶやつもいるな。だけど、あそこは〔小折城こおりじょう〕と言う。生駒家長いこまいえなが様の城よ」


「へぇ……」



「おーい! ――――っ!」


 広場の奥から何かを呼んでいる男がいる。その声に反応して若者は振り返り「あぁいまいく」と大声で返している。


「じゃぁな。小折城に行くのならまた会うこともあんだろ」


 そう言い残すと、馬に掛け声をして奥の方へと駆けてゆく男。

 その背を見送り、「水!水!」と足早に大門へと向かう私。


 さぁ到着だ! しかしいざ大門の前へ来てみると、怖い顔をした門番の様な男が両端に立っていて、やましい事は何もないのに、挙動不審になってしまう。


「あ、あのぅ」


 恐る恐る声を掛けると、意外にも優しい目を向けられた。


「どうした? 中に用かな? お父上でも中にいるかい? 呼んでこようか?」

 必要以上に子供だと思われているらしい。


「ここに来る様に言われたんです。私、(いまのところ)行く宛もないし……」

 しんみりとそう言った私の言葉に、強面の男性は優しい表情から哀れみの表情に変わる。


「そうか、大変だったな。それで、誰に言われてきたんだ?」


「き、奇妙丸……様? って人にです」


 ”奇妙丸”って名前を口にするのを少し躊躇ったのは、そんなヘンテコな名前の人がいるって、信じてもらえないかもしれないと、どこかで思っていたからなんだけど。


「奇妙丸様にだって!? 今は小牧山城にいるはずだが、どこで会ったんだ?」


「い、犬山の村はずれだと聞きました」


 その反応から見るに、私の杞憂きゆうだったらしい。

 あぁここで合ってたんだ、良かった。これで家に――。


「おい! おいっ! 大丈夫かっ!? おい……」


 門番の人の声が遠くに聞こえる。

 正面を向いていたはずなのに、目に映るのは青一色で。青く澄んだ空は、どこ時代も一緒だな、なんて思った時には意識を手放していた。



――――…………



 目を開けると、見慣れた天井が見えた。――やっぱり夢だったんだ、良かった。ほっと胸を撫でおろしたのに、感じた違和感。

 部屋を見回せば、あれだけあった優勝杯の代わりにぬいぐるみや玩具が置かれ、カーテンやシーツも違う。私の部屋だけど、違う。

 恐る恐るベッドから降り、部屋の扉に手をかけようとすると触れる前に、それは開いた。と同時に、クラッカーが鳴らされ、上から紙吹雪が舞い降りる。


『すずちゃーん! 八才の誕生日おめでとぉ~!!』


『まい……ちゃん?』


 私の代わりに扉を開けたのは、三つ年上の従姉妹である舞だった。驚いて固まったままの私に、舞は満面の笑みを浮かべると、楽しそうに笑い声を上げる。


『えへへ~驚いたでしょ? さぷらいずってゆーんだよ! おばちゃんにお願いして内緒にしてもらってたの』


 ――誕生日? さぷらいず? あれ? さっきまで、何を考えていたんだっけ? ……あぁそうだ、今日はわたしのたんじょうび!


『ありがとう! まいちゃんいつきたのぉ?』


 満面の笑みで返し、舞と手を繋ぎ階段を下りる。


『あのねぇ、さっきついたんだ。それでね、今日はふたりでケーキを買いにいくんだよ!』


『えー! ふたりでお出かけできるの? でも、すずはママいないとお買い物しちゃだめってママが……』


 肩を落としてそう言った私に、舞は楽しげに繋いだ手を振って言う。


『八才になったから、舞と一緒なら行っていいっておばちゃんいってたよ!』


『ほんとう? やったぁ~!!』



『――それじゃおばちゃん、ママ、すずたちはお買い物にいってくるね』


 リビングに顔を覗かせてそう言うと『気を付けて』と母が玄関の外まで見送ってくれた。

 私は初めてのおつかいが嬉しくて、舞に握られた手をぶんぶんと振り回し、歌いながら歩いた。

 ケーキ屋は家からすぐ近くで、子供の足でも二〇分も歩けば着く場所にある。


『よやくをした塩川です! ケーキください!』


『あらぁ小さいのにお買い物偉いわねぇ、はいどうぞ』


 初めての買い物と、店員に褒められた事により達成感と誇らしさで舞い上がった私は、『持とうか?』って言葉を拒否し、お腹に抱えてケーキを持った。


 そして……


『すずちゃん』


 そして……


――――…………


「すず……」


「すず……鈴殿!」


 自分を呼ぶ声に反応して目を開けると、心配そうな顔で私を覗き込む奇妙丸の顔があった。


「あれ、私……ここは?」


「ここは生駒の城だ。そなた大門の前で急に倒れたそうだぞ」


「……生駒屋敷?」


 さっきのは夢? 夢から覚めたここは夢……じゃない?

 だんだんと意識がはっきりしてきて、夢じゃないのかもしれないと、少し、ほんの少しだけ思って、落胆する。


「門兵をしとった五平がな、おぬしは男子なのに華奢過ぎると申しておったぞ」

 奇妙丸はそう言って上半身を起した私の手首を握る。


「あ、いえ、私は……」


「それでな、礼と言ってはなんだが、夕餉を用意させる。たんと食ってでかくなれ鈴殿!」


 訂正しようとした私の話を遮りそう言うと、にかっと笑った。


「あの、ですから」


「では準備を申し付けてくる故、体調が良いなら母上自慢の庭を散策し待っていると良い」


 最後まで言わせてもらう事は適わず、奇妙丸はさっさと部屋から出て行ってしまう。



 ――私は昔から、よく男の子に間違えられた。

 だけどそれは、髪を伸ばすまでの私が”そう”振舞っていたからであって、髪を伸ばすようになってからは、さすがに間違われる事はなかったんだけど。


 ”ここ”では、髪の長さで男女の区別は出来ないらしい。ふと、農民のおじさんが言っていた言葉が頭を過ぎる。

『女だともっと危ない』

 背筋に寒気が走り、無意識にお守りを握り締めていると、奇妙丸が出て行った、開け放したままの障子の先から花の香りが届く。


 その香りに引き寄せられるかの様に、気付けば裸足で外へ出ていた。

 目の前には大きな石榴ざくろの樹に咲いた花が風に揺られ悠然と、その奥にある大きな池のまわりを取り囲むように、木槿むくげと桔梗の花がところ狭しと咲き誇っている。


 石畳で作られた道を花に囲まれながら歩くと、池のほとりに出た。夕暮れの光の束が、水面を茜色に染めている。


 その大きな池には小さな橋が架けられ、向こう側へ渡れるようになっていて、橋から身を乗り出し池の中を見てみると、鯉がパクパクと口を開けて集まってきたので、思わず笑ってしまう。

 来た橋から少し戻り石榴の木の下に座って、思いっきり息を吸い込むと、花の香りも、鯉も、現代と変わらない風景になんだか心が落ち着いた。


 ここが夢であれ、現実であれ。


「ご飯と寝床の確保が最優先!」


 ”ここ”にいる期間がどれくらいになるのか、検討もつかない。それならば、何日だろうと、寝る場所の確保は必須だった。

 振り返って見れば、とてもとても大きなお屋敷があるわけで。部屋数は数えるまでもなく、私が数百人住んでも余りそう。


 これも何かの縁! 駄目元で、奇妙丸様に頼んでみよう!

 ……なんて図々しい事を考えていると、目の端に艶やかな赤に金、白の刺繍が美しく施された着物の裾がうつった。

 顔を上げると、着物に負けずとも劣らぬ美しい女性が驚いた顔でこちらを見ていた。


「そなたは?」


「あ、あの私、怪しいものでは……」

 って自分で言っちゃうあたり、すごく怪しいんだけど。


「ここは許された者しか入れない決まり。誰かに見つかれば罰を受けるやもしれませんよ」


 なんて、優しい顔をして怖い事を言うものだから、慌てて立って言い訳した。


「あ、あのその、私、塩川鈴と言いまして、奇妙丸様にここへ連れられて……その……ここを見て良いと……言われて……」


 言ってる内に自信がなくなって、最後は声に出ていたのかどうか分からない。


「そう、あの子(・・・)が……ならばゆるりとご覧なさい」


 優しく美しく、でも儚げな微笑を浮かべ、その女性は池の橋へと向きを変えた。――あの子(・・・)


「あのっもしかして、奇妙丸様のお母さんですか?」


 池の淵で立ち止まり、こちらを振り返ったその女性はひどく悲しげな瞳を瞬かせ答えた。


「いいえ、あの子の母ではありませんよ」


「で、でもこの庭って……」


 言いかけたところで、女性の顔色がすごく悪い事に気付き、一瞬ふらついた様にも見えて慌てて駆け寄った。


「顔色が……! 大丈夫ですか?」


「ええ、少し眩暈がしただけ」

 そう言ってまた歩き出そうとする女性が、今度は大きく揺らぎ池へと傾いた。


「危ないッッ!!」


 バッシャーーーーーーーンッ

 池の水面に大きな波紋が広がる。


「ぶわっは!」


 水面に顔を出すと、思い切り息を吸った。思ったよりも、深い。足はぎりぎり届かない。――そう、落ちたのは私。

 まとわり付く道着で泳ぎにくいながらも、なんとか岸に上がった。


「ふぅ~水浴びにはまだ早かったですね。くしゅんっ! ……大丈夫ですか?」


 ははは、と苦笑しながら濡れた道着を絞る。

 座り込み、青白い顔をしていたその女性は、気丈にも立ち上がりその弱弱しさからは想像もつかない大きな声を出した。


「誰ぞ、誰ぞおらぬか! ここへ参れ!」

 その声はすぐに伝わり、瞬く間に二人の女性が現れる。


「吉乃様、なぜこんなところに? 薬師殿がしばらく安静にとおっしゃっていたでしょう」

「この者は一体……」


 いぶかしげに上から下まで見る二人の視線を受け、頭からつま先までずぶ濡れで、少し恥ずかしい。


「その者のお陰で池へ落ちずに済みました。福、すぐ湯殿の仕度をなさい。夏はこの者を湯殿へ案内してお世話をしなさい。私は寝所へ戻ります」


 福と呼ばれた老女は、一礼をするとすぐさまきびすを返し屋敷へと向かって行った。


「湯殿へご案内します。どうぞこちらへ」


 夏と呼ばれた女性は、もの凄い美少女だ。丁寧な言葉とは裏腹に、酷く冷たい声でそう言って、私の前を歩きだす。

 これぞクールビューティ! なんて思いながらも言われるままに、夏の後ろへついて歩き出そうとしたその時。


「これは何事じゃ!?」


 庭にいる私を呼びに来たであろう奇妙丸が、ずぶ濡れになった私を見つけて、驚きの声をあげた。

 そして吉乃きつの様と呼ばれた女性に視線を向ける。


「母上、これは何事ですか! この者は私の命の恩人でございます! 何故こんな事に? どちらへ連れてゆくのですか!?」


 矢継ぎ早に質問を投げかける奇妙丸に対し、吉乃は奇妙丸を見ることすらせずに、視線を落としたままだ。


「奇妙丸様、私を母と呼んではなりませぬと、何度申せばお分かりいただけるのか……」


「そ、それは……!」


 泣いている様にも見える吉乃の顔と、口を真一文字に結び、泣くのを堪えているであろう奇妙丸の顔を、交互に見ていた。

 頭を過ぎる疑問もあるし、口を挟んでいい雰囲気でもないのだけど……濡れた道着が風に晒され、寒さからつい口を開いてしまう。


「あ、あ、あの! えと吉乃様? が池に落ちた私をお風呂に入れるようにと言ってくれて、今から案内してもらうところだったんです!」


「はぁ? なんでまた池に? 水浴びでもしておったのか?」


「あはは……」

 苦笑いをする私に、奇妙丸はほっとしたような、呆れたような顔をする。


「夏、鈴殿の沐浴が終わったらおれの部屋へ連れて参れ。夕餉の仕度をさせてあるんだ」


「かしこまりました」


「では母う……吉乃殿、お顔色が優れぬ様ですし、どうぞ後は任せてお部屋へお戻りください」


 奇妙丸に「行け」と頷かれ、夏について湯殿へ向かった。

 色々と思うところはあったけど、とにかくお風呂に入りたいという気持ちが強くて、自然と足早になった。

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