第壱話 変な名前の男の子
魔法のiらんど内のものを修正しながら載せていきます!処女作&なろう初投稿なので、色々大目に見て戴けると助かります。
修正すべき点や、ご指摘、ご感想等お気軽に戴けると喜びます!
永禄元年(1558年)尾張ノ国
間もなく夏を迎えようというのに、いつまでも灰汁を混ぜたような空模様が続いている。――ぽつり、と頬に感じた冷たさに顔を顰め、降ってきたかと空を見上げると、舞い降りたのは雫ではなく結晶であった。
(――まさかこれは雪か? このような時期に雪などと不吉だな。急がねば……)
昼間とはいえ薄暗く、はらりはらりと舞い落ちる結晶は時期が時期だけに不気味である。自然と足早になるのも道理というものだ。
ふと、道の先に仄かに光る何かが見えた気がした。見間違いかと幾度か瞬きを繰り返していると、それは突如はっきりと姿を現した。
「……子供?」
その呟きは、道の先で蹲っている少女の耳にも届いたようで、顔を上げた少女。泣き腫らした瞳は涙で溢れ、幾筋もの雫が頬を濡らしている。
急いではいるが、泣いている幼子を放って行くことなど出来ずに声を掛けた。
「――そこな娘どうしました? 何故泣いているのです? 斯様な日は早う家に帰るがよいですよ」
「――ここはどこ…っぐすっ」
迷子、か。少女の目線に合わせるように膝を折り頭を撫でてやると、いくらか落ち着いてきたようで、赤く腫らした瞳で縋るように見つめてくる。
そこでふと、少女の姿を改めて見た私は目を瞠った。少女が身に纏っている着物や草履はとても奇妙で、見た事も聞いた事もないような装いである。
物の怪の類かもしれぬという恐怖や疑念よりも好奇心が勝り様々問いかけたが、何を訊いてもよく分からぬ事を繰り返す少女を、ひとまず連れてゆく事にした。
「そうだ、名は何と申す?」
「わたしは………」
◇◆◇
2014年 6月 愛知県犬山市
重く閉じられていた瞼を抉じ開けると、見慣れた天井が視界を覆った。
ゆっくりと上半身を起こした私。――頬が濡れている……? 夢を見て泣いていたようだ。既に朧げになっている夢の中の出来事を思い出そうと部屋を見回してみるが、特に変わったことはなく、カーテンの隙間から漏れる朝日に目を細めた。
「――……朝? 朝⁉ 何時⁉」
小さな自分の呟きで徐々に覚醒してゆく。花の女子高生の部屋とはとても思えない質素な部屋には、ぬいぐるみや化粧道具等の代わりに、いくつもの優勝杯が所狭しと飾られている。
私の視線はその中の一つ、副賞でもらった時計に注がれた。……時計の針が告げる時刻に完全に目を覚ました私は慌てて跳ね起きた。
机の上に綺麗に畳まれていた道着を乱暴に手に取り、慣れた手付きでそれに着替えると、乱れた髪をひとつにまとめ上げながら階段を下りてゆく。
冷たい水で顔を洗ってからリビングに繋がる扉を勢い良く開くと、挨拶よりも先に文句が口から出た。
「お母さんってば、どうして起こしてくれないのよ~ッ!! 今日は大会だって言ったじゃない!! 早く行って身体を温めようと思ってたのにッッ!!」
「あらお早う鈴ちゃん、日曜日なのに早起きねぇ。……大会? そういえばそんな事も言ってたような? まぁ鈴ちゃんは強いから、今更慌てて練習なんてしなくてもまた優勝よぉ」
目玉焼きの入ったフライパンを片手に、呑気に笑って答える母。私は溜息を落とすと、食卓に並ぶ父に用意された朝食を手に取りかぶりつき、ほとんど噛まずに飲み込んだ。
「――寝坊したなら食べなきゃいいじゃないか」
ソファで新聞を広げ朝食を待っていた父は恨めしそうにそう呟き、母は変わらずニコニコしながら、今度こそ父の為に朝食を作り始める。
二人の言い分に、やれやれ…と首を振った。
「腹が減っては戦は出来ぬって言うでしょ! それに、強いからってサボってたらすぐに腕が鈍るんだからね! 練習を重ねるから強くなるのっ!」
ちらちらとリビングの壁に掛けられた小洒落た時計に目を遣りながら――もう出なくちゃ間に合わない! ――パンを素早く口に入れ、防具と袋に入れてある竹刀を肩に担いだ。
その様子を見ていた父が「それ俺のパン…」と、小声で言うと手にしていた新聞を折り、「会場まで送っていこうか?」と今度ははっきりと言った。
準備運動がてら走って行く気満々の私は、その旨を大きな声で伝えると、勢い良く玄関から飛び出した――ところで、急ブレーキをかける。
「お守り!!」
「鈴ちゃ~ん! お守り忘れてるわよ~!」
慌てて玄関先まで戻り、追い掛けようと来てくれていた母から”お守り”を受け取る。母から受け取ったそれは、世間の俗に言う”お守り”とは違って、母が縫ってくれた手の平サイズの巾着袋だ。外に出る時には必ず首からさげて持っている。
「頑張ってねぇ~」
いつも通りに首にかけると胸元に仕舞いこみ、「よし!」と気合を入れて母の緩い声援を背に、全速力で会場へ向かった。
◆◇◆
空は梅雨の到来を匂わせるような灰色の雲に覆われ、湿った風が汗ばんだ肌に心地良い。
「――はぁ…ッはぁ…ッ」
左手前方に、犬山武道会館が見えてきた。乱れた呼吸を整える為に、一旦立ち止まり、額ににじむ汗を手の甲で拭う。
会館から道路を挟んで向かい側に、かつて私も通った小学校がある。その正門の真正面にある大きな時計で時刻を確認して(間に合った)と胸を撫で下ろす。
安心して視線を時計から転じると、正門前で複数人の少年達が何やら揉めているのが目についた。――どうやら中には中学生も混じり、一人の小学生(ちょっと小太り)を囲んでいるようだ。
複数の少年の一人が小太りの少年の肩を押し、後ろに尻餅をついたのが先か。私が防具を会館前に置いて走り出したのが先か。
「こら――――ッッ!!」
声を上げた時には道路を渡り、少年を助け起こして盾になるべく少年の前に仁王立ちする私。
「そんな大人数で小さい子一人をどうしようってわけ? 卑怯だと思わないの!? 男なら正々堂々と――ッ!?」
「うっせぇ!! 関係ねぇ奴はひっこんでろ!」
言い終わらぬ内に、左側から強い衝撃を受けた。どうやら中学生の一人に飛び蹴りをされたらしい。不意の事で衝撃を受け流す事が出来なかった私は、横向きに倒れ込んだ。
「――いてて、こんのクソがきッッ!!」
女にも手(足だけど)を上げるだなんて、どんな教育を受けてきたんだッ!! そうとなればもう容赦はしまい、と反撃する為に立ち上がろうとした瞬間、辺り一面が白い光に包まれ、雷鳴と共に閃光が走った。
轟音と衝撃の中心には、時計台。亀裂が入り、時計の針はめちゃくちゃに動いている。
突然の出来事に茫然として言葉を失う私達の前に、はらりと無数の結晶が舞い降りる。――皆が放心している中、誰かがこちらに向かって叫んだ。
「――――危ないッ!!」
「今度は、雪…? ――え? 危ない?」
少年が指差した方向へ顔を向けると、運転を誤り歩道に突っ込んできた車が目の前まで迫ってきていた。目を瞑る暇も、何かを思う暇もなかった――はず。
(ぎゃぁ絶対に痛いッ!! お父さんお母さん……先立つ不幸をお許しください。てゆーか恋のひとつもさせてくれなかった神様ひどすぎッ!! まだまだやりたい事沢山あったのに……今日の試合はどうなるんだろう? 今週号のジャ○プまだ途中までしか読んでないのになぁ。あぁこれが走馬灯ってやつかぁ……ってなんか長くね?)
「――――…ん?」
何も起こらない。覚悟した激痛もない。突如降り出したはずの雪も、その片鱗すら残っていない。
恐々辺りを窺った私の目に、予想だにしなかった光景が飛び込んできた。
「――――…は?」
目前に迫っていたはずの自動車の姿はなく、代わりに目の前に広がるのは、広大な田畑、その向こうには青々とした緑の絨毯を敷いた山々が連なっている。
夢か幻か、突然やってきたこの一連の出来事に頭がついていかない私は、戦々恐々としながらも立ち上がり、周辺を見回してみる。
見た処ここがどこだか全く見当もつかない……が、ぐるりと回した視線の先に、複数人に囲まれる小太りの少年の姿が!! ――あれは、さっきの男の子!?
複数人に囲まれた同じ光景に見えるが、よく見ると今度は皆が武器になる物を手にしているようだ。
(なんかちょっと……雰囲気が違う?)
違和感を感じつつも、少年を助けなければならない事に変わりは無い。自分の背中に感じる慣れ親しんだ重みに気付くと、素早く袋から取り出し駆け出した。
「こら――ッ! 今度は容赦しないぞ! 武器まで持って、いい加減に……あれ?」
いざ少年の前に出てみると、相手は先程の小中学生ではない。
背こそ高くはないけれど、相手は子供などではなく、同じような格好をした男が五人、少年を囲んでいる。
なぜだか頭の天辺が、そこだけ丸く刈られているものの、既に短い毛が生えてきていて、その部分以外の乱れた髪は一つに纏められている。
薄汚れた麻の小袖を着、素肌に直接スネ当てと篭手をつけ、手には錆びてぼろぼろになった真剣が握られている。赤黒く変色したソレは、何を斬って錆びたのだろうか……。
よく見ると小太りの少年も、いつの間に着替えたのかさっきとは違う装いをしている。
最初こそ、はっとした顔をした男達だが、私の姿をまじまじと見ると、ニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべた。
「ほう、これはこれは、お武家のお坊ちゃんか何かですかい?」
「ぼっちゃ……ってあなた達は一体何なんですか!?」
考えが纏まらないながらも、危険を感じた私が竹刀を構えると、男達はどっと笑い始めた。
「そんな竹の棒を持ち出して、どうしようってんだ?」
「大人しくついてくりゃ、痛い思いも少しで済むぞ」
ひひひと笑いながら一人が刀を付き付け、もう一人が私の竹刀を持つ手に手を伸ばした瞬間。瞬く間に突きつけられた刀を叩き落し、伸びてきた手を激しく打ち付けた。
「ひぃぃぃ!! いてぇ!! いてぇぇ――!!」
「そ、それ以上近付いたら容赦しません!」
手を打たれた男は、地面を転がり痛がっている。刀を落とされた男は「ちっ」と舌打ちしながら刀を拾うが、刀身の半分から先が折れていた。
男は訝しげに折れた刀を眺め、
「――ちっ、なまくらめ」
吐き捨てるように言うと、こちらを睨みつけた。他の男も同様に、先ほどのいやらしい笑みは消え、皆ピリピリと殺気を放ち始めた。
「どうやら痛い目に遭いたいらしいな」
「逃げなさいっ!」
少年を後方へと勢いよく押し出すと、中段に構え、次の攻撃を待った。まさに一触即発のこの時。後方から馬蹄と共に、大きな声が聞こえてきた。
「奇妙丸さまぁぁっぁっぁ~~~!!!」
「――……は?」
(今度は何!? う、馬!? いや、なぜポニー!?)
ポニー(?)に跨った男が近付いてくるにつれ、はっきりと見えるようになったその装いに目を見張る。
(ちょ、ちょんまげ!?)
脳裏に(まさか、時代劇の撮影じゃ)という考えが浮かび、苦い顔をした。損害賠償だの、役者に怪我をさせた慰謝料だの、これは大変な事になったかもしれない。…と、まずは怒られると思ったのだけれど、馬上の男は予想外にも男達を怒鳴りつけた。
それと同時に、腰の物に手を掛け合口を切っている。
「うぬら、ここが織田家領内と知っての狼藉か? その末路がどんなものか覚悟の上であろうな!?」
「――くそ……ッ、覚えてやがれッ」
男達は睨み返すものの後退りし、ぺっと唾を吐いて典型的な悪役の捨て台詞を放つと、すたこらと走り去ってゆく。
”私”という不測のキャストが現れたにも関わらず、なぜだか撮影(?)を続行している様子で、私は口を開けたまま首を捻るばかり。
私は自分が置かれている状況を把握する為、走り去る男達の後ろ姿を鼻息を荒くして睨んでいた馬上の男へと問いかけようとしたのだけど、男はこちらに視線を向ける事なく、何かに気付いたように慌ててポニー(?)から飛び降りて田んぼに向かった。
「き、奇妙丸さまぁぁぁ~~!!」
男の様子に、私もつられて田んぼに駆け寄る。
「あれ!? さっきの少年なんで泥まみれに!?」
視線の先には先ほど助けた少年の姿が。それもなぜか泥に塗れている。田んぼから助け起こされ、泥に塗れた小太りの少年は大きく肩を落として溜息をつく。
「そなたは阿呆なのか?そなたが押したのであろう……それに”少年”ではない、奇妙丸という名がある」
「あ~、そりゃごめん、きみょうまる君。危ないと思ってさぁ、あはっ」
”奇妙丸”だなんて変な名前、これはもう時代劇の撮影だろうとほぼ確信した私は、着物のクリーニング代の計算をしつつ、罰が悪くて笑って頬をかいて謝った。
その様子を見ていた男が突然わなわなと震え始め、憤怒の形相で腰の物に手を掛け悲鳴の様な声を上げた。
「き、貴様ぁ! なんたる無礼な振る舞い……っ!」
「えぇ!?」
突然怒気を発した男を前に、身構える事も忘れてしまう。
「やめよ河尻、彼は命の恩人ぞ。きっとおれを知らぬのだ、仕方あるまい。――郎党からおれを助けてくれたのよ。何も知らぬのに怒鳴りつけるとは、礼を欠いているのはおぬしの方ぞ」
そんな男を制止したのは小太りの少年だ。
「お、恩人ですと?そ、それは……」
河尻と呼ばれた男は少年に諌められ、刀を離して佇まいを直すと改めて私に向き直る。
「拙者は織田家家臣、河尻と申す。御恩人とは知らず、失礼つかまつった。此度は危ないところを……誠にかたじけない」
正直言って意味が分からない。撮影(?)の邪魔をしてお礼を言われても……。それとも、もしかするとこれが噂のアドリブというやつかもしれない。
そうと分かれば、と若干ノリノリで言葉を返す。
「いえ、こちらこそ河尻殿の助太刀がなければ危ないところでした」
(万が一スカウトされたら女優デビュー!?)そんな私のミーハーな気持ちは「――だが」と続けた河尻の言葉ですぐに萎む事となる。――河尻は目を細め、脅すように言う。
「此度のことと、奇妙丸様への無礼は別である。次に無礼を働けば即刻切り捨てる故、心得よ」
いや、脅しなんかじゃない。というか、これは本当に撮影なのだろうか?(本当に殺されそう)河尻の冷酷な瞳と視線を合わせてそう感じた。
兎に角こうゆう時は話を合わせて余計な事は言わないでおくのが一番だ。
「は、……はい」
「もうやめよ!よいのだ、気にしないでくれ。そなたの名はなんと言う?」
自分の身に何が起きているのやら、理解する機会を与えられぬまま突如向けられた殺気に覇気なく返事をすると、見た目の年齢の割にはしっかりしている奇妙丸が二人の間に入り、笑顔を向けてくれた。
「私は、塩川鈴――」
ちらりと河尻を見、慌てて「……です」と付け加えた。
「鈴?女子の様な名だな。塩川……ふむ、聞かぬな」
少年は独り言のように呟くと、横にやってきて私の袖をひっぱり少し屈ませ耳元で囁いた。
「後で礼がしたい、が――」
ちらりと河尻を見遣り、苦い顔をして続ける。
「あやつが五月蝿い故、後ほど【生駒屋敷】へ参られよ。おれも追ってそこへゆく」
「生駒屋敷……?」
「あぁそうだ、それではまた後でな」
そう言うと、それがどこにある何の屋敷なのか、ここがどこなのか、訊くことも適わぬままに奇妙丸は河尻に連れられ、来た道を戻って行く二人。
(えーっと。――変な夢を見て、寝坊して、パン食べて。走って、会場に着いて。少年を助けたと思ったら雷が落ちて、時計が、雪が降って、車が……)
小さくなってゆく奇妙丸の背中を見送りながら、頭の中では今日の出来事をめまぐるしく考えていた。
その背が粒ほども見えなくなると、少年の言った言葉が頭を過ぎった。
(『生駒屋敷に来い』って言ってたけど……。もしかしなくても”あの”生駒屋敷?)
整理がつかないながらも、希望が見えてきた気がする。―――というのも、私の住む町の隣町に【生駒屋敷跡】という場所があるからだ。
(そこまで行けば帰れる!?――かもしれない)
さすがに自分のいた”場所”と、この”場所”との違和感を感じずにはいられないし、ここがどの辺りなのかの検討もつかないから、自信はないけど。
兎に角ぼーっと立っていても仕方ない誰かに話を聞こう、と辺りを見廻してみると先ほどまで誰もいなかったはずの田畑に、いつからいたのか鋤や鍬を持った人達が畑を耕している。
「あのぉ、お忙しいところすいません」
一番近い畑にいた初老の男性に声を掛けると、男は泥にまみれた手で額の汗を拭いながら、視線をこちらに向ける。
「あぁ、あんたさっきの!」
「え?」
「ちいせぇ坊主を助けてただろう? 若ぇのにあんな郎党相手に大ぇしたもんだっ! 格好良かったぜ!」
見てたなら助けてくれればいいのにと思いながら曖昧に「ははっ」と笑うと、男は勘違いするなよって感じで付け加えた。
「おれたちゃぁよ、これ持って助けに行くかって話してたとこだったんだよ」
と手にしている鍬を持ち上げる。
「――だがまぁ、あんたとあのお侍さんが来たもんで、様子を窺ってたってわけだ」
泥がついたままの手で誇らしげに鼻を擦った男に、「そうですか」と頷く。機嫌を損ねて話を聞けなかったら困るから、深く突っ込まずにいたら、男の方から切り出してくれた。
「で? 何か用かい?」
「あ、あの。ここはどこでしょう?」
「――は?」
質問の意味が分からない、と首を傾げる男に、どうしたら伝えられるかと考えたけど、口から出たのは同じ台詞。
「あの、ここです、いまいるここ。ここはどこでしょう?」
「なんだ? 迷子か? ここは尾張犬山のはずれの村でぇ」
「は?」
なんとなく察してくれた男は、場所を教えてくれたけど、今度は私が首を傾げる。(尾張? 尾張ってなに? でも犬山って事は、犬山市だよね?)私が黙って考え込んでいると、男は心配そうに言った。
「帰る道が分らなくなっちまったのか? 連れてってやりてぇが、次男坊三男坊が仕官しちまったもんで人手が足りねぇのよ。まぁおかげでおれたちゃ戦に出んでいいんだが……」
はぁやれやれと首を振る男の言葉の意味がよく分らない。
「戦って? どこの国の……話です?」
この平和な日本で戦なんてあるわけない、そう思ったから聞いたのに返ってきた言葉は予想外。そんなことも知らないのか、と呆れ顔の男はそれでも説明をしてくれる。
「なんだ? どっかの武家の坊ちゃんだろうに。いいか? ここは織田領だろ?この時期この辺で戦っちゃぁ、美濃との戦に決まっとる。さっきのは美濃の脱走兵かなんかだろうな」
(織田? 尾張? 美濃? さっきの人達の格好といい、いや、そんなまさか……)
【尾張の織田】だとか、美濃だとか、戦だとかって話に、一番最初に思い浮かんだ言葉が口をついた。
「織田って、織田信長とか? なんちゃっ――」
「おおおお、おいおいおい」
(なんちゃって)って言葉は、突然目を剥いて辺りを窺うようにきょろきょろとし始めた男に止められる。
「だ、誰が聞いてるか分からん!! 織田様を呼び捨てになんてするもんじゃねぇ!」
「織田、さま…?」
「あぁそうだ。鬼の様に恐ろしいお方と聞いている。あんたも外でめったな事言ったらいかんぞ」
【織田信長】あまり日本史が得意ではない私でも、それくらいは知ってる。
(じょ、冗談だよね?)
「おじさん、今って何年ですか!? もちろん、平成ですよねっっ!?」
「は? なんだ、頭でも打ったのかい? いまは永禄十年だったと思うが。平成たぁなんじゃ?」
(打ってないけど、頭が、痛い……)
嘘や冗談であって欲しいけど、そんな様子はない。頭を過ぎるのは、漫画やテレビで出てくるあの言葉。
「――タイム、スリップ?」
ぼそっと呟いた私の言葉は、男には届いていなかったけど、私の脳裏にはしっかりと刻まれた。
様子がおかしい私にあまり長いこと関わりたくないと思ったのか、男は話を切り上げようと本題に迫る。
「そんで? どこに行きたいんだ?」
(とにかく、【生駒屋敷】へ行こう。きっと何かが分かるはず!)
藁にもすがる思いで、カラカラになった喉から、なんとか声を絞り出す。
「生駒、屋敷に!」
「あぁ生駒のお屋敷なら、あんたの家を知ってる人もおるかもしれんなぁ。そこなら、そこの、ほれ、その街道をまっすぐ一刻も歩けば着くでな」
男の指差す方向へ目をやる。
「まっすぐ……」
「今日は季節外れの雪が降ったしな、不吉な事が起こるやもしれん、男とはいえ一人旅は危ない世だ。気を付けるんだぞ」
「はい、ありがとうございました」
軽く頭を下げお礼を言って街道へ歩き出そうとしたけど、ふと足を止め、一応言っておかねばならない事がある。
「それと、私、女です。――それじゃ」
男は持っていた鍬を手から落とし、口をぽかんとあけた。
もう一度頭を下げて歩き出した私に、我に返った男からの最後の優しさであろう忠告が聞こえる。
「もしも本当にあんたが女なら、女の一人旅だなんてもっと危ないぞ! 気をつけろよ!」
その言葉に、やっぱり男だと思われてたわけね、と一人苦笑しながら自然と手は胸元のお守りを握り締めていた。
「よし!」
気合を入れて、いざ、生駒屋敷へ!