第5話 因果の代償
女生徒が喋る不思議な人形と出会い、丸二日が経過していた。
「おはよぉ、カモメちゃん」
「おはよう、カモメくん」
樋口鴎と不思議な喋る人形カモメは、人間と人形である違いを感じさせないほどに仲良くなっていた。
「あぁ、今日も学校かぁ……行きたくないな」
ちなみに、カモメという名前になったのは、この奇妙な人形が自ら希望したことだった。最初鴎は、自分と同じ名前で呼ぶのは恥ずかくてしょうがなかったのだが、後々、意外と心地よく呼べていることに気付いた。
(この人形は、私。私だから、怖くない)
鴎は、人形を自分と見立てていた。
「カモメちゃん」
「なに?」
「僕、明日にはここからいなくなるから」
「……えっ?」
それはたった二日。時間にすれば48時間足らず。普通の人ならば、たった二日でそこまで情が移ることはなかった。
しかし、他でもない樋口鴎はそうでなかった。
「どういう、意味?」
「そのままの意味だよぉ」
無情にも、人形は再び告げる。
「カモメちゃんは気付いてないかもしれないけど、僕は幻想でも幻覚でもない、この世にとって歪んだ存在なんだ」
「……歪んだ、存在」
「うん。だから、僕はもうすぐ消えてしまうんだ。世の中から不条理なものは消え去るのが、この世の理なんだよぉ」
「うそ、そんな」
鴎の顔は、見る見るうちに青ざめてゆく。まるで、この世の破滅を知らされ、絶望しているようだった。
「やっと仲良くなれたのに! やっと、喋れる友達ができたと思ったのに……」
「カモメちゃん……」
「それなのに、こんなのって、ひどいよ。別にカモメくんが、歪んだ存在だって。私は、私は……!」
眼から涙が溢れていた。
「もう、カモメくんがいない日常なんて嫌だよ! カモメくんがいなくなるなら、いっそのこと――」
「一緒に消えたい?」
「うん……」
鴎が抱く感情は、一時的なものかもしれない。だが、今の彼女は、何よりもこの人形を大切にしていることは確かな事実だった。
「だったら、一緒になろうか、鴎ちゃん」
「一緒に?」
「そうだよ。僕は、鴎ちゃんの力をほんの少し貸してもらえば、この世界に留まることができるんだ」
希望が見えた。鴎は、迷うことなく一縷の希望に身を任せることにした。
「私にできることなら、なんでもするよ。だから、お願いだから……」
「うん、わかった」
人形は、首だけを動かして頷いた。
「ありがとう、カモメちゃん」
人形だから表情は無いのは当たり前。しかし、表情無く頷くさまは、不気味でしかなかった。
第5話 因果の代償
「ふ……」
それは、昼休みのことだった。螺旋図書館42階司書室にて、茶髪のかわいらしい女生徒が、部屋の主である鴇田瑠璃に対して異議を申し立てていた。
「ふざけるなッ!」
周防あやめは、瑠璃に対して思いっきり不満をぶつけていた。
「あと10日も、チョコが無いってどういうことですかい! お悩み相談にチョコは欠かせないってこと、司書さんならわかっているでしょ!」
こうなったきっかけは、先刻、メルに言い渡されたことを伝えたことだった。
元々、この司書室には、来客用に月に一回、嗜好品の類が搬入されるのだが、どこかの女生徒が食い荒らしてしまった結果、ほとんど底をつきた状態になってしまったことだった。
「あぁ、わかってるよ。誰のせいで、そうなったのかもな」
瑠璃は能天気に、ラーメンを啜っていた。さっき購買で購入したものだ。まだ食べ始めたばかりで湯気が立っていて、とても美味しそうだ。
「そ、そうやってわたしのせいにするのは、よくないとお、思いますけどぉ~」
「そうかもしれないな」
「……ほっ」
ズルズルと小さな音を立てながら、麺を流し込む。
「まぁ、だけど2か月分、手つかずの状態で一週間前まではあったはずなんだけどなぁ」
「ぎくっ……」
「それで、お前がここに居座りだしたのがちょうど一週間前」
視線をあやめの方へと向ける。どうでもいいように喋っているが、得体の知れないプレッシャーをあやめは感じずにはいられなかった。
「それって、客観的に見たらどうなんだろうな……」
瑠璃は、相変わらず興味なさそうだ。策略上、あえてそうしているのかもしれない。
「なぁ、お前はどう思う? 誰のせいに見える?」
「……あ、あはっ。あははっ」
「…………」
あやめはようやく気付いた。瑠璃が自分のことを犯人であると確信していることを。
「つ、次の時間……じゃなくて、わたし、今日日直で、色々やることが」
「日直なんてめんどうな当番ないだろ。いいから、ここでゆっくりしてけよ」
さらに、ここで瑠璃が追い込みをかけていることも。
「――し、失礼しま~す!」
圧倒的にこの場は劣勢だと思ったあやめは、撤退することに決め、勢いよく司書室から飛び出していった。
(やっと、めんどくさい奴がいなくなったか)
「……んっ?」
ようやく落ち着いてラーメンを食べることができると思い、喜んでいつのも束の間、戸を叩く音が耳に入ってくる。
(まぁいい、適当にあしらってやればいいだけの話だ)
と、相談を受ける主らしくない思考回路に陥りながらも、返事をした。
「失礼する」
ドアから現れたのは、特別奨励生徒であることを示す、灰色ベースの制服に身を包んだ女生徒だった。腕には、風紀員の腕章をしている。
「はぁ……」
適当に追い返すこともできないばかりか、込み合った話になりそうな予感がして、瑠璃は辟易としていた。
「ふぅ、なんとか誤魔化せました」
その頃、周防あやめは物凄い速さで駆けていた。
「まだ、セーフ。うん、まだセーフっすよ」
もうすでにバレバレだというのに、ここまで認めようとしないのは逆に素晴らしい根性かもしれない。
教室棟へとたどり着き、二階にある教室へと向かった。
「ん?」
(なにやってるんだろう)
これから使う教室の前に、人だかりができているのを発見した。普段見掛けることのない光景に、少なからず好奇心が湧いてきていた。
あやめは、ちょうど人だかりの後方にいた斎藤都丸に話しかけた。
「都丸ちゃん、何やってるんですか?」
「あやめ……あたしも知らないけど、樋口が倒れてるらしくて」
「ひーちゃんが!?」
「う、うん。って、あやめ、あの子と仲良かったっけ?」
「それはもう! 都丸ちゃんと同じくらいですよ!」
都丸に衝撃が走る。まさか、自分と同じくらいと言われるとは考えもしなかったからだ。一年の時から毎日といっていいほどに一緒に行動していたというのに、朝、他の生徒同様に話しかけるだけの樋口鴎と同じにされたことが切実にショックだった。
「あ、あの……どうしたんですか?」
「別に、なんでもない……」
「それよりも」
「それよりも……!?」
ぞんざいな扱いに、膝が折れる。それほどまでに精神的ダメージを受けているのだろう。
そんな都丸の様子を気にせず、あやめは続けた。
「倒れてるって、どういうことなんですか? 倒れてるなら、保健室に運ぶなり、職員を呼ぶなり、対処するべきだと思うんですけど……って、都丸ちゃん! 聞いてるんですか!」
「聞いてるって……なんか、倒れてるというよりは、体を動かせないらしいよ。それも急に、力が抜けるように転んだらしい」
「そうなんですか。何かおかしい話っすね……おかしな話」
おかしな話、といえば思い当たる件があった。先週、自らが体験した不思議な出来事だ。
(レイシス……?)
何があったのかはあまり覚えていない。しかしあの不思議な体験は、自分の中で停滞していた負の連鎖を引き止め、自分らしく生きようと前向きに思えるようになった。
心が軽くなった。あやめは、真実の鏡に感謝していた。
「それならなんで、体が動かせなくなるの……? レイシスは、代償なんか求めるものじゃ――」
――レイシスとレメシスの違いは、因果の果てに人体に対して因果力以外の代償を求められるかの違いだ。
先週、鴇田瑠璃が司書室で説明してくれたことを思い出した。あの時はさっぱりだったか、今では……
「退いてください! 早く!!」
少しだけ理解できた気がした。
あやめは数十人の人込みをかき分けて、騒ぎの中央へと飛び出した。
「どうしたんですか!」
そこには、右膝をつき、左手を廊下の壁に這わせている鴨がいた。
「す、周防さん……」
「何があったの! はやく教えてください!」
「ひ、左足と右腕が」
「左足と右腕が?」
「動かない……」
左足は、力なく地面についていて。右腕は、プラプラと操り人形のように揺れていて。
傍らには、彼女の鞄と、かわいらしい人形が落ちていた。
螺旋図書館42階司書室に訪れていたのは、レイフォース学園に三人しかいないとされている風紀員の一人、千草茉莉だった。茉莉は、千草家の兄弟の中でも末っ子で、本学園に二年生の姉と、三年生の兄がいた。双方とも茉莉同様に風紀員である。
「で、何の用だよ」
風紀員と特別司書は、学園での役職上、しばしば行動を共にする機会があった。特に千草茉莉は、他の二人と比べ、鴇田瑠璃とは関係が良いために、こうして使いを命じられることは多かった。
「へぇ……」
質問には答えず、茉莉は辺りを見渡す。
「大分、雰囲気が変わったようだ」
殺風景だった司書室は、相談室らしく生まれ変わっていた。家具の基本的な配置は、ソファーを対面式に並べ、その間にテーブル。その様子を見渡せるように、書斎机と椅子。後は壁に本棚が並んでいた。
変わったのは、整理整頓的な意味合いだった。書斎机に山積みに置かれていた漫画誌は姿を消し、代わりに花瓶に花をいけてあった。
「例の子が出入りしているとの噂は、本当なのだな」
(どこの噂だよ……)
瑠璃は、先ほど茉莉からもらったおにぎりを頬張る。中身は焼き鮭の身が入っていた。
「まずいのか?」
「不味くない。つーか、聞くならうまいかって聞けよ」
「これはすまない。君が能面のような面をしながら食べているのでな」
「生まれついた顔が能面みたいで悪かったな」
「おっ、そろそろ僕のカップ麺も出来上がったようだ」
明らかに話をそらした茉莉に、瑠璃はため息を吐いた。
「しかし、お前みたいなやつがこんな体に悪そうなものを食うとはな。意外だよ」
茉莉は、前髪が邪魔にならないようにピンで止めていた。後ろの長い髪は、後頭部の中腹辺りを一本で結んでいる、ポニーテールという髪型だった。
「そうか? たまにはこのような、体に悪いものを食べるのも悪くは無い」
割り箸を二つに割り、出来立てのラーメンを啜る。そして、感想を一言。
「うむ、中々美味い」
「……やっぱり、似合ってないな」
「何がだ?」
瑠璃がさっきまで食していたように、茉莉は麺を口へと運ぶ。とても綺麗な箸使いと、背筋をピンとさせた美しい姿勢だ。
「お前みたいなやつは、魚でも突っついていた方が絵になるって話だよ」
「えっ?」
確かに、茉莉には日本食が似合うだろう。凛々しい端正な顔立ちと、綺麗な姿勢、無礼のない作法。正座をしながら礼儀よく食事をする姿はきっと、一昔前の日本人女性の清らかで美しいイメージを連想させるだろう。
「だから、千草みたいな奴が、着物でも着て、日本食でも食ってたらそれこそ……」
「それこそ?」
「って、お前!?」
「ん? あ、熱いッ!」
「何やってんだ、バカ!」
茉莉は、カップ麺を持ちあげたまま話を聞いていたせいか、いつの間にか容器を傾けていたらしく、汁をこぼしてしまっていた。よほど、話に集中していたのだろうか。
「スカート持ち上げるな! まず立て!」
「ッ、す、すまない」
できたてなのも不味かったのだろう。熱々の醤油ベースのスープが、スカートに落ち、太ももに張り付いた。あまりの熱さに、咄嗟的にどうかしようと考えてしまい、茉莉の常識的な理性を吹き飛ばしていたのだろう。
「……ふぅ」
「はぁ」
二人は落ち着いた後、なんとなく気まずい雰囲気だったので、黙々と食事を済ませた。そのあとで、瑠璃が二人分のお茶を入れた。
「ありがとう」
茉莉は湯呑みを受け取った。どうやら二人とも、もう気分としては落ち着いたようだ。
「それよりも、話は何だ。大体見当はついてるけど、な」
お茶に息を吹きかけながら尋ねた。茉莉も同様にお茶を冷ましながら答える。
「ここ二日ほど、一定量の力が放出されている形跡があると、兄上が仰っていた」
「【タイムラグスキル】、か」
「そうだ。君も知っての通り、兄上のレイシスは一日遅れで、レイシス及びレメシスを使用した因果力の形跡を知ることができる」
茉莉は手にしていたお茶を一口飲んだ。
「ということは、今日も反応があれば三日目。しかも、一定量の因果力の反応があるということは……」
「おそらく」
二人は手にしていた茶碗をテーブルに置いた。そして続きを、瑠璃が答えた。
「まだ、所持者と契約を交わしていないレメシス、か」
「うむ、その可能性が一番高いようだ。レイシスの場合、使わなければ力は放出されることはない」
「お前のそれみたいにか?」
瑠璃は顎で彼女が所有している長物を指した。
「そうだ。第一に、一定の力を何の代償もなしに保持できるとは考えにくい。兄上だって、因果力を抑制するのに随分苦労させられたのだ」
「まぁ、おれにはいまいちわからない話だけどな」
「君のそれには、そういった類は必要ないのだからな。気楽で羨ましい」
今度は茉莉が、視線で瑠璃の右手中指の指輪と、首につけている黒いレザーの首輪、首輪に取りつけてある南京錠を指した。瑠璃は何も言わずに、茶碗を手に取りお茶を飲んだ。
「……このまま、力尽きて消えちまえば楽なんだが」
冗談混じりの意見に、茉莉は小さな笑みを浮かべた。
「それはないだろう。あいつらが姿を現すときは、そういう人物に取りつこうとするものだ。どうやって人物を見定め、取りつくのか、というものは僕にでも説明がつかないのだが」
「やめとけ。あんな不思議なもんに説明を求めること自体どうかしてる。無理だ、無理。不可思議な超自然現象だと思ってあきらめるのが一番だ」
達観し、理解することをあきらめてしまっている瑠璃に、茉莉は小さく、「他人事のようだな」と呟いていた。
瑠璃は聞こえないふりをし、現在の首尾を聞いておくことにした。
「で、今のところどうなんだ?」
「知らない」
「知らないって……なんだよ」
「そのままの意味だ」
(またこいつらは、自分達だけ情報を得ようとしてたのかよ)
思わず悪態をつきたくなった瑠璃だが、茶碗を握りしめる茉莉の様子を目の当たりにして、勘違いしていることに気付いた。
「いつも兄上と姉上は僕を、君との連絡係にしか扱ってくれないのだ。結局信用されていない……君と同格だ」
瑠璃は、冗談まじりにフォローでも入れるべきか悩んだが、そんな真似をするのは無粋だと思い直した。瑠璃は、千草茉莉がめげない人間だと知っている。
その証拠に、あくまでも茉莉は自分の責務を忘れてはいない。
「余計な話をした。君は、何か知っているこ――――」
突如、扉が乱暴に開かれた。二人は同時に視線を動かし、そこにいる人物を確認した。
「し、司書さん!」
周防あやめは、息を荒げていた。その理由は、彼女が背負っているものを見れば明らかだった。
「ひ、ひーちゃんが……」
異常だった。背負われている人物は、両腕両足をぶらぶらと宙にさまよわせていた。そのためあやめは、後ろの人物と自分の胴体をひもで縛っていた。
「動けないみたいなんです!」
涙声で叫ぶあやめに即され、二人は顔を見合わせて立ち上がった。