第3話 お節介もの
「ふわぁ~あ……ねみ……」
午前4時、まだ朝日が昇りきっていない時間に瑠璃は、螺旋図書館を訪ねていた。のろのろとした動きで51階のボタンを押す。右手には、先ほど回収したばかりの鏡の破片を持っていた。
51階にたどり着くと、床一面に敷かれた赤い絨毯と、ところどころに置かれている価値のある骨董品や家具、それに煌びやかな照明器具が目に入って来た。瑠璃の所有しているレイシスである、無益無償の理により、元の状態の光景が見えるというわけだ。前方には黒塗りの重々しいドアがあり、右手と左手には二つずつ部屋がある。
瑠璃は、まだ人が活動するには早い時間帯だというのに、遠慮なく前方の扉を開いた。
「あら、瑠璃じゃない。こんな時間に訪ねてくれるなんて、珍しいものね」
そこには、部屋の主である、メルシス・レイフォースが待ち受けていた。瑠璃は、メルと呼んでいるが、その愛称で呼ぶのを許されているのは数少なく、大抵のものはマスター、と、呼ぶことを強制される。
「求愛行動かしら?」
妖しげな笑みを浮かべていた。
(わかってるくせに……こいつは)
瑠璃は内心で愚痴を吐きだしつつ、対峙するようにソファーに腰を掛けた。
「残念ながら……ほら。一応回収してきた」
真実の鏡を、アンティークなローテーブルの上へと置いた。瑠璃の眼には、ガラスの破片にしか見えない。
メルは、姿勢を正したまま、目だけを動かしそれを見た。
「忌々しい……」
誰にも聞こえない様に一言だけ呟き、瑠璃の元へと視線を戻した。彼女には、真実の鏡が無駄に豪華な多面鏡に見えていた。
「どうした?」
「別に」
「……そうか」
違和感を感じつつも瑠璃は、言葉を重ねることは無かった。その代わり、机にあるレイシスの処遇を聞くことにした。
「で、どうする?」
「無責任な言い方ね、あなたが回収してきたのに」
瑠璃の言い方があまりにも不躾だったからか、メルは珍しく腹を立ててしまっていた。
「そりゃあそうだろ。おれの役目はあくまでメルの手足となって従うこと。それ以上のそれ以下でもないし、回収したものをどうするかはおれには関係ないことだろ? メルが何度も教授してくれたじゃないか」
しかし、瑠璃は極めて冷静だった。
「確かにこれは、回収しろと命じられていないが、別に回収してきたって問題は無いはず。それが特別司書本来の役割だしな。結局のところ、これをどうするかはメル次第で、破壊しようが、収集しようが俺には関与することができない問題だろ」
「…………」
「らしくないな」
メルは、しばらく考えたのち、行動を起こした。
「the box」
彼女の呼びかけに答えるように、壁と一体化しているように見える本が、一様に白い光を発した。
「inward」
言葉とともに、壁の一角に指を示すと、導かれるように置いてあったレイシスが光となり消えていった。やがて、謎の光は収まった。何度か見たことがある光景なので、今さら瑠璃が驚くことは無かった。
仕事が一段落ついたからか、瑠璃に堪えがたい眠気がやって来た。それに対して逆らう意味など無いので、司書室で惰眠をむさぼることに決めたらしい。
「じゃ、おれはこれで……」
ソファーから立ちあがり、扉の方へと歩き出した。
「瑠璃、あなたはあの鏡が何をしたかったのか理解できた?」
去り際に、メルが瑠璃に訪ねた。瑠璃は振り返らずにその問いに答えた。
「さぁね。わかることは、ただのお節介なやつだったってことだ」
それだけ言い放ち、睡眠欲を満たすために司書室へと向かった。
第3話 お節介もの
「ここは……?」
瑠璃を待っていたのは、無数の鏡が浮かぶパラレルワールドだった。なにがどうなっているのかは理解できなかったが、第三者として踏み込めたことはわかっていた。
「これは、もしかして」
近くにあった鏡を覗くと、そこには二人の男女がいた。
(幼い頃の周防あやめと……弟?)
いかにも仲が良いらしい。他の鏡も覗くと、似たり寄ったりの光景ばかりだ。だが、ひとつだけ違うものがあった。
「……」
その鏡には、周防あやめが単身で映り込んでいた。
直感的に何かがあると察した瑠璃はそれに触れた。
すると、瑠璃の心に周防あやめの思いが流れ込んできた。
『幼いころからわたしは、弟と比べられてきた。グズでノロマで人騒がせなわたしと違って勇人は、優秀なだけではなく、優しくて思いやり深いお節介な人間だった。
だからといってわたしは、弟に対して思うところは、感謝だけだった。
勇人はわたしに対しても優しく、仲が悪い両親にとっも希望といえる存在で、大黒柱、といってもいい人物だった。
だからなんだろう、弟が死んでしまったことで、家族が崩壊することは目に見えていた。日々に甘んじて、何かにすがって、誰かに頼りきって生きる人間は弱いからだ。
事故、だったはずだった。
弟はわたしの目の前で、車に引かれそうな子供を助け、いくつもの肉片となり生涯を終えた。
わたしは今でも思う、わたしが死ぬべきだったと。でも、足がすくんでいて見ていることしかできなかった。
それから、予想通り両親は離婚して、わたしは母親に引き取られた。元々精神的に歪んでいた母は、口癖のようにわたしに言い放つようになった。
――勇人が生きていれば。
その言葉ほどつらいものは無かった。自分自身で自覚していたことを、まさか母親に口癖のように言われるなんて。
誰かに認めてほしかった。誰でもいい誰かに。
だからわたしは、弟のようになりたくて努力した。困った人に手を差し出せるような優しい人間になりたくて。
だけど、わたしがやることやることなすこと、すべてがだめだった。
わたしがやることは全てが偽善に過ぎなかったから。誰かのためにやっているんじゃない。自分のために、自分が救われるためだけにやっていた。見返りを求め、存在を認めてもらいたくて。
そのことに気付いてしまった時、弟なんかとは違いすぎて、対比してしまい、空虚な気分になっていた。
何をやっても満たされない日々が続いてく、虚しい日々が。
そんなとき、目に入ったのがレイフォース学園からの手紙だった。
わたしは、全てをあきらめて逃げ込むことにした。
勇人なら、こうはしないんだろう。与えられた場所で踏ん張って、現実に立ち向かう人間だ。
それに比べてわたしは……
なんて、汚いんだろう、わたしは。
恥を晒して生き続け、自分を騙し日々を偽って、この先に望むものなんか見出せていないのに』
「はっ!?」
瑠璃に意識が戻った。辺りを見渡すと、先ほどいた場所ではないことがわかる。それに、今度は当事者であるあやめと一人の少年が居た。今さっきの記憶から瑠璃は、少年が弟の造形に模されている物体だと判断した。
「どうなっているんだ……?」
二人が向かい合って談話しているように見える。しかし、瑠璃の目にはその弟がまがい物であると理解できる。
(あれが真実の鏡、か)
吸い寄せられるように前に進んでいくと、二人まであと5歩、というところで進めなくなってしまった。金縛りなのかもしれない。透明な壁があるのかもしれない。それがなにかは検討できないが、これ以上進めないということだけは事実だった。
(ここで見てろってこと、か……)
いつまにか声も出せなくなっていた。自分が正真正銘傍観者であることを瑠璃は、初めて自覚した。瑠璃の持つ、因果力が無い状態とは、このタイプのレイシスに対してはほとんど対応できない。
唯一できる手段は、彼が身につけている南京錠のレイシスの力を使って、ほぼ強制的に使用者とレイシスの因果を断絶することだけだ。
断絶することにより、レイシスを回収できるケースがある。それができるのは、特定の組み合わせを持つ瑠璃だけで、だからこそ彼は、レイシスの回収のスペシャリストとして、特別司書というある程度の地位を与えられているわけだ。
しかし、今回の場合、呼応型で、かつ心理的要因に関するものなので、この手段でレイシスを回収することはできるかもしれないが、双方が望む何かを叶えてやることは確実にできない。もちろんこのまま見ていても、両者の目的が叶わないことがあるが、後者の可能性が生まれ、両者の目的の達成も望むことができる。
結局のところ、傍観も含め徒労になり、他に手段がないのだ。
くすぶる気持ちを抑えることはできない。だけれども、何もできず、歯がゆい思いをし、我慢するしか手立てが無かった。
――求められたら、手伝ってあげなさい
メルの言っていた意味は、断絶することにある。そうすることであやめは、一時的に救われるからだ。だけどそのやり方では、本当の意味では救われない。確かに、瑠璃にとってはいい経験になるかもしれないが、周防あやめは永遠に救われない可能性だってある。
それに、メルにはレイシス回収を言いつけられていない。
(ちっ……)
幾多の理由が重なり、彼に取れる手段は無かった。
もはや、あやめの想いを盗み見た彼には、ただただ指をくわえて眺める選択しかできいというわけだ。
そんな瑠璃の心境を知らない二人は、とても仲良く会話をつづけている。まるで、兄妹のようだが、本当の兄妹ではない。真実の鏡が、あやめの記憶から創りだし、都合の良いように編み出した存在だ。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
(うっ……これは)
突如、勇人の様子が変わった。瑠璃はその姿に驚愕しつつも、声を上げることはできない。許されない。
「なぁにぃ? あっ、もしかしてこのチョコが食べたいとか? でも、だめだよ~。だって、お姉ちゃんチョコ大好きだもん」
だけれども、あやめはいまだ気付かない。目の前にあるチョコに夢中だ。
「ねぇ……」
「あはっ。やっぱりチョコは、このとろける感触がたまらんっすわぁ……」
「ねぇ……お姉ちゃん」
「あぁもう、しつこいよぉ……だからこのチョコ――――ひっ!? そ、その顔……だ、大丈夫!?」
ようやく気付いたあやめは、驚きの声を上げた。
勇人は、頭から血が出ていて、顔は引きずられたのか、皮膚が避けて裂傷している。よく見ると、右腕と左足が、あらぬ方向にも向いていた。
瑠璃にも同様に見えるが、ちらちらと無数の鏡の破片が見え隠れしている。これでもないかというほどに自己主張しているように見えるが、それを認識できるのは彼だけだ。絶対に、あやめが自覚することはできない。
そう決められてるし、そうでなければ意味が無い。
「…………」
さもないと、周防あやめは、一生心に巣食う呪縛から解放されることは無いかもしれない。
「ど、どうしたの! 一体何が…………っ?」
それに、繰り返し、見たくもないものを見せられてきた意味が無い。わざわざ、舞台を毎日のように創ってきた意味もない。
もう、そういう段階まで来ていたのだ。
「どうしてお姉ちゃんが生きてるの?」
そして、何度も繰り返し見せられてきた効果もまた……
「…………」
生まれようとしていた。
今、彼女は間違いなく夢の中だ。だけれども、こうして夢を見た記憶は確かに、現実の世界では記憶されていた。
「どうしてあの時――――」
必要だったのは、ほんの少しの勇気と、覚悟だった。
瑠璃はその様子を見つめていた。彼には、何が起こるのかなんて理解できていなかった。
「――――っ」
今日がこの夢を見る八度目。
ようやくあやめは、逃げるのをやめた。決して、これがレイシスによる行為だとは気づいていない。
しかし、何度も繰り返された出来事は、頭の片隅に刷り込まれ、彼女に立ち向かわせる胆力になっていた。
たとえ、弟に否定されようとも。彼女は既に受け入れる覚悟ができていた。
その証拠に、歯を食いしばり、何も言わずに弟からの宣告を待ち受けている。
「…………」
その姿を認知した真実の鏡――勇人は、何も言わずにっこりと笑った。
(はぁ……)
この劇に相応しい言葉は茶番だと瑠璃は思っていた。すべてが茶番だった。レイシスがしたことも、あやめが立ち向かえたことも、自分が傍観していたことも。
(なんだ、メルのいう通りってことか……)
カスみたいなレイシス。彼女のいう通り、真実の鏡は、レイシスの中でも本当に価値が無い。
ただ、己の真実を気づかせるだけ。自分を思い出させるだけ。心にある重しを、軽くするだけ。
(はぁ、余計なお節介だよ、ほんとに)
あやめがどう感じているかは知らなかったが、瑠璃は急激に冷めていくのを感じていた。身構えていただけに、この結末はあまりにもあっけなかったからだ。
全ては彼女とレイシスだけの問題であり、瑠璃に相談を持ちかける必要の無かった。こうなる運命、いや、こうするためのレイシス。
(帰るか)
そう思った瞬間、瑠璃は離脱する力を感じた。
薄れゆく意識の中、あやめがこちらを向いた気配を感じた。
「…………」
瑠璃は、真実の鏡へと無意識的に手を伸ばしていた。
収穫がなかったわけではなかった。瑠璃は、本来なら消えるはずのレイシスを回収するだけではなく、あやめとレイシスの望みを叶えたともいえる。つまり、万事上手くいったといえ、特別司書としての、本当の意味での初めての仕事は、最高の出来であった。
だが瑠璃にはどうしても素直に喜ぶことができなかった。どうにも無駄骨感が強かったからだ。それに加えて、メルに対する心象を悪くしたおそれもあった。
「ふわぁ……」
後悔先に立たずとはまさにこのことであろう。
しかし、いつまでもうじうじして、惰眠を貪っているわけにもいかず、渋々ながらもソファーから体を起こした。
「あぁー、よく寝たよく寝たぁ――――って、なんだこりゃあ!?」
部屋の様子が明らかに一変していた。家具やらの配置うんぬんは変化していない。
「ど、どうなってるんだ……」
しかし、瑠璃が積んでいた漫画誌が本棚に整理されていて、花瓶などが設置されている。殺風景だったはずの部屋が明るく感じられ、これではまるで、本当の相談室みたいだ、ということだ。一言でいえば、整理整頓されとてもきれいな部屋になっていた。
(落ち着かない……)
そう思っていると、この部屋をそうした張本人が姿を表した。
「あっ! 司書さん、はよーっす!」
「…………あぁ、相変わらず軽いノリだな」
「そうですかぁ? あざますっ」
悪びれる様子もなく、ぴょこっと頭を下げるあやめに瑠璃は呆れていた。どうにもこうにも予想できなかったので、彼女に説明を求めることにした。
「褒めてねぇよ。それよりも、説明してくれ」
「なんか部屋の感じが気にくわなかったんで掃除しちゃいました、てへっ」
まるで、くだらない悪戯をしたことがばれてしまった子供のような表情をしている。
「てへっ、じゃない。どういう――」
どういうつもりか聞こうとした瑠璃の目に、自分の左腕につけてある腕章に似たものが目に入った。
その視線に気づいたのか、自慢げに左腕を差し出した。
「どうっすか、これ! さっきちょちょいと作ったんですけど、我ながらいいできでありますよ!」
特別司書助手、と、自己主張をするように書かれている。
「なんだそれは……おれは助手なんて募集してないし、雇った覚えが無い」
あきれ顔で言う瑠璃の肩に、あやめは軽く手をのせた。
「へっへー、いいじゃないっすか、旦那。一人増えるだけで色々捻りますぜ」
「だから軽いノリはやめとけ」
瑠璃は軽く手を払った。
「じゃー、どんなノリならいいんですか!」
「そういう問題じゃないことに気付こうな?」
「えぇ!?」
あやめは不満げに口をとがらせていた。そして、助手がいることへの利点を思いつくままにまくし立てている。
「はぁ……」
(余計なお世話だよ)
この時瑠璃は、真実の鏡があやめに呼応した理由が分かった気がした。
(お節介物からお節介者への連鎖……つまり、お節介もの同士、ということだったんだなぁ、きっと)
話を聞いているのもめんどくさくなっていき、ぼんやりと話を聞いていると、急にあやめのトーンが下がった。
「もう一度だけ、やれることがあるならやってみようかと思いまして……」
そう言われてしまっては、あやめの想いを知っている瑠璃には、断るということができなくなった。
「それにここのチョコ美味しいしぃ~」
「それが本音かよ!」
瑠璃は、お節介者の存在を認めることにした。騒がしいくなりそうな未来に対して、うんざりしつつも、内心ではどこか喜んでいた。
「……もういい、勝手にすればいい」
しかし、そのことを今さら認めるわけにはいかず、ぞんざいな言い方をした。そんな言われ方でも、あやめにとっては有難かった。
満面の笑みを浮かべ、瑠璃に対してお辞儀をした。
「不束者ですが、これからよろしくお願いしますっ!!」