河童(2)
ゆらゆらと帯解き
とろとろと甘縒り
ふふ、と吐息を漏らすように笑う彼女の肌色は草葉と同じか、やや青みを帯びた緑色だ。
顔の端から端までの広い嘴も深みを帯びた同系色で、横たわる人間に伸ばした手には水かきがあった。
ぼんやりと目を開けるだけの少年の頬を愛おしむように撫でて彼女は幸せそうに笑っていた。はらはらと大粒の涙を流しながら。
一方、子供と尻子玉となった少年は一時間かけて川を辿り、とある山の麓までやってきた。
「川、途切れてたらどうしようか?」
「まだ続いてんだろ。そのとき考えようぜ」
「お兄さんってほんと悠長だよね」
会話の調子はずっと暢気なもので、とても妖怪に奪われた身体を取り返しに行こうという勇者の一団には思えない。
舗装された道は途切れ、子供は仕方なく、枯れ枝と草っ葉の茂る山の中へと足を踏み入れた。
川のそばは泥濘も多く、歩きにくいので見失わない程度に距離を置いて獣道のような申し訳程度の山道を進んでいく。
ひっつき虫や、蜘蛛にげっとなるたび、尻子玉は笑うようでも心配するようでもある明滅を繰り返していた。そして、唐突にミント臭のする飴とか持ってないか、と聞いた。
「うーん、あ!サクマの缶缶あるよ」
「薄荷味なめとけ、気持ち程度だが虫除けになる」
子供は腰掛けられる場所を探して、川べりの岩の上の砂埃を払った。
「残ってるかな」
腰掛けて取り出したハンカチを膝に広げ、色とりどりのドロップスを出していく。幸い数個目で白い粒を発見し、それ以外は缶にしまった。
「レモン味と間違えんなよ」
「べー、薄荷だよこれ、からーい」
「好きじゃなかったか、無理しなくたっていいんだぜ」
「嫌いってほどでもない。田舎のばあちゃんとおんなしこというから、懐かしいなと思って」
「誰が田舎のばあちゃんだ」
「心配性なとことか?」
恥ずかしいのを誤魔化すように、尻子玉は鼻で笑った。
「間違っても俺とおんなじ目に遭わすわけにゃいかねえからな」
低いトーンで言うと、真剣味があってただの石なのに表情を感じられた。子供が立ちあがろうとすると、休憩してけよ、と石は静かだが強めの語気で告げるのだった。
山を登り始めて二時間近くは経っているのである。
「そんなに疲れてないよ」
強がりではなかったので尻子玉はさらに休めとは言いあぐねる。
「体力バカだな」
「自信はあるかな」
飴を頬張りながら子供は足を揺らした。
「痩せっぽちに見えるけどな」
「持久走は三番目くらい、男女混合で」
「そりゃ速ぇ」
がさりと草葉の揺れる音がして子供は肩をびくりと揺らした。姿は殆ど捉えられなかったけれど、何某かの小動物がいたらしい。
「びびって」
「ない」
強がる子供に尻子玉はそれじゃだめだぜ、と語りかける。
「びびったときは拒絶するんじゃなくて飲み込まねえと」
「飲み込む?」
「俺はそうしてる。一回飲み込んで、猶予があったら深い呼吸をしてって。んでかっとばす」
子供は少しだけ考えて尻子玉に質問した。
「こわいものを?」
「いや、大体の場合、逃げ足を」
数秒の沈黙、石は弱く明滅していた。
「今回は逃げ損ねたんだね」
「いや、声かけられたと思ったらもう一瞬だったからな。どーしよーもねーよ。あー、川に近付いたのは迂闊だった」
パシャリと大きな水音がした。
「そうですね、随分隙だらけでいらした」
子供は条件反射で川から離れた。
「これは驚かせて申し訳ない。小生は名乗るほどの者でもない、貴方がたが河童と呼ぶまさにそれです」
見たこともない奇形、異形の者を前にして子供は言葉が出ない。飲み込む。飲み込もうと思うのだが口の中がすっかり乾いてしまっていた。
そんな子供の手の中で、何もできないはずの尻子玉が強く明滅する。
「驚かせるも何も、テメェ俺の身体をどこにやりやがった!?」
怒鳴り声の直後、うってかわって小さな声で今のうちに逃げろ、と囁かれるが子供は動き出すことができなかった。
「尻子玉になっても取り返しに来るとは、人間とは存外逞しい生き物なのですね」
害意はありません、と河童は付け足すようにして言った。川の中からは出てこず、しかし、川岸に近付き、そのぬらりと鱗のようなものに覆われた青緑色の肌がより露わになる。妖怪図鑑なんかにあるように頭にはつるりとした皿があり、海藻のような髪が鬱蒼と隙間からこぼれ出ている。
顔の半分はあろうかという嘴を動かして河童は語る。
「喜ばせるつもりだったのです。決してあのように呆として悲嘆に暮れさせるためではなく。なのでまことに勝手な話ながら、お二方には我が想い人を助けていただきたく思っております」
河童はそう言ってぴちゃりと深く頭を下げた。子供は警戒体制を解かず、しかし答えあぐねて手の中の尻子玉を眺めた。
「条件がある」
低いがはっきりした声。どちらにも聞こえるように話すようだ。
「はい、小生に叶えられることでしたら」
「一つ、晃、この子に一切の危害を加えないこと。怖がらせるのも無しだ。二つ、俺を俺の身体に戻すこと。三つ、全てが丸く収まったら俺たち二人を無事に元の世界に帰すこと」
「承知仕りました。では早速ですがあの子のところへ案内させていただきます」
河童は川半ばへ戻ると、こちらへ、と子供に進む道を促した。
「大丈夫か?」
尻子玉は優しい明滅で子供の心を落ち着ける。
「うん、初めて見たからびっくりしただけ」
「同感。本当にいるんだな、河童って」
「珍しいのも当然です。小生らは人とかかわることなど滅多にありませんので」
道なき道を苦労しながら進む子供をときに河童は先回りに手助けして、そうして川の上流、山奥へと足を踏み入れていった。
やっと河童が書けました。
二人の河童は、少年は、子供は、何を見て何を選択するのか。物語の結末は次回に。




