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7.目が覚めて



「ん……、あれ……?」



 聞いた事のない女性の声が自分の口から漏れ、私はハッと目を見開いた。

 視界に飛び込んできたのは、見知らぬどこかの部屋の天井で。


 キョロキョロと首だけを動かし辺りを見回すと、どうやら私は必要最低限の物しかない質素な部屋で、大人一人ギリギリ寝そべられるベッドの上で横になっているようだった。



「……私は……あっ! ――そう……確か……ユークリットさんに『憑依の術』を掛けてもらって……」



 ゆっくりと起き上がると、自分は簡素な寝衣姿な事に気が付いた。ベッドの横の、小さな机の上にある卓上の鏡を覗き込む。


 そこには、薄茶色の背中まで伸びた真っ直ぐな髪と、同じ色の瞳をした女性の顔があった。

 その女性は、元の私と顔つきが少し似ていて。歳も恐らく同じくらいだろう。


 ニコリと笑ってみると、鏡の中の女性も同時に笑ったから、私は彼女に憑依したのだと理解した。

 この身体の中に、彼女の【魂】の存在は……感じられない。



(本当に、身体の隅っこで縮こまっているのかしら……)



「ねぇ、教えて? 貴女の事を。貴女のお名前は? ここはどこ? 今は大陸歴何年なの?」



 胸に手を当て問い掛けても、何も返ってこない。

 私はふぅと息をつくと、彼女の事が分かるものは何かないかと、心の中で謝罪しつつ机の引き出しを開けてみた。



「……! これは――」



 その時、部屋の扉がノックもなくいきなり開かれ、赤茶色のソバージュの髪を後ろで団子のように一つに結んだ女性が姿を現した。

 歳は四十代くらいだろうか。その顔は何故か般若のように怒っている。



「リシィ、いつまで寝てるんですの!? もうとっくに仕事の時間は始まっていますわよ! さっさと着替えてらっしゃい!!」



 女性は金切り声で怒鳴ると、勢い良くバタンと扉を閉めて行ってしまった。



「……あの口調……。思い出したくない人を思い出しちゃったわ……。リシィ――それがこの子の名前ね。名前も私に似ているわ。何だか親近感わいちゃう」



 思わずクスリと笑うと、木で出来たクローゼットの開き戸を開けた。

 そこには、外出用のワンピースが数枚と、メイドが着る制服が入っていた。



「リシィはどこかの屋敷のメイドなのかしら? 立派な制服だわ。きっとここは位の高い貴族のお屋敷ね。えっと、これを着ればいいのよね?」



 私はその制服に着替えると、部屋を出た。

 廊下は広く部屋も沢山あり、やはり大きなお屋敷のようだ。



(私の実家より遥かに広いわね……。お掃除が大変そう。一人でやるとなると、どの程度の時間が掛かるかしら?)



 ついそんな思考が脳裏によぎり、実家で慎ましく暮らしていた頃の、庶民の考えが抜けていない事に苦笑する。

 すると、前方から同じメイドの制服を着る女性が二人、おしゃべりしながら歩いてきた。



「おはようございます」



 挨拶し合う事はお互い気持ち良いものなので、少し声を張って挨拶をすると、二人は驚いたようにこちらを見たけれど、挨拶を返す事なく通り過ぎて行った。

 ヒソヒソと小声で何かを言い合いながら。



「……?」



 二人の態度に首を傾げながら歩行を再開すると、今度はメイドが一人通り過ぎようとしたので、再びハッキリと挨拶をする。



「おはようございます」



 けれど彼女も先程の二人組と同じ反応をし、訝しげな瞳を私に向けながら、やはり何も言わずに去っていった。



「何なの一体? 挨拶はされたら返すのが基本でしょ! 聞こえなかったならまだしも、あれは確実に耳に入っていたわよね?」



 心の中でプンプンと怒っていると、いつの間にか広々とした玄関ホールに辿り着いていた。

 そこに、あの赤茶色のお団子頭の女性が立っていて、私の姿を捉えると早速金切り声を上げた。



「遅いですわよ、リシィ! 寝坊の罰として、朝食は抜きですわ!」

「えっ!?」

「は? 何ですの? メイド長であるワタクシに何か文句でもありますの? ワタクシに歯向かうようでしたら、昼食も夕食も抜きにしますわよ!」



(えぇっ!? ちょっと、何なのこの人! メイド長とは言え横暴にも程があるわよ!?)



 けれどご飯抜きは流石に困るので、そう言いたいのをグッと堪え、私は彼女に「すみませんでした」と頭を下げる。



「ふん! 今日は屋敷の床拭き、窓拭き全部してちょうだい。隅々まで綺麗にするんですのよ? 少しでも手を抜いたら昼食は抜きですからね!」



 メイド長はそう吐き捨てると、さっさと向こうへ行ってしまった。



(ええぇっ!? この広さのお屋敷の床拭き、窓拭き全部ですって!? そんなの一日掛かりでも無理じゃない!?)



 私は実家の何倍もある玄関ホールをぐるりと見回し、途方に暮れる。



「……リシィはメイド長に嫌われているのかしら? 朝からあんなにキーキー言われたら気が滅入るわね……。そうだとすると、朝会ったメイド達の態度にも納得がいくわ」



 私は盛大に溜め息をつき――ふと気が付いた。



「そう言えば、清掃道具ってどこにあるのかしら? メイド長に訊――ううん、それは絶対に駄目よ。確実に今日一日ご飯抜きになるわ……。どうしよう……」



 取り敢えずすれ違った人に訊いてみようと歩き出すと、また別のメイドが前からやってきたので、駄目元で彼女に声を掛けてみた。



「おはようございます。あの、お忙しいところすみません。清掃道具の場所はどこでしょうか?」

「……は? 何言ってんのあんた? 朝から頭ボケてんの?」



 若草色の瞳を持ち、同じ色の髪を肩で結んで前に垂らしている彼女からズバッと辛辣な言葉が返ってきたけれど、無視はされなかった事にホッと息をつく。



「はい。朝からメイド長のキーキーな金切り声を間近で聞いて、頭が拒否反応を示してボケてしまいました」

「――ブハッ! 何あんた、結構面白いやつだったんだ。いっつも下向いてオドオドしてたから意外だったね。けどそんな事、ノーラ様のいる場所で言っちゃ駄目だよ」



 彼女は大きく吹き出して笑うと、私に顔を近付け声を潜めて話し始めた。



「あたしホントこういうの嫌なんだけどね、あんたと少しでも話すとあの人の怒りがこっちに向けられんの。下手すりゃお給金下がっちゃうの。立場が偉いからってもうやりたい放題さ。だから、申し訳ないけどあの人のいる所ではあたしに話し掛けないでよ」

「そうなんですね……。分かりました。けどやっぱり私はメイド長に嫌われていたんですね……。私、何をやらかしたんでしょうか?」

「ばっか、あんたが知らないんじゃあたしだって知らないよ。とにかくあの人には逆らわない方が身の為だね。清掃道具の場所は教えるから。後は頑張りな」

「助かります! ありがとうございます」



 私は彼女に清掃道具の場所を教えてもらい、理不尽な内容の仕事を開始したのだった。





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