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20.邂逅



 私は今、神殿がある深き森を歩いている。

 どこからともなく、夜ではないのに「ホホホホ」とフクロウの鳴き声が聞こえてきた。

 「ホーホー」というアオバズクの鳴き声も。


 森の中に響くそれらの鳴き声が、ここの不気味さを一層引き立てているようだ。



「本当に昼間なのに薄暗いわね……。他のメイド達が来なくて正解だったわ。こんな気味悪い森、女性じゃ怖くて護衛がいても入れないわよ」

「アンタも一応女なのに平気なのか?」

「ちょっと? “一応”って何よ、一応って。実家にいた頃、誰もやる人がいないから、夜に家の中や外の見回りを父としていたの。これくらいの暗さなら全然平気よ。貴族だけどすごく貧乏だったのよ、うち」

「……アンタが一国の王妃だったなんて信じらんないぜ」

「ふふ、私も自分でそう思うわ。――あっ、見えてきたわよ」



 私達の目の先には、古びた神殿が物寂しく建っていた。

 中に入ると、壁のあちこちにヒビが入り、割れた窓硝子が床に散乱している。

 森内にまだ神殿の加護が残っているなんて信じられない位の荒れ果てようだ。



「ユーク、絶対に下に降りたら駄目よ。可愛いあんよが傷だらけになっちゃう」

「オレは痛いのはキライなんでね。頼まれたって降りねぇよ」



 足元に気を付けながら道を進むと、中央の広間に出た。どうやらここが最奥のようだ。



「……いた。あれが例の犬かしら……」



 ボロボロの祭壇の横に、黒い犬が静かに横たわっていた。

 宝石がいくつか付いた首輪をし、祭壇から伸びた頑丈な鎖で繋がれている。

 見るからにガリガリに痩せて細く、毛並みもガサガサで艷やかさも何にもない。



「ね、ユーク。あの首輪、無駄に宝石がついてていかにもな感じしない?」

「あぁ、術が掛けられてるな。『逃亡防止』と、自分自身を傷付けられない『自死防止』の類いだ」

「大切な“駒”だから、死なせない為に……ね」



 少し離れた所に、袋に入った食糧が置いてあった。

 袋の膨らみ具合からして、その中身は何も手を付けていないのだろう。


 私達が来た事は分かっているはずなのに、犬はピクリとも動かない。

 目を閉じ、自分の“死”を大人しく待っているかのようだった。



「……あの犬、すげぇ魔力を持ってるが、今はすっかり枯れてるな。それにもうすぐ死ぬぜ。【魂】が体から出掛かってる。もう何年も食いモンを口にしてねぇようだな。餓死だと『自死防止』は効かねぇし。自分の魔力を無意識に消費して何とか生き延びてきたって感じだ」

「えっ、何ですって!? 何年も食べてないっ!?」



 突然だが、私は食べるのが好きだ。

 実家にいた頃は貧しかったけれど、母と協力してご飯を作って、家族で仲良く食べた。

 王妃になってからは、城のお料理がとても美味しくて毎食喜んで食べた。


 食べ物は偉大だ。

 辛い時や苦しい時、悲しい時でも人間お腹は空く。犬もきっとそうだ。

 そんな時に好きなもの、美味しいものを食べれば、自分の心は一時でも休まるものなのだ。



(そんな素晴らしい食べ物を何年も食べていないだなんて、人生――いえ、犬生損してるわっ!)



 私はツカツカと大股で歩き、犬の傍にくる。

 そして、持っていた水筒の蓋を開け、犬の口に無理矢理流し込んだ。



「おい……!」



 そこでユークの制止が入ったが、もう止まれなかった。

 犬が吃驚してゴクリと水を飲み、両目を見開く。

 それは、月のように美しい黄金色をした瞳だった。


 私は一瞬既視感を覚えたけれど、間髪入れず袋から取り出した干し肉を犬の口に放り込む。



「ほら、食べなさい! 私が配達当番の時に貴方を餓死させるなんて後味が悪過ぎるのよ! 戦争の“駒”になるのが嫌なら、遥か遠くへ逃げなさい! 魔力の高い貴方なら、首輪と鎖を壊す事くらい出来るでしょ? 苦しくても悲しくても絶望しても、美味しいものを食べれば気持ちだって少しは前向きになれるわ、きっとね」



 犬は両目を瞬かせながらも、口に入ってしまった以上出すわけにいかないと思ったのか、ムグムグと干し肉を噛んでいる。



「……あーあ、やっちまったな。ホントにコイツが逃げ出したらどうすんだよ。アンタが犯人だってすぐバレるぜ」

「その時は……えーと、そのぉ……うん……そうね、しらばっくれるわ」

「長ったらしく悩んだ挙げ句しょーもねー回答すんな」

「うっ、うるさいわね! 何とかなるわよきっと!」

「根拠のねぇ前向きさだな。そんな直球バカなとこ嫌いじゃないぜ」

「馬鹿にしてるでしょっ?」

「バカって言ってるだろ」



 焦りながらもユークと言い合ってると、黒い犬は干し肉を食べ終わったようで、ジッと私を見つめてきた。



「なぁに? まだ欲しいの? 沢山食べていいわよ。また持ってくるから」



 私は微笑みながら袋から干し肉を取り出す。



「…………ファ」



 その時、犬の口から何か言葉が聞こえた気がして、私は袋から犬の方へと目を移した。

 犬は、いつの間にか四本足でしっかりと立って私を見つめていた。



「……リシーファ……。貴女はリシーファなんですか……?」

「えっ」



 犬が人間語を喋った事よりも、私の以前の名前を口にした事に大きな衝撃を受ける。



「『苦しくても悲しくても絶望しても、美味しいものを食べれば気持ちも少しは前向きになれる』……。これは、リシーファが私を励ます時によく言ってくれた言葉でした。それに、この狂おしいほどに愛しい、懐かしい匂い……。姿は違えど間違いありません、貴女はリシーファですね!?」

「え――」



 ――黒の毛をした、黄金色の瞳を持つ犬。



 私はそれに、一人の“獣人”を思い出していた。



(……ラノウィンッ!? この犬ラノウィンなのっ!? 何で隣国のこんな寂れた所にいるのっ!? 何で犬の姿なの!? ――待って、それよりも姿も声も違うのに、どうしてリシーファ(わたし)だって決定付けてんのよ! ……匂い……匂いで分かったの? 『あの時』と全くの別人だし、服に使っている洗剤や頭と身体を洗う石鹸の匂いも全然違うのに!? あの時は私だって全然気付かなかったじゃない! 今になってそんな……。――あぁどうしよう、バレたらまずいわ……。私は貴方のいない人生をモフモフしながら過ごしたいの! そうよ、第二の新たな人生の為に何とか誤魔化すのよ!)



 ここまで脳内にて高速で思考を巡らせた私は、戸惑いと微笑みの混じった表情を作った。



「あ、人の言葉をお話しになれたのですね。貴方様は獣人でしたか。貴方様の仰っている『リシーファ』がどなたか存じ上げませんが、お話出来るくらいお元気になられたようで良かったです」

「……っ! リシーファ、何でそんな他人行儀な――」

「申し訳ございませんが、“他人”だからです。私の名前は『リシィ』です。エレスチャル公爵家のメイドをしております」

「……そんな……。貴女は確かに……」

「食糧はここに置いておきますので、どうぞ御遠慮なく召し上がって下さい。それでは私はこれで失礼致します」

「っ! 待って下さい、リシーファ! リシー……!!」



 私は彼の必死の制止を背中に受けながら、振り返る事なく神殿から足早に去ったのだった……。





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