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13.森の奥の古びた神殿にて ※第三者視点



 エクロジャ王国にある深き森の最奥に、建てられて長い年月が経過し、今はもう使われていない古びた神殿があった。


 その森近くに領地を持つヴィトン侯爵は、ふくよかな身体全体に汗をかきながら、ようやく神殿へと辿り着く。



「はぁ、はぁ……。本当にいい運動だ、全く……。二週間に一度、食糧を届ける為にこんな森の奥に通って一年間……やっと今日でお役御免だ。王命じゃなければ、こんな任務絶対に引き受けなかったぞ」



 ヴィトン侯爵は息を整え、ハンカチで顔の汗を拭いながら神殿の中に入る。



「次からは隣の領地のエレスチャル公爵が食糧を運ぶ役目だ。面倒な任務から解放されて清々するぞ。……しかし儂が担当したこの一年間、“奴”は結局食糧に手を付けなかったな。その前の四年間も何も食べていないと聞いたし……。そうすると、五年間何も食べていない事になるぞ。どれだけ生命力が高いのか……。そりゃ王も“奴”を生かして欲しがるわけだな。桁外れのとんでもない魔力を持っているらしいし、大方領土争いの“駒”として使いたいんだろ。あーやだやだ、戦争なんて大量の金が無駄に消えて虚しいだけだ。戦争はんたーい! 穏やかな平和が一番! 王が何を仰っしゃろうと、儂達貴族は貴族会議で戦争を反対し続けるぞ」



 ヴィトン侯爵の独り言はとても長い。周りの者達は、



「あ、また出たよ、侯爵様のアレ。今度は何分呟き続けるんだろうな?」

「賭けましょうか、私は五分!」

「ははっ、流石にそれは長いだろ! 俺は三分だな」

「いや、意外なところで十分だろ」

「はははっ、まっさかー!」



 ……と、話題と賭けの対象になり、皆が生温かな目で侯爵を見守っている事など、彼は知る由もない。


 ヴィトン侯爵は日持ちのする食糧の入った袋の持ち手を握り締め、恐る恐る神殿の奥へと足を進める。



「相変わらず不気味な場所だな、全く……」



 朽ちた神殿には人の気配はない。シーンと静まり返っている。

 日中でも薄暗いがいくつもの割れた窓から陽の光が差し込み、歩くには十分の明るさだった。



「……こんにちは。食糧をお持ちしましたよ」



 神殿の奥の広間に着くと、ヴィトン侯爵は緊張の余り、上擦った声を出してしまった。

 それに対して、何も返答はない。


 ヴィトン侯爵の目線の先には、黒色の毛をした大型の犬が、床に力なく寝そべっていた。

 侯爵の来訪にも、その黒色の犬はピクリともせず、耳と尻尾をダラリと下げ目を瞑っている。

 毛並みには艷やかさが全くない。


 彼の近くには、全く手の付けていない食糧の袋が、二週間前と同じ場所に置いてあった。

 ヴィトン侯爵はそれを見て、小さく息を吐く。



「いい加減少しでも食べて下さいよ。本当に死んでしまいますよ? 心身共に弱ってる所為で人の姿が保てず犬の姿になってるんでしょう? 貴方が死んでしまったら儂が王に責められるんですからね」



 ヴィトン侯爵の言葉に、黒色の犬は微かに顔を背けただけだった。



「……まぁ、貴方は人を殺めていますからね。罪の呵責に苛まれるのは分かりますよ。死にたいのも分かりますけど、貴方に付けてある首輪には『自害防止の術』が掛けられていますからねぇ。けど貴方も悪いですよ? 妻がいるのに他の女にうつつを抜かしていたというじゃありませんか。儂は自分の妻一筋ですので、そんなふざけた真似は到底考えられない――」



 その瞬間、グルルと黒犬が低く唸り、ヴィトン侯爵は「ヒッ」と息を呑み慌てて後退った。



「とっ、とにかく、儂は今日でお終いですから! 次からは別の者が来ますのでよろしくお願いしますね! ではっ」



 ヴィトン侯爵は早口でそう言うと、二週間前の食糧と持ってきた食糧をサッと交換し、足早にこの場から去って行った。



「…………」



 黒犬は唸るのを止め、再び顔を伏せる。




「……リシーファ……。リシー……。逢いたい……。貴女に……愛する貴女に逢いたい……」




 掠れた声で呟いた黒犬の閉じた瞳から、透明な雫がポロポロと零れる。




 とうの昔に枯れ果てたと思っていた涙は、彼の腕を静かに濡らしていったのだった――





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