9.再会
翌日、メイド長に大量の買い出しを頼まれた私は、心の中で思いっ切りあっかんべーをしつつも「畏まりました」と頭を下げ、屋敷の外へ出た。
「うん、丁度いいわ。ここがどこなのか、今は大陸歴何年なのか知りたかったし、町の人に聞いてみましょう。あの子に訊こうと思ったけど、もしメイド長に見つかったらあの子が可哀想な目に遭っちゃうからね……」
あの子――唯一私に優しくしてくれた、清掃道具の場所を教えてくれた彼女の迷惑にはなりたくない。
「今度、誰もいない所でこっそり名前を教えてもらいましょう」
ふわぁと口を開け欠伸をしながら、私は町へと続く道を歩く。
このお屋敷は、町から少し離れた丘の上にあったようだ。
「良かった、この丘の上から町が見えるから迷わずに済むわ」
そしてまた大欠伸を一つ。誰も見ていないから許して欲しい。
昨日は色々と考え事をしていて眠るのが遅くなってしまったのだ。
リシィやユーディアさんの事、そして“あの人”の事――
「見た事のない風景だから、ここはイドクレース王国でない事は確かね。だから“あの人”に会う事はないはずよ。――あの後、彼はどうしたのかしら……。あの尋常じゃない叫び声……。最期に私が元の姿に戻れたのは、死ぬ直前だったから【呪術具】の効力が失くなったという事かしら? そのお蔭で彼、自分が刺したのが私だったって気付いたようだったけど……」
そこで私は頭を左右に振り、思考を止める。
「――ううん。止めよ、止め。あの人の事はもういいわ。私の事、“運命の番”だって何度も言ってたのに、私の言う事に全く耳を貸さなくて、私に一切気付かなかったあの人なんて……。今は自分の事を考えましょう。まずはリシィとユーディアさんの無念を晴らすのよ」
心がツキツキと痛むのを誤魔化すように胸に手を当てバッと顔を上げると、気付けばもう町並みが目線の先にあった。
すると、町の入口に見知った人物が歩いているのを見つけ、私は両目を真ん丸くさせる。
「……あれは……ユークリット、さん……? ――間違いない、彼だわ! ユークリットさんっ!」
私が名前を呼びながら駆け寄ると、ユークリットさんは吃驚したようにこちらを振り向いた。
「あ? 誰だお前――って、あぁ……この気配はアンタか。無事に憑依出来たみたいだな」
「え? あ……はいっ、お蔭様で。けど、姿や声が違うのによく分かりましたね? またお会い出来て良かったです。ユークリットさんには訊きたい事が沢山――」
「ちょっと待て、一旦口を閉じろ。場所を変えるぞ」
「えっ?」
そう早口で言うと、ユークリットさんはパシッと私の手を取って握った。
その手の冷たさに驚いたけれど、彼はお構いなしに私の手を引っ張って歩き出し、町の外れまで来た。
「ここなら誰もいねぇな」
「ユークリットさん、いきなりどうしたんですか?」
そう呟き、キョロキョロと辺りを見回すユークリットさんに、私は首を傾げながら問い掛ける。
「オレは今、自分に『隠蔽の術』を掛けてる。他のヤツらからはオレの姿が見えなくなってんだ。だから、アンタがオレに喋り掛けると、周りのヤツらから奇異な目で見られちまうぞ」
「えっ!? そ、そうだったんですね。そんな状態とは露知らず……。でも私はユークリットさんの事、バッチリと見えていますよ?」
「あぁ、そうみてぇだな。恐らくあの時、『憑依の術』をアンタに掛けたからだろうな。その術はかなり高度で魔力を大量に使う。だからアンタの【魂】にオレの魔力が残っちまって、その影響でオレの魔術がアンタには効かなくなっちまったんだろ」
「へぇ……そうなんですね……」
理屈は分からないけれど何となく理解出来た私は頷くと、頭一つ分高いユークリットさんの顔を見上げた。
「ユークリットさん、いくつか質問させて下さい」
「あ? メンドくせぇ。ダリぃ」
あの時と変わらず、ユークリットさんは軽くしかめ面をし、頭をガシガシと掻く。
「後で何か奢りますから。まず、ここはどこですか?」
「ったく、強制的かよ。ここはエクロジャ王国だ」
面倒くさそうにしつつも、ユークリットさんは私の質問に答えてくれた。
「エクロジャ王国!? それってイドクレース王国の隣の国じゃない! もっと遠くの国が良かったわ……」
「ワガママ言うな。オレが行き先を決められるワケじゃねぇんだよ」
「あ、はい……失礼しました。じゃあ、今は大陸歴何年ですか?」
「三百七十六年だ」
「三百七十六年……って、私が死んでから五年経ってるって事!?」
人間の五年は長く、見た目も体力も変わるけれど、寿命の長い獣人にとっては容姿も何も変わっていないはずだ。
“あの人”は、隣国のイドクレース王国でまだ健在している――
「はぁ……どうせなら百年後とかの方が良かったわ……」
「だからオレがどうこう出来るワケじゃねぇっつってんだろ。文句言うんなら今すぐ『あの世』に送ってやろうか?」
「すみませんもう言いませんごめんなさい! ――あの、ユークリットさんもこの時代に飛ばされたのですか? 私に『憑依の術』を掛けた所為で……?」
ユークリットさんは罪悪感が募っていく私の問いに、「いや」と短く返す。
「ちょっとヤボ用でな。別にアンタの所為じゃねぇから気にすんな」
「そうですか……」
“どうやってこの時代に来たのですか”
“貴方は何者ですか”
“貴方の目的は一体何ですか”――
ユークリットさんに対して様々な疑問が浮かんだけれど……彼の事だ、「ダリぃ」「メンドくせぇ」とか言って自分自身への質問には一切答えてくれないだろう。
(……それにしても、さっきから……)
私はさり気なく顔を下に向け、自分の手を見る。
ユークリットさんと話している間、彼は私の手を離さずにずっと握っているのだ。
(私の質問に答えてくれていたから、手を離すのを忘れているのかしら? 指摘して怒ったり拗ねちゃったりしたらどうしよう……)
考えた末に、私は彼の手をそっと握り返す事にした。
それに気付いたユークリットさんは、自分の手を見て軽く目を瞠った。
彼は私の手を握り続けていた事に驚いている。どうやら無意識の行動だったようだ。
ユークリットさんは「あー……」と唸ると、バツが悪そうにパッと私の手を離した。
「わりぃ。人の温もりなんて久し振りだったもんだからさ。アンタの手、あったけーし」
(いやいや、貴方の手が冷た過ぎるのよ……)
その突っ込みは、顔を背け照れてる感じの彼には無粋だったので、喉の奥へと押し込んだのだった。




