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0.プロローグ



 ぽたり……ぽたりと、研ぎ澄まされた剣の切っ先から、雫が滴り落ちる音が聞こえる。

 それは、鮮やかな程に赤く――綺麗に磨き上げられた床に、幾つもの丸い染みを作っていっているのだろう。


 だろう、と言っているのは、私の方からはそれが見えないからだ。


 

 私の目の前には、腰まで伸びる真っ直ぐで艶やかな黒い髪と、満月のように美しい黄金色の瞳を持った美丈夫が立っている。

 頭にある黒色の二つの耳をピンと立て、お尻から生えた黒の尻尾の毛を逆立てながら。



 彼は、私が愛する“(つがい)”だ。彼は獣人なのだ。

 そんな彼が、憎しみを帯びた色の瞳で、私を冷酷に見下ろしている。


 ――こんな表情、私と出会ってから今まで一度も向けられた事なんてなかった。


 心の奥から湧き上がってきた恐怖が、私の身体を突き抜ける。



 不意に彼が冷たい顔つきのまま、私の左胸に突き刺さる己の愛剣に目を落とした。

 その柄を、右手で強く握り締めながら。


 私の急所を狙って貫いたはずの剣が、心臓部分から少しだけ外れているのは、この国の騎士団長と互角に戦える彼にしてはあり得ない事だった。


 ――きっと彼は、自分でも知らずに動揺したのだろう。



 何せ、『聖女』の声と姿をした私が、必死な思いで彼に「私は貴方の“番”だ」と懸命に訴えたのだから。



 そのお蔭で私は即死を免れたのだけれど、命の炎が消えるのがホンの少し先になっただけだ。




 ――分かってくれると思った。

 あんなにずっと一緒にいたのに。


 あんなに私の事を「愛している」と言ってくれていたのに……。



 姿や声が変わっても本質は変わらないのだから、彼なら『私』だって気付いてくれると信じていたのに――




 彼のすぐ後ろには、『私』の姿になった聖女が、怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。

 手で隠しているけれど、その唇が耐え切れず三日月の形になり嘲笑っている事を私は知っている。



(……そう……。そう……なのね……。貴方は、今まで私の外見しか見ていなかったのね……。何が……何が“運命の番”よ……。貴方を信じた私が馬鹿だったわ……)



 己の心が、最愛の彼に裏切られた思いで、悲鳴を上げて泣いている。

 哀しみと失意と諦めの海にブクブクと沈みながら。



 その心を拾い上げて一緒に泣きたいけれど……もう――



 私の胸を貫いていた剣が、ゆっくりと引き抜かれる。

 その鮮血で塗れた彼の愛剣をぼんやりと見つめながら、私の身体が糸の切れた操り人形のように床へと崩れ落ちた。



(あぁ……。ここで……私の人生は終わり……か……。誤解のまま愛する人に殺されて死ぬなんて……。本当に酷い一生だったわ……)




 ……あぁ……神様。


 もし……もしも生まれ変われるとしたら、今度はこの人に一切関わらないで、モフモフの動物達に囲まれながら、穏やかに過ごしたい……わ……




「……え……?」




 その時、朦朧とした頭に、彼の上ずった怪訝な声が入ってきた。



「な……なんで……? ――そ、そんな……。本当に……本当に貴女だったのですか……? り、リシー……」



 愛称を呼ばれ、不思議に思いながら顔を上げようとしたけれど、血が流れ過ぎて身体に全く力が入らない。

 強制的に瞼を閉じようとする瞳が最期に見たものは、不意に頭から前へ垂れてきた真っ直ぐの水色の髪で。



 それは、“私本来”の髪の色で――



(あ……わたし、元に――)




「リ……リシー……リシーファリシーファッ! ……り、リシー……。わ、私は……私は……な、なんてことを……。愛する妻を……この手で……? ――う……ぐぅ……うわああぁぁぁぁッッ!!!」




 彼の狂気と絶望が入り混じった慟哭をぼんやりと耳に聞きながら、私の思考はそこで止まり、その意識は永遠に閉ざされていったのだった――





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