29 蜂蜜味の
(想像しただけで緊張してきちゃったわ!)
緊張でカクカク上下していた右手が、大きな手に包まれる。
リリスを膝に乗せたオニキスが、背後から不自然に動く手を取った。
すっぽり包まれたリリスの手を、節くれたオニキスの指が撫でた。
柔らかさを確かめるように手の平を揉んで、リリスの短い指の隙間から別の生き物のように長い指が絡む。オニキスの親指が手の平のくぼみを滑り…耳元で、吐息に近い笑い声が聞こえた。
「冷えているかと思ったが…温かいな」
(蜜!!)
密ではない。蜜。
蜂蜜色の目を見ていなくてもわかる濃密な吐息まじりの声。なんなら触れられた所から蜜のデロデロ甘くて重いのを感じる。オニキスの手が溶けてリリスの手にべったりのし掛かる錯覚。絡んでいるのは指ではなく蜜でした?
(あれオニキス様って瞳だけじゃなくて吐息も指先も蜂蜜でできてたっけ?)
リリスは混乱した。
答えはそもそも目も蜂蜜じゃない。蜂蜜色をしているだけである。
視覚情報しっかりして。あなたが頼り。
聴覚は既に敗北している。触覚も誤認が酷い。嗅覚? 蜂蜜の香りしか嗅いでない。あ、ダメだそもそも視覚で蜂蜜色を認識したわけだから、リリスの誤認はここから始まった。
つまりリリスの五感はもうダメです。
オニキスの愛情表現は何故か、濃密な蜂蜜を五感に訴えかけてくる。
手が触れているはずなのに、ねっとり垂れる蜜を思わせるのだ。
ところで手の平を撫でているだけなのに、仕草が卑猥に見えるのはリリスが悪いのだろうか。もしかしてリリスは自分が思っている以上にえっち? あまりにもむずむずするので、この膝から飛び降りて庭を転げ回りたくて仕方がない。
しかしリリスは令嬢なので、きゅっとお口を閉じて耐える。リリスは令嬢だから耐えられたが、平民だったら耐えられなかった。
不自然な位置で止まっていた左手も、オニキスの手に捕まった。柔らかく、大事に大事に愛でられる。
「白薔薇に遅れを取ったが…そんなことは関係ない。助けるのが誰であろうと、リリスが無傷であることが第一だ。君が無事で、この柔らかい手を失わずに済んで良かった」
(やっぱり子爵令嬢だから耐えられないかも――!)
レベルが違いすぎる。リリス程度の令嬢レベルではオニキスの放つ色香に太刀打ちできない。
「そう、出遅れて、リリスを助ける役目を白薔薇に奪われてしまった情けない俺だが、リリスに頼みがある」
握られていた手が解放され、オニキスがリリスをひょいと抱えた。くるっと身体の位置を変えられて、オニキスの膝に横座りになる。
見上げれば甘い蜂蜜色と目が合って、思わずきゅっと唇に力が入った。
「キスをしても良いだろうか」
「ぴぇ!?」
咄嗟に口元を押さえてしまったのは仕方がないと思う。
だというのに見上げた先にあるオニキスの唇をガン見してしまい、慌てて視線を逸らした。えっちぃ!!
「ななななんで急に」
「言葉にしたのははじめてだが前々からしたいと思っていた」
「ぴぃ!?」
リリスは奇声を上げた。
いつの間にか蜂蜜のお目々が甘々ドロドロから熱々ギラギラになっている。
思わず膝の上から逃げ出しそうになったが、しっかりがっしり腰を抱かれていたためピクリとも動けなかった。
騎士の腕力強い。
「お義兄様の計画では結婚は二年後…その間は万が一を避けるため、邪な願望は封印するべきと思っていたが…」
「よこちまながんぼう」
ぴぉお…。
思わずぽかんとして口から出そうになった奇声と頭に残った言葉が逆になった。
「副団長曰く、本番には予習復習が必要とのことだった」
「ぴぁ!?」
よくわからないがなんだか怖い事を言われた。怖い怖いこれ勉強の話じゃないでしょ?
(よ、予習復習…本番って何の…何の予習復習ー!?)
「リリス。本番のためにも、俺は君と一緒に予習復習の反復がしたい」
「ぴぅうううう…!?」
反復。反復するの? そうだね、予習復習って毎日するものだものね。
でもこれ勉強の話みたいだけど勉強の話じゃない。
ある意味お勉強の話だけど、これは健全不健全で言えば不健全。いいえある意味健全? どっち?
わかんない。
(本番って結婚の? その予習復習って何するの? あと二年あるから返事は今すぐじゃなくて持ち帰って検討してもいい?)
なんて咄嗟に逃げ腰になるリリスの頭に。
『愛に胡座をかいたらそこから発展しないし。むしろ衰退していくしぃ? 相手への気遣いを捨てるとぉ、愛情も捨てることになるよぉ~?』
キャピッとした言動の、カーラの言葉が蘇った。
続けて、呆れを滲ませながらつんつんしてきた、クリスティアンの言葉も。
『リリスもちゃんとしないとだめだよ』
――これは、どういうときに言われたことだったっけ。
ちゃんと伝えて、ちゃんと行動しないと、愛は廃れていくと語った彼らは…リリスの前でどんな手本を見せたっけ。
悪戯っぽく笑って二人に挟まれて。近付く唇と、遮られた視界。やけに響いた軽やかなリップ音…。
オニキスの手に包まれて、温もりの移った手を伸ばす。
伸ばした指先が、オニキスの頬に触れた。
「リリス?」
戸惑いと羞恥で逃げてばかりだったけど、リリスだって経緯はともかく、オニキスと婚約できて嬉しい。
特に取り柄のない子爵令嬢が、黒薔薇の騎士団長の婚約者だなんて気後れもするけれど、オニキスがリリスを大事にしてくれているのはわかる。
オニキスは充分なほどに、目と口と態度で気持ちを伝えてくれているから。
だから、リリスだって…。
精悍な頬に手を添えて。
小さな身体を乗り出して。
潤んだ碧眼をぎゅっと閉じて、リリスはオニキスの唇に自分のそれを押しつけた。
しっとりした、想像以上に柔らかな感触に、シビビビビッと電流が流れたかのような衝撃を受ける。
(びゃあ! びゅわ!? ちゅーしちゃったびょえぇえええ!)
自覚した途端、耳の奥が燃え盛るように熱くなって、勢いよく顔を背ける。ちょっと触れただけなのに呼吸がし辛くて、思わずぷはぁっと酸素を求めた。
その瞬間、ガッと伸びた大きな手に頬を包まれ、背けた顔を戻されて。
目の前に、どろっと粘度を増した、蜂蜜が――。
「はぷ?」
唇同士がくっついて出たのは、とっても間抜けな声だった。
ファーストキスの味はわからなかったけれど、セカンドキスの味は濃厚な蜂蜜でした。
蜂蜜漬けにされました。
リリスはお花ではなくお肉なので、蜂蜜漬けにされればとろっとろに柔らかくなる。
腰が砕けたリリスはその後、オニキスに抱っこされたまま屋敷に入り、その姿を両親にバッチリ目撃された。
両親とオニキスの初対面は、なんとも締まらぬ形で幕を開けた。
オニキスに抱っこされたままの対面に大慌てしたリリスだが、達観した笑顔の両親に「新聞で読んだ以上の溺愛」と評されて、抱っこされたまま悲鳴を上げることになる。
(新聞に何がどんな風に、どこまで書いてあるのー!!)
とっても気になるが、怖くて確認できそうにないリリスであった。
これにて第二部完結です。
キャラの濃いホワイトホース家の中でも一際濃い六男が齎したのは、リリスの小悪魔度アップでした。
ひたすら不憫で災難カーラと、どこまでも自由で実は脳筋なクリスティアンの話も、後日頑張りたいと思います。この二人の話を書くとしたらムーンになるのでいつになるか不明です。頑張る。
以下宣伝
エンジェライト文庫より 電子書籍
「虎の威を借る狐になって復讐がしたい2」が配信中です!
完全書き下ろし。復讐を終えたベルタの新たなる戦いが始まります!
こちらも是非よろしくお願い致します!




