18 かぶり損ねた猫
カーラは、神秘的な金髪美女だ。
はじめて出会った時は旅装だったが、町中で出会ったときは身綺麗になっていた。着ていたのは庶民が身につける質素なワンピースだったが、神秘的で気品溢れる美貌は隠せていなかった。実に被写体として魅力的。
そんなカーラが今、使用人の格好で、クリスティアンと毛布の引っ張り合いをしている。
「今は食欲より睡眠欲が強い…」
だから寝かせてと、毛布にくるまったクリスティアンは長椅子で丸まろうとしている。よく見えないが、しわくちゃな顔になっているのはよくわかる。
ホワイトホース家の面々は年下に甘いので、これが実家なら仕方がないなーと寝かせてやるところだ。しかしカーラはそうしなかった。キッと眦をつり上げて、プンプン怒る。
「だーからゆべなはやぐねまれって言ったべ!」
多分怒っている。
でも何を言っているのかよくわからない。
疑問符だらけのリリスだが、クリスティアンには通じているらしい。疑問を口にせず、ぎゅうっと毛布を握りしめ、剥ぎ取ろうとするカーラに擦り寄ってごろりとその胸元に頭を乗せた。
甘えた猫のように、愛しい人に擦り寄る。
「子守唄歌って…」
美しい顔を存分に利用した男の甘える攻撃。
「…おぎれー!!」
しかし効かなかった!
往生際悪く寝ようとするクリスティアンに怒って、力強く毛布を引っ掴み、ぶんっと振り回して剥ぎ取ったカーラ。包まれていたクリスティアンがころーんっと飛び出して床に転がる。
「はわー!」
そしてその転がったクリスティアンが、入り口で呆然としていたリリスの足元までゴロゴロ転がって来て、リリスはびっくりしてついつい大きな声を上げた。
はた、と剥ぎ取った毛布を手に固まる、カーラ。
はわ、と開いた口が塞がらなくて自分の手で塞いだ、リリス。
ぱた、と床に寝転びながら二度寝続行のクリスティアン。
みるみると金色の瞳が丸くなり…。
「…さいっっ!?」
奇声を上げて、カーラはクリスティアンから剥ぎ取った毛布をかぶってその場で丸まった。綺麗な金髪は隠れたが、しゃがんだお尻が隠せていない。まさしく頭隠して尻隠さず。
「リスリスがいるー! なしてぇ!? どっがら聞かれてただ!? こんたらおらを見んでけれー! しょしがやー!!」
「なんて!?」
わかるようでわからない言語に、リリスは遂に叫んだ。なんて!?
しかし毛布に籠城してしまったカーラから返事はない。びゃあびゃあ叫びながら丸まっている。もの凄く既視感のある姿だ。まるでリリスを俯瞰して見ているようだ。
「な、なんでどうしてどうなってるの、クリス。ちょっとクリス…っ寝ないでよクリスー!」
床に転がりながら二度寝続行中のクリスティアンを、リリスは必死に揺さぶった。
――カーラは生粋の田舎娘だった。
大自然の中で過ごした彼女は山を走り回り、川で魚を摂り、畑を耕して育った。
田舎の土地は貧しく、集落の間隔も開いていた。そうなると仲間内でのみ使用する言語が現れ、それが浸透し、いつしかその地方特有の訛りとして根付いていた。
「最初はそこまで気にしていなかったんだけど、都会に近付くにつれて訛りが気になりだしちゃったみたいで」
二度寝からたたき起こされたクリスティアンは、寝ぼけ眼でソファに座った。その隣には毛布をかぶったカーラが小刻みに震えながら着席し、リリスは呆然としながら対面に座った。三人の間には熱い御茶と美味しそうなケーキが並んでいるが、楽しくお茶を楽しむ余裕はなかった。
「クリスは気にしないし好きだけどね、カーラの話し方」
「だども通じねぇべ…?」
震えながら、毛布の隙間からもそもそと聞き慣れないイントネーションの言葉が洩れる。
田舎育ちのカーラは、訛りがとても強かった。
訛りは、地方特有の文化。
地方から離れると、標準語の発音を強いられる。誰が聞いても聞き間違えない発音。伝わりやすい話し方は統一され、それが礼儀とされ教養と見なされる。特に貴族はいかに美しく発音できるかによって教養の深さを探られる。
…そんな貴族へ、嫁入りのご挨拶。
カーラは慄いた。田舎全開の訛りでお貴族様にご挨拶などできないと震えた。
「それで矯正することにしたんだけど、でも染みついた言語の矯正は難しいでしょ? だから全く使ったことのない言語をとりいれて訛りを誤魔化していたんだ」
「最後何を言っているのかよくわからないわ」
「何を言っているのかわからないならもっとわからない言語と重ねてわかりやすくできないかなって思って」
「ねえ、私たち標準語で話しているわよね? 訛りとか関係なく意味が分らないんだけど」
何を言っているんだこの六男。
「言語と言語をぶつけ合えば新しい言語になる。その言語で殴りかかれば相手は受け取れるところだけ受け取って深く考えられなくなる。いい手だと思ったんだけどな」
「バイロンに怒られちゃえ!」
言語ガチ勢に聞かれたらどうなるかわからない暴論だ。
つまりカーラは自分の訛りを誤魔化すために、キャピキャピした話し方をわざとしていたということだ。
リリスはここで、話し方って印象を変えるんだなと実感した。
普段丁寧な人が砕けた話し方をする程度なら良く目にしたが、ここまで印象が変わるほどのギャップははじめてだ。
「話し方はわかったけど…なんで仕事着を着ているの? それ、男爵家のよね…?」
お茶を淹れてくれた侍女と同じ格好をしているカーラ。
おずおず毛布から少しずつ顔を出していた彼女は、決まり悪げに指先をこすり合わせた。
「その…田舎だと朝から晩まで走り回ってだがら、他人ん家でねまってるのも落ち着かねぐて…ブライアンさんに頼んで仕事貰っただ。こいはおらがやる気出すために借りて…はいからな着物しょしくて」
「んっんっんー…! か、カーラさんが自分からお願いしたってことぉ…?」
「んだ」
一生懸命解読して、カーラが働き者だということが伝わってきた。
思っていたより義姉は働き者でしっかり者だったようだ。きゃぴきゃぴした言動の時からも感じていたが、訛りが出ると素朴さが追加されて、神秘的で近付き辛い美貌は変わらないのに、なんとなく身近に感じるようになる。
もう身内なので近寄りづらさとか気にしていなかったが、更に緩和した気がする。
そしてカーラの仕事着がクリスティアンやブライアンの趣味だったらどうしようと思っていたリリスは、カーラが望んで着ているのだとわかってほっとした。
「びっくりしたわ…でも驚き過ぎだったわね。ごめんなさいねカーラさん。カーラさんが話しやすいように話してくれていいからね! わからない部分もあるから、教えてくれると嬉しいわ」
「…はんかくさいとか、ねぇだか…? おら、上手く喋れねぇで…」
「はんかくさい?」
「田舎くさいとか、田舎者って意味」
クリスティアンは訛りも理解しているらしい。愛だろうか。四男が言っていた、愛があれば言語の壁も想定以上の力で乗り越えられる。だから自分は知らない言語を操る女性がとても魅力的に見えるのだと。
バイロンの存在を頭から追い出して、リリスは首を傾げた。
「聞き取りやすさや伝わりやすさは大事だけど、普段は好きに喋っていいと思うわ。カーラさんの訛りって、柔らかくて私は好きよ?」
残念ながら何を言っているのかわからないが、なんとなくふんわりして聞こえるのだ。
もぞもぞしていたカーラはリリスの言葉を聞いて、くしゃりと顔を歪め…嬉しそうに、微笑んだ。
その笑顔は言動なんて関係ない、やっぱり神秘的な美しさだった。
「それにしても、カーラさんって北の出身だったのね」
訛りは地方特有の文化。
訛り方は、一つではない。
「…秘密にしてけれな」
「気にしなくていいのに」
「しょしから…」
そっと目を逸らしたカーラと、黙ったままのクリスティアンに首を傾げて、リリスはやっと目の前のお茶に手を伸ばした。
リリスは知らない。
ブライアンが騎士団に、カーラは西の田舎町出身だと証言していること。
クリスが西から、王都へ来たこと。
ただの令嬢のリリスは、全く知らなかった。
ほったらかしていたお茶は、とっくの昔に温くなっていた。
北の訛りは作者の周辺の言語を参照していますが、同じ県でも場所によって方言が変わるので本当に難しいです。暗号と同じ。
通じないということは、お前別の集落の奴だな??????
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