13 近すぎる距離
「……………………………………んにぁああああああああああああ!?」
我に返った瞬間、リリスは猫のような機敏さでスタートダッシュを決めた。
「待て」
「んにぃいいいいいいい!」
リーチの長さで、一歩も動かないオニキスに秒で捕まった。
そのまま引き寄せられて、後ろから抱きしめられる。すっぽり大きな腕に囲われて、リリスは両手で自分の顔を覆った。
自分でわかるほど、顔は真っ赤だ。耳も熱いので耳も真っ赤だ。間違いない。
(なんてこった! 本題が口から漏れ出てしまった! そうじゃないのに! こう、勢いじゃなくてちゃんと言いたかったのに!)
どうしていつもこうなんだ、と自分に憤慨するリリスは、背後からオニキスに抱き込まれたような形で丸まっていた。
そんなリリスを抱えて身を屈めたオニキスの唇が、リリスの耳元に近付く。
「…好きと言ってくれるのか?」
「んにぅううううううう!」
(ああー! オニキス様! おやめ下さいオニキス様! 吐息が耳に当たっていますオニキス様ぁー!!)
そこでそんな嬉しそうに、低いかすれた声を出すのは反則です。年齢制限を超えてしまいます。
腰が抜けるかと思った。
ぴるぴる震えるリリスに、オニキスがおかしそうに笑う。頬が赤くて、うっとりした目つきで笑う。
「行かないでくれと言ったのはリリスなのに」
「んにぇえええええええ」
その通り過ぎて奇天烈な呻き声しか出ない。
リリスはすっかり言葉を忘れていた。
しかしオニキスは言葉が聞きたいので容赦しない。
「言ってくれ。聞きたい」
「んにぉ…」
リリスに絡まったオニキスの腕が、手が、指先がリリスの唇をなぞった。
唇に感じた感触に、ビビビッと強めの衝撃が走り、リリスは直立で固まった。心臓が頭の中で鼓動を打っているようで、全ての音が小さくなり何も聞こえなくなる。
「…言ってくれないのか?」
嘘でした。
とっても楽しそうなお声が聞こえます。
「あ、あにょあにゅあにゃあにぇにぃいいい…っ」
とうとう本気で言語を忘れた。
むにゃむにゃした音しか出てこなくて、リリスは咄嗟に自分の口元を両手で覆った。うっかりオニキスの手も巻き込んで、自分の唇に押しつけた。
混乱しているリリスは気付いていないが、柔らかな感触にオニキスは動きを止めた。真っ赤になって震えるリリスを腕に抱きながら、真顔で旋毛を見下ろす。
端から見たら完全に獲物をどう食い散らかそうか考える狼と小ウサギの図だった。
(こ、このままじゃダメよリリス…! オニキス様はお仕事があるんだから速やかに目的を遂行しなくちゃ…しゅきとかじゃなくて、応援の! お話を!)
きゅっと唇に力をいれて、手の平を握り込んで…あれ? 何か掴んだな?
硬い感触にのぼせていた頭がちょっと冷静になる。おかげで言語が返ってきて、なんとか言葉を絞り出せた。
「わ、わ、私が応援していたのは、オニキスちゃまにゃので!」
そんなことなかった。
もの凄く噛んだ。
(私って奴はぁ――――!!)
どうしていつもここぞと言うときに失敗するのか!
恥ずかしくなってまくし立てた。
「ブライアンを応援してましたけどそれはおこじゅかい目当てでおちごとちてただけで今日は本当にオニキスしゃまをおーえんちて! してた! ので! きゃんちがいしないでくださいねっ!」
ダメだ何を言っているのか自分でもよくわからなくなった。
ぎゅっと握った何かに縋る。温かくて程よい弾力。あれこれなんだっけ? あれ?
握っていた何かが動いて、私の肩に触れた。そのままくるっと身体を反転させられて、蜂蜜色の目が目の前に。
どろりと溶けた蜂蜜が、リリスを襲う。
「それは嬉しいが、俺は他の言葉が聞きたい」
「ぱぇ」
「俺が勘違いしないように、聞かせて欲しい」
(ぱゃ――――っ!!)
そうお思いならばもうちょっと距離を取って貰えませんかぁ――――!
身体を反転させてオニキス様の腕の中で向き合う形になったリリス。振り返ったリリスの目前に迫ったオニキスは、身を屈めてリリスの額に自分の額をくっつけていた。
なんという至近距離。目の前の蜂蜜色しかわかんない。鼻先が触れ合っている気がする。お鼻高いですね。
(――――距離が近い!!)
吐息が掛かるくらい近い!!
(これもうちゅーでは!?)
オニキスの大きな手の平が、リリスの頬を包む。両手でしっかり包まれて、顔を固定された。元から緊張で顔を動かせそうになかったが、逃げ場がない。
距離が近すぎてリリスは気付いていなかったが、オニキスの表情は溶けていた。蜂蜜の濃厚さだけでなく、表情もデロデロに溶けていた。直視した令嬢達の腰を粉砕骨折させるくらい溶けていた。
触れていないけどちゅーです。この距離はちゅーです。
そんな距離で会話ができるわけがない。聞きたいと言いながら、言わせる気がないのでは。
「リリス。続きは?」
(この距離でおしゃべりダメです!!)
目眩がする。泣きそう。おんぎゃーって泣きたい。
(こういうときどうしたらいいのー!! 助けてソフィラぁ!!)
助けを求める先は本当にそこでいいのか。一緒に震える未来しか見えない。
オニキスが笑い出しそうなほど上機嫌なのもよくない。一度飛び出した一言はしっかり聞かれていたので、とても余裕がある。
余裕を、与えてしまった。
リリスには余裕なんて全く無いのに。こんなのいじめっ子だ。
涙目で、オニキスを睨む。
うぎぎっと呻きながら見上げた先で、溶けていた蜂蜜色の目が見開いて…薄い唇が震えた。
「団長、時間ですよ」
すっと、低い声が響く。
オニキスの肩越しに、見慣れぬ男性が立っていた。
刈り上げた黒髪に、芥子色の細目。騎士服を着て鍛えられた体格をしているのに、草臥れた印象を受ける中年の男性。多分咥え煙草と無精髭がその印象を強めている。
騎士団によって異なる配色。彼が纏っているのは黒。
(黒薔薇騎士団の人)
の、ようだが。
(見たことない…)
ブライアンの懇願で、結構頻繁に応援していたリリス。
演習に出ていた騎士団の顔は、白黒共になんとなく覚えている。
が、そんなリリスでも見たことのない人。
振り返ったオニキスが、男性と言葉を交わす。
「あと十分」
「もう超えてんですよ。戻りますよ」
「…わかった」
渋々と頷いたオニキスが、名残惜しそうに手の平を動かした。リリスの髪を整えるように動かして、厚い男性的な手の平が静かに去って行く。呆然と遠ざかる蜂蜜色を見返して、リリスは息を詰まらせた。
「…また今度、聞かせてくれ」
いつもの、絡め取るように濃厚な蜂蜜色ではなかった。
それは、飢えた狼が狙いを定めてギラつく眼光で…。
リリスが硬直している間に、踵を返したオニキスが去って行く。
後ろ姿を見送ったリリスは、ストンとベンチに座り直した。途中から放置していたスケッチブックの上に乗っかって、太ももに角が刺さる。
なんというか。
リリスが照れて中途半端な状態になってしまったのはなんとなくわかるが。
また今度と言った、表情が。
「た、たべられるぅ…っ」
確実に食らいつく顔だった。
骨までしゃぶるぜって腹ぺこ狼の顔だった。
リリスは湯気が出るほど真っ赤になりながら、ぷるぷる震えた。
(うっかりでも伝えたらああなるなんて、やっぱり恋愛初心者に対して難易度がたかーい!!)
頑張って伝えるから、難易度を下げて欲しい。
六男夫婦のやりとりより濃厚で粘着質なものを感じ取り、リリスは全身を真っ赤にしてその場に倒れた。
大歓喜オニキスガンガン行く。
ちなみにこの二人まだチューしていない。
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