12 言わなきゃ伝わらない
伝えるってとっても大事。
六男夫妻に挟まれながら教育を受けたリリスは、げっそりと寝台に突っ伏していた。
あの後、リリスが一人で帰ろうとしていると気付いたクリスティアンは、世間知らずなリリスに娘の一人歩きの危険性をとつとつ語りながら一緒に帰宅した。
徒歩で。
夫婦の間に挟んで腕を組み、耳を防げず足も止められない状態にして、とつとつと語った。
怖い話だった。
家の手前で誘拐された少女。ちょっと目を離した隙に物陰に引きずり込まれた少女。一人歩きをして馬車に連れ込まれた少女。私がそんな目に遭うわけがないと笑いながら別れ、次の日には無残な姿で発見された少女…。
無表情に、淡々と、真っ直ぐ前だけを見て語るクリスティアンは恐怖でしかなかった。
いつもニコニコしていたカーラまでもが真顔で黙っているものだから、恐怖は倍増だった。
震え上がって耳を塞ぎたくなっても腕は固定され、やだやだと踏ん張っても引きずられ、小柄で無力なリリスの抵抗など無意味だとしっかりわからされてしまった。
リリスが泣いても喚いても気にしない六男。
嫌われても危機感を植え付けることを選んだクリスティアン。意外とお兄ちゃん力がある。
(怖かった…もう一人歩きはやめよう…)
貴族令嬢は普通一人になることの方がないはずなのだが、とっても自由に歩き回るリリスは半泣きになりながら反省した。友達のソフィラも一人歩きをしていたはずなので、彼女にもこの怖い話を教えてあげないといけない。
(怖かったから共有して一緒に怖がりたいわけじゃないのよ。これは同じ立場のソフィラが心配だからするんだから!)
ソフィラが攫われたりしたら大変だ。
リリスはふんすと気合いを入れて起き上がった。寝台から降りてテーブルの上に置いていたスケッチブックを抱き上げる。ページをめくれば、今までスケッチしてきた風景が現れた。
リリスはスケッチが好きだ。年の近いクリスティアンの影響で、一緒に絵を描いて遊んだ。画家になりたいとは思わないが、趣味として続けて行きたいと思うくらいには好きだ。
半分以上が埋まったスケッチブック。
その半分以上に、黒薔薇が咲いていた。
…こうして見返してみると…。
「わ、私…大好きだわ…」
青ざめていた頬を真っ赤に染めて、リリスはぷるぷる震えた。
リリスは自分で思っていたより、オニキスが好きっぽい。
(だって好きじゃなかったらこんなに描かないわ!)
たくさん描いている自覚はあったけれど、見返すと異常に気付くレベルで描いている。
封印しなくちゃこのスケッチブック。封印しなくちゃ。
スケッチブックを閉じて、チェストの引き出しを開けて…。
(…でもまだ空白が残っていて勿体ないから、埋めたら封印しましょう)
何もせず、そっと引き出しを閉じた。
貧乏ではないが裕福でもないホワイトホース家。スケッチブックだって簡単に新調できる品ではないので、大切に使わなければ。
というわけで、心を落ち着かせるためにもリリスは庭先でスケッチでもしようと部屋を出た。
クリスティアンに散々脅されたあとなので、門や入り口からは遠い場所でちゃんと使用人達から見える場所で花でもスケッチしようと廊下を進み…。
「リリス。君に会いたかった」
「びゃぁー!!」
短い黒髪に蜂蜜色の目をした、余計な部分は全て切り落としたような印象を覚えるほど堅実な美を体現する男性。
黒薔薇騎士団長と遭遇した。
ホワイトホース家で遭遇する人物ではない。
いや、朝と夜に現れるので、割りと遭遇率の高い人物だった。
しかし今は時間が違う。夕飯にはまだ早い。
「お、オニキス様、何故こんな時間にうちにっ!?」
「今夜は少々仕事が立て込んで夕食を共にできそうになかったので、休憩時間を利用して会いに来た」
「休憩して!?」
絶対休憩時間足りない。往復で休憩時間をオーバーするに違いない。
訴えるリリスに、オニキスは柔らかく微笑んだ。
「すまない。それでも君を見たかった」
「びゅぅ…っ!」
だめだ。クレープの影響で焼きたて熱々ハニークレープが頭を過る。
丸め込まれちゃう。くるくるってクレープ生地に丸められて食べられちゃう。
リリスはぷるぷる震えた。
「スケッチブックを抱えて…どこかへ行くところだったのか?」
「あ、これは…びょぇっ!」
(…す、スケッチブックゥウウウウ!!)
なにげに一番見せてはいけない人の前に、持ってきてしまった。
見られてはいけない。無自覚な好きの詰まったスケッチブックは絶対見せてはいけない。
(だって恥ずかしいから!!)
無自覚だった辺りが特に恥ずかしい。
顔を真っ赤に染めて俯いたリリスだが、脳裏でにゅっとクリスティアンが囁いた。
『受け答えくらいまともにしなよ。じゃないといつまで経っても小悪魔だよ』
(こ、小悪魔じゃないし!)
リリスはきゅっとスケッチブックを抱きしめて、勢いよく顔を上げた。
「お、お花を描こうと思って!」
「ああ、自画像か」
「違うけど!?」
何故お花を描こうとして自画像になるのか。
リリスはお花じゃない。人間である。
「俺にとって花と言えばリリス、君だ。花を見れば君に似合うかを考える。しかし全ての花は君の引き立て役で、君こそが何より咲き誇る花だ」
「黒薔薇の騎士様がなんか言ってる!」
彼こそ黒薔薇と讃えられているのになんか言ってる!!
「…つまり俺を描くのか?」
「違います!!」
今度はブライアンのようなことを言っている。
しかしスケッチブックには黒薔薇ばかりな事実を指摘された気分になって、リリスは思わず力強い否定を叫んだ。
丁度庭に出るところで遭遇したので、廊下で立ち話状態だった二人。リリスは談話室ではなく、そのまま庭に出て申し訳程度にあるベンチへとオニキスを誘導した。
すぐに戻るということでお茶を出す間もないが、このまま立ち話で終わるのはなんとなく惜しい気がしたのだ。
休憩時間はとっくの昔に終わっていそうだが、オニキスが落ち着いているのでまだ時間はあるものとする…多分。
並んでベンチに座って、やっと一息ついた。一息ついて、リリスは今日の出来事を思い出す。
リリスが何を描くかより、大事な話題があった。
「あ、あの…今日は、ブライアンがごめんなさい」
妹からの応援を自分の物だと主張して演習場をめちゃくちゃにした兄。
(改めて思い返すとブライアンってばとんでもないことをしているわね)
思わず火照った頭が冷静になった。スンッてやつだ。
「いいや。アレは俺も意地になってしまったから。義兄だけの問題ではない」
しかしオニキスがさらっとブライアンを義兄扱いしてきて、噴き出すかと思った。
彼も素知らぬ顔をして押し通すので、リリスは全然ついて行けていない。
「そもそも俺たちが勝手に盛り上がってしまっただけだから、リリスが謝ることはない。むしろ驚かせてすまなかった」
「び…」
逆に謝られてしまった。
(わ、割り込んできたブライアンがおかしいのに。私はオニキス様を応援しに行ったのに)
それを横取りしようとするブライアンがおかしい…いや。
(私、頑張ってってしか言えてなかったわ)
ブライアン様頑張って、とは言えていたのに。
オニキス様頑張って、が言えていなかった。
(それって本当に、オニキス様を応援したって言えるのかしら)
勿論心積もりとしては、オニキスに向かっての声援だった。しかし主語のない、誰に対しても受け止められる言葉だった。
普通に考えて婚約者に向かって言った言葉だろうから、割り込んでくる三男がおかしいのだが、三男が割り込んでくる隙をリリスが作ってしまったことになる。
『ちゃんと伝えないとダメだよ』
言わなくてもわかるだなんて、甘えだ。
そういった六男と、頬をくっつけて嬉しそうに笑っていた兄嫁を思い出す。
思えば、リリスとオニキスはあんな風に自然と笑え合えていない。
オニキスの怒濤の口説き文句に照れてしまい、リリスが何もできないから。たっぷり蜂蜜をかけてくるくる包んでねっとり食まれるような可愛がりに、平然と対応できないから。
恋愛初心者だからと自分に言い訳をしていたけれど、でも。
「名残惜しいが、俺はそろそろ…」
「え!? ま、待って!」
時間だと、立ち上がろうとしたオニキスの腕に咄嗟に飛びつく。
小さい身体がしがみ付いてきて、オニキスは目を見開き固まった。中途半端な姿勢で固まる彼の腕に縋り付きながら、リリスは必死に言い募る。
「まだ行かないで! 私、ちゃんとオニキス様に好きって言いたくて…!」
「え?」
「ぁれ?」
聞いたことのない気の抜けた声が聞こえた。
きょとんと見上げたリリスは、オニキスがぽかんとリリスを見下ろしている気の抜けた顔を目撃した。
(わあ、オニキス様が本気でびっくりしている顔、初めて見たかも。いつもは格好いいけど目が大きくなるとちょっと幼い…て、あれ?)
じわじわと、オニキスの頬が赤く染まる。
蕩けるような蜂蜜の瞳が熱を灯して潤み、薄い唇を引き結ぼうとして失敗し、ふよふよと緩んだ口元から震えた声がもれる。
「今、なんて?」
「いま?」
問われて瞬く。
リリスが今、なんと言ったか…。
(あれ私、今…)
あ。
あ。(やらかしている)
今更ながらホワイトホース家、クリスティアンは男兄弟の5人目なので正確に言えば5男ですが、7人兄妹6番目として6男表記です。男5人女2人の7人兄妹。ややこしくてすまない。
面白いと思ったら評価かいいねをぽちっとなよろしくお願い致します!




