煮詰まった思考 3
「ここにある今日の現実パンは食べないのですか?」
『そんなの味気ないから食べない!』
「今日の喜びワイン飲みますか?」
『そんなの不味いから飲まない!』
「現実パンも喜びワインも毎日同じ味かもしれないけど…食べないと増えていくし、どうしているのですか?」
『この鍋に放り込んどいて!』
「こ…このまま食べた方が美味しいような気がするんですが…」
『いいの!なんで私が思考を煮詰め続けるかあなたには分からないでしょ? 私だってこんな大鍋から解放されたいのよ!』
「そうですか。それでは棚を片付けて、現実パンと喜びワインを毎日ちゃんと食べて、大鍋の中身を増やさないようにしましょう。何も足さずに煮詰め続ければ、小鍋ぐらいになりますよ」
『ううん、このままでいいの。大鍋の方が楽しいから』
住人は、ぐつぐつと煮え立つ大鍋を楽しそうにかき混ぜて、恍惚の表情で中身を眺めている。
さらに臭気と熱気が増した。
「矛盾していま… 」
『うるさい! 誉めてくれないから出て行って!』
最後の質問は途中でさえぎられ、家から追い出されてしまった。
住人を少しでも理解しようとした質問や住人の希望を叶える為のアドバイスは、ことごとく住人の気に入るものではなかったのだ。
でも私は、何も理解していないのに住人の行為を無責任に誉められない。
住人の行為を誉めた人は、何を理解して誉めたのだろうか。
その後どうなるのかを想像したのだろうか。
鍋の大きさや、かき混ぜ方を誉めた人
苦しみ食材や悩み調味料の種類の多さや棚を誉めた人
大きな鍋は、不安定になりやすい。
小さな地震でも大鍋の中身がはね飛んだり、最悪は鍋がひっくり返ったりして、煮えたぎった思考を全身に浴びて大事に至ってしまうかもしれないのに。
理解やアドバイスがいらないのなら、住人は何を求めているのだろうか。
住人と大鍋、どちらもまるごと平らげてくれるような、人か?
そんな人
おとぎ話の中にもいないのに