第1話:転移、久方ぶりの訪問者
長編物の投稿も、こちらに投稿するのも初めてとなりますので至らない点も多いとは思いますがどうか暖かい目で見守ってやってください。
20XX年日本、とある山奥のそのまた山奥。人々が寄り付かないその土地に、小さな民宿が1軒存在していた。時代を感じさせる外観、どことなく寂れた雰囲気。だが、周囲を含め丁寧に手入れをされているところから人の手によって管理されていることが分かる。
そんな民宿の縁側にてお茶を啜りながら寛ぐ影が2つ。1つは黒いおかっぱの少女であり、この時代にありながら着物を普段着として着用している。お茶を愉しむその所作もどことなく大人らしさを感じさせるものだ。
もう1つの影は紅い鱗に白い角を持つ――動物で例えるならばトカゲのような――生き物だった。少女よりやや小さいその生き物は淹れたてのお茶を熱がりながら、ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましている。その所作は少女と違い、子供らしいものだ。
「のう、リュート。前から疑問に思っていたのじゃが――そう熱に弱くては炎を吐くのも辛いのではないか?」
少女が口を開き、隣の生き物に語り掛ける。その喋り方は古風で、まるで祖母が孫に語り掛けるかのような口調だ。
「飲むと吐くじゃ違うんだよシキ、あちち」
リュートと呼ばれた生き物はお茶に悪戦苦闘しながらそう答える。少女――シキはやれやれと首を振りながらその様子を眺めていた。
――彼らは人では無かった。
シキは見た目こそ幼い少女であったが、その正体は数百年の時を生きる妖怪、『座敷童』であった。民宿と共に産まれ、民宿と共に過ごし、迷い込んだ人々をもてなしてきた――そう彼女は自称している。
リュートもまた、現存する野生動物の類では無い。炎を吐き、鋭い牙と爪で獲物を屠る――彼は『竜』、または『ドラゴン』と呼ばれる存在であった。彼は西洋のある高貴なる竜の血を受け継ぐ偉大な竜であり、修行の為にこの僻地まで流れて来たのだという――そうシキは言い聞かされていた。
一見噛み合わない1人と1匹。だが、彼らはこうして仲睦まじく日々を過ごしていた。
「さて、一息ついたことじゃし草むしりでも――ん?」
立ち上がり、草履に足をかけたシキの動きが止まる。その視線ははるか遠く、空へと注がれていた。
「リュート、空が何やら歪んでおるように見えるのじゃが」
「老眼なんじゃないの――あいてっ、冗談だよ冗談。空がどうなってるって――えっ!?」
頭に拳骨を食らいながらリュートも空を見上げる。そこには、太陽も雲も何もかもが渦巻き歪んでいく様子が映し出されていた。彼らは突然のことに驚き、手も足も動かすことが出来ない。そうしているうちにも渦は規模を増してゆき、遂には彼らの頭上を埋め尽くしてしまった。
「――っ!? リュート、何かに掴まれ!」
ハッと意識を取り戻したシキがそう呼びかけると、彼らは民宿の柱にしがみつく。その瞬間、彼らの身体は空に吸い寄せられるかの如く宙に浮かび始める。寸前でしがみついた為に吹き飛ばされることは無かったが、吸引は変わらず続いている。吹き飛ばされてしまうのも時間の問題だろう。
この状況をどう打開しようか思案する彼らの耳に、崩れゆく土の音が鳴り響いた。揃って音の出処である地面を見ると、民宿が地面ごと持ち上げられている事に気がついた。
「ああ、それは想定しとらんかった」
「想定なんて出来ないよ、こんなの!」
そしてそのまま、彼らは民宿と共に渦の中へと吸い込まれていった。
◇◇◇
そよそよと吹く風、流れる水の音。そんな音を聞いて彼らは意識を取り戻した。彼らはゆっくりと周囲を見渡し、次に互いの顔を見合わせる。普段と変わりない様子を見て、お互いにホッと胸を撫で下ろす。だが――。
「我らの住まいは無事なようじゃが、景色に覚えが無いのう」
シキの言葉にうんうんと頷くリュート。共に渦に飲まれた民宿は多少家具が倒れた程度であり、大した被害は無さそうだった。だが、その周囲の様子は大きく変化していた。
どこまでも続いていそうな草原。
綺麗な水が流れる小川。
生き物の気配がしない大地。
先ほどまで居た世界とはまるで別物のような――そう彼らは感じ取った。
「はて、どうしたものかのう」
突然の出来事に頭を悩ませる1人と1匹。下手に動いては危険かもしれず、かといって動かなければ何の進展も得られないだろう。状況が好転するまで待つか、自ら動くか。どちらを取るか悩みに悩んで――リュートが居ても立っても居られないといったようにソワソワとし始めた頃だった。シキが、何かに気づき顔を上げた。
「何かが来る」
そう口にしてすぐに、小川付近の空間が揺らぐと人が姿を現した。若い男女の2人組で、どちらも革の軽装鎧を身に着けている。
「ハァ、ハァ、一体何が起きているんだ。こんなところに草原と建物、なんて」
男は息を切らしながらも周囲の警戒を怠らず、辺りの様子を伺っている。
女は体力を使い果たしたのか、その場で座り込んで荒い呼吸を繰り返している。
そんな訪問者を恐る恐る見つめていたシキとリュートと、辺りを見回していた男の目が、ピタリと合った。
「うわっ、子供と――ドラゴン!?」
男は慌てて腰に下げていた剣を抜こうとする。だが、シキがそれを言葉で制止した。
「ワシらに敵対する意思はない。それに――まずやるべきことは隣にいる娘を休ませてやることではないか?」
男はふと女の方へ視線を移す。そこには、青白い顔をして倒れ込む女の姿があった。
「悪いようにはせん、家の中にお入り」
男は一瞬迷いを見せたが、顔を両手で叩いて迷いを払うと、女を抱えて民宿の中へと入った。
◇◇◇
「疲労が溜まっておったのじゃろうな。寝かせておけばそのうち回復するじゃろう」
シキのその言葉に、男はホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございました。えっと――」
「ワシはシキ。そっちの赤いのはリュートじゃ」
「僕はリオンといいます。相方の名前はアリシアで、2人で冒険者をやっています。シキさん、リュートさん、刃を向けようとしたご無礼をお許しください。」
構わんよ、そうシキは返す。リュートはやや怒った表情をしていたが、それを口にはしなかった。
シキは部屋に入る前に用意してきたお茶をリオンの前へと差し出す。リオンは湯呑みを手に取ると、それを不思議そうな顔で見つめた後、話を切り出した。
「僕たち、敵に追われて一心不乱に走り回っていたらいつの間にかここに辿り着いていて――この家は一体?」
彼らが何もない空間から飛び出てきたことを、シキとリュートは思い返す。彼らもまた、別の場所から流れてきた遭難者なのだ。ひとまず考えるのは止めにして質問に答えよう――そう思いシキが口を開く。
「ここは『マヨヒガ』。先ほどのお主たちのように、人が迷い込むことからそう呼ばれておる。それ以外はまあ――ただの家じゃな。築数百年の寂れた家よ」
リオンはその回答を聞いて暫く考え込む。
「築数百年――? 迷宮が発見されたのはここ数十年のことだし、こんな場所があるだなんて話を聞いたことが無い」
シキとリュートは顔を見合わせる。迷宮、彼は間違いなくそう言った。迷い込んだ彼らにとって、それは初めての手がかりだった。
「ここ、迷宮って場所なんだ。迷宮って呼ぶには何だか開放的な場所だけど」
何気なくリュートが零した言葉に、リオンはポカンと口を開いて驚きを見せる。
「え、迷宮を知らないんですか? それに、その口ぶりだとまるで初めてここに訪れたように聞こえるのですが」
この場にいる誰もが頭の上に疑問符を浮かべる。話が噛み合わない。
暫くの沈黙の後、リュートが何かを思いつく。そして、それを口にした。
「ねえ――もしかして、ここはボクたちの住んでた日本じゃ無いのかも」
突拍子も無い話に、聞き覚えが無い国名に、シキもリオンも同時に首を傾げる。理解に及ばない彼らの為に、リュートは説明を始めた。直前に渦に飲まれたこと、気がついたら見知らぬ土地であったこと、迷宮という単語に覚えがないこと――そして、日本という国に住んでいたこと。
「――なるほど。そういう経緯があったのですね」
リオンはその説明に納得したようであり、うんうんと頷いている。
「やけにあっさり信じるのじゃな」
荒唐無稽な話として笑い飛ばされるのがオチじゃないか――そう考えていたシキは予想外な反応が返ってきたことに疑問を投げかける。
「この家や家具、そしてニホンという国名――どれも見覚えも聞き覚えも無いものばかりでしたので。異なる世界から来たと言われた方が説得力があるといいますか」
「異なる世界、か」
渦に飲まれ、辿り着いた先は異郷の地。それも人を襲う何者かが存在する迷宮の内部。夢か幻を見ているのではないかと疑いたくなるような状況に、シキは言葉を失った。
「とりあえず、もうちょっと話を聞いてみようよ。帰る手立てが何か見つかるかもしれないしさ」
「そうじゃな」
年長者がしっかりしなくては。そうシキは気を引き締め、情報交換を再開した。