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南越谷盗難事件

作者: 長光一寛







1999年8月17日、私は20時30分頃仕事を終え、丸の内にある会社を出た。いつものように東京駅で缶ビールを購入し、京浜東北線の電車の中でドア際に立ってゆっくり飲みながら、窓外の揺れ動く景色を肴に思いにふけった。


南浦和に9時20分頃着き、9時30分発の武蔵野線の電車に乗り換えた。ここはいつも人が多くすぐに座れるということはなく、この時も混んでいてかろうじてドアのそばの座席の前の立ちスペースを見つけここに立ち、黒皮の手下げかばんを棚に載せる。目前に眼鏡をかけたアジア系の色黒の留学生らしい若者が座っており、その人の横に目をつむったままで時折わめくようにひとりごとを発する50歳くらいの男がドアを背にして立っていた。東川口駅(あるいは東浦和駅だったろうか)に着いたとき、私の立っているところから右ふたつくらい先に席が空いたので、急いでそこにいってすわった。このときかばんは棚に置いたままだった。座ったからといって眠りに落ちることはなく、ただとくに自分のかばんに意を注いではいなかった。


南越谷駅に着き、ふとドアの方向を見ると、さきほどのひとりごとの男が左手に茶色のかばんそして右手に私の黒かばんを持って去っているのだった。私の黒かばんは特徴的な形をしておりランドセルのように背負えるように2本のストラップも付いていてすぐにわかる。慌てて私は電車から降り、すぐその男に追いつくと「こらー、おれのかばんじゃないか!」と怒鳴り、かばんを取り返し、左手で彼の右手首をつかんだ。ついできごころで、盗むつもりじゃなかった、というふうなことを言ったが、とっさにこの男は今までに何度も同じようなことをやっているに違いない、これからも繰り返すに違いないと思ったので、「ふざけんじゃねー、いっしょに来い!」と威嚇し、彼を引っ張って歩かせた。彼は観念したふうで抵抗はなかった。ただこのようなことにはもう慣れているかのようでもあった。だから「ついできごころ」というよりは常習犯という印象を私に与えた。さらに、往生際悪くたわけたことを言うので「うるさい、黙って来い」と言い階段を降りた。


改札口の横に駅長室があり、ここで「公安室はあるの」と聞くと、駅員が「どうしたんですか」と問うので、「このおっさんが私のかばんを持って電車から降りたので、捕まえて連れてきました」と言った。(この男をおっさんと呼ぶには私も年をとりすぎていることに気がつき、以後この男を彼と呼ぶことにした。)すぐに、駅長室に通され、簡単な事情の説明をすると、警察に連絡がなされ、まもなく警察官が二人やってきた。


彼らに対し私はまた事情説明をした。その時、私はまだ興奮さめやらぬ状態にあり、犯人に向かって「おまえは今までもやっているだろう、前科があるだろうが!」(「余罪が・・・」と言うべきだった)などときつく言うと、若いほうの警察官が私をなだめた。彼は赤い顔をした私を酔っぱらいと思ったらしい。犯人もあとで酒を飲んでいたことが検査の結果わかったが、その時特に顔は赤らんでいなかった。だから客観的に見ると警察が私のほうをまず疑おうとするのも無理はなかった。


警察官達は犯人を事情聴取のために交番に移すことにした。そして私に「旦那さんも調書をとらせていただくのでいっしょに来てください、すぐ近くです」と言って丁重に案内した。時間がかかって遅くなるがかまわないかと言うので、終電に間に合うまでだったらかまわない、と答えてついて行った。希有な経験への好奇心も私をせきたてた。


交番に入ると、先頭にたって歩いていた年長の警察官が犯人を奥の部屋に連れていくので私もいっしょに入ろうとすると、「旦那は外にいてください」と言い、私は交番の入り口付近の机の椅子に座らされた。


「何言っとるか、それは盗ろうとしたこととかわらんじゃないか!」すぐにさきほどの警察官の大声が閉ざされた部屋から聞こえてきた。犯人はまたナンセンスな言い訳をしているらしかった。頼まれて私が何枚かの書類に名前、住所等を書いていると、入れ変わりたち変わり別の警察官が私のところに来て、簡単な質問をした。なかにはきょうはどのくらい酒を飲んだのかと聞くのもいて、「酒を飲んでいる人間は、犯人を挙げてはいけないのか」と言いたくなったが自制した。あまり広くない交番の中でたばこを吸う警官が多く、酒よりもたばこのほうがよっぽど迷惑だ、とも言いたかった。


駅に来た警官のうちの若いほうが上司の警官に口頭で報告をしており逮捕は「ジョウニンです」と言っていたので、あとで彼にそれはどういう意味かと聞くと、常人逮捕とは警察官以外の者が犯人を捕らえたという意味だということだった。


ある時、外から警察官が戻ってきて「けんか!」と言う。それで二人が彼と外に出て行ったが、すぐに戻ってきた。女性同士のけんかだったということだった。


駅に来た若い警察官が、犯人を捕らえたのは駅のどのあたりか、また電車の何両目に乗っていたのか調べたいので、駅にいっしょに行ってもらいたいと言うので、二人で引き返した。現場は長い階段を上がったところにある高架のプラットフォームである。いつも何両目に乗っているのか数えるわけではないし、プラットフォームに降りた位置も冷静に把握する状況になかったので、断言することはできないが、5両目あるいは4両目だとした。駅員に聞くと、私が駅長室に行った時間から電車は21時41分に南越谷駅を出たものだと特定された。しかし私は、犯人が犯行の否認をしているようでもないのに、このような細かなことがなぜ必要なのかわからなかったし、私がどこまでこの電車で行く予定だったのかや、ましてや私がその日酒をどれだけ飲んでいたかなど無関係なことだと思ったが、問われるままに答えて協力した。


いったん交番に戻ったが、こんどは部長風の警察官が現場の写真を撮るために、また若い警察官は列車の番号とその始発駅と終着駅を聞くのを忘れていたために再度私と駅に戻り、私を再びあの高架のプラットフォームにつきそわせた。そして現場らしいと私が示した付近を指さす私の姿をポラロイドで数枚撮影した。その間、たくさんの人がわれわれの方を遠巻きに見ており,私はなんらかの事件の犯人と思われているのだろうなと,落ち着かなかった。もしかしたらこれは、警察官たちが,警察に通報するとこんなめんどくさいことにつきあわさせられるはめになるのだよ、(それにおれたち警察官だって仕事が増えるし)だから警察に通報するのは金輪際やめたほうがいいよ、ということを身を持って教え込もうとしているのか、とかんぐった。


交番に戻ると、被害届と調書を本署で作成するので交番に3人だけを残し、車とオートバイで大勢で移動することになった。犯人と被害者は別の車に乗せるというのがしきたりのようで私は三人の警官と軽自動車に乗った。最初は私はパトカーのほうという話だったが、残念ながら一般車だった。やはり犯人のほうがパトカーが似合うということなのか。


車中で事件に関係すること関係しないことが雑談調で話されたが、私は聞かれないことは一切話さないことを心に念じていた。事件に関係ないだろうと思われた質問として、かばんはどこで買われたのかという質問があった。思い出すのに時間がかかっていると、わからなければいいですよと言われ、そうなるとかえって、自分も人から盗んだかばんを持っていると疑われているような気になり、意地でも思い出そうと苦心した。他の話題に話が移ってからも気はそぞろで、幸いしばらくして思い出すことができたので、歓喜して「思い出しました、新宿の東急ハンズです!」と、まるでそれが何か大事件のなぞを解く手がかりででもあるかのように声を張り上げた。


10分くらいで越谷警察署についたので右後ろの席にいた私はロックを解除してドアを開けようとしたが開かなかった。すると助手席にいた警官が、「中から開かないようになっているのです」と言い、先に降りて回ってきてドアを開いてくれた。なるほど、犯人を後部座席に乗せたときに、信号待ちや、あるいは低速走行中にドアを開いて脱走するのを防ぐためなのだなと思った。パトカーもすぐに到着した。


車から出ると私はさっそうと先頭の警察官の後について署の建物の玄関に入った。すると「この人が犯人?」という声が飛んできた。「いえ、この人は被害者のほうです」と先に入った警察官が訂正した。私は正面の外来者と書かれた一画の席にすわって待っているよう言われた。


私は被害者という自覚はなかった。というのはすぐに自分のかばんを取り戻したので、被害にあったという印象は生じていなかったのだ。ただ、私が気付くのがもう少し遅れて電車のドアが閉まってからだったら、かばんを取り戻すことは困難で、特に重要な情報を搭載したポケットパソコンや愛用のインド製横笛をなくしたことで今頃は途方に暮れて無念きわまりない思いをしていたろうことを考えると(それは過去に経験があることでもあるのだが)今更ながらこのようなことを平気でする男に憤りを感じ、許すつもりはなかった。それは今までに彼に被害にあったろうたくさんの人たちの怨念を報いるために、またこれに懲りずこれからも犯行を繰り返すだろう彼による将来の被害者のためにも私は心を鬼にした。思えば私は逮捕時無意識のうちに、あのエイハブ船長が自分の過去のあらゆる憎しみ恨みの仇として怒りをすべて白鯨に収束させたように、私自身の過去の幾多の盗難被害により味あわされた憎しみをもすべてこの男にぶつけたようだった。


越谷警察署は1階は冷房が効いていたが、2階は効いておらず,調べ室は2階にあり,調べ官は暑いのに申しわけないと言いながら私を2階へ案内した。犯人とはできるだけ離れた部屋でやりましょうということで、奥の窓のある部屋に入った。しかしドアが開きっぱなしだったので、犯人やその取り調べ官の声はよく聞こえてきた。


こちらの取り調べ官は一目で署のエリートと思わせるような40歳くらいの人だった。彼の持ってきたプラスチック定規を見ると何と読むのか「田制」と黒マジックで書かれてあり、それが彼の名前だと思った。


田制刑事は慣れているのか、あるいは才能があるのか、被害者から自分が聞いた事柄と前置きを書いて、たまに私に質問するだけで長々とボールペンで文書をしたためていった。ボールペンだから直しがたくさんあっては新たに1枚分初めから書き直さなければならなくなるので自信のいる作業だ。パソコンは使わないのですかと聞くと、速い人は使うけど自分は慣れないので手書きでするのだという。最後に内容確認のために出来上がった5,6枚の調書を黙読したとき、私は彼に協力すべく、少々の話法や「てにをは」の誤りは目をつぶった。


時折他の警官が入ってきてそれぞれの担当に関する業務を遂行するために必要な質問を私にした。私のかばんの中身を記録するということで、中身を開けた。開ける前に、中身のいくつかを所持者に言わせるというオーソドックスな手順も踏んだ。すぐ口をついて出たのはポケットパソコンだ。そしてバッグのチャックを開けてこれを取り出した。これはかばんの中身で最も貴重なもので正式には、ハンドヘルドパーソナルコンピュータであり、よりわかりやすいポケットパソコンとして記録され、時価4万円とした。インド笛は400円だったから省略したが、他のものを加算して中身の価値は合計時価6万5千円程度であった。しかしかばんは買ったときは4万円以上だったのでこれも加えると10万円くらいの価値があり、パソコンの中に記録された情報すなわち無形財産を加味するとはかり知れない価値が盗難されかけたのであった。しかし情報の価値は調書に記録されなかった。


取り調べ官は私にボールペンで電車の見取り図を描かせ、私が最初に立っていた位置、かばんを置いた位置、座った位置、犯人が立っていた位置、そして犯人を取り押さえた位置を丸数字などで示させた。そしてそれを見ながら作文していった。暑いというので彼は窓を開け、冷房が効いていないで申しわけないですね、とまた言った。こちらはそれよりこの調べ官が調書をしたためながらひっきりなしに吸うたばこのほうがよっぽど迷惑だった。


若い警察官が冷えた缶コーヒーを2本持って来てわれわれのいたテーブルに置き,小銭を取り調べ官に渡した。「どうぞ」と1本を取り調べ官が私の方に差し出した。自分のポケットマネーで私にご馳走してくれたのかもしれない。


彼が書いている文字を目で追うと、彼が気になって仕事がはかどらないだろうと思ったので、私はコーヒーを飲みながら窓の外を見ていたり、目をつむって少しでも脳を休めようとした(というのはもうその頃は12時を過ぎていた)。また、立ちあがって部屋の中を少々歩いた。


隣の部屋との壁に設けられた気になっていた縦長のガラス窓のところに行ってみた。それは一見ただの鏡であった。しかし隣の部屋からはこちらが見透かせる例の首実験ミラーであることはすぐわかった。やはりこの部屋は通例は犯人を取り調べる部屋なのであった。しかし世間ではオオカミ野郎がミラーのあちら側にいてひつじ市民はこちら側にいるのが常だ。常人はそんな大きなハンディを負っているのだから一度オオカミの尻尾をつかんだら簡単に見逃すわけにはゆかないのだ。


テーブルの上に並べられたかばんの中身をかばんに戻していいかと聞くと、後で写真を撮る可能性があるのでそのままにしておいて欲しいということだった。しかし記録しなかったものはいいだろうと言うと、そうだというので、私は洗濯ばさみや、ポケットティッシュ、単三の電池、耳栓の入ったフィルムケースなどをかばんに戻した。そしてペットボトルから残っていた水を飲みほしてこれもかばんに入れた。


つい最近読み終えたドストエフスキーの「罪と罰」の警察署での描写と私のこの時の周りの風景が交錯する。主人公のラスコリニコフは暑い日に警察に呼び出され塗りたての壁のペンキの匂いにめまいを覚え、離れたところで自分が犯した殺人の話がされているのを聞いて失神する。これで初めて警察は彼を疑うこととなった。ここの取り調べ室は冷房が効かない2階にある。そしてたばこの煙がひっきりなしに吹き出される。これは犯人の自白を促すためには効果があるだろうと思われた。


あちらから聞こえてくる話声からすると、犯人はこの夜はここで過ごすこととなったらしい。タオルはあるか、とか聞かれており、やがて警察官に引率されてわれわれがいた部屋の前を通って、どこかに連れていかれた。彼は通り際に部屋をのぞき見、私と視線が合った。やはり、一言でもすいませんでした、とか言うような人間ではなかった。


別のところで作成されていた被害届に事実の間違いがいくつかあり、とくに取り調べ官の記載した調書の内容と矛盾することもあって、訂正がなされ私は訂正印の替わりに右手人差し指で拇印を何度か押すこととなった。ついにこれで私の指紋も警察のデータベースに残されることとなったなと思った。


すべての作業が終わり、田制刑事は「おつかれさまでした」と言い,私は「ごくろうさまでした」と彼の労をねぎらった。席を立ちながら「窃盗の場合でもこんなに時間がかかるんだったら,痴漢などを捕まえた女性から調書をとる場合にはもっと大変なんでしょうね」と付け加えた。それは否定されなかった。


もう1時をかなり過ぎていたので当然ながら車で家まで送ってもらうこととなった。5・6人の警察官が騒がしく本件の書類などの整理をしていた広い部屋に移った。婦人警官も一人いた。デジタルカメラをとり出して、ここで写真を撮ってもいいかと聞くと、なぜかと聞くので、本当に私が夜遅く警察にいたことの証拠写真だ、と言うと、ここは困る玄関でやってくれということだった。


玄関に出ると警察署の前は教会だった。良心の呵責にせきたてられて自首しようとしてここへやってきた罪びとたちは、司法の門をたたく前に少々寄り道をして神の門をたたき罪を告白するならあらかじめ許されるわけだ。


玄関をバックに自分のフラッシュ写真を撮っているとまもなく二人の警察官が出てきた。田制刑事とその上司と思われる人で、二人は私を乗用車の後部座席に案内し、彼らは前に座った。上司のほうが車を運転した。しばらくして田制刑事の推理が始まった。長光さんは今ではそうでないが、最初来られたときはとても赤ら顔でかなり酒に酔っているように思われた、だから電車でこんな長光さんを見た犯人はすでにかばんを棚に置いた時からチャンスをねらっていたのだ、そして長光さんがかばんから少し離れたところに座ったのを見て犯行を決意した、と。なるほど、私はあの時眠りに落ちることはなかったが、しばらく目を閉じることはあったかもしれない。してみれば少々の酒で真っ赤になる私の体質が犯人の計算を狂わせたということになる。


家に車がついたのはすでに朝の2時を回った時刻だった。残暑見舞いの絵はがきが会社の女性から届いており,絵は季節はずれで、サンタクロースと男の子が暖炉の前でおもちゃで遊んでいるものだった。寝る前にこれをながめながら清酒のオンザロックで飲み直すことにした。


終わり



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