8話
和真がゴーストをしている「真田 ヒノエ」という画家は、実は既に亡くなっている。
今、現在こうして表舞台で「真田 ヒノエ」として振舞っているこの初老の男性は画家本人とは双子の兄にあたる。
大病に犯された「真田 ヒノエ」は「死んでも世に作品を作り続けたい、真田ヒノエの名を、作品を忘れられたくない」と兄に願ったそうだ。
しかし、真田はダイナミックな作風からも分かるように、とても目立ちたがり屋で、社交的な男だった。
そんな彼が個展や交流会、授賞式に参加しなくなってしまえば、関係者は不審がるだろう。
そう考えた兄は、真田ヒノエが亡くなるかなり前から"自分と弟を自らすり替えた"のだった。
それから、真田 ヒノエとなった兄は、表舞台でヒノエを演じながら、並行してあらゆる場所で"真田ヒノエのゴースト"を探した。
しかし、作風が似ているマイナーな画家を連れ帰っても、ヒノエは一向に頷いてはくれなかった。
「俺の絵は派手なだけな絵だとお前が思ってるということだけは分かった」
ゴーストを探し始めて3ヶ月が経った頃、ヒノエはとうとう口を聞かなくなってしまった。
そんな時、空秋という今をときめく売れっ子画家がヒノエの病室を訪れたのだ。
「ゴーストを探し回ってるのはこういうことだったのね」
感情の起伏の無い声で、淡々と喋るその少女をヒノエは鼻で笑った。
「情緒の無い小娘にゴーストまでたてる私の気持ちなんて分かるわけないな?」
嫌味に満ちたヒノエの言葉に、空秋は顔色一つ変えず「分からないわ」と頷いた。
「私は自分が死んだ後も、実の兄とゴーストを使って画家としての自分を生かそうなんて思わないもの。狂ってるわね」
「なんとでも言え。君みたいな情緒も無ければ絵に鮮やかさもない画家がどうして評価されているのか、私には理解出来ないし、理解したくもないね」
「情緒がない…確かに貴方達からしたらそう見えるかもしれないわね。でも私だって他人の色を理解しようとしたことだってあるのよ?」
「君が?」
ヒノエは、自分で聞き返してからふと思い出した。
この空秋という画家は、元来、白と黒の二色でしか描かないことで有名だった。
彼女の生み出す絵からは漠然とした虚無感を感じさせながらも、どこか神秘的な魅力があった。
しかし、ある時、突然彼女の絵が多色になったことがあった。
ヒノエはその時のことを思い出しながら、(あのことか)と内心で呟いた。
「だがすぐに君の絵に色がのることは無くなったと思うが?」
「そうね、失ったの。色の接点を。取り戻す為にとても苦労したわ」
「接点?」
「ええ、貴方には理解出来ないでしょう?だけどそれが画家というものだわ。同じ画家でも理解し合えないんだもの、素人に理解しろだなんて無理な話だわ」
空秋の淡々とした言葉を聞いて、ヒノエはハッとした。
「……君はその事をわざわざ言いに来たのか?」
ヒノエが聞き返すと空秋は黙って頷いた。
「文句を言う前に、自分で探しに行くのが良いわ」
空秋に促されて参加した学生やアマの画家が集まる交流会でヒノエは和真を見付けた。
当時高校生だった和真は、自分の絵や彫刻を高額で買い付けてくれるヒノエをあの"真田 ヒノエ"だとは認識していなかった。
そしてヒノエは、自身の時間の許す限り、和真との接触を増やしていった。
自分の名前を託すのに当たって和真がどんな人間なのか知りたかったのだ。