2話
そして1週間後、梔子は宣言通り本当に和真を訪ねてきた。
汗を流しながら木材を削っていた和真は、自分が木を削る音で梔子の声掛けに気が付かなかった。
そうして大体3時間が経過した頃、和真がふと汗を拭おうと持参したタオルを手に取り、それまで誰も座っていなかったはずの丸椅子に座ろうと振り返ると、そこには既に梔子がニコニコと微笑みながら座っていた。
「やあ、お疲れ」
「いたなら声くらい掛けろよ」
「いやぁ、声は掛けたんだけど君が余りに集中してたから」
「……それでいつから?」
「んー、3時間くらい前かな」
ケロッとした顔の梔子に、和真は思わず瞬いた。
(あー、そういえばコイツも画家だったっけな)
梔子は校内でも有名な現役の画家だ。
この芸大卒として有名な「空秋」という画家にその才能を見込まれて空秋の付き人のようなこともしているらしい。
「で?なんで俺に描けって?お前こそ才能あるんだから、それこそ自分で自分の絵くらい描けよ」
「うん、それはもう試した。けどダメだったんだ」
「?ダメ?お前レベルでダメなら、尚更俺じゃダメだろ。俺は造形専攻だぞ」
「うん、知ってる。だけど絵も描くでしょ?」
「………………」
梔子の切り返しに和真は思わず黙り込んだ。
校内で仲の良い友人は多いが、その中の誰にも絵を描いていることは話ていない。
それなのに1週間前初めて話した様な人間が何故知っているのか。
和真は訝しげに梔子を見つめ返した。
和真の視線に、梔子はその綺麗な形の唇からふふっと小さく笑いを零す。
「君の絵、ある画家の個展で見たことがあるんだ。君はその画家のゴーストだろう?」
「!!」
梔子の言葉がドストレート過ぎて、和真はピクリとも体を動かすことが出来なかった。
梔子の言う通り、和真はある画家のゴーストをしている。
しかし、それはけっして誰にも知られてはいけない。
和真がゴーストとして絵を描く代わりに、その画家から多額の報酬を受け取っているからだ。
両親が他界し、幼い双子の姉弟を抱えながらも和真がこうして藝大に入ることが出来たのはそのおかげだった。
この事が知られれば、その画家も全てを失い、和真の生活も立ち行かなくなる。
だからこそ、和真は何も言い返すことが出来なかった。
否定をしてもなぜだか梔子には隠し通すことが出来ないと思ったからだ。
そして黙り込む和真に、梔子は相変わらずの笑顔を向ける。
「僕は別に君を脅してる訳じゃないんだ、ただ、君の絵を見て僕のことを描けるのは君しかいないと思ったんだ」
「……………」
「君が描いてくれるまで、僕はいつまでも君に付きまとうよ?」
「はあ!?」
梔子の驚きの発言に、和真は思わず声を上げた。
一方で梔子は、そんな和真の反応に楽しそうな笑い声を漏らす。
和真のアトリエにこんな笑い声が響くのは初めてだった。