記憶の欠片
火や雷で焼かれ、禿げた草原の真ん中に、傷は目立つが未だ銀色の輝きを放つ立派な鎧を身にまとう騎士たちが十人と、彼らに守られるようにして囲われた王家の色の赤地に王家の紋章である牡丹が金糸で刺繍されたマントを羽織った女性が一人。
暗雲立ち込める不気味な戦場にて、私たちは死の淵に立たされていた。
そして遂に王女の首に奴らの剣が届く距離まで追いやられ斬りかかってきた兵たちを後目に、せめて王女だけは、と身を挺し目を瞑り遂に死んでしまうのだと思っていた。
しかしながら目を瞑った後に聞こえてきたのは、こちらからの悲鳴ではなく、敵がいるはずの前方からの複数の男が出す苦悶の声だった。
不思議に思って目を開けると、刀を携えた男の背が目の前にあった。
「アルバート!」
突然目の前に現れた男は、目の前にいた大勢の敵を一撃で薙ぎ払い、高らかと叫ぶ。
すると上空から唸り声が聞こえたかと思うと
上空から隕石かと見まがうほどの大きさのドラゴンが男の横へと降り立つ。
「彼女らを守ってやれ」
男はドラゴンに一言呟くと、こちらには目もくれず敵陣へと駆け出す。
それからすぐにドラゴンは私たちの周りを囲うように座り、男の言うように守ってくれるようだった。
「王女を狙えぇっ!」
それと同時にドラゴンがいようとも物怖じしない兵隊が幾人もこちらへと向かってくる。
『―――竜王の鉤爪』
ドラゴンは前足を高く上げ、そのまま凄まじい勢いで地面へと足を叩きつける
すると足元から前方へと無数の乱れた線が地面を這って伸びてゆき、遅れて凄まじい衝撃がやってくる。
向かってきていた兵隊は態勢を崩し、そのままドラゴンの衝撃でできた亀裂から生まれた溝に吸い込まれていく。
男の方は、何百といる兵の中へと突っ込んでいき敵陣営を切り崩していく
その速度は落ちるどころか、進むごとにどんどんと速さが増していき、いつの間にか目で追えないくらいの速さで駆けていくと、数瞬の間に山頂へとたどり着いてしまう。
瞬きの間に起きた出来事に驚くが、知覚したころには既に敵将軍の前で男が納刀している最中であった。
―――バンッ!!
その時になって遅れてやってきた破裂音が、遥か遠くにいた私たちの所にまで響き渡って聞こえてくる。
音が響き渡ると同時に、目の前を覆っていた兵隊の壁が手前から段々と崩れ落ちていく。
瞬時に、今の音があの男が放った斬撃の音であると理解する。
やがて壁が全て消えた時、納刀を終えた男は首の無い敵将を背に、こちらを向いて立っていた。
その姿は、まるで悪魔のようであり、また王の風格でもあった。
「...デモンズロード」
私は、私の意思とは関係なしにその言葉が口からでていた。
悪魔の王『デモンズロード』
新たな王の誕生を目にした後、私はそのまま意識を失った...
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
―――ブロロロロロロ...
「...あたり一面雪景色」
ハベル・ペルセウス=ぺネレウスはバスの後部座席に座り先ほどから代わり映えのしない景色がいつまでも終わらないことに辟易しはじめ、既に耳慣れてしまったバスのエンジン音と湿った雪が窓をうつ音をBGMにウトウトとしていた。
対して隣にいるエマ・ハリソンにおいては、今のところ、この先に待つ温泉に胸を躍らせていて気付いていないが、あるいは外の情景に...気づくのはもう幾許の時間も残されていないだろう。
今回の旅行は『初めて二人きりで来る旅行は最高でならなくてはならない』という自論をもとに、余念はない。たとえ旅行計画に雪ダルマづくりを提案するような愉快な彼女が、さらさらとは言い難いむしろべちょべちょの雪を見たとしても、きっと数分後の俺の頭には何もかもすべてうまくいく粋なフォローがいくつも思い浮かんでいるのは言うに難くない...たのむからそうあって欲しい。
出発してからしばらくして、丘陵に差し掛かったころには雪が降り始めていたのだが、幸いいつもなら面白いことには敏感な彼女は雪の降り始めからこの瞬間まで道の駅で購入したパンに夢中になり外の景観の変化には気づかずにいた。『雪がもしも残念だった場合』を想定して事前に彼女の好物を買っておいたのはどうやら正解だったみたい。これが功を奏してここまで持ちこたえているのだから。
またこれ幸いとは言ったもので、少し前に彼女の視線を遮るように窓枠に肘をついたのは咄嗟の判断にしてはできのいいものであったといえる。間違いなくこのままいけば大丈夫なはずだ。先も言った通りハベルはこの旅行を最高なものにしたいのだ。そのためには、まるで麦の山から縫い針を探すような神経を使う作業であっても成功させなくてはならない。
今一度気を引き締めた所で、ふと彼女の方を向くとどうやったらそんなところに着くのか分からないが頭にある牡丹の髪飾りにクロワッサンの袋をつけ俺とは反対の窓へ視線を向けていた。
「...」
...あまりにあっけない。俺の希望は(鼻からそんなものはなかったのかもしれないが。)今この瞬間に音を立てて崩れ落ちた
「...ハベル!見て、雪だよっ!」
この世は非常なものでもある。例えば順調に気をそらせていたと思っていた矢先、彼女はいうなれば妖怪ア〇テナならぬ面白センサーとも形容すべきアンテナを持っていて、いつも通りしっかり働いていたアンテナによって見られたくないものが最後には見つかってしまう、とかね。
―――高校2年の冬、ハベルは最愛の彼女と温泉街に旅行に来ていた。
まどろみの中、不意に耳から音が遠のいて行く。
(―――ああ、だめだ。今眠ったら...彼女が雪を見てがっかりしたら駄目なんだ...)
窓の外には朝日が斜めに草地を照らし、その向こうに広がる森の絡み合う枝々に淡く光る白雪が乗っている光景が広がっている。
相変わらず眠気と戦いながら、先ほど俺の作戦があえなく失敗に終わってしまい、少しばかりうなだれていると、日が陰ったと思ったらエマが顔を覗き込んで、雪が湿気っているわね、でも雪合戦にはもってこいだわと宣言した。
ようやく私も雪を触れるのね!という言葉を皮切りに、俺は口をつぐみ「向こうに着いたら温泉の前に少し雪で遊びましょうね、考えている時間ももったいないですもの!」なんて口走るようなわんぱくな...いや毒ずくのはやめよう彼女が楽しければ何よりだ...次の道の駅でレインコート買っとこう。
(―――良かった。心配しすぎだったみたいだなぁ)
―――グラッ
......
...??
ん?なんだ..夢か?今一瞬目の前が真っ白に...
(...いや、気のせいか)
「うーーん。 なんだか体調が...悪い、みたいだな。彼女には悪いけど、向こうに着いたら起こしてもらおう...」
(無理に起きてても心配させちまう...だけ...だ..しな...
「『「何を寝ているんだ?」』」
..........っっっっっ!!!!!!)
―――ゴー―ッ....
(ううっ...なんだ、今の。
それにめちゃくちゃ頭が...痛い。)
うん?音が...くぐもって聞こえる...
体も重いし...
...どういう訳か、目の前が真っ暗だ。
「....ぅなんとか動けそう...」
体に力をいれると、上にのっていた何かがゆっくりと持ち上がる
―――バオサッ...
「ごほっ、ごほっ...」
(...うぅっ、寒っ!!!)
なんとか上体を起こすと、体から白い粉がさらさらと落ちていく。
...これは、雪...だな。
(なんで雪に埋もれて...どうなってるんだ?...ここは、どこだ?)
目を開けるとバスで前の席にいた脳天の禿げたおじいさんの後頭部はなくなっていて、代わりに雪野原と目の前には煙を上げてまる焦げになったなにかに、そのなにかの中心で燻ってパチパチと音を立てている炎がチラチラと見え隠れしていた。さっきからくぐもって聞こえてた音の正体は、どうやらあれみたいだ。
「...そんな事どうでもいいんだ。一体なにが起きてるんだ? 最後に覚えてるのは、確か...バスの中で寝てたはずじゃ...」
それがどうして雪に埋まってるんだ?
寝た後の記憶がない...夢かとも思ったが、これだけ寒くて寝ていられるわけがない。要するに、寝ている間に何かが起きたのは間違いないはず。
とすれば不思議なのは、ここがどこなのか場所が分からないということ。
もし仮に事故が起きたとして、乗っていたバスが転落したのだとしても、落ちた形跡もないし、落ちるような崖や坂はなく、霧がかっていて遠くまで良く見えないが見渡す限り木と雪しかない、少なくとも道路や舗装された道が一つも見当たらない......のだ。
「どうなってるんだ、一体。」
何より...彼女はどこだ...?
さっきまで隣にいたはずの彼女の姿がどこにも見えない。雪に埋もれているような感じも、木の裏に隠れているような感じもない。それも彼女どころか、他の乗客も姿が見えない。
やはり夢なのかと思ったが、寒いし雪の感触が凄くリアルで、恐らくこれが現実であることは間違いない、と再確認してしまう。
「...こうしていても凍え死にそうだし。とりあえず何か温かくなれる何か...羽織れるようなものを見つけるか...」
そう思い、立ち上がって体に乗っていた雪を払う。すると、着ていた毛皮のジャケットの裏に何やら違和感があることに気が付く。
おもむろに懐を探り、その違和感の正体を取り出すと黒い小包であった。かぶっていた黒い布の結び目をほどき、布を外すと中からはひとつの本と巾着が出てくる。表紙や背表紙には何も書いておらず、パラパラと本をめくるも中にも何も書いていない本だった。巾着も見てみたが、似たようなもので何も入っていなかった。
一体、いつこんなものが入ったんだろうか。もちろんこんなものを持っていたことも、買ったような記憶もない。これも意識の無い間に起きた何かの拍子に入ってしまったとかだろうか?
よく分からないし、一旦はそういうことにしておこう。今は、これが何かなんて、それほど重要なことじゃない。
「とりあえずあのバスの中でも見てみるか」
あの中なら役に立つなにかがあるかもしれない。それに、もしかしたら悠長に物事を考えている場合ではないのかもしれない。なにが起きたのかは分からないし経緯も分からないが、周りの状況を見ても恐らく俺は遭難しているのだろう。それならば一刻も早く、何とかしなくちゃいけなくなる。
ともかく何も分からないなら分かることだけでも把握すべきだろうし、ひとまず周辺を探ってみよう。話はそれからだ。
―――数分後。
結果から言うと遭難しているとみてまず間違いなさそうだった。
まずは周辺を探ってみた結果、一つだけ分かった事がある。
それは目が覚めてからずっと気になっていた、火が燻っている黒い塊の正体だ。あれは、どうやら俺らの乗ってきたバスの残骸のようだった。ナンバープレートと黒焦げの物体の上を払ってみると金属の感触がして、ひとしきり綺麗に払ってみたら表面が焦げた見覚えのある車体が出てきたおかげで、乗ってきた観光バスであるとすぐに分かった。
横転したのか、土砂崩れ等に巻き込まれたか。その瞬間の記憶がないから正確なことは言えないが、状態を見るとただ事じゃない出来事が起こっているのが分かる。
車体はグチャグチャになってひしゃげており、まる焦げの状態なのに加えて、車体の前部分、正確には全体の四分の一程度の運転席あたりまでの部分が、輪切りされたような跡を残して消えているのだ。中も酷いもので、荷物のようなものはほとんど燃え尽き、座席なんかはほとんどが融解し、その途中で固まったような状態になっていた。
こんなもの見たことも聞いたこともない。こんな姿になるような事とは一体...一体このバスに何が起こったのか。そう思うのと同時に、俺は運が良かったのかもしれないとも思った。なんせバスがこんなことになっているのに無傷で生きているのだから。
まあただ、それとは別に全く何の怪我も負っていないのは、だいぶ不自然でもある。これを運が良かったと捉えるのか、はたまた予想だにもしない不吉な出来事に巻き込まれていると考えるか...どちらにせよ、俺の意識がない間に起きた出来事を知らない限り結論は出ない。
――ふとバスの方を見る。
どれくらいの間、雪に埋まっていたのか分からないが、周りの様子からするとそれほど時間は経過していないと思う。
「...俺はどれくらい気絶していたんだろうか。」
雪に埋まっていたのに、体は普通に動かせるし、まる焦げのバスの火は消えていなかったし、少し判断材料は少ないけど、たぶんあっているはずだ。
...と、分かったのはこれだけ。
バスに残っている不可解な断裂...不安だ。バスのまわりには何もなくて、何かが散乱した様子もなかった。だからこそ足跡も何も残さずに人だけ綺麗に消えてバスも荷物も元のまま残されていることに強い違和感を感じる。
現実に起こっているのだから、もはや非現実的なものとは言えなくなってしまっているが、何か超常現象的なことが起こっている気がしてならない。
―――――――
結局、最後の最後まで乗客を探す手がかり一つも見つからないまま体感で一時間くらいが経過した。雪解けを促すがごとく、天気はいつの間にか晴れていき、空をみると日差しが高い位置から注がれていることが分かり、今がどうやら真昼間あたりの時間帯だと分かった。
今のところ合流できる手立てもないし、エマや他の乗客に関しては無事でいることを祈ることしかできない。今のままでは他人の心配ばかりしている暇もなさそうだし。
「あまり暗いことを考えていても仕方がない、ここからは自分の身の安全を第一に考えよう」
そう、ついエマは他の乗客の心配をしてしまうが、別に自分に関して余裕があるわけじゃない。
このまま行けば寒空の下で明け方まで野宿をする羽目になる。今考えうる最悪はそのまま何もできずに死んでしまうことだ。出来れば日が暮れる前には、最低でもこの寒さを凌げる場所か、出来るならば助けを求めるためにも街道や民家を見つけたい。
間違いなく、コクコクと俺の寿命も迫ってきている。自分にどれだけの時間が残されているのか分からない。
というのも、今の自分の状態が危ないのかどうかも寒さのせいで体の感覚がなくっていて分からなくなってる。もしかしたら凍死なんてこともあるのかもしれない。逆に、感覚がマヒしているおかげでここまで冷静になって考えられているとも思うが、そう考えると全てが悪いとも言えない。
触っても感覚のない手を見つめると小刻みに震えているのが分かった。寒さからくる震えなのか、死を意識したことによるものなのか...
目を閉じて頭を振り、その考えを頭の隅に追いやる。だめだ。どうにもネガティブになっている。
「...エマ」
ふと、頭の中に嫌な考えがよぎる。絶対にそうなってほしくない光景が目の裏に浮かぶ。不意に目を向けた先には、血にまみれたエマと子供の頃に俺の周りから消えていった......家族..が燃え盛るバスの中で苦しそうな顔でこちらを見ていて―――
「――っぅ」やめてくれ。
今度こそ邪念を払うように
余計なことを考えないように
頭の中をからにする。
「...エマも家族もこの場所にはいないんだ。あんな光景が現実に起こることはない。」
目を開けると、バスは燃えていないしエマも家族の姿も消えていた。
――――
それからまたしばらくして、バスを離れて日の沈む方向に移動をした。幸いなことに、俺と一緒に放り出されていたのか、俺の荷物が無事だった。
おかげで工夫して食べていれば、足りなくなることは当分ないくらいの量の食料に簡易寝袋、ライターなどが手に入った。
これが俺の生命線だ。もしこれが無くなれば、俺の命もすぐに尽きる。
...そうならないことを祈るばかりだ。
バスを離れる時に、近くにあった木から進んできた道順に印をつけてきている。
もしかしたら、の可能性に賭けて誰かが救助に来てくれるかもしれないし、何日かに一回はバスに戻ろうと思っているからだ。これで何か不都合でもない限り、バスまでは戻ってこれるはず。
未だに膝まである雪を踏みしめ、寒地用ジャケットを羽織ったことでいくらか感覚が戻ってきた手を握りしめる。
―――俺は今一度決意を固め、どこへ行くという目的も当てもない旅への一歩を踏み出した。
こうして最愛の人と温泉へ行くはずだった旅行は唐突に終わりを告げ...
そしてここから、俺の人生を狂わす長い長い『悪夢』という名の冒険が始まったのだ。