第87話 幕間 4人の決意
本日3話目です。
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一眞達5人が、のんびりと馬車に揺られながらポエミの村へ向かっている頃、トレゼアから遠く東の地にて、大河と伊織は若干うんざりしつつ狩りをしていた。
「んもう! なんでこんなに多いんですか?」
「キリが無いな」
朝から昼過ぎまでの間だけで三桁に届きそうな程に大量のオークを屠り、それが一段落した時、伊織と大河は思わず愚痴を零す。
特に伊織は卑猥な言葉が自身に投げかけられていると分かるからか、余計にイライラが募る。
それを見て伊織の指導係である赤城由香は苦笑いを浮かべるが、自身も今の状況に疑問があるのか大河の指導係である加賀隆に話しかける。
「本当にね。隆、貴方はこの状況をどう思う?」
「そうだな……近くに巣穴がある。で間違いないだろう。それもかなり大きな」
その言葉に伊織と由香の表情も引き締まる。
尤も、大河は普段から表情に変化が無いのでいつも通りであるが。
今、大河や伊織達は自身の指導係達と行動を共にしている。
現在の場所は、トレゼアから高速馬車で二日近くをかけて、東へと進んだギルバーン伯爵領の森の中。
そして隆と由香が問題にしているのは、ギルバーン伯爵領がどういう場所に存在するか、というその一点につきる。
それは、ここから少し東に進めば、人類が5年前に失い、未だに取り戻せていない帝国の旧領土に接するゆえに。
未だ取り戻せていない理由はいくつかある。
現在の魔の領域との境界線には高い山々が連なり、侵攻ルートは極限られ、そのどれもが大軍を進めるのに適さない細い街道しか存在しないという事。しかもこの先の旧帝国領土は、一部を除いて、ただ広いだけでとても豊沃とは言い難い痩せた大地が広がるのみ故に、おのずと奪還の優先度は低くなる。
更に言えば、この先の土地を奪還した所で、周囲に自然の防壁となるものは何も存在せず、防衛もままならず孤立してしまう可能性が高いがゆえに、帝国上層部はこの地をほゞ見捨てていると言っても言い過ぎではないだろう。
もっと重要な旧帝国領土は存在する。その事がこの地に大軍を派遣せず、ギルバーン伯爵に手前での防衛のみを課している現状だった。
そんな地の隣にあるギルバーン領は、魔の領域から漏れ出す濃密な魔素の影響を受けやすい。
人体に直接の害は及ぼさない魔素ではあるし、生活をする上で人族にとって切っても切れないのも魔素なのであるが、こと魔物や亜人にとっては人族のそれとは異なり、自身たちの活性化を促すものが魔素という面を持つ。それが濃密な魔素ならば尚更。
ゆえにギルバーン領には魔物が自然発生する森が多く存在するのだった。
当然、ギルバーン領にも冒険者ギルドは有るのだが、キャパシティーを大幅に超える魔物の発生に手を焼いている、というのが現状だった。
勿論、皇帝もジークフリードもその事は理解をしており、気にかけてはいるし、今回の冒険者派遣もそれに近いものだったのだが――
「どうする? このままこの4人で進むのもいいけど、規模が分からないと危険よ? オークやハイオークだけならまだ良いけど、厄介なのが居る可能性もあるわ」
「ああ、この地が地だけに万が一はあるな」
危険だと口にしたが、レベル80台の由香たちだけならば問題は少ない。
では何が問題なのかと言えば、当然、大河と伊織が居るからである。
大河と伊織は既に二人ともレベル35を超えている。だがそれでもオークの洞窟は何があるか分からない。
常に二人を保護した状態で戦う事の難しさは、今回初めて指導員を任された隆と由香にとって身に染みて感じている。
金の卵をこんなところで死なせるわけにはいかない。
自身の評価云々よりも、ただその事だけが二人に慎重さを強いていた。
「でも、グリードさんはなんでこんなとこに行けって言ったの? もっと野営をしやすい場所なんて幾らでもあったでしょう?」
「確かにそうだが、依頼の大本が宰相のケネス氏からというから、大方断れなかったんじゃないか? あの人は押しに弱いし、他の奴らはほゞ行き先が決まっていたしな」
「そうだけど、大事な英雄候補と聖女候補を預かってるって分かってるのかしら」
「それは、まあ、同感だがな」
大河と伊織は先輩冒険者の言葉を黙って聞いている。
自分達は教えて貰う立場だからという事もあるだろうが、一緒になっている人達のレベルを考えれば、それも当然だろう。
今日から4日間をかけてこの付近一帯に増えているオークの討伐を、野営の訓練もかねて行う。それが大河や伊織達の目的だった。
魔の領域が近いとはいえ、その間には高い山が遮っているのだから、魔素の影響で自然発生するモンスターはいても、魔の領域からレベルの高いモンスターはそうそう流れて来ることはない。
しかもギルバーン伯爵領から元帝国領へと続く道は、現時点で要塞砦にて全て封鎖されている。だからこそ位置的に非常に危険ではあるが、場所的に左程危険ではないと判断しての遠征だった。
因みに、判断をしたのは土方ではない。
彼は、彼の固定パーティーと共に、帝国軍務総督からの直接の要請により数日前から1カ月をかけて、帝国北部の魔の領域の調査に赴いているが為。
故に判断をしたのは2名居る副レギオンマスターの一人だったのだが、当初はこんな危険かどうか微妙な場所への遠征は計画されてはいなかった。
トレゼアから西に向けて進んだ地にあるオークの巣に向かう予定だったのだが、副レギオンマスターの権限でこれを変更してきた。
その事に大河の指導係である加賀隆は少々訝しんだが、結局は安全を最優先にするという条件で受諾した。
(まあ、こういう事もあるか……)
過去にこう言った事が無かったわけではない。
相手がモンスターなのだから、予定が狂う事など往々にしてある。
今回もそれと同じなのだろう。ただ今回は運が悪かったというだけ。
(危険になる前に帰ればいい、ただそれだけだ)
そう隆は結論付けた。
「よし、今回はここまでにしよう」
「はい」
「そうね、この先に恐らく巣穴があると思うから確認だけはしたかったけど仕方がないわね。ちょっとこの先は危険過ぎる匂いがするわ」
そう口にしつつ、由香は少し身震いをした。
二人が転移をして、冒険者を始めて2年。
その間、由香と隆は危機なく冒険者を続けられてきたわけではない。
未だに少し鈍い所がある隆とは違い、元来憶病だった彼女の性格は今はもうすっかりなりを潜めているが、その代わりに本当の危機が訪れる前に体が拒否反応を示すようになっていた。
長く相方をしている隆はその事を十分理解しているが為に、由香の様子は手に取る様に分かった。
ゆえに隆は進むか引くかの判断を、由香の仕草を見て決めていた。彼女に異変があれば引き、無ければ進む。
(今回も間違いではないんだろう。俺でも危機を感じているくらいだし)
そう思いながら隆は由香に指示を出す。
「だな。じゃあ由香、悪いけど使い魔をトレゼアのレギオン本部に送ってくれるか? グリードさんあてに」
「わかった。内容は大規模なオークの巣が存在する可能性がある為に一時撤退する。で良いわね?」
「ああ、それで構わない」
隆の言葉を聞き、由香は小さく頷いて、魔法の詠唱を始めた。
するとカラスのような風貌の三本脚の鳥が、由香の手の上に姿を現す。
日本で言う所の八咫烏そのままの風貌の鳥は、慣れ親しんだ由香の手の上で大人しく留まっている。
「良い子ね、じゃあ悪いけど、今から口にする言葉をトレゼアに居るグリードさんに伝えてちょうだい」
そう言いつつ先ほど口にした言葉をカラスに伝え、さらに魔法で封をし、カラスを空に羽ばたかせた。
それをじっと見つめる由香。
もしかしたら届かないかもしれないと思いながら。
先ほどから嫌な予感がひしひしと背中に感じている事も、そう思った理由だろう。
「よし、そうとなればこの場からさっさと戻ろう」
「はい、わかりました」
現在は先ほどまで続いていた波状攻撃ともいえる連続したオークの突撃も止んでいる。
この期を逃せばまた同じような攻撃が、またいつ再開されるかわかったものではない。
「後方に注意をしつつ、速やかに撤退するぞ……っ!!」
そう隆が口にしたその時だった。
森の奥深くからこちらに向かって来る圧力を感じ、振り返った瞬間、更に周囲全方向から同じような圧力を何体か感じた。
「まずいですね、どうやら囲まれたみたいです」
「だね、多くはないみたいだけど」
そして同じように感じた大河も、腰を落として剣を構えつつ口を開き、伊織も周囲を見渡しつつ杖を握りしめて同意を示した。
普段の雰囲気からは想像できない程に研ぎ澄まされた殺気を放つ大河を見やり、流石だなと感心しつつも今はそれどころでは無いと瞬時に切り替え、隆は二人に言う。
「ああ、索敵は常に最大範囲で行って居たんだが、それをかいくぐるって事はそれ程の手練れということか……暗殺者じゃない、な」
「何だと思う? 隆」
索敵を掻い潜ったからといって自分よりも強者だとは限らない。
仮に暗殺を得意とする者ならば、隆よりも遥かに弱くとも索敵スキルを掻い潜る事は可能だからだ。
だが暗殺はあくまでも相手に知られない事が条件であるので、この場合はそれに当てはまらない。
既に全員が気付いているし、気付いているという事は手練れの暗殺者ではない。手練れの暗殺者ならば、気配に気づいた瞬間に自身の防御障壁が発動してしまう程だから。
ならばこの気配は亜人のものだろう。
そして亜人にそのような芸当が出来るとなれば……。
「鬼人か……」
「やっぱり居たのね」
先ほど由香が、厄介なのも居るかもしれないと言った言葉。
それはまさしく鬼人を指していた。
当たって欲しくはなかったと由香も思ったが、先ほどのオークが執っていた連携を見て、もう少し思慮を巡らせていれば良かったと思えば余計に歯軋りをしてしまいそうになる。
状況の最悪さを大河も悟り、伊織を自身の後ろに隠す。
先頭を加賀隆が陣取り、その後ろを由香と伊織が並び、更に最後を大河が守るダイヤのような陣形。
とはいえ今はこの場から無事4人とも生還する事が大事だ。
ゆえに由香も頭を切り替え、まずは気配の数を探る。
「……数は、三体ね」
「ああ、後ろの二体は俺らと同等だろうが、前から来る奴がかなりヤバい」
そう口にしたが、恐らく後ろの二体も歯が立たないのではないか。
知らず口の中の唾液が乾き切る。
嚥下した喉が水分の少なさに張り付くような気がする。
震えないのは大河達が居るからだろう。
逃げないのは愛する由香が居るからだろう。
そして気付く。
「くそ……ここが俺の死に場所か……」
苦悶の表情を浮かべる加賀隆は、小さな声でそう呟き拳を握りしめる。
そして彼は決意をする。
「だがな……」
死ぬのは俺だけで十分だ、と。
そう思った瞬間に大河が口を開く。
「一人で良い恰好は抜きですよ、加賀さん」
「そうですよ」
「はぁ~、隆は相変わらずね」
「お前ら……」
「恐らく俺と伊織じゃあ、食らえば一瞬で障壁が突破されると思います。だから弱い方の1体を俺と伊織で何とか受け持ちますから、後の2体は二人に任せます。俺らじゃあ倒せないと思いますけど防御に徹すれば何とかなるような気もしますから」
「わたしは全力で皆さんを支援します。こんなところで死ぬわけにはいきませんから」
これが英雄と聖女の資質なのかと、隆は戦慄いた。
こちらに来てまだ一月も経っていない二人の表情は、既に覚悟を決めているそれであり、それは由香にも見られた。
ゆえに隆は覚悟を決める。
玉砕ではなく生き延びる覚悟を。
「俺が先頭のを何とかする、由香は後ろの1体を早めに片付けろ。支援職だからって泣き言はいうなよ?」
「分かっているわ。それに、わたしは支援職って言ってもちょっと違うもの」
「そうだったな……期待してる」
作戦など何もない。
ただ相手は自身たちよりも強いという現実だけ。
(良いだろう、やってやろうじゃないか)
隆がそう決意を固めた時、視界に奴らは現れた。
身の丈2mを越え、額に角を生やし、鋼のような肉体をもつ鬼人が。
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