第51話 魔法回路
本日3話目です
「良いですか? 目を瞑り気持ちを落ち着かせつつ深呼吸をしてください」
「はい」
エミリアさんに言われるがまま、俺は目を瞑って呼吸を整える。
今日は朝早くから、エミリア師匠の指導をヘルミーナさん達の家で受けている。
魔法の基礎とも言うべき体内の魔力の流れを感じとり、それを任意の属性に繋げる為に。
何故この場所を選んだのか。理由は簡単だった。
ヘルミーナさんが精霊魔術の使い手で、その理由からこの場所は町の中であるにも関わらず魔素の流れが緩やかで理想的だから。
更にはリュミさんが植えている各種ハーブの効果と、大きな樹木のマイナスイオンによってリラックス出来るというのだから、正しく魔法の基礎を修得するにはもってこいの場所だということ。
俺は庭の芝生の上に置いた椅子に腰かけ、朝の陽ざしを瞼に受けつつエミリアさんの指示を待つ。
「良い感じですね。落ち着いていらっしゃいます」
この家の持ち主であるエルフの姉妹は、近くのガゼボの中の椅子に座って優雅にハーブティーを飲んでいる。
今は邪魔をしないようにか二人とも黙っているけれど、気持ちを落ち着かせれば、二人の存在を感じる事が出来る程にこの場は静かで穏やかだ。まるで森の中に座っているかのような錯覚すら覚える。まあ実際に森の中のようなものだけど。
「で、では、いきますね」
エミリアさんの存在も当然感じ取って居て、それは非常に落ち着いたものだったのに、その言葉の直前から少し乱れだしたようだ。
「エミリアちゃん大丈夫? ちょっと気の流れが不安定よ?」
今まで黙って居たヘルミーナさんも当然感じ取り、不安げな声色でエミリアさんへ聞いた。
「だ、大丈夫ですよ? いやですねヘルミーナさんったら……」
どう考えても大丈夫のようではない。
というか基礎を教える裏技って、一体なにをするつもりなんだろうか? エミリアさんが緊張するって……ま、まさか……。
思わず、仲の良い男女が行うアレを想像してしまい、俺の心臓も早鐘を打ち始めた。
「あ、カズマも不安定になったわ」
「もう……エミリアちゃんのせいで、折角カズマくんが落ち着いていたのに台無しだわ」
「そ、そんな事はありません!ね!?シバしゃん!?」
いあ、そんな事あると思います。
あなたも思いっきり噛んでるじゃないですか?
「えっと、何を今からするんですか? それだけでも教えて欲しいかなーって」
「ひ、引っ付けるんです……」
「はい?」
「ですから! 引っ付けるんです! もう!シバさんは何も考えずに黙っててください!」
「あ、はい……」
何故か怒られた。
何となく理不尽さを感じたけれど、まあいい。余計な事なんて考えずにもう一度落ち着こう。
そう思い直して小さく何度か深呼吸をした。
するとエミリアさんも同じように、
「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー。よし、大丈夫です」
その言葉と同時に、目を瞑って居ても分かる程にエミリアさんの存在を間近で感じ取る。
けれど、この後の事をつい想像してしまい、またしても心が乱れる。
「もう、世話の焼ける子達だわ」
少し離れた場所からヘルミーナさんがそう口にし、彼女の座る場所から別の何かの存在を複数感じた。
すると、一瞬の内に心が落ち着きを取り戻し、森の中に包まれているような感覚が再度甦る。
「す、すみません、ヘルミーナさん」
「ふふふ、良いのよ。さ、今の内に早くね」
「はい、では、シバさんいきます」
そう再度口にしつつ、エミリアさんの意識が近寄って来た。
目をあければもう目と鼻の先なんじゃないかと思える程に。
そして、優しく俺の両頬を包み込む柔らかくて暖かい感触が。
「あぅ……」
き、き、キスか!
もしかしてもしかして裏技ってキスだったりするのくぁ!?
動揺しつつ様々な思考がぐるぐると頭を駆け巡る。
こりゃもう平常心なんて無理だろ!
そう思った瞬間だった。
「あ、あれ?」
何かにそれを強制的に鎮められているかのような。
焦っているけれど、どこか落ち着いているかのような。
「大丈夫です。落ち着いてください。ヘルミーナさんも協力してくださっていますし」
ああ、これが精霊魔法か……。
直感でしかないけれど、恐らくはそうだろう。
そして優しく小さく呟くように綴った、エミリアさんの言葉に俺は落ち着き、そして――
俺のおでこに暖かい何かが触れた。
「――汝の眠りし力を、我の力で解き放たん――マナ・エヴェイユ――」
すると、唇と唇が触れそうな距離感から紡がれた言葉によって、俺の中に何かが流れ込んでくるような錯覚を覚えた。
こ、これって……。
確かに感じる自身の中にある魔力。
それがゆっくりと流れているのが突然分かる様になった。
「す、すご……」
言うなれば、体中を巡る血液の動きがつぶさに分かるような。
いや、血液の流れを感じられる人間なんて居ないと思うけど、例えればそんな感じだろうか。
「せ、成功ですね、ちゃんと火も土も回路が繋がりました。おめでとうございますシバさん。もう目を開けてもいいですよ」
エミリアさんの声が徐々に離れていく。
もっとそうして居たかったような、恥ずかし過ぎて居た堪れないような、不思議な感覚と共に、俺は目をゆっくりと開けた。
ずっと瞼を閉じていたので最初は視界が朧気だったけれど、徐々に慣れてくると、目の前には恥ずかしそうに顔どころか耳までもを真っ赤に染め上げて、俺をにこやかに見やっているエミリアさんの顔が。
「ありがとうございます」
「やったわね。カズマ!」
「おめでとうカズマくん」
二人も近くで俺を祝福してくれた。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいのよ? 大した事ではないから」
そう口にしたヘルミーナさんの近くには、30センチくらいの小さな妖精が3体飛び回って居た。
そうか、これが精霊魔法か。
そのシルエットに、俺のイメージが重なる。
「シルフですか?」
「そう。4種類いる風の精霊の中の一つよ。今回はこの子達が適任だと思って来てもらったの」
虫のような透明な羽をはためかせ、ヘルミーナさんに何かを語り掛けるような仕草をとるシルフ。
女性をそのまま小さく縮尺したかのようなそのシルフは全身が緑色で、まるで色を塗る前のフィギュアのようでもあった。
「そう……ええ、そうね。私達もそう思って居るわ」
何やらヘルミーナさんはシルフと会話を交わしている。
「ええ、大丈夫。きっとね」
ヘルミーナさんの言葉に満足したのか、そのシルフ達は周囲を飛び回り、俺の傍まで近寄り、おでこにキスをして消えて行った。
突然の行動に驚く。
「い、今のは?」
「ふふふ、カズマくんをどうやら気に入ったようね」
「え?」
何を言っているのかさっぱりだ。
「精霊召喚っていうのは、現実に居る精霊のコピーをそのまま召喚するようなものなの。だから意思もあれば会話も出来るわ。もっとも、会話が成り立つのは術者だけだけれどね?」
「その精霊が俺を?」
「そういう事。ふふふ」
どこがどう気に入ったのかは分からないけど、まあ嫌われるよりはいい。
「でもこれでカズマも魔法が使えるようになったわね」
「あ、そうだった」
精霊の事で一番大事な事を忘れるところだった。
「あとは今感じている魔力の流れを利用して、魔法を唱えれば発動しますよ」
未だに赤い顔のエミリアさんがそう教えてくれた。
そして思い出して俺まで再度赤くなる。
「あえっと……有難うございます……エミリア師匠」
あえてこの師匠という言葉を使った方がいいと思った。
「あ、はい。ええ、私はシバさんの師匠ですから、はい」
「あらあら……」
「誤魔化したわね……」
どうやらうまく逃げ道が出来たようだった。
じゃなければ俺もエミリアさんも顔を合わせられない程に、心臓がバクバクしたままだっただろう。
いずれにしても、これで魔法を使えるようになった。
魔法の発動は幾つか方法があるけど、確実に使用させるには魔法のリストを開き、使用したい魔法名を読み上げれば良いらしい。が、ここで試し打ちは流石に出来ない。なので12時の馬車に乗って南西の森へ行ってから。
少し落ち着いた頃、4人でハーブティーを飲みながら、先ほどの裏技について聞いてみた。
「さっきの方法って、広まったら不味いんですか?」
別に何も問題はないような気がしたから聞いてみたのだけれど。
俺の質問に対して、ヘルミーナさんが答える。
「ええ、本来は広まっても全く問題はないわ」
「ですよね? でも広めないって事は何かあるんですか?」
「単に、異性同士の肌の接触に抵抗があるからだけなのよ」
「あ! あぁ……」
なるほど、そういう事か。
知り合いに魔法使いが居て、その魔法使いに対して、魔力の流れを例のやり方で教えてくれと頼んだとき、相手が異性だった場合は教える側が拒否をする事もあるだろう。だっておでこを引っ付けるのだから。
キスよりは随分ソフトだとは思うけれど、それでも嫌だと思う相手も当然いるだろうし、それで断った場合にその後がどうなるかは予測できないから。
ケチだと罵られたり、おでこすら引っ付けて貰えないとショックに思われたり。
人間関係はこちらも元の世界も同じく面倒くさいんだなと。
「――って感じですか?」
それらの予測を口にすれば、ヘルミーナさんは頷きながら、
「ええ、その通りよ。だから、教える場合には同性同士か親子という関係か、もしくは師弟の関係にあるいう暗黙の了解のような物があるの」
「だからエミリアさんは昨日の朝に、理由付けが出来ていいって言ったんですね」
「う、は、はい……そうです」
未だに赤い顔を見せている。
相当恥ずかしかったらしい。
いや、恐らく俺の顔もまだ赤いだろう。自分で自分の顔が見えないのはラッキーだ。見たら途端に恥ずかしさがぶり返してきそうだし。
「いずれにしても助かりました、エミリア師匠」
「いえ、良かったです。ふふふ」
「それと、この方法は必ず上手くいくものではないというのも、普及を制限させている理由でもあるわ」
ああ、そういえば成功ですねとエミリアさんが口にしたな。
「成功するのは半々くらいですね。理由は定かではありませんが、呼び起こす属性の数も影響するみたいですから、きっと何か理由はあるんだと思います」
「へぇ~……そうだったんですか」
まあ何にしても俺はこれで魔法が使える。
早く使いたくてうずうずしているけれど、ここで次なる話題が。
「あとはそうね、カズマくんは今の所、火と土しか使えないようだけれど、その他の隠れた属性に何があるかも興味が湧くわね」
「あれば良いんですが」
「あるわよ!きっとね」
何の根拠もないと思うのに、リュミさんはあっさりそう言った。
いつでもポジティブな彼女らしいな。
「でもどうするの?四属性と聖属性ならエミリアちゃんかリュミで良いと思うけれど、それ以外の、光だとか空間だとかが芽生えたらどうするつもり?」
四属性よりも高度な属性に分類される属性が俺に芽生えるとは思えないけれど、それについてもエミリアさんは既に答えを用意してくれているらしい。
「それに関しては一人心当たりがあります」
エミリアさんの言葉にヘルミーナさんは少し考えた後、何かを思い出したかのような表情をみせた。
「もしかして……あの人?」
「はい。恐らくは動いて頂けるかと」
「あらあら……そう……」
ヘルミーナさんはそう言いながら意味深な視線を俺になげかけた。
時々そういう視線を送って来るけど、その視線は非常に不安を掻き立てる。
「あの、どういう事です?」
「ふふふ。大変ねカズマくんも」
どういう意味なんだろうか?
リュミさんを見てもあまりよく分かっていない風だし、エミリアさんの知り合いで、尚且つヘルミーナさんが大変だと言う人とは……。
「なんか怖いんですが……」
「大丈夫ですよ、シバさん」
何が大丈夫なのか分からないけれど、とりあえず引き下がる。
どのみち今考えても仕方がないし。
「わ、分かりました」
「あ、そうそう。魔力切れには十分注意するのよ? 今までなら障壁くらいしか大量に魔力を消費しなかったはずだけど、これからは魔法でもガンガン減るから魔力管理は必須よ。エミリアなんてそれで何度卒倒したか」
「懐かしいですね。……そのたびにリュミさんに介抱してもらいましたし」
確かにエミリアさんは近接だから、思わぬ魔力消費に見舞われそうだ。
「気を付けるよ。あ、質問だけど、魔力ポーションって連続で飲んでも大丈夫?」
「うん、治癒ポーションと同じ扱いよ。飲めば直ぐに回復するわ。でも、5本くらいなら大丈夫だけど、調子に乗って何十本も飲んでしまうと、やっぱり倦怠感と頭痛が襲って来るから程々にね?」
「あ、あぁ。確かにあれはキツイ」
一昨日目が覚めた時の症状を思い出して顔を顰めた。
「とは言っても万能薬を飲めば大丈夫だけどね」
「ああ、やっぱりそうなんだ。飲んだらスッキリしたし」
「うん、でも青ポも万能薬もどっちも高額だから、パワーレベリングの時くらいしかお勧めしないわ。本当はそれもお勧めしないけどね」
「何かある?」
「んー……連続で飲み過ぎると万能薬そのものの効きが悪くなるのよね」
え?万能薬が効かなくなったら大変なんじゃないか?
「なるほど……気をつけよう」
「気を付けてねー。ガニエなんて飲みすぎちゃって高級万能薬じゃないと効かない体になってるんだから、カズマはそうならないようにね」
リュミさんは笑いながらそう言うけれど、確か高級万能薬って1個で金貨2枚はした筈だ。
「うへ……気を付けるよ……」
その後、早めの昼食を4人で摂りつつ、その他の覚えておいた方が便利な事などを教えてもらい、4日後に知り合いを連れてくる事も伝え、昼前になってエルフ姉妹の家を後にした。
オルバス行きの馬車ターミナルへは、ここから30分くらいはかかる。
その間俺は、何時もよりかは微妙に距離が開いたエミリアさんを意識しつつ、俺とエミリアさんはターミナルへと向かった。
そして道中、魔力回路を繋げて貰ったお礼の報酬を口にしたのだけれど、当然のようにそれを拒否された。「し、師匠ですから!」と、顔を真っ赤に染め上げて。