第38話 エミリアの怒り
本日5話目です。
冒険者ギルド内にある一室にて、相馬と田所、それから絵梨奈は、エミリアとエレメスに事の次第を説明している。
突然運び込まれた転移者。
しかしそれは今まで類を見ない程の低ステータスを持って、この世界へ来た人物だと知り、エミリアはともかくエレメスは、やはりそうなったかと当初は思った。
聞いていたステータスでは到底生きてはいけないと。
こちらのヒュームにステータスが近いとはいえ、決定的な部分が転移者は欠けているゆえに。
エレメスはそう思っていた。
来たばかりの転移者は著しく危機感が欠落している。
だから彼もそうだろうと。
だがしかし、相馬達の話を聞くうちに、全く違う状況に置かれた上の負傷だと知り、室内は異様な緊張状態となっていた。
勿論、エミリアは最初からエレメスとは異なる見解だったのだが。
「魔獣と争った形跡があったことは間違いないのだな?」
先ほど盛大に取り乱したエミリアは既に落ち着いているが、今は険しい表情を見せたまま説明を聞いている。
「はい、到着した時は司馬君しか居なかったのですが、間違いなく大型の魔獣と戦った形跡がありましたね。空のポーション瓶も数十個転がっていましたし」
「どう思いますか?エレメスさん」
「ふむ……その場所は、ワイルドボアが居る領域で間違いないのか?」
「そうですね、ボアの領域に入って直ぐ、ギリギリ範囲内だったと思います」
「それで直径3mもの大木が倒れかける程の魔獣、か……」
この時点でエレメスもエミリアも既に答えは出ている。
どのような魔獣が居て、どのように戦ったかを。
だが、問題は、何故そこにソレが居たのかだった。
目の前の三人が口にする報告が正しければ、絶対にその場にソレは居ない。
だが、どう思考を巡らせても、ワイルドボアでは大木が倒れかける程の衝撃は生まれない。例えクラスが上がる直前の個体だとしても。
となるとソレはギガスボアという事にしかならないのだった。
そしてもう一つの事実。いや、二つ。
「それで、その魔獣の死骸は無かったと」
「はい、状況からみて司馬君とほゞ相打ちだったようにも思えました。ですが大きな血だまりのみ残して消えて居ましたね」
「更に司馬君は武器も防具も着ていなかったと」
「はい、下着一枚でした」
「あ、あと、マジックポーチとギルドカードは有りました」
それらは間違いなくある事と結びつく。
今までも無かったわけではない、冒険者による故意でのモンスタートレイン。
しかも、今回は一眞の命を狙った上でのキルトレインだという事に。
仮に冒険者以外の者による犯行ならば、無知ゆえにマジックポーチすら残っていなかった可能性の方が高い。したがって同業者という線が極めて強くなる。
既にその事を結び付けたエミリアは、鬼のような形相でテーブルを睨みつけている。握りしめた拳は幾分か血が滲んでもいるし、唇は真一文字に固く結ばれ、怒りで体が震えてもいるようだ。
エミリアはレベル96とはいえ、彼女が持ち得る加護の恩恵と魔闘士というレアな戦闘職業により、既に白金ランク程度の実力は十分に持って居るし、その為の実績も十二分に上げている。
ただ、二度目のヘルを抜けた者という条件を満たしていない事と、彼女は現在は冒険者ではなく、ギルド員に徹している為に昇格を成されていないだけなのだが、その事を言葉のみで知っているサブギルドマスターのエレメスは、初めて彼女の怒気を感じ若干寒気を覚えた。
この冒険者ギルドへ来て、ここまで彼女が憤怒する姿を見たのはエレメスとて初めての事。
元白金ランクの冒険者であったエレメスですら、今の彼女は抑えられないかもしれないと。そう思わずにはいられなかった。
これが、あの英雄の血なのか、と。
自身が尊敬してやまない人物に重ね合わせる。
そしてそれと同時にある確信を抱く。
(これほどまでにこの転移者の事を、エミリア嬢は気にかけているという事でもあるのか)
ベッドに眠る少年は、エレメスも初日に初心者講習を行った際に会って居る。
その後、その時の様子をギルドマスターから聞かれたが、特別変わった節は無かった。
いや、話を真剣に聞く姿は、今までの転移者とは若干異なるものではあった。
ただ、それはある筈の加護が無く、ステータスもこちらの一般人と同程度だからに他ならないと、その時判断したのだが……。
生き残る確率を少しでも上げようとする、こちらの冒険者と同じだと。
(とはいえ今は落ち着いてもらわねば成らないだろう)
「エミリア嬢、ひとまずはその辺で。3人が戸惑っている」
そう口にするのが精一杯だが、殊の外彼女は感情をコントロール術を身に着けているらしい。
「……はい。その通りですね」
その言葉で絵梨奈達の緊張が幾分か解れる。
とはいえエミリアの視線は凍てついたままだった。
誰が、一眞をこのような目に合わせたのか。……しかしそれは概ね分かって居る。恐らくはあの男だろうと。
ゆえにエミリアは許せなかった。
そしてそれを裏付けるかのような情報を、絵梨奈からもたらされる。
「それから、これは噂なんですけど、司馬君の死を賭けの対象にしている人達が居るみたいなんです」
その言葉で先ほど落ち着かせたエミリアの感情が再度爆発する。いや、先ほどとは比べ物にならない程に。
エレメスも目を見開き視線が固まり、そして事態の深刻さを悟る。
「な……んですか……それ……」
「それは……本当なのか?」
「ひっ……」
「っ……!」
絵梨奈達はエミリアの怒気を目の当たりにし、思わず小さく悲鳴を漏らした。
転移者と言えども初心者程度では一瞬で蒸発してしまいそうな程に、膨大な怒気が部屋中に渦巻く。
「モロボシ……ですか……」
普段の彼女からは想像だに出来ない程に低く重い声色に、エレメス以下全員が息を飲む。
口を開こうにも言葉が出てこない。
「……どうなんですか?」
視線を向けられただけで凍り付いてしまいそうな程だったが、絵梨奈はエミリアの視線に対し小さく頷いた。
「そうですか……」
「だが、証拠はないぞ……エミリア嬢」
「そうですね。ええ、十分わかっていますよ」
だがそう口にしたエミリアの表情は確信に満ちたものだった。
(確証はありませんが、必ず証拠を見つけ出し、そしてそれ相応の報いを与えて差し上げなければ、とてもではないが私は収まりがつきません。……ですが、良かったです。生きて帰って来られて……生きて帰ってくれて……よかった……)
どんな事をしてでも必ず突き止める。そう思いつつも、とにかく一眞が生きて戻ってきた事に、エミリアは深く安堵するのだった。
そしてそれと同時に、エミリアの中で一眞の存在が強く、大きくなっていた事も、戸惑いながらも実感してしまったが。
◆
エミリアとエレメスが相馬達3名に状況説明を受けていた頃、同じ冒険者ギルドの医務室では、治癒師によって傷を塞いでもらった一眞が静かに眠っていた。
そこには一眞ともう一人。
若干白みがかった白銀色の美しく長い髪と、それとほゞ同じ色の美しい瞳を持つその女性は、眠っている一眞の傍でじっと無言のまま佇んでいた。
他の人族よりも遥かに長く生きて居るからか、感情が薄い彼女なのだが、その瞳は何やら物思いに耽っているようでもあった。
そして何を思ったのか徐に、自身の白く細い指を一眞の頬に這わせる。
「ん……」
いまだ意識を回復させない一眞だが、突然触れられた事で無意識に身じろぎをした。
それを見た女性は、それでも落ち着いた所作で一眞の反対側の頬をひと撫でする。
そして、仕上げとばかりに、手のひらを一眞の額に翳し、一言二言呟いた。
すると、一眞の体が若干だが光を一瞬だけ放ち、そして直ぐに消える。
「やはり……」
何かを確信したかのように、その女性は薄く微笑み、一眞から離れ何事も無かったかのように椅子に座る。
そして、懐から眼鏡のような魔道具を取り出しそっとかけた。
◆
「あれ……?」
目を覚ますと見知らぬ部屋の中だった。
簡易的なベッドに寝かせられ、薄いシーツが掛けられているようだけれど、遠くの方で一人の女性が椅子に座ったまま机に向かって何やら作業をしている。
「ん? あら? 漸くお目覚めね」
俺が目覚めた事に気付き、ゆっくりと立ち上がり、優雅に歩を進めながら近づき、覗き込むように俺を見やるヒュームらしきその女性は、この世界では珍しく眼鏡をかけて居た。
歳は俺よりも上に見え、エミリアさんよりも上のようにも見えた。
知的な雰囲気を醸し出しているその女性を、俺はぼーっと見やりつつ、何で俺はこんなところに居るんだ?とゆっくりと考えたのだけれど……。
「あ!!!……っつぅ……」
記憶が混沌としていたが、何が起こったのかを思い出した俺は勢いよく起き上がったのだけれど、直ぐに激しい頭痛と眩暈を感じ、頭を抑えつつ再度ベッドへ落ちた。
「ほらほら、無理はいけませんよ? 貴方は随分と血を失くしたそうではないですか」
物腰の柔らかいその女性。
なのだけれど、何となく違和感を感じた。
いや、別にどこがどうおかしい?と聞かれても答えられないし、美人のヒュームさんですね!くらいしか思えないんだけど……なんだろ。
とはいえ今はそれどころではない。
痛む頭を抑えながら、目の前の眼鏡美人に聞いてみる。
「あの、ここはどこです?」
「ここは冒険者ギルドの医務室。南西の森で倒れていた所を、同じ転移者の三人組パーティーに助けられて、ここまで運ばれたのですよ、貴方は」
ゆっくりと簡潔に、そう要点だけかいつまんで説明をしてくれた。
「そ、そうです!!っぅ……」
「ほらほら、まだ安静にしておいた方が。何せ貴方は危うく命を落としかけていた所なのですから」
「やっぱり……えっと、助けてくれた人って……」
「ソウマという剣士君に、タドコロという剣士君、それからナチという魔術師さん。一応顔見知りなのですよね?」
「あ、はい……一応は」
朝と夕方にだけ会話をする程度のものだけど。
「彼等が発見した時は貴方一人だけ。一体何と戦ったのでしょう?」
「あれは、多分ですけどギガスボアだったんじゃないかと。額にはっきりと赤い筋がありましたから……」
「やはりそれが正解だったのですね。……そう……」
眼鏡美女は目を細め、顎に手を当てながら窓の外、遥か遠くを見やった。
「あ、あの……」
「どうしました?」
「倒れていたのって俺だけでした?」
「そう聞いているけれど、他に人が居たのですか?」
「いえ……あ、ギガスボアはどうなりました?」
「魔獣の死骸は無かったそうです」
「そんな……」
「そればかりか、貴方は身包みを剥がされていたとも」
そう教えられ、焦るように体をまさぐる。
今着ているのはTシャツとジーンズだろうか?……だな。
確認しつつ周りを見やるけれど、俺が着ていた筈の装備や、それから愛刀のグラディウスも見当たらない。
瞬間に、それらは全て持ち去られたのだと悟った。
「うそ……だろ……」
やはりあれは見間違いではなかったのだろうか?
まさか、だけど、だとするなら一体どうしてそこまで……。
「一応、先ほどヒールを唱えておいたから体力も回復しているし、欠損なども無かったので傷跡も全て消えています。後遺症もなさそうだし、あとは沢山お肉を食べて、ゆっくりと体を休めなさいな」
諭してくるようなその口ぶりに、思わず従う。
「……はい」
「ではエミリアを呼んできますね」
「あ、はい。あの……」
「どうしたのかしら?」
「ありがとうございました」
「私は何もしていないわ? そうね、その言葉は助けてくれた三名に言うべきですよ」
「はい、それは勿論……」
俺の返事を聞いたその知的な眼鏡美女は、薄く微笑んでそのまま扉を開けて外へと出て行った。
何となく夢見心地のような不思議な雰囲気に包まれていた医務室の空気は、彼女が出て行った途端に消え去る。
けれど……俺は……。
一人になった途端、現実に引き戻された。
武器も、鎧も、籠手も、インナーも、レギンスも、ブーツも、グローブも……。
全てを失ったという現実に。
「くっそ……なんで……」
顔を両手で覆い、失くした物を思い出しながら、それを譲ってくれた人に申し訳ない気持ちで一杯になる。
それと同時に、盗んだだろう男に対して激しい怒りを覚えた。
「なんで盗っていくんだよ……返せよ……」
まだまだお世話にならなければ成らない武器や防具。
けれど、その事よりも、俺はずっとこれから先、あの防具を手放さないで大事にしようと思ってたのに。
もっといい武器や防具が手に入っても、絶対に手放さないで宝物のように保管しておこうって思ってたのに……。
それが一瞬の内に消え去った。
「やっぱりあれは幻じゃないんだろうな……」
あの時見たシルエットは間違いなく諸星幸男のものだった。
何故あの場に奴が居たのかは知らないけれど――
そう思い至った時、扉が物凄い勢いで開いた。
「シバさん!!」
そして入って来たのは、何時もとは違って少しだけ赤い目のエミリアさんだった。
更にもう一人、初日に見たサブギルドマスターも。