6.私と私
時は少し戻り。
アリアが書庫に引きこもり始めた頃。
帝都城の訓練場で私はミハイルと対峙していて。
一気に距離を詰めて剛速で繰り出されるミハイルの拳が目前に迫った時、"それ"は起きた。
ーーー『くすっ、ねぇルヴェ。しばらく私と変わりなよ』
突然、目に見える全てのモノが動きを失い。
まるで時間そのものが止まってしまったかのように。
目前に迫る拳も、見開かれたミハイルの瞳も。
ついさっきまで風に揺られていた庭園の木々や草花すらも。
あらゆる全てが停止する。
何が起きたのか分からず戸惑う私に、後ろから聞き慣れた声が掛けられた。
『ルヴェがやり合うより、私が戦った方がやりやすいわ』
バッと振り返る私に、ルヴェがニコッと笑いかける。
「あなたは……」
『ん? 私はルヴェ自身。いいからほら、ちょっと身体を貸しなってば。悪いようにはしないからさ』
そう言うとルヴェはこちらに近付くと、私の胸へとその手を伸ばし。
そっと膨らみへと触れる。
「んうっ……」
服越しに感じるその手は、ズブズブと私の中へと沈み込むように入ってきて。
そんな様子をただぼうっと見つめる私に、私はくすっと笑う。
『相変わらず敏感だこと。それじゃあしばらく身体、借りるわね?』
そんな私自身の声を聴きながら、私はゆっくりと目を閉じて……。
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「ぜぃやぁぁぁぁあああああ!!!」
『ッ!!』
眼前に迫るミハイルの右拳を、私は一瞬身体をのけぞらせて回避して。
そのまま足を跳ね上げ、後ろに向かってクルリと宙返りをして距離を取り。
短剣を逆手に持ち直して構える。
そんな私を見て、ミハイルはニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。
「ハッ、面白え! そんな避け方そう簡単に何度もやれんわ! 今度は逃さへんぞ!」
再度一気に踏み込んで私へと迫るミハイル。
私はジリっと足を運んで、彼が今度は左の拳を突き出す瞬間に合わせて前へと小さく屈んで避けると。
『……ふっ!』
そのまま身体のバネを生かして右手に持つ短剣を右から左へと横薙ぎに振り切る…!!
その刃はわずかにミハイルの服を切り裂き、さらに私はもう一歩踏み出して。
逆袈裟に短剣を振り抜いた。
が、流石にミハイルはそう簡単には斬られてくれずに、私の左後方へと転がるように回避する。
そのまま私と距離を取る私に、ミハイルはぶっきらぼうに言い放つ。
「ったく、急に雰囲気変わったな? それがお前さんの本性か」
その問い掛けに、くすっと顔を綻ばせる。
『えぇ、そうよ。アッチの私じゃあ戦うなんて向いてないし』
くるくると短剣を投げてはキャッチして、私はミハイルに笑いかける。
『だからね、コッチの私にちょっとだけ入れ替わったってわけ』
「……なるほど、一種の多重人格ってヤツか」
そう言って何やら考え込む様子のミハイルに、私はさらに笑みを深める。
『いいの? 戦う相手を前にしてよそ見なんて。来ないんなら私からやるわよ』
「……はあっ? ちょっ待っ」
さっきミハイルから言われたセリフを仕返しとばかりに言い捨てて、私は再度一気にミハイルへと距離を詰め……。
ミハイルから攻められた時とは真逆の展開へと、無理矢理持ち込んでいく。
素っ頓狂な声を上げて慌てて構えようとするミハイルに、私は軽く跳んだ勢いを乗せて短剣を振り下ろす!
だが、やはり将軍と呼ばれるだけはある。
ミハイルはそんな私の大振りな攻めを右手で払い除け。
跳んだ勢いを受け流されて体勢の崩れた私を、背負い投げの要領で地面へと叩き付けようとした瞬間。
スッと勢いを緩め、そっと地面に私を降ろした。
「スジはええ、間違いなく天性の才ってくらいにな。せやけどあんな風に大振りな攻め方をしたら反撃の機会を相手にみすみす渡す事になるわ」
振り降ろされて地面に寝転がる私を覗き込みながら、ミハイルは言う。
「あとは……そうさなぁ。技を磨くだけやな」
『ずいぶん私のこと買ってくれるのね』
そう思わず問い返す私に、ミハイルはニカッと笑った。
「そらそうや。刃を落としてあるはずの短剣で、ワシの服を曲がりなりにも切り裂いとるんやぞ?」
そう言って溜め息を吐くミハイルの様子に、私は今更ながら急になんだかトンデモない事をしてしまったような気持ちに駆られた。
思わずバッと跳ね起きて、その場で座って私はミハイルに頭を下げる。
「えっあの……ごめんなさいっ!」
「おおう!? なんや急に謝りおって。ワシとしちゃあ、むしろそんだけ鋭い太刀筋を褒めとるんやけどな……?」
ミハイルは隣に腰を下ろすと私の背中をポンポンと撫でる。
その優しげな手付きに私は身を委ねたまま、ふぅっと目の前が真っ暗になっていき……。
ーーー『あーあ、戻っちゃった』
ふと真っ暗な空間で、私は私と向かい合っていた。
目の前で、ルヴェはニコニコと明るく、それでいてどことなく不敵な笑みを浮かべて私の方を見つめてくる。
「ねぇ、私って……なんなの?」
そう思わず問い掛ける私に、目の前で荒々しい表情を浮かべるルヴェはくすっと笑った。
『そんなの、私が知るわけないじゃん。私が分かってるのは、アンタと私は同じってこと。アンタは私、私はアンタ」
ーーーそれだけよ。
そう告げて、もう一人の私自身はふっと煙のように消えた。
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「ったく、寝ちまったか」
コテン、と自身の肩へと頭を乗せてスゥスゥと寝息を立て始めたルヴェに、ミハイルはやれやれと苦笑する。
「しゃあねえ、ワシの部屋まで連れて帰るか」
ボヤきつつもルヴェを背負って立ち上がるミハイルに、少し遠巻きに素振りをしていた者達の中から声が掛けられた。
「ミハイル様ぁ、オンナノコを自分の部屋に連れ込むなんて誤解を生みますよぉ」
「むっ、なんやレティか」
「なんや、だなんてぇ……そんな邪険にしないでくださいよぉ〜」
そう苦笑しつつ衛兵隊の制服を着る若い女兵士こと、レティはミハイルの背負っているルヴェをチラッと見て言った。
「真面目な話、ミハイル様に年頃のオンナノコの着替えやら風呂やらのお世話をさせる訳にはいきませんよぉ。この子のお世話、あたしに任せてくださいな」
「うーむ……ならお前さんに預けるわ。分かっとると思うけど、この娘はアリアからの預かりものやからな? よろしく頼むわ……ワシもうドヤされるのは勘弁や……」
そう愚痴をこぼすミハイルは、その巨躯からは思いもしないくらいに気が重いようで。
「アリア様から、ですかぁ。って、あれ? なーんか気になりますねぇ……まぁ、いっかぁ〜」
ふんわりとした雰囲気を持つレティは少し首をかしげつつも、ミハイルの背からルヴェをひょいっと受け取り。
自身の背に彼女を乗せて、兵舎の女子寮へと向かう。
「うぅーん、やっぱりいやーな予感がしますぅ。まさか……いやでもぉ、そんなわけないですよねぇ〜?」
なんとなく後ろ髪を引かれるような気持ちを抱えつつも、レティはルヴェを女子寮に備え付けられているシャワールームまで連れて行き、彼女を一旦更衣室のベンチに寝かせると。
着ている服を脱がせ、お湯に浸したタオルでルヴェの身体をもれなく拭き取っていく。
「んっしょと。こんなもんですかねぇ〜」
そう一人呟いてのほほんとルヴェに自身の寝間着のひとつを着せてベッドへと連れて行く途中、突然レティの元に"念話"が届いた。
『レティ! 今少し大丈夫ですか?』
「うわっ、ミスティお姉ちゃん!?」
『うちのアリア様が、夜も更けてきたと言うのにまだ帰宅されないのです。城に行くと仰っていたのですが
……』
どうやら相当焦っている様子のお姉ちゃん……もとい、ミスティの様子にレティはまずは落ち着いてと宥める。
「それで、お姉ちゃんがそんなに焦るなんてぇ〜。なんかあったのぉ?」
『えぇ、つい先日アリア様が記憶喪失の娘を連れ帰って来まして……。今朝その娘を連れて城へ向かわれたのです。毎回無茶ばかりされますから、今日は絶対に、か・な・ら・ず帰って来てください! と念押ししましたのに……』
そう嘆く姉の様子に、レティにも少しずつ話が繋がってきた。
「あー……お姉ちゃん、その娘ってさぁ」
『ルヴェと言います。まさか知ってるのですか? レティ?』
「うん……知ってるっていうかぁ……」
『はっきり言いなさい!』
「……えっとねぇ、今隣で寝てるよぉ」
そう恐る恐る告げた瞬間、念話の向こうから感じる思念が……荒れた。
『分かりました、そのままルヴェのそばで待機なさい』
「えっ、お姉ちゃん……?」
『今すぐそちらに行きますので』
そのままブツッと念話が途切れ、その場でレティは思わず頭を抱えた。
「うえぇ……やっぱりこーゆー時の予感ってぇ、最悪なヤツぅ……」
「はぁぁ……いやーな予感ってほんっと最悪な形で当たるよねぇ〜……」
ーーーとある衛兵第三十七班副班長