致死率50%のソラ
僕は宇宙が好きだ。
無造作に散らばり、爛々と輝く星。
夜空が一閃に裂かれ、切り口から溢れたかの様な天の川。
そんな煌めく夜空に孤独に浮かぶ、無機質めいて壮厳とした白銀の月。
----そしてそれらを背景にして、月に向かって伸びる純白のロケット。
頂点が霞むほどに巨大で、細い胴体には、それよりも少しばかり太いブースターが5機、円状に囲んでいる。
その時、鋼鉄の城の頂上を一瞬、流れ星が掠める。刹那に燃え尽きたその線は何処か儚く、そして、美しかった。
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ゴツゴツと硬い操縦席 。
与圧服は固定され、腕以外は動かせなくなっている。中で身体をゴソゴソと動かすことはできるが、ヘルメットは動かせないので、視界は固定されている。目の前と、その少し下から月面が見えるだけだ。
薄い琥珀色のバイザー越しにある計器盤では、無数の針がぐるぐる回ったり、止まったりしている。
写真では何を示すかわからなかったが、今ではそれぞれが何を示すか、どの様な状態か、自分の身体のように全て理解できた。
「--異常は?」
ヘルメットの耳辺りに搭載された無線から、女の声が聞こえる。ノイズが混じった声は、元々の高い声と相まって耳に響く。
その声の主は隣に座っている。が、直接は聞こえない。視界も動かないので、姿も見ることさえもできず、静寂が流れた。
仮にもう隣にいなくても、気づく手段はない。
僕はこの宇宙にたった一人。無重力に浮かびながら虚無をさまよう。
ふるさとは40万キロ後方で、あの日見た白銀の月は、燃え尽きた炭の色ような色となり、足元に広がっている。、
「……これも、……好きだ」
思わず感銘の吐息がこぼれ、バイザーに雲を作った。
--バコッ!
「ーー!?」
数十秒経っただろうか。ノイズと区別のつかない罵声と共に全身に衝撃が走り、身体が揺れ、頭部が前後に振れる。
目を開けると、黒いグローブがバイザーを掴んでいた。グローブから伸びるオレンジ色の与圧服の腕は、隣の席に続いている。
「もう一回聞く。 異常は?」
再び高い声が聞こえてくる。無線越しにも静かな怒りが伝わってきた。
「空の上で、上の空か。ははっ……」
中年の男の声が聞こえる。その声はどこか悲しげで、震えていた。
「異常は……」
と、つぶやきながら計器に視線を落とす。高度計、昇降計、燃料計、速度計……。すべて正常。ただ一つ、針が0になっているものがあるだけだ。
「……特に異常なし」
「それ、本気で言ってる?」
……しばしの沈黙が船内を支配する。
「…………あえて言うなら、気圧が限りなく0に近い。それだけ」
そう答えた。
そして僕の意識は、計器盤の下に移る。そこにあるはずの床はなく、生命から隔絶した灰色の大地が、ただ、続いていた。
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----4万1051人。
これは、今まで宇宙に飛び出していった宇宙飛行士の数だ。
----2万3021人。
これは、飛び立ったまま、再び地上を踏むことのなかった宇宙飛行士の数である。
時は2020年。宇宙飛行士の命は、鉱山労働者と同じ程の価値になっていた。
原因は遡ること30年前。1990年初頭。ヨーロッパのとある国が月に人類を送った。
そして彼らは、人類史上初の"地球以外の星で消息を絶った人間"となった。
しかし、そのことが公表されてもなを、その国は宇宙開発をやめなかった。
各国はその国を非難する。生命の冒涜だ、命を軽視していると。
それでもなお、打ち上げは止まらなかった。部品を買えなくなっても、ミサイルを作り変えて人類を宇宙へ送り続けた。
その結果、最初の事故から3年後には人類史上初の"月面基地"が誕生する。そして、礎となった宇宙飛行士の数は700人を超えた。
その頃にはもう、その国を非難する者はいなくなっていた。
時は流れ現在。後に「宇宙黎明期」と呼ばれ、多くの命を代償に、民間宇宙旅行、SSTO、他惑星有人調査、核融合炉が現実のものになった時代。宇宙飛行士の求人票には「致死率50%」の文字が刻まれる。
それでもなお、宇宙飛行士に志願するものは止まらなかった。
彼らを動かすものは、星に縛られる生命としての宇宙に対する憧れか。はたまた、死に場所を求める壊れた心か。
様々な思いを載せ、城は夜空へと飛ぶ。