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クラウドセブン -第7の片雲-  作者: きのと
1章 異世界
6/10

血と老人

「……やめだやめだ」


 考えてみたがどれも確実性があるはずもなく、考えたからと言って全裸の男である事実は変えられない。こんな状況に追いやられてまで誰かに気を遣うのも馬鹿らしくなってきた。

 こういった場所で最も優先するべきは自身の保身だ。唯一にして絶対の鉄の掟は最後に生き残ったものだけが勝者というただ一点のみ。その方法が卑怯で臆病であるいは究極的なまでに独善的なものであったとしてもその根幹が揺るぐことはない。


 リュートは手近な枝をつかむと、それを伝って一段下の岩棚へ飛び降りる。スルスルと崖を伝って細道に降り立つとリュートははじめに思いついたプランを実行した。


「こんにちは、すみませんが着るものを分けていただけないでしょうか?」


 今では蔦で作った簡易的なスカートのようなものを巻いているが、一応枝で前を隠すことは忘れない。


「な、なんだ貴様は!怪しい奴め、こんなところで……そんな格好で何をしている!?」



 ――ぐ……ごもっとも。



 予想はしていたがあんまりにも正論だったため一瞬後ずさる。

 だからといってここで引くわけにもいかないので交渉を続ける。

 一説によれば、交渉というのは発言の内容よりも勢いによって制することが多々あるらしい。


「い、いえ、怪しいものではありません!」


「怪しいやつはみんなそう言うんだよ、お前にかまっている暇はない、いいから脇へどけ!」


「い、いや、これには深いわけがありまして……実は俺は別の世界の住人だったのですがある国の王に無理矢理召喚されてしまってそのあげく――」


「ええい!何を訳のわからんことを言っている!いいからそこをどけ!通行の邪魔だ!!」



 ――だ、ダメだ、どう考えても向こうの言っていることがまともっぽい!けど諦めるわけには……!



 身の上こそ奇天烈な状況に置かれているが、それでも一応リュートは常識人の端くれだ。自分が第三者なら間違いなく相手の方を支持するだろうと用意に理解できる。が、だからといって散々森を歩き回ってようやくつかんがこのチャンスをふいにするわけには行かないこちらの事情もあり、引くという選択肢はない。


「邪魔をするつもりはありません!せめて村の方向だけでも……」


「邪魔だと言っている!!」


 言うと同時に先頭にいた革鎧の男が槍を振りかぶり横薙ぎに振るう。

 意図したものか偶然か、穂先はリュートの右頬へと軌跡を描く。


 次の瞬間。

 側頭部に蹴りをたたき込まれた男は面白いほどの勢いで吹っ飛んで脇に生えていた木の幹に激突して動かなくなった。


「……は?」

「おいッ!どうした!?あ、あいつがやったのか!?」

「な、なんだおまえは!!」


 言うが早いかとまどいながらも後続の男たちが次々と武器を構えて襲い来る。


「会話ってものができないのかここの国の連中は……?いくら怪しいって言ったって、どういう思考回路で話しかけられただけで槍を振り回すって行動になるんだよ……。当然、戦いを始めようって意味なんだろうな?」


 こちらが下手に出れば調子に乗って――というわけでもないのだろうが、そもそも聞く耳を持たないまでは良いにしてもいきなり打ち込んでくるとはどういうつもりなのか。空腹や疲れで気が立っていたというのもあるかもしれない。リュートは穏便に相手をして物資を分けてもらうという選択肢を放棄した。


 とはいえ戦闘の心得などない。

 はじめの男の持っていた槍を拾い上げて闇雲に振り回す。


 そんな技も何もあったものじゃないリュートの一撃を食らった武装した男たちが面白いようにその場に崩れ落ちていく。

 槍の柄が折れる頃には最後に残った3人が武器を放りなげて来た道を全速力で引き返していくのが見えた。


「……。自分でやっておいてなんだけど……変質者に絡まれた挙げ句ボコボコにされるのは流石にちょっと可哀想だな。まあ何にせよ服が手に入った。こいつらの中古を洗いもせずに着るのはためらわれるが……まあないよりはいいだろう。あとは……今のところ武器は必要なさそうだし、この荷馬車の中身が食料とかだとありがたいんだけど……」


 倒れた男たちからめぼしい服を追い剥ぎして、まずは荷を調べてみることにする。

 会話から有益な情報は一切得られなかったが行商人なら雑貨がいろいろと手に入るかもしれない。


 屋根があるため荷馬車というよりは簡易の幌馬車に近いのでその中は薄暗い。

 荷台には商品なり荷物なりが満載かと思ったが、旅道具とおぼしき道具類一式と酒樽が一つ入っているだけだった。


「なんだ、もしかして仕入れにでも行くところだったか?当てが外れたな……今大樽一杯の酒が手に入っても仕方ないし……。いや、このまま馬車で町まで持って行って売れば元手になるか」


 リュートは道具類を調べていったん外へ出た。

 携行用の短刀、それを吊る革ベルト、厚手の外套――マントコートのようなものだ。それから干し肉と固いパンのような彼らの食べ残しらしい食料の入った麻袋。あとはテントやランタンなんかの野営道具といくらかの硬貨の詰まった革袋なんかがあったが、特に持ち出す必要はないので荷台にそのままにしておいた。


 外の様子を見渡すと、相変わらず男たちが倒れている。

 生きているのか死んでいるのかは不明だがそもそも興味がない。うめき声を上げているやつもいるので何人かは息があるようだがわざわざ殺す必要があるとも思えない。


「ふむ、以外と重いな」


 とりあえず進路上に倒れている邪魔な男だけを路肩にどかして、道を進むことにした。

 辺りが暗くなり始めているので、日没までになんとか平地までたどり着きたい。むき出しの岩肌と谷底に垂直に硬化する断崖の間にある狭い隘路では野営もままならない。


 後で追いかけられるのもいやなので武器は取り上げて、これまで世話になった袋と一緒に荷台に投げ込んでおく。

 刃こぼれや傷の目立つおよそ手入れの行き届いているとはいえないロングソードが三本に、ほとんど鈍器のように成り下がっている戦斧、棍棒と革の盾が三つずつ、バックラーが2つに短剣が5本。

 こんなものでもリサイクルショップのようなところに売れば二束三文の足しにはなるかもしれない。


 行き先は、この馬車の進行方向へ向かえば少なくとも町にたどり着くだろうという公算が大きい。

 当たり前だが馬車の運転などできないので馬を引いて歩くことに。幸い一頭立ての小型の荷馬車で、馬もおとなしくてよく人になれている様子なので引いて歩く分にはさほど難しくなかった。


 下り勾配の未舗装の荒れた道を行く。

 ゴツゴツと岩が飛び出し、雨が降ったときにできたらしい轍の溝が硬く固まり歩きにくい道だが今の体にはさほど苦にならない。同行者は馬なので襲歩くらいのスピードで日没から少し歩くと、ようやく下り坂と森林地帯を抜けて木々がまばらに生える草原のような開けた場所に出た。

 今の体力なら夜通し歩いて距離を稼ぐこともできなくはないが、食料も手に入り特段急ぐ道行きでもないので野営することにする。

 空腹もあるし、何よりせっかくできた同行者を馬車馬のごとく扱うのには気が引ける。


 大きめの木が二本立ち並ぶ、街道から少しそれた小高い場所でテントを張る。

 ちょうど窪地の両脇に木が立つ立地で、野営場所としてはいい感じだ。


「実は野営セットを見たときから楽しみだったんだよな。荒野で一人夜を明かす……男のロマンだな。おっと、その前に」


 前足で地面を叩くように蹴る相棒に、水桶を出してやる。一応飼い葉もいくらか積まれていたがここでは不要だろうと綱を外してやる。



 ――朝にはいないかもしれないけど、俺の財産てわけでもないし彼の意思を尊重するとしよう。

 繋いだままにして万が一だが獣や盗賊の夜襲に巻き込まれるのも可愛そうだ。



 リュートは荷台から道具一式を取り出してなんとか設営を済ませることに成功した。

 ティピーテント――つまりポール一本で支えるタイプの、どちらかと言えば軍幕に近いものだ。というより、ポールは現地調達の木を探さなければならなかったし、ペグなんて便利なものもなくロープを木の幹や手近な石に結ばなければならなかったので、実際的には鳩目の開いた布とロープがあっただけだった。

 布に関しては蜜蝋を塗ったコットンキャンバス――一般的な厚手のテントの布地でかなり使い込まれているようだが耐久性は申し分ない。


「薪も用意したし、あとは火だな。一応火口も入ってたけど、やっぱり火打ち石か……。まあきりもみ式よりはマシだよな」


 どうやら着火器なんてものはないらしい。王宮の様子だと魔道具なんかでありそうなものだが一般には普及していないのかもしれない。それでも火口が優秀だったのか意外と簡単に火をおこすことができた。

 本当なら肉でも焼きたいところだが、生肉などあるはずもなく、乾燥ソーセージを枝に刺して炙ることにした。


「しかしどうしたもんかなこれから……。帰る方法があるとも思えないし、仮にここがあの王国で首尾よく国王を見つけられたとして、あのクソ国王が帰還に協力するなんてあり得ないだろうなぁ。というか指名手配されてるかもな」


 揺らめく火を見ながら口に出して現状を確認する。とんでもない状況だが、暗闇に揺れる灯を見ていると、不思議と気持ちが落ち着くような気がした。

 まさにf分の1の揺らぎを感じる。



 ――そもそも、元の生活も思い出せないのに、本当に帰りたいのだろうか。



 火を見つめながら考える。

 ここならどういうわけか身についた超人じみた身体能力がある。この体があれば、最悪何かしらの労働をするにしても人より楽に暮らせそうだ。


「たとえば、土木作業でもすれば現場でヒーローになれるかもな。国に税を収めるのは癪だけどな」


 少なくともこの国で真っ当に働く気にはなれなかったが、他の国へでも行けば、ここにはここなりの何か自分に合った仕事があるのかもしれないし、奴らの束縛を受けずに自由にやっていく方法もあるかもしれない。まずは情報を集めることだろう。荷馬車や武器を売れば何日か分の宿代くらいは出るだろうし、宿屋に逗留しながら町の人達と交流を深めつつ話を聞くというのは悪くない。


 当面の目的を町への到着と情報収集に定め、考えもそこそこに炙ったソーセージとチーズをのせた固いパンに手をのばす。

 直火に炙られて水分をなくした皮がはじけて中から滲み出た肉汁が焚き火の炎にチラチラと照らされる。


「……姫さんどうしてるだろうな」


 投獄されてからも話し相手になってくれたエリーザ姫。

 ふと思い出した彼女の顔は最後に見た何かを押し隠したような別れ際の笑顔だった。一体あの後どうなったのか、どうしてリュートは山に捨てられたのか。気のいい兵士たちも含め変わらず暮らしているだろうか。あの城において関わった人々が気がかりだった。


 パンを貪りながら物思いにふけっている――と。


「おおおおーッ!」


 右手から突然の雄叫びにリュートはパンを取り落として反射的に飛び退いた。

 体制を落とし、声がしたほうを見やる。動悸がする。

 何をすべきかわからず、なれない手付きで木の幹を背にベルトから短剣を抜いて身構える。



 ――油断した!敵襲!?山賊か!?相手は!?



 身体能力が上がっただけで気配に敏感になったわけでもなければ、ここは住み慣れた世界でもない。常に警戒心を緩めるべきではなかった。

 背中を木の幹に預けながら相手の様子を探ろうと暗闇に目を凝らす。


 見ると、焚火の光にぼんやりと照らされて武装した大柄な男が立っている。

 胸に装飾の入った上等そうなプレートメイル。肩当てはあるがガントレットは革製で、手袋や靴の裾も革紐で縛り、戦闘というよりは旅の出で立ちにも見える。



 ――道中食い詰めての追剥か?



 不可抗力とはいえ、つい先だって自分も追い剥ぎまがいのことをした手前、何があっても不思議はない。

 短刀を前に、油断なく構えて相手を観察する。

 対して大男は無造作に暗がりから一歩踏み出してくる。

 相手はいかにも膂力のありそうな体躯だ。それでも今の体で先手を打って体当たりをかませば勝ち筋はあるかもしれない。両足に力が入るのがわかる。


「いやはや、失礼、驚かせてしまいましたかな?」


 男は焚火に自分がはっきりと照らされる位置まで移動すると、ここでの挨拶の作法だろうか、害意はないというように軽く両掌を仰向けて差し出し、こちらに見せた。

 老齢。そう言ってもいいだろう。がっしりとした体格が年齢を感じさせないが、年季の入った真っ白な口ひげを蓄え、顔には深いしわが刻まれている。まるで青々と葉をたたえる大楠のような男だ。


 ただこの男、普通の旅人ではない。

 油断がないとでも言うべきか、両手を掲げていてもなおこちらが斬りかかれば即座に押さえ込むことができるというような余裕がうかがえる。その気配が素人にも感じられるのだから尋常なことではない。

 例えるなら鍛冶師の名工。どんな金属をもねじ伏せる歴戦の技術と力を持つ傑物。そんな雰囲気を纏っている。


 果たして今のリュートの身体能力でそれを突破できるかどうかは微妙なところだ。

 漫画じゃあるまいし、力で勝っても技で負けることがあることくらいリュートにもわかる。


 だが、幸いどうやら相手は好意的だ。なんならかわいらしいと言ってもいい真っ黒なつぶらな瞳でこちらを――というよりリュートの夕食を見つめている。


 やれやれ、と脱力して短剣を鞘にしまうと、手が汗ばんでいることに気がついた。


「……要件は?」


 一応油断なく相手をうかがいながら目的を糺すことにした。


「いやなに、ワシも旅の途中なのじゃが……その、食料の目算を誤ってしまってしもうてな……、もし余裕があるのならいくらか分けてはもらえんかの?」


「は?」



 ――まさか、本当に道中食い詰めての追剥とは。



 視線をたどればうすうすそんなことではないかとは思ったが、さすがににわかには信じられない発言だ。族に取られたやら盗まれたならまだしも、こんな文明水準の世界で旅の食料が底をつくなど命に関わる問題だろう。



 ――なんと間抜けなじいさんだ。俺がいなかったら一体どうするつもりだったんだ……。



 げんなりした視線に気づいてか、相手は取り繕うように慌てて両手を振った。


「いやいや、途中食べ過ぎたというわけじゃないんじゃがの。この前通った村の子供たちに分けてしもうての。まあアレでは1日分にしかならんのじゃが、何日も食うとらんというもんで放っておくのも忍びなく致し方なく……」


 盗賊どころかどうやら単なる気のいい爺さんらしい。

 困ったように眉を寄せて事情を説明する相手にリュートはすっかり緊張を解いて、自分も焚き火の方に歩み寄る。

 不可抗力とはいえ、どうせ自身ひとから奪った食料という負い目もある。人のいい爺さんに恵んでやるのも懺悔にはいい機会だ。ここは一つ気前よく3つある食料袋を一つ渡してお引取り願おうと、進んで差し出すことにした。


「なるほど、そういう事情か。幸い多少の余裕はある。いくらか持って行くといい」


「おお、かたじけない!ではワシからはこの葡萄酒を供しよう、地元の特産品で今年はなかなかの出来と自負しておる。ああ、失敬ワシはオードル・フォーネンハウザー。退役老人の気ままな旅人とでも思ってくだされ」


「退役?」


「まあワシは兵というより役人のようなもんだったんじゃが」


 どうやら鍛冶師ではないらしいが、元軍なら体躯もいいわけだ。

 言うが早いか焚火の脇にあった手頃な石にどかりと腰を下ろすと、いそいそと荷物を広げると中からカップを取り出し、なみなみと酒を注いでこちらへ差し出してくる。



 ――いや、出来れば食料だけもってどっか行ってほしかったんだが……。



 もはや帰れと言える段階はとおに過ぎたらしく、やむなくリュートも腰を下ろしてカップ受け取った。

 口に含んだ赤い液体はとろりと濃厚ながら、草原の香りのする爽やかな甘みが口に広がる確かに上質な感じの一杯だった。


「お、若いのになかなかいけますな……!この腸詰めもいい具合に発酵しておるわい」


 豪快に笑いながら囓ったソーセージを、皮の水筒からワインをあおって流し込む。

 なんとも気持ちのいいその声と仕草に気がつけばリュートはすっかり毒気を抜かれていた。


「よければ名を聞かせてくれまいか?」


「……名乗るほどのものじゃない」


「ワシは恩人の名が知りたいんじゃ」



 ――クソ、強引なじいさんだ。まあ名前くらいこの世界では何者でもない以上隠す必要もないだろう。



「平良龍人……」


「むむ?たい……??変わった発音ですな、失礼じゃがご出身は?」


「東の方……だが」


 そう答えると老人は何かひらめいたかのように納得した顔でうなずいた。


「なるほどなるほど、東方大陸の出でしたか。それでそのような髪色……、ではリュート……が名ですかな?」


 やはりこの頭髪には何か思うところがあるようだったが、こちらを慮ってのことかそこには触れず念を押すように確認するオードル。

 どうやら、似たような種族がここにもいるらしい。


「ああ、そうだ」


「では、アルフリーデン風ではリュート・テイラーですな。しかと覚えましたぞ」


「いや、待て、平良龍人だ、タイラ・リュウト。発音がおかしいだろう」


「そうは言っても続きの母音は発音しませんからなぁ」


「いやいや、というかそもそも名前が違ってるんだが……」


「ほっほっほ、して、テイラー殿、そちらは一体どういった旅路で?行商というには護衛が見当たらんし、一人旅に荷馬車とはあまりに大荷物じゃが……ああいや、過分な詮索はせぬが旅人の流儀。なれどその旅姿では少々目を引くのではありませんかな?」


 名前に対する苦情は真っ向から無視されて話は進む。



 ――護衛か、盲点だったな。言われてみれば一人で荷馬車を、それも引いて歩いているというのはなかなか目立つのかもしれない……。



 出来れば町の情報なども聞きたいところだし、この他人の話を聞かないじいさんをどうしたものかとリュートはしばし思案した。


「実は、この馬車はほとんど空なんだ」


「空、ですか?」


「ああ、俺は向こうの山を超えた先の山中の村からきた。今はそこで厄介になっている」


 まさかありのまま略奪した馬車と言うわけにも行かず、かといって召喚だなんだと言ってはさっきの二の舞だ。どうやらその辺の事情は伏せておくのが吉だろうとリュートは学習していた。

 彼自身が持ち出した東方大陸という設定を借用するためあえて期間的な滞在を匂わせておく。


 説明を聞いて老人は不思議そうに上の方を見て記憶をたどるような仕草をした。


「はて、このあたりに村などありましたか。ましてやその方角は……」


「山の民だ、知らなくとも無理はない。それで、特産はご覧の通り木材なんだが、今はその特産品で作った馬車を町まで売りに行くところなんだ」


 訝しむようなオ―ドルを勢いで押し切ろうとリュートはわざとらしく後ろに止めた馬車を手でさして示した。


「それで空でしたか……なるほど。使命重大というわけですな」


 売るには多少年季の入った荷馬車だが、どうやら勝手に事情をくんでくれたようだ。


「ああそうなんだ。ところが地図もなく、今まであまり外とも交流がなかったせいで伝聞で聞いた地理も曖昧、もちろん俺もここらの地理に詳しいわけじゃない。実を言うと、なんとかここまで来たものの町まであとどのくらいなのかもわからず困っていたんだ。良かったら近辺の様子を教えてもらえると助かるんだが」


「そういう事情でしたらこの老骨もお役に立てるでしょう。どの町を目指しておられるので?」



 ――おっと、その質問はマズイ。



「……どこでもいい。俺が聞いているのはとにかくこれを売れと言うことだけだ。強いて言うならなるべく高く売れるところがいい。近頃では外部との交易も増えていろいろ入り用らしくてな」



 ――こう言っておけば自ずと大きめの町を教えてくれるだろう。小さな町で大きな商品は値がつかない。



「ふむ……でしたらシャデラの街が良さそうですな。第三の交易都市で地方への流通が盛ん、なにより天領ということもあって生活水準も比較的高いでしょう」


「天領?」


「王家の直轄領ですな」



 ――なるほど、王家というのが多少引っかかるが回答としては申し分ない。

 こんな草原の真ん中で人に会うとは思わず驚いたが、いい人に会ったものだ。



「明日は早いのですかな?」


「いや、急ぐ旅ではない。起きたところ勝負だろうな。シャデラまではどれくらいかかる?」


「普通に歩けば5日ほどこの道を行けばもう少し大きな道に合流するのであとは道なりですな。宿場もあって明日からは野宿の心配もせんでいいでしょう」


「野宿中に妙なじいさんに絡まれて食料を奪われる心配もな」


「ほっほっほ、こりゃあ一本取られましたな。じゃが気をつけなされよ、じじいは儂一人ではありませんからな」


「アンタみたいなのはそういないと信じたいね」



 ――まったく気のいいじいさんだ。



 気分が良くなったリュートは食べきった食料を補充するために荷馬車へと戻った。当分食べていなかったのか生来の健啖家なのか、老人はとにかくよく食う。それでも残りの旅程を考えればまだ食料には余裕があるし、じいさんに持たせてやる分を考えても十分だろう。


「お、そういえばこの馬車にも酒があったんだったな。さすがにこの量は二人じゃ飲みきれないが、いいものなら少し分けてやるか」


 辺りを見回すがコックやハンマーなんかは見当たらない。自分たちで飲むためのものではなく売り物だったからだろう。


「つまりは、売れ残りか?期待できんかもしれんがまあいい」


 要は開けばいいので小刀で蓋の部分をこじ開けることにした。力の制御がまだイマイチ出来ていないのか、思っていたより簡単に蓋は外れた。

 少し嘗めて味見しようと突っ込んだ指が、じょりっとなんともいえない感触に当たる。


「な、なんだッ!?」


 慌てて指を引き戻すと、濃厚な液体が指をぬらしている。

 さっきの感触はおよそ液体のそれではないが、もしかするとこちらのワインの製法は果実をそのままつけておくのかもしれない。そもそもあの酒も似ているだけでワインというわけではないだろうし、原料も不明だ。さらに言えばこれが酒樽というのも勘違いで、何か調味料か加工食品が入っていたのかもしれない。

 とにかく知らないことばかりだ。常識は通じないと言うことをリュートはもう一度頭にたたき込んで、指についた液体を少し嘗めて味見してみることにした。


「と言いつつただのワインかもな……んー?」


 酒ではないし、調味されているという感じでもない。

 言うなれば何かの水煮とか、例えばものすごく煮詰めた味付け前のトマトソースのような味だ。

 少し舌に残るえぐみのようなものがこの世界では好まれる味なのだろうか。


 知っている味だが何味かと言われると思い出せない、そんな味だった。

 一体原料は何だろうかとリュートは体をずらして入り口からの光で中身を照らしてのぞき込んでみた。


「!!?は……!?う、うわぁぁぁああッ!!!」


 樽をのぞき込んだリュートは思わず情けない悲鳴を上げて後方に転がり、後ろ手を付いてなんとか受け身をとる。

 闇の溜まった樽の中には見覚えのある形のものがすっぽりと収まっていた。



 ――人間ッ!?死んでるのか?



 腰を抜かしたように尻餅をついたリュートの元に悲鳴を聞きつけた老人が駆けつける。


「テイラー殿、どうなされた!?先ほどの悲鳴は一体――」


「だ、大丈夫だッ!食料が悪くなっていただけだ、も、戻っていてくれ」


 元とはいえ役人にこんなものを見られたらおしまいだ。さすがのリュートも青い顔で、なんとかこちらへ来ようとする老人を制止した。


「大丈夫、食料が悪くなっていただけだ……」


 動転してうわ言のように同じセリフを繰り返してしまう。


「そうですか……?ならばワシは焚火を見ておりますので」


 なんとか老人を追い返したリュートは、今開けた樽の蓋をそっと閉じ、食料を持って老人の元へと戻った。



 ――何か気づかれたか?



 老人の様子が先ほどまでと違ったように見える。

 勘違いか、それとも。



 ――バレるのはマズい。……マズい?本当にそうだろうか、こんな山奥で人を呼ばれることもないだろう。老人を殺すか?それが一番安全だ。露見の心配はない。

 ……いや、駄目だこの人はもう顔見知りだ。それにアレが死体だとして俺がやったわけじゃない。だが老人の追求は避けられない。かと言ってさっきの言い訳でごまかせているとは思えない……。



 思考がまとまらず、かといって何も説明しないわけにはいかない。

 混乱したまま口を開く。


「ええっと、さっきのはなだな――」


 うまい言い訳はないかとまとまらない頭で話し始めるリュートを老人は手のひらで遮った。


「テイラー殿、過分な詮索はせぬが旅人の流儀、ですぞ」


 今まで見せなかった強い目でそれだけ言うと彼はパンの上に置いたチーズを炙ってとろけさせると、うまそうに頬張った。

 それが彼がこれまでの旅で培った処世術なのか、なにか思惑があってのことなのか。リュートには知るすべもなかった。

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