プロローグ
時は、現代より遡って一〇六八年。九五〇年の、平安と呼ばれていた頃である。
朝には、抜けるように澄んだ天色の空が広がっていて、雲が緩やかな風にのって流れている。夜には、深く吸い込まれそうな程青い色をした夜空が広がっており、宝石を空一面に散りばめたかのように輝いて見える星々をハッキリと見ることができる。
しかし、今の空にはかつての面影はなく、抜けるように澄んだ天色の空も、深く吸い込まれそうな程青い夜空も、宝石が空一面に散りばめたかのように輝いてみえる星々も暗雲が立ち込め全てを隠し、見ることが出来なくなっている。
そしてここ、平安京の中心で天皇が住まう大内裏の左側、左京区の土御門大路と町小路が交わる場にある高い塀のある大きな屋敷、安倍家。
「鬼門と裏鬼門の完全開錠まで、もっても後四日ですね。」
晴明は、自室の縁側から気味の悪い雲がよりいっそう濃さを深める空を見上げていた。
「まぁ、随分と妖気や邪気を広めてくれたものです。そのお陰で、平安京の澄んだ空気が瘴気にまみれていますよ。これじゃあ、いくら私の力でもどうにもできません。やりましたね、酒呑童子。」
″酒呑童子″、丹波国の大江山を根城とした、鬼族の中でも最強の鬼。そして、その配下である茨木童子、礇嶌童子、簗來童子、金剛童子、熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子もまた最強の鬼であった。しかし、帝の名を受けた源頼光によ、討伐された、と《《思われていた》》。
実際は、源頼光により深傷を負わされた酒呑童子達はなんとか逃げ延びた先で、禍々しい妖気を放つ門を見つけたのだ。最後の力を振り絞り、門を開ける。その中にいたのは、鬼でありながらも形が醜く意思もない、ただ憎悪や憎しみといった負の感情だけを糧にして生きる者達、人間に対して強い憎しみを抱いた鬼達だった。酒呑童子は、コイツらを使って自分達をこんな目に遭わせた《《人間への復讐》》を誓った。
それから、酒呑童子達が事を起こすのに時間はさほどかからなかった。
酒呑童子達は源頼光に負わされた傷を着々と癒し、力をつけ、いざ人間達への復讐決行の目前、邪魔が入った。それが、まだ幼いが一族の中でも郡を抜き出て力が強かった若かりし頃の安倍晴明だった。
晴明は酒呑童子達を門の中へと閉じ込め、門自体に強力な封印を施した。それから、平安京全体に強力な五芒星結果を施すため自身の邸宅を中心とし、金閣寺、銀閣寺、松尾大社、上賀茂神社、八坂神社を封印の柱とした。
「まさか、私の封印の隙をついてくるとはね。」
いくら強力といえど、封印を施した頃の晴明の齢は一ニ歳。力が完全ではなく、強力な封印を施したとしてももって一五年。一五年経てば封印の効力が薄れ、だんだんゆっくりと門は開き、やがて三年もすれば完全に門は開錠する。
しかし、今回の門の開錠は予定時期より一年早い。それは、酒呑童子が僅かに開いた門の隙間から妖気や邪気を大量に流し込み、瘴気を発生させたせいにある。
「だけどこの一七年間、なにも指を加えて見てただけじゃないんでね。」
そう、晴明は封印を施した直後から、自分の封印が何時しか破られる事を知っていた。だから晴明は今まで行っていた何十倍もの修行をこなし、力を磨き上げてきた。そして、占いで見たこの先の未来。
「水晶が写し出した、鬼どもと戦っているこの時代の者ではない子ども達。」
以前、晴明が水晶を覗いた時に見えた未来には数多の鬼達に恐れを成さず、立ち向かい、勝利を納める子ども達の姿があった。
「水晶が見せた未来は、確実に現実のものとなる。酒呑童子、貴方達に勝ち目はありません。さて、私も準備をしなくてはね。」
そう言うと晴明は、呪を唱え自身の式神である華孤を喚んだ。
『お喚びでしょうか、晴明様。』
「お前を喚んだのは他でもない。」
『五芒星結界ですね。』
「その通りだ。今、私の邸宅を中心とし、平安京を囲むようにして施した五芒星結界の力が失われつつある。あの頃は、今に比べまだ力が弱かった。当時の私も、こうなることは予測できた。しかし、予測した時期よりも遥かに早く事態も悪い。もし、完全に今結界の力が失われれば、開き始めている鬼門と裏鬼門が完全に開かれる。そうなれば、この平安京に鬼が入ってくるのも時間の問題だ。そこで、お前の夫である九尾の狐に力を借りたい。」
『紅蓮にですか?』
「あぁ、直ぐに来て欲しいと伝えて欲しい。頼めるか。」
『はい。すぐに伝えて参ります。』
そう華狐は晴明に告げると、煙に包まれながら消えた。
暫くたった頃、目の前に広がる庭に一つの真っ赤な鳥居が出現し、中の渦から火の玉と狐が提灯をもって現れた。提灯をもって現れた狐達が道を作り、その道の真ん中から赤と黒を貴重とし金の糸で炎の刺繍が施されている着物を着た狐が現れた。
着ている着物意外に他と違うと言えば、毛色と尻尾の本数。他の狐の尻尾の本数は一本、毛色は黄土色。でも、真ん中から現れた狐の尻尾の本数は九本。狐の中で最も妖力が高く上位の存在であり他の狐を束ねる紅炎の親方の座に就く。その明かしとして、毛色は透き通るような純白に、耳と尻尾それぞれの先に赤が混じっている。何を隠そう、この狐こそが晴明の式神である華孤の夫なのだ。
「早かったな、紅蓮。」
『君が早く来いと言ったんでしょう。』
「そうだったな。」
『でっ、要件はいったいなんなんだい。』
「今、こちらで起こっていることはお前も知っているるだろ。」
『鬼門のことかい。』
「あぁ。」
『それで、僕に何を頼みたいんだい?』
「水晶で見えた、いずれ来るこの時代の者でない子ども達。その子達が迷わぬよう、僧正坊と一緒に手助けをしてほしい。」
『この時代の者でない?どういう事。』
「何れこちらの時代にやって来る、遥か未来の子ども達だ。」
晴明は、澄んだ真っ直ぐな瞳を紅蓮へ向けた。紅蓮は肩を少しあげ『全く君って奴は。』と、飽きれ気味に言いつつも紅蓮は晴明に焔が宿ったように赤く輝く自身の瞳を晴明へ向た。これは、彼等なりの申し出了承の有無を確かめる合図なのだ。
『本当、君には毎度毎度困らされっぱなしだ。でも、力を貸してやらんこともない。』
「それはありがたい。」
『紅蓮様、そろそろ。』
『おや、もうそんな時間かい。じゃあ晴明、僕は帰るよ。』
「呼びつけてすまなかったな。」
『全くだよ。でもまぁ、君とは古い付き合いだからね。こんぐらいの事はしてあげるよ。本当君、僕に感謝しなよ?』
晴明は笑いながら「そうだな。」と答えた。
紅蓮は何かを思いついたのか、手のひらを叩いて清明の方を振り返り、少し、意地悪な笑みを浮かべて言った。
『そうだ、今回の報酬として大量の油あげを要求するよ。これぐらい要求しても、文句ないだろ?』
「そうだな。次来るときまでは、用意しておこう。」
『よし、決まりだね。お前達帰るよ。』
紅蓮が声をかけた瞬間、ただ提灯で辺りを照らしていた狐達が方向を変え、それと同時に紅蓮は自分が出てきた鳥居の方へと歩きだした。紅蓮がくぐり終えた後、鳥居は徐々にその姿が消えていき、最後には跡形もなく消えさった。
「こちらの準備は既に整った。後は、あの子達が来るのを待つだけだ。」
晴明は心に強い決心を固め、これから来るであろう子ども達への期待を胸に、自室の中へと消えていった。
○◎○
場所は移り鬼門の内側、禍界。
「酒呑童子様、何やらあの人間が事を進めているようですが。」
「あの人間?あぁ、俺達をこんなとこに閉じ込めたあの小僧か。」
「えぇ。」
「心配すんな茨木、俺が負けるわけないだろ。それともなにか、まさかこの俺が負けるとでも思っているのか。」
向けられたそれは、体が縮み上がるほど鋭く冷や汗が止まらない。茨木童子の顔は次第に真っ青になり、次の瞬間には地面に額を擦り付け「申し訳ありません!」と、謝罪の声をはっした。
「けっして、けっしてそのような事を思ったことは一切御座いません!誰が、誰が貴方様の強さを疑いましょう!鬼族の中でも最強の力をお持ちである貴方様を!」
「ハッハッハッ!照れる事言うじゃねか!でもよぉ、茨木童子。お前の事を本気で怒っちゃいねぇ、冗談だ。それに、お前の俺に対しての忠誠心はなかなか誉めたものだ。」
「はっ!ありがたき幸せにございます!」
「今回の活躍、期待してるぜ。」
「はい!必ずや!」
(晴明待ってろ。どんな対策してろうが、俺達が絶対に勝つ!)
酒呑童子の心は復讐の炎に燃えていた。