大企業病~ 実力のある社員が育たない
彼、村上アキはシステム会社に所属しているのだが、実際の勤務先はとある大企業のシステム部門だった。情報系技術者の不足を補う為に雇われた外注社員という訳だ。
彼は運行担当としてその職場に入ったのだが、その時はまだ彼の担当したプロジェクトはリリースしたばかりで、半分はまだ開発段階のような状況にあった。しかもバグだらけで仕様も考慮不足な点が多かった。そんな中で業務を回していかなくてはならない。物凄く忙しい。深夜残業は当り前。所謂、「火を噴いている」状態というやつだ。
頭数も足らないから、本来は技術者ではない彼の上司もある程度はそれを手伝った。その上司には、簡単なSQL(データベースを操作する為の言語)くらいならば書く事ができたので、調査や確認用のSQLを自作してくれたのだ。
それから2年ほど経って、ようやくそのプロジェクトも安定稼働し始めた。やっと人間らしい勤務体制だ。ところが、そんなタイミングで人事異動があった。彼の上司は別の場所へ飛ばされて、代わりに別の新しい上司が配属されて来た。
その上司にはプログラミング技術がまったくなかった。だから、その手の仕事は期待できなかったが、彼はそれをそれほど問題視しなかった。
もうそれほど忙しくなかったので、彼一人でも何とかなかった。画面操作でできるくらいの仕事をこなしてもらえば充分だ。もちろん、自分でデータを調べられるくらいのスキルは必要だが、それはゆっくりと身に付けてもらえば良い。
そのように考えていたのだ……
――が、彼のその考えは甘かった。
「俺はそーいう仕事はやらないつもりでいるから」
新しい上司はそう断言した。
“なんですと?”
と、村上は思った。
それは簡単な画面操作でできるマスタ登録の仕事で、特殊なスキルは必要ない。上司が拒否する理由は何もないはずだった。前任の上司が担当していたので、やってもらおうと彼はその内容を説明しようとしていたのだ。
「いや、でも……」
と、彼は言いかける。
……なら、あなたはどんな仕事をやるつもりなのですか?
そう質問したかったのだが、機嫌を損ねるかと思うと言えなかった。しかし、上司はそんな彼の様子を察したのかこう言った。
「俺は管理業務とユーザからの窓口をやるよ。管理者だからな」
“それだけ?”
と、彼は首を傾げる。
「簡単なSQLくらいはできるようになっておいた方が良いと思いますが。緊急で調べなくてはならない事とかありますし」
そう言ってみたが、上司は誤魔化すように首を横に振る。
やる気がないよう。
やや躊躇したが、彼は言葉を続ける。
「……ただ、ですね。実は今、火田さんしかできない仕事があるんですよ。だから、もし火田さんが休んでいる時にその仕事の依頼が来たらピンチなんです。覚えてもらわないと困るんですが」
火田というのは同じプロジェクトを担当している社員の一人で、少し手順が複雑なマスタメンテナンスなどを担当している。前任の上司は、その火田の仕事をできたので、いない時も問題なかったのだ。
それを聞くと、上司は何でもないような口調でこう言った。
「それじゃ、君ができるようになって」
“はぁ?”
と、それを聞いて村上は思った。
彼は既にプログラミングを担当していて、充分に仕事を持っている。この上司はそこに更に仕事を振るつもりでいるらしい。しかも、自分でもできる仕事を。
「いくらなんでも酷くないですか?」
自分の席に戻ると村上はそんな愚痴を言った。それを聞いた古参の外注社員…… 子会社の社員はこう言った。
「あの人の元いた部署って、外注社員に実作業をさせて、プロパー社員は管理業務だけって文化なんだよ。
だから、きっとここでもそれでいきたいと思っているんだろう」
どうやらそれは珍しくもない話らしかった。ちゃんと仕事をしてくれる社員もたくさんいるが、自分が仕事をしなくてもなんとかなる恵まれた環境に甘えてしまって、自分のスキルを伸ばさない社員もいるのだ。
“なんだかなぁ”
と、彼は思った。
もっともそれは彼にとって悪い話とも言えなかった。プロパー社員が仕事をできないのなら、彼の契約金が上がる可能性が高いからだ。
ただし、会社の体制としては大いに問題があるだろう。これは所謂、大企業病というやつだ。
もちろん、会社側もそれを分かっていた。ところが、プログラミングスキルは合う合わないが激しいらしく、安定してスキルを身に付けさせる手段がない。
つまり、解決が中々に困難な問題なのだった。
だから、時にはこんなような手段を執ったりもする。
「中途採用の社員が入って来るってよ」
ある時、村上はそんな噂を耳にした。
「それって……」
自分の仕事負担が少しは減るのじゃないかと期待して、彼がそう尋ねると、「ああ、元は有名なシステム会社にいた人だよ。プログラミングスキルもあるはずだ」と、そう教えてくれた。
――中途採用で、既に情報技術系のスキルを持っている社員を雇ってしまえば、スキル不足の問題を解決できる。実に当たり前で単純な方法。
が、だからといって、それは決して簡単とは限らない。
「あの…… なんで“セッション情報”も知らないんですか?」
村上アキは目を丸くした。
彼はその中途採用の社員と組んで、新たなプロジェクトを担当する事になったのだが、その社員は初歩的な情報技術の知識すらない事が分かったからだ。その社員はデータベース設計もできなかったし、バッチ設計もできなかったし、おまけにプログラムの管理方法すらも理解していない。
“こりゃ、まずい……”
そう判断した彼は早急に上司に相談し、中途採用の社員のスキル不足を補うような体制を作ってなんとか対応した。
優秀な外注社員を雇い、重要な部分は自分が担当するようにし、本来は越権行為になる管理体制にまで口を出し、酷過ぎる設計書しかない機能については設計書なしで自分が作った。
さんざん苦労して、彼はなんとかそのプロジェクトを成功に導いた。
……ちゃんと見る目がなければ、中途採用でも、スキル不足の穴埋めができるような社員を雇えるとは限らない。
そして、それは意外に難しいのだ。
しかも、その失敗を採用を担当した人事部が自覚していないなんて事もある。
「例の中途採用の社員の評価が上がっているらしいわよ」
ある日、村上アキはそのような話をある女性社員から聞いた。
「どうしてです?」
と、驚いて、彼は思わずそう質問した。
「簡単よ。あなたがプロジェクトを成功させてしまったから」
仮にあまり役に立っていなかったとしても(むしろ足を引っ張っていたとしても)、プロジェクト・リーダーとして名前が載るのは社員の名前。
だから、プロジェクトが成功すれば、その社員の評価が上がるのだ。
「いや、でも、あの人、今、育児休暇取っていますよね?」
この会社で、男性社員での事例は初らしいのだが、その中途採用の社員は、今、育児休暇を取っている。
それが可能だったのは、彼が仕事が出来ず、担当している仕事がない…… 身も蓋もない言い方をしてしまえば、いてもいなくてもあまり変わらないからだ。
ところが、それにその女性社員はこう返す。
「それも評価ポイントの一つ」
“何が?”
と、村上アキは思う。
「どうも、“自分が休めるような体制を作り上げた実力者”って事になっているみたいなのよ。
それで“良い人を雇えた”って人事部は喜んでいるんだってさ」
それに女性社員はそう説明した。
“はぁ?”
村上はただただ目を丸くするしなかった。
なんなのだろう? その判断は……
どうやらそのようにして、大企業病は続くらしい。