エッセイが好きです!
愛しの「エッセイ」様へ……
私は、フィクションは基本的に現実逃避のために読んでいます。
現実では起こり得ない物事を登場人物を通して、追体験し楽しむ事ができるのが醍醐味だと思っています。
逆にエッセイには、大抵は作者が現実に体験したことや思っていることが書かれています。
自分の身にも起こり得るかもしれない、近くにそう考えている人がいるかもしれないというドキドキハラハラ感や今まで知らなかった物事を知るということを楽しんでいます。
携帯電話やインターネットが普及していない時代は、今以上にご近所の奥様方で集まり、井戸端会議と称して噂話を面白可笑しく語っていたものです。
それを祖母の隣で聞いていた子供の頃は、「人様のことを勝手に囃し立てるなんて」と、嫌悪感を抱いていました。
歳をとって思いました。
今、エッセイを読んで人様のことを面白可笑しく思ったり、悲痛に思ったり、「なるほどー」と思っている自分は、あの時の祖母と同じ感覚なのではないかと。
ただ、興味の対象者が身近な人間ではないというだけのことで、思っていることに然程変わりはないのではと。
そう考えた時に、なんとも言えない気持ちになりました。
物事は自分の身に降り掛かって、自分で経験して初めて理解るということがよく理解りました。
そして、自分がその立場になると、ついつい自己弁護をしたくなるということも。
前は、昔は娯楽が少なかったから井戸端会議をして余暇を過ごしていたのだと思っていました。
でも今は、平穏無事に生きていくために必要な情報を収集、共有するためには大切なことで、嫌とか言ってはいられなかったのだと思うようになりました。
近所にどんな人が住んでいるのか知ることが出来るのは、生活していく上で安心を得られます。
逆に自分を知られ干渉されたり、間違った噂が独り歩きするのは嫌ですが、知られていると困ったときに手を差し伸べてもらえたり、言わなくても理解ってもらえ、助かることも多々あります。
改めて井戸端会議の重要性を感じました。
エッセイは、一方的に話をするだけにはなりますが、この社会にどんな人がいるのかということを知ることが出来る、井戸端会議の拡大版と捉えることができるのではないでしょうか?
エッセイを読むことは情報収集にとても役立ちます。
現実を知るということは、苦痛を伴うこともありますが、それによって人として成長できることもあると思います。
知らないよりも知っていた方が断然良いはずです。
知らないことを知るというのは楽しいですし、同じように考えている人を見つけたときの喜びは計り知れません。
私の拙い文章では、エッセイの魅力が半分も伝わってないかもしれませんが、もっともっとエッセイを読んで「面白い!」と思ってもらえたらという気持ちを持て余して書きました。
世の中には色々な経験、色々な価値観、色々な思想を持っている人たちがいて本当に面白い!
それを教えてくれる「エッセイ」が私は大好きです!
人間に興味を持つのは生きる上できっと良いことです。
ただ、何事も度を越すと問題があるもので……無関心も、過度の執着も迷惑になりますので程程に。
お読み下さり、有難うございます。
思いが溢れてまとまりがなくて、読みにくかったらすみません。
これからも、皆様の素晴らしい「エッセイ」を楽しみにしています!
ちなみに、この文章を書いていて思ったのは、「高校生の時に書いた小論文を思い出すなぁ〜。」というものです。
学生さん! エッセイを書くと小論文の勉強になりますよ!
たぶん……