過ぎゆく夏
―清也さんが私のことを…
少し開けた窓から入ってきた風が莉真の髪を乱す。
莉真は胸がちくんと痛むのを感じる。
―うれしいはずなのに…
呆然と座っていると碧が開いている扉から顔を覗き込む。
「莉真?」
びくっとなって振り向くと首をかしげた碧が突っ立っていた。
碧は莉真に近寄り目の前にしゃがんだ。
「ぼーっとしてどうした…?あ、ぼうっとしてるのはいつもか」
碧の言葉を聞いて莉真はむっとして碧の頭を小突いた
「碧さんひどい!!碧さんだけには言われたくない!!」
「おーよく言うわ…。」
莉真はちょっと碧を見て苦笑する、碧もつられて笑った。
碧はくしゃっと莉真の頭をなでる。
「あんな深刻そうな顔してるよりもこっちのほうがずっといいぞ」
「碧さんだっていっつも深刻そうなかおしてるじゃない」
「まだ言うか…」
「りーまちゃん、碧知らない?…ってここにいたんだ」
今度は翠が顔をのぞかせてきた。
「翠、なんか用?」
「碧ー、お兄さんでしょ?何回も言わせるな」
そう言うとにこにこしながら碧の頬をつかみひっぱる。
「ふいはひぇんれひはー。“すいませんでしたー”」
その二人の様子を見て莉真は茫然とする。
―これが家の顔というものかぁ
莉真ははっとして翠に話しかける。
「碧さんに何の用ですか?」
翠はぱっと碧の頬から手を離して莉真を見る。
碧は横で頬をさすっている。
「ばっかやろう。思いっきりひっぱりやがって」
「ん?何か言った?」
にこっとしながら碧のほうを向く。
「なんでもございません…」
「あ、そうそう。なんか携帯なってたよ?それを言いに来ただけ」
「それだけかい」
碧がさって行くと莉真はくすくすと笑う。
「ほんとに仲良いんですね…」
「でしょ?それよりも…ごめんね。兄さんの告白聞いちゃった…」
突然うなだれた翠に莉真はびっくりする。
「はぇ?あぁ…別に私はなんとも思ってないですけど」
「あ、そうなの?いやぁ、立ち聞きするつもりはなかったんだけどね」
翠は苦笑いをして頭をかいた。
莉真はため息をついて目を伏せる。
「私はどうしたらいいんでしょう…」
その言葉を聞いた、翠は一瞬目を見開く。
「僕は君じゃないからね…」
翠の言葉に莉真は顔をあげる。
「ただ…君の決定次第で兄弟仲が壊れるとは限らないから、大丈夫」
「翠さん…」
翠はにこっと笑って莉真の手をそっと握る。
「僕でよければいつでも相談に乗るから。さ、兄さんが出たらお風呂入っちゃいなさい」
莉真もつられてほほ笑む。
「翠さん…ありがとう」
翌日…
「莉真ちゃんっ、おはよー」
リビングへ最初に顔を出したのは翠だった。
莉真は朝ごはんを用意する手を止めてほほ笑んだ。
「おはようございます。お弁当用意しておきましたから」
と言って台に置いてある弁当を示した。
「ありがとー」
「す…兄さんは朝からテンション高いなぁ」
「おはようございます」
にこっと笑った莉真に碧も笑いかける。
「おう。あ、今日の午前中は俺生徒会でいないから」
「じゃあ、今日は莉真と二人きりだな」
碧の後ろから顔を出した清也と目が合い、莉真はとたんにそらした。
翠は二人を見比べて、フォローするように話す。
「おはよう、兄さん。莉真ちゃんは兄さんにやましいことでもあるのかな?」
「ないですよ!もうっ。ほら食べないと二人と遅れちゃいますよ」
3人がドタバタやっているそばで清也はじっと莉真を見つめる。
清也の様子を碧が見て眉をひそめた。
「じゃ、いってらっしゃい」
莉真が玄関先で手を振ると二人は振り返った。
「行ってくるね」
「昼には帰るから」
沈黙を先に破ったのは碧だった。
「なぁ…」
「何?」
「……なんでもない」
翠は眉根を寄せて、碧を小突く。
「気になるじゃんか」
「いーの」
「さいですか」
翠は諦めたように溜息をつく。
碧もつられて溜息をついた。
一方家に残された莉真は…
―行ってしまった…。どうしよう二人きりだよぅ気まずいよ…
玄関で一人身もだえていると背後から清也が近寄る。
清也の気配に気づくと、いてもたってもいられず台所へ戻り食事の片づけをはじめた。
「莉真…。俺なんか手伝える?」
一瞬手を止めたがすぐに再開した。
「いえ…。清也さんは休んでいてください」
長い沈黙が二人の間に流れる。
リビングに流れるのは風と蝉の鳴き声、食器を洗う水の音だけだった。
莉真は食器の片付けを終えると次は洗濯物へととりかかり忙しそうにせわしなく動く。
清也はただその様子をじっと見つめていた。
家事がひと段落すると莉真は自分の部屋に入って扉を後ろ手に閉める。
「はぁ…。宿題やろう…」
莉真は椅子に座って化学のプリントを取り出してやり始めた。
数時間後…プリントが半分終わるくらいまでに進んだ頃に玄関のチャイムの音がした。
携帯の時計を見ると11時半になっていた。
―碧さんかな
「はーい」
玄関を開けると案の定碧が汗だくになって帰ってきていた。
「おかえりなさい」
「ただいま…。シャワー浴びてもいい?」
「どうぞ」
莉真がにこっと笑って上げると碧はネクタイをはずしながらあちぃとつぶやく。
「じゃあ、私お昼の支度してますから」
「おぅ。タオル借りるな」
莉真はほっと胸をなでおろし冷蔵庫を開ける。
―あちゃー。買い物しなきゃだめだなぁ。後で行ってこよう
「まだ7月なのに暑いなー」
翠はタオルで汗をぬぐいながら一息ついた。
「あれ…?」
人通りのほうへと目を向けた。
「う゛っ。重たい…」
莉真がふらふらしていると急に手元が軽くなったのを感じた。
「危なっかしいなー。兄さんとかは一緒じゃないんだ」
声の方へと向くと荷物を持った翠が苦笑して立っている。
「あ、翠さん。塾終わったんですか?」
「うん、今帰り。そっちの荷物も持つからこれ持って」
莉真はありがとうございますといいながら翠から鞄を受け取る。
「なんで、わかったんですか?」
「えー?よたよたペンギンみたいに歩いてる子を見かけてね…。もしやと思ったら莉真ちゃんだったんだ」
ペンギンとつぶやいて眉をひそめる莉真を見て翠はほほ笑む。
「あ、弁当美味しかったよ。ありがとう。冷凍食品を全く使ってないんだね」
「私の家に冷凍食品は置いてないですから」
「ふぅん。晩御飯の買い物かな?」
がさっと袋の中身を見て莉真に問いかける。
「はい…。冷蔵庫の中空っぽだったんで。……翠さんがいてくれて助かりました」
莉真はにっこりと笑って翠を見る。
翠は莉真に気づかれないように小さくため息をついた。
―似た者兄弟ってこういうこと言うんだよね…
翌日、翠は塾の教室で同級生にどつかれた。
「翠ー。昨日一緒に歩いてた子彼女ー??」
どつかれた勢いで机に突っ伏した翠は同級生の胸倉をつかむ。
「おまえ何様のつもりだよ」
「いやー翠がキレたぁぁぁぁ!!」
溜息をついて手を離して座ると相手も目の前に座る。
「で?彼女なのか??」
「しつこいぞ健吾。彼女だったら苦労してないって」
翠は鞄からテキストを取り出しながら答える。
「もしかして、弁当作ってくれた子?」
「うん」
「……好きなのか?」
健吾はドキドキしながら翠を見つめた。
「………さぁ…」
翠の生返事に眉をよせて、話題を変える。
「昨日持ってたの買い物袋だろ?えらいなぁ、しかもめっちゃかわいいし」
「あの子のおふくろさん家事苦手だから小さい頃からよくやってるよ」
翠はふっと苦笑して頬杖をつく。
「手ごわいライバルもいるしがんばんないとね」
「兄貴と弟?」
翠は片目を開けて健吾を見る。
「なんでわかったの?」
「何年お前の友人やってると思ってるんだよぅ!」
くすっと笑う。
「おまえにはかないませんなぁ」
健吾はにかっと笑うと教室の時計を見上げる。
翠もつられて見上げた。
「おっと、授業始まっちまうな。俺でよければいつでも相談に乗るぜ!」
はいはいと言いながら手を振った。
家には莉真一人だけだった。
「あれ?二人は?」
「あ、碧さんは部屋にいますけど…。清也さんはお昼のあとどっかに出かけちゃいました」
莉真はお茶菓子と麦茶を用意しながら答えた。
「碧さん呼んできてください。お茶にしましょう」
「りょーかいっ」
翠が扉を開けると碧はベットの上に寝そべって本をよんでいた。
碧は本から翠へと視線を流す。
「なぁ…、兄さん。清也兄さんって莉真のこと好きなのか?」
「なんで僕に聞くの…」
「いや、兄さんならなんか知ってると思って」
「鋭いね。僕は告白…」
そこまで言うと碧は勢いよく起き上がって翠につかみかかる。
「はぁ!?」
「だから…」
翠はそっと碧の手を離した。
「莉真ちゃんは悩んでるみたいだけど…」
碧はほっとしたように座り込む、すると1階から莉真の呼ぶ声がした。
「翠さーん、碧さーん」
「ほら、呼んでるよ。行こう」
二人が階段を降りると莉真がリビングからこっちを覗いている。
翠がにこっと笑うと莉真もほほ笑んだ。
4人の思惑が渦巻く中夏休みは過ぎようとしていった