回転寿司と茶碗蒸しと銀杏
タイトル、盛り込みすぎですね。ひねりもくそもありません。失礼。
家の近くに回転寿司屋ができました。なかなか繁盛しているようで、お昼時や夕飯時ともなると店の外まで人が溢れかえっているのを見かけたりもします。
かく言う私は生魚が苦手で、成人するまであまり口にすることがありませんでした。今でもマグロなどはそんなに食べませんが、貝類や白身魚などは好んで食べるようになったのでよく手頃な値段の回転寿司屋に足を運びます。
回転寿司屋に行くと必ず注文するのが茶碗蒸し。なかなか大きな器で提供されるので食べごたえがあります。スーパーなどで見かけても、買ってまで食べたいとは思いませんが、どうしてでしょう回転寿司屋に行くとどうしても食べたくなるのです。普段リンゴも飴も食べないのに、お祭りに行ったときリンゴ飴を食べたくなる心理と一緒でしょうか。ここに来たらコレ、みたいな。
子どもの頃、茶碗蒸しに入っている銀杏があまり好きではありませんでした(大人になってからは随分好き嫌いが減った気がします)。だけど学生時代、アルバイトをしていた家族経営のこじんまりとした居酒屋(昼は食堂)で塩をふって炒った銀杏を食べさせてもらい、その香ばしさに衝撃を受けて以来、銀杏を残すことはなくなりました。アルバイト先には本当にお世話になって、賄い付きだったので貧乏学生にはオフクロのメシより美味しいものをたくさん食べさせてもらい感謝しかありません。本当、いい職場でした。しかし、この件について語ると終わらないので話を戻します。銀杏、黄色くて丸くてかわいいです。茶碗蒸しの一番最後のひと匙にころんと乗ってる姿ですら、いじましく感じます。もう子どもの頃のように、茶碗蒸しの蓋に取り分けるような真似はしません。
それほど好きじゃなかったものを好きになると、何だか得した気分になります。銀杏も生魚も。何かをずっと苦手だ苦手だと思い続けて生きていくより、「あれ? 案外イケるぞ」と感じられるのはラッキーというか。そういうきっかけがあったことも。そして案外自分っていい加減だな、と思ったりします。でも、それが嬉しい。頑なに何かを拒み続けるのは疲れるもの。好きにならなくても、そこまで嫌いじゃない。そう思えるだけでも随分気が楽です。
ふにゃふにゃですね。