《 第64話 アルの正体 》
何でそんなに平然としていられるのかわからない。
「何言ってるの。クラウスの事に決まってるでしょ。あんなに取り乱したシュナル殿を見て何とも思わないの?」
クラウスは人差し指を眉間にあて、黙り込んだかと思うと盛大なため息をこぼした。
「セシリアの話を聞く限り、俺にはエルナとサムと言う恋人がいるらしいが。二人とそのような関係になった覚えがない」
…………え?
「だってエルナさんと薔薇の階段で秘密の密会してたじゃない」
「いつの話だ?」
「クラウスにメイドの姿がバレる前の日だよ。エルナさんの手を握って親密なところをシュナル殿と目撃したんだから」
クラウスはしばらく考える素振りを見せ、何かを思い出したように頷いた。
「薔薇の階段……ああ、エルナが薔薇を摘もうとして指に棘が刺さった時があったな」
クラウスは私の右手を取ると、自分の両手で私の手を胸の辺りまで持ち上げた。
「あの場に俺がいたのは厩舎に行く近道だからだ。エルナが大袈裟に医師のノーマンの所へ行くと言うから、指に刺さった棘を確認しただけだが」
赤い粒入りのポテトボールを食べて倒れた時、お世話になったノーマン先生のにこやかな笑顔が浮かんだ。
ノーマン先生は皇宮専属医で主に皇族の侍医をしていると言っていたけど、皇宮で働く人達の治療も手伝っていると言っていた。
クラウスはそれがどうした?
と言うふうに首を傾げ、
「こんな感じで指に刺さった棘を見てやった覚えはある」
私の手を握ったまま人の悪い笑みを浮かべた。
あの時はそんな顔をしてなかったよ。なんだかイヤな予感。
「そ、そっかぁ。あれは見間違いだったんだね〜」
あはは〜、ととりあえず笑っとこう。
絶対親密な仲だと思っていたのにハズレだったなんて。
「それが密会になるのなら、おまえがサムと一緒にいたと言うのは密会にならないのか?」
うぐっ、しまった。そこを突かれるなんて思っていなかった。
「それは温室で働いていた所にシュナル殿が突然現れただけで、私はメイドに成り切ってたし密会なんてしてない。だいたい私とシュナル殿が密会も何もないじゃない。シュナル殿はあんなにクラウスを慕っているんだから」
「だからなぜそうなる」
クラウスは理解出来ないと私を見てくる。
エルナさんの事は見間違いでも、シュナル殿の事は見間違いなんかじゃない。
「さっきシュナル殿がクラウスの事をアルって言っていたじゃない。意味深なメッセージ付きの絵文字手紙にアルとエルって愛称でやり取りをしていたでしょ?」
ここまで言ったらクラウスは言い逃れは出来ないよね。
私は証拠の絵文字手紙を持っているのだから。
でもクラウスに動じた様子はなく、いつもと変わらない無表情と落ち着き払った声が返ってきた。
「絵文字手紙がなんなのかわからんが。アルと言うのは俺の事じゃない」
「違う? あんなにシュナル殿がクラウスの事をアルアルって呼んでいたのに」
クラウスのミドルネームはアルベルトなんだから。
酔っていたからといって間違えるはずがないよ。
疑いの目を向ける私にクラウスはサラッと言った。
「サムが呼んでいたアルは俺の兄上の事だ」
「クラウスの兄上……?」
「前に姿絵を見せただろ。第一皇子だった俺の兄上エリアルのアルだ」
それって、つまり……!
「アルって……師匠の事?」
クラウスが黙って頷いた。
いや、でもちょっと待って。
「確かにクラウスと師匠は似ているけれどシュナル殿が間違えるの?」
「サムは兄上を誰よりも慕っていたからな。時期が悪かった」
「それどういう意味?」
「兄上はちょうどこの時期に旅に出た。サムは未だに兄上の死を受け入れられず、冬が近づくと精神状態が特に不安定になる。それ故に酒に酔うと俺を兄上と混同する」
確かに東屋でのシュナル殿の様子はいつもと違ってた。
いつもの陽気さは全くなくて儚げで悲しそうな雰囲気がしたよ。
クラウスが来るなり様子が豹変していた。
「じゃあ私が見た絵文字手紙はシュナル殿と師匠の」
「恐らくそうだろうな。俺は絵文字手紙なる物を知らんからな。書きようがない」
「師匠とシュナル殿が恋人……」
「兄上とサムが恋人だったかどうかは俺にもわからん。サム本人に聞くんだな」
シュナル殿はクラウスに師匠アルの面影を見ているんだね。
「シュナル殿の秘密を私に話しちゃって良かったの?」
「話さなければ誤解したまま俺はおまえの中で不埒な男にされていただろ」
ジロッと睨まれたよ。
「あ、いやぁ。それはクラウスが二股してると思ったからで……」
「不誠実な奴だと説教もされたな」
「うっ」
何、この状態。なんだか私追い詰められてない?
「誤解は解けたようだが。俺は今非常に腹が立っている」
「ど、どうして?」
恐る恐る聞いた私にクラウスが仏頂面で言った。
「一世一代の告白をふいにされたからだ」
「告白なんてされ……あっ!」
思い当たるのはまさかアレかな。
『俺が望むのは仮面のないセシリアだ。身も心も俺の妃になれ』
クラウスのハーレムへの誘いじゃなかったの!?
あれがクラウスの本音だなんてそんなの信じられないよ。
「私に興味ないって言ったじゃない。物分りが良くて賢い王女が良かったって言ったのクラウスだよ」
クラウスはまた考え、思い出したと呟いた。
「興味がないと言ったのは、おまえが婚姻を解消しろしろとうるさかったからだ。俺を気に入らないと言われているようで腹が立ったな」
そんな風に捉えていたの?
クラウスはさらに言葉を続けた。
「賢い王女を望んだのは、不安定になり何をするかわからないサムの目を引かないために、大人しく聞き分けの良い王女の方が扱いやすいと思ったからにすぎん。私室棟で大人しくしていればサムに会う事もなく、面倒な事にならないからな」
うっ、また遠回しに悪口言われた気がするけど、ちょっと待ってよ。
それってつまりクラウスが私を部屋に閉じ込めた理由は、不安定になったシュナル殿と私を接触させないため?
事を大きくさせないために。
言ってくれたらちょっとは自分の行動に気をつけていたよ。
クラウスという人物がわからなくなってきた。
だってクラウスは……。
「クラウスはシュナル殿やエルナさんには優しいのに、私にはすっごく意地悪じゃない」
好かれているだなんて思えない。
「サムの目をセシリアから逸らすために気のないふりはしたが、俺からしたら仮面の方が本心だ」
「う〜……、頭が混乱する」
それはつまり、仮面の振りして私に迫っていた。いや、そんなまさか。
クラウスの口から出る真実に頭がパンクしそうで追いつかないよ。
「おまえは芝居だと思って気づいていなかったようだがな。気づかないように振る舞ってもいたから無理もないが」
もう何を信じたら良いの……。
クラウスの長い指が私の髪を弄ぶ。
「ここまで打ち明けてまだ信じられないのなら態度で示してやっても良い」
怪しくゆらめく青紫色の瞳。
髪に触れていた指が頬を撫で、親指が唇に移動する。
たった今された光景が頭をよぎり私の顔に火が吹いた。
「い、いいっ。クラウスが言いたい事はわかったから!」
距離を取ろうとして、クラウスに引き寄せられ。
「遠慮するな。セシリアは俺に優しくして欲しかったのだろ?」
「それは、その……」
意地悪されるよりは良いけど、優しくされたらそれはそれで落ち着かない。
展開が急過ぎて頭はついていかないし、上手い言い訳も思い浮かばず口籠る。
「サムの事が片付いたらゆっくりじっくり、おまえの心をいただくつもりでいたが気が変わった」
クラウスは私を腕の中に囲うと、耳元でささやいてきた。
「俺には仮面妃なんていらない。セシリアのすべてが欲しい」
直球すぎるクラウスの言葉に動揺して返事ができるはずもなく。
その顔をクラウスは楽しそうに覗き込んできた。
「なぁ〜に俺の嫁に手を出してんだよ」
クラウスの腕の中で固まった私は、突然現れた乱入者によって救われた。
この声はネストだけど、姿がどこにも見当たらない。
「まだ彷徨いていたのか」
クラウスが忌々しいと吐き捨てると、木の枝が揺れ何かが降ってきた。
「悪いがこいつはお前にはやらねぇよ」
私の肩にちょこんと着地したのは黒リスのグリ。
「グリ、ネストの姿はどうしたの!?」
「お天道様が出てきたらなぜかこの姿に戻った。どうなってんだ?」
小さな頭を可愛らしく傾けるグリ。
「邪神、お前は実に興味深い生き物だ。我が国の安定と今までの行いによる償いのため、大人しく実験台になれ」
クラウスがグリを捕まえようとして、グリはそれをあっさり交わし地面に着地する。
「実験台なんて冗談じゃねぇよ。俺はな、セシリアのために力は貸すがお前は気に入らない」
剣を抜こうと鞘に手をかけるクラウスに、ふわふわなしっぽを地面にバシバシと打ち付けるグリ。
クラウスとグリの間で火花が散る。
「ちょっと待った。ストップストップ!」
「止めるなセシリア。俺には我が国の為にコレを研究材料として捕獲する義務がある」
「真面目くさった奴はいけ好かねぇ。それだけじゃねぇ、ナミスの子孫であるセシリアを邪険にしたんだ。歴代のフェストランド皇子の中で一番気に食わねぇ皇子だぜ」
睨み合う人間とリス。
なんとも奇妙な光景だよね。
そうだ、放っとこう。
「わかった止めないよ。でも暴れてここを荒らしたり煩くしてルンテにお仕置きされても知らないからね〜」
うっ、と言葉を詰まらせたのはグリの方。
私は二人に背を向け手を振った。
「そゆことで、お休み〜」




