《 第63話 仮面妃のささやかな望み 》
クラウスってば誰も見てないのに仮面夫を演じるなんて、癖がついちゃったに違いないよ。
結果良ければ全て良し、なんて言っちゃったけど私の偽者疑惑はどうなるんだろ。
湖に落下して助かった事がナミスの加護の証明になるのかわからないけれど。
本当の事実がわかった今となっては、私が王女でもそうじゃなくてもあまり意味がないのかもしれない。
政略結婚自体が、ネストの祟りを鎮めるためのものだと言われ続けていたのだから。
私達はどうなるのかな。
仮面妃としてはお役御免になるなら正妃の立場を返上すべきだよね。
私がラルエットに帰ればクラウスは自由になって、シュナル殿とエルナさんと今まで通りの関係が続けられる。
このまま帰るべき?
私はまだ何もしていない。
ネストの力を安定させて、フェストランドのために何かクラウスの力になれる事をしてから正妃の座を降りたい。
それまでは、もう少しだけ正妃でいさせてくれないかな。
「急に大人しくなってどうした?」
考え込んでいたらクラウスに怪訝な顔で覗かれた。
「クラウス、あのね」
どんな反応が返ってくるだろう。
黙って見つめてくるクラウスに私は首を振った。
「やっぱ何でもない!」
「言いかけてやめるのはセシリアの悪い癖だ。言ってみろ」
ネストがあきらめるな、欲を出せって言っていたし。
ちょっとくらいは。言ってみるくらいは良いかな。
「ネストの祟りの真相が判明して、これから私達はどうなるの?」
「セシリアはどうしたい?」
私はぎゅっと拳に力を入れる。
無表情なクラウスの瞳を見上げ思い切って口を開いた。
「もう少し仮面妃でいちゃダメかな?」
「邪神の力が安定するまで留まりたいと言うわけか」
眉間にしわを寄せたクラウスの声が不機嫌そうに聞こえる。
「それもあるけど、フェストランドのために何かしたい」
「なすべき事が済んだらラルエットに帰るのか?」
その時が来たら帰る。そうだね。
「それが一番良いと思う」
私の希望はバッサリ切られた。
クラウスから不要宣言、解雇通告という単語を突きつけられたから。
「仮面妃などいらん」
私はクラウスから動かなくなった視線を無理矢理逸らす。
考えるふりをして足元を見つめた。
やっぱりもうお役御免なんだ。
いつかは不要だって言われるのは薄々わかっていた事。
クラウスにとってトラブルの種でしかない私はお荷物だから。
興味のない仮面妃なんて近くに置いておくだけ無駄だよね。
わかっていた事だけど。
でもこんなにも早く解消宣告されるなんて思ってなかったな。
私は何を期待していたのだろう。
クラウスがどんな言葉を返してくれると思っていたの?
父様に騙されてフェストランドに来た頃は、政略結婚なんて冗談じゃない解消してラルエットに帰るんだって思っていたのに。
今の私はクラウスの妃でいたいなんて思ってる。
最近一緒にいる事が多かったから、仲良し仮面夫婦なんてやってたから、情が移っちゃったのかな。
ネストの体調管理やフェストランドの民のため。
本当はそれだけじゃない。
ネストが言っていた。
『どんな時に苦しくなるか考えろ、それがヒントだ』
胸が苦しくなるのはいつも……。
ネスト、わかっちゃったよ。
これは情が移ったんじゃない。
私はずっとクラウスが好きだったんだね。
私が仮面妃でいたい一番の理由は……クラウスの側にいたいから。
でもそんな事は言えないよ。
今さら気づいたこの気持ちにはふたをしよう。気づかないふりをするのが良い。
ほらセシリア、顔を上げて笑って返しなよ。
何でもないって顔してクラウスの婚姻解消宣言に賛同しなよ。
こんな時にこそセシリアスマイル発動させなきゃ!
私は顔を上げて早口で話した。
「了解、仮面妃を退任するよ。もう宿に戻らないとね!」
クラウスに背中を向ける。
セシリアスマイルが引きつって変な顔になっていたかもしれない。
目から雫の塊が溢れないように顔を上げたら、空には朝日が顔を覗かせようとしていた。
私の心とは真逆に今日は晴れそうだ。
「セシリア」
「なんだかすごく疲れちゃった。先に行くね」
クラウスが何か言おうとしたのを遮った。
二人で話してたらボロが出そうで怖いから。
ここからもう離れよう。
そう思って足を動かしたのに前に進む事ができなかった。
背後から腕が伸びてきて、覆い被されたから。
後ろからため息を吐く声。
「このバカ妃」
クラウスがなんでこんな事するのかわからない。
もう用無しとなったんだから、そっとして置いてくれたら良いのに。
ふたをしようとした気持ちが膨れ上がってきちゃう。
「言われなくったってわかってるよ。帰るまで大人しくしてるから放っておいて」
クラウスが私の側にいる必要はないのだから。
がっちり腕の中に拘束されては、私がいくらもがいても解けるはずもなく。
「放っておいたら今度は何をする気だ。邪神と駆け落ちでもする気か?」
「なんでネストが出てくるのよ。私が何しようとクラウスにはもう関係ないでしょ」
言っちゃってからマズいと思った。
背後から冷えた空気を感じる。
「俺には関係ないと言うのか。良い度胸だな」
腕に力を込められ私の身体は締め付けられる。
馬鹿力クラウス。私を抱きつぶすつもりなの!?
クラウスの機嫌が悪くたってもう知らない。
「私は宿に戻りたいの。離してよ!」
「人の話は最後まで聞けと何度言わせる」
これ以上なんの話があるって言うのよ。
細かい事は皇宮に帰ってからにして欲しい。
「眠いから後にして」
クラウスと顔を合わせて話なんて出来ない。
今の私の感情はグチャグチャだから一人になって鎮めたいのに。
「それなら眼を覚まさせてやる」
両手に顔をがっちりと固定され近づくクラウスの顔と、重ねられた唇に私は目を見張った。
「っ!?」
なんで、どうしてこんな事。
クラウスは驚いて固まる私の隙をついて口づけを進めてきた。
躊躇いもなく容赦なく深くなる動きについていけるはずもなく、真っ白な頭の中では抵抗なんて出来もしない。
苦しくなって目に涙が滲んだ頃、ようやく解放された。
「目が覚めたか?」
荒く息を吐く私に対し、平然と不敵な笑みを浮かべているクラウスは呼吸すら乱れていない。
「な、なにするの!?」
背後から抱きつかれていたらクラウスから距離も取れなく、顔を押しやろうとした手は簡単に掴まれた。
「サムが落ち着くまで待つつもりだったが限界だ。俺は一言も婚姻を解消すると言っていないし仮面などどうでも良い」
シュナル殿が落ち着くまで待つってどういう事?
クラウスの行動に言葉、全部意味がわからない。
私の耳許でクラウスが言葉を吹き込んできた。
「まだわからないのか。俺が望むのは仮面のないセシリアだ。身も心も俺の妃になれ」
「…………!」
一瞬何を言われたのかわからなかったけど。
私の頭に薔薇の階段にいたエルナさん。
そして月明かりの下で儚げなシュナル殿の顔が浮かんだ。
本気で言っているの?
クラウスにはエルナさんとシュナル殿と言う隠しておきたい恋人がいるじゃない。
二人の中に私も入れって事なの!?
私が皇宮に留まるためには、クラウスの側にいるためにはそれを受け入れろって事なの?
「三人目になれだなんて簡単に言わないで」
「三人目とは何の事だ?」
自分からクラウスハーレムに勧誘しておいて何の事だはない。
「エルナさんやシュナル殿の気持ちも考えてって言いたいの」
たった今気づいてしまったこの想い。
クラウスの一言で二人の事を忘れそうになっていた。
エルナさんとシュナル殿をこれ以上傷つけるわけにはいかないよ。
眉間にシワを寄せるクラウスに私は続けた。
「私には無理。三人の間に入ろうなんて思わないし、クラウス達の邪魔をするつもりもないよ。だから私はお飾りの仮面妃のままで良い」
「セシリア」
ぐりんと体を回転させられ、前を向かされた。
クラウスは訳がわからないとでも言いたげな、気難しい顔をして言った。
「なぜ関係ないサムとエルナの名が出てくる」
関係ない……。
クラウスは二人の事をいったいどう考えているの?
「関係ないだなんてよくそんな事が言えるね。恋人が何人もいるって事はそれだけ人を傷つけている事になるんじゃないの?」
この際、皇帝や皇太子が側妃をいっぱい侍らせる事が出来るとかどうでも良い。
だってあんな辛そうなシュナル殿初めて見たんだよ。
エルナさんだって表ではクラウスとの事を否定しててもきっと傷ついてる。
私だって二人とクラウスの寵愛争いなんてしたくない。
クラウスを取り合って泥沼の恋愛劇なんて、みんなにとって良い事なんて何もないじゃない。
そう思うのにクラウスは理解できないって顔で私を見てくる。
そして眉間のしわを深くしたまま言った。
「おまえは今、誰の話をしている?」




