《 第6話 私はこうして仮面妃になりました》
室内を行ったり来たりしていると突然扉が開いた。
夜着の上にガウンを羽織った皇子が部屋に入って来て、私は皇子に駆け寄る
「今日の式は婚約式だよね?」
「婚約式? そんな習慣はない。何だそれは?」
ああ、やっぱり。
嫌な予感は大当たり。なんで私はあの時、不審に思わなかったんだろう。
自分で自分を呪いたい。
皇子から何を今更って言いたげな視線を向けられてるけど、気にしていられない。
父様の顔を思い出したら怒りが再燃焼。
私は拳を固く握った。
「この婚姻なかった事にして!」
私の直球な申し出に、皇子の綺麗な柳眉にシワがよる。
「了承してここに居るんじゃないのか?」
「タヌキ親父にまんまと騙されたの!」
訳がわからないと、怪訝な顔で皇子に見下ろされた。
「タヌキ親父?」
ああ、どこから話せば良いかまどろっこしい。
「私は婚礼の儀だなんて知らずにフェストランドに来たの! 婚礼はまだ先で、今回の訪問は顔合わせだけだって言うから来たのに。父様に騙された!!」
一気にまくし立ててゼイゼイと息をつく。
「少し落ち着け」
そこに座れと、ソファーに座るように促され、皇子と向かい合わせに座る。
皇子は腕を組んで、少しの間沈黙してから口を開いた。
「気がついたら婚礼を挙げていた。どうやら父王に騙されたようだ。そう言いたいらしいが、今まで全く気がつかなかったのか?」
皇子の冷静なツッコミに怒りの感情が急速にしぼむ。
「うっ、それは……」
痛いところを突かれたよ。
「ちょっとは怪しいって疑ったけど、まさか婚礼の儀だなんて思わなくて。フェストランドには婚礼の儀の前に、神殿で婚約式をする風習があるんだとばかり……」
最後の方は声が小さくなって、なんだか言い訳をしているみたいだ。
「それで今頃になって、事の重大さに気づいたって事か」
皇子があきれ顔で私を見てる。
う〜、返す言葉もありません。
縮こまりながら黙って頷く。
「変だと感じた時点で、式の前に誰かに確かめることが出来たはずだ。なぜ侍女なり神官に聞かなかった?」
式の直前、フェストランドのドレスを着せられた時……。
確かめれば良かった、って簡単に言わないでよね。
そんな方法どこにあるって言うの?
お腹と背中をギシギシ鳴らさせた圧迫感が蘇る。
「ドレスが苦しくて失神寸前。神官のお姉さんに話しかけたら私語厳禁って言われたんだよ。誰にどうやって尋ねるの?」
皇子は一瞬、呆気にとられた顔をした。
それから私から視線を逸らす。
「どうやら俺は勘違いしていたようだ。おまえが大人しい性格か、気位が高い女だろうと、勝手に思っていたが……今まで一言も喋らなかった理由はそれか」
手の甲を口に当て、別の手はお腹を抱えて肩を揺らしている。
なんか笑われてるよ私。
…………ん?
皇子のこの反応に私は自分の過ちに気がついた。
「もしかして、私語厳禁も嘘!?」
笑いを引っ込めた皇子の口から出た言葉に、私は開いた口がふさがらなくなった。
「祭典時に会話を交わすことを禁止するしきたりはある。しかし、それは神官が外の人間と会話を交わす事を禁止するものだ」
それはつまり、侍女とは喋っても良かったって事!
侍女に聞けば、教えてくれた。
いやいや、話しかけても彼女達はまともに答えてくれなかったよ。
私がもっと粘り強く聞き続けたら、こんな事態にはならなかったの?
ああ、私って……。
「間抜けだな。実に滑稽な話だ」
「うっ……」
「今の今まで、自分が婚礼を挙げている事に気づかなかったとは」
「ううっ……」
「相当な間抜けか、あきれたバカとしか思えん」
「うううっ〜……」
皇子の口から出てくる言葉の矢は、見事に私の胸をグサグサ貫いていった。
自分でも間抜けで情けないって、思ってたところなのに。
本人の前で、ズバッと言わなくても良いじゃないの!
オブラートに包んで優しく言ってよ。
痛いところを抉っていくなんて。
フェストランドの皇子って性格悪い。
こんな人が私の夫だなんて……イヤイヤ、認めたくない。
断じて認めません!!
言われっぱなしで、凹んでなんかいられないよ!
ソファーから立って皇子を見下ろす。
なぜって、立てば座ってる皇子を見下ろせるからよ。
「この婚姻、了承なんかしてないんだから。成り行きで婚礼を挙げちゃっただけなんだからね!」
ビシッと、はっきり告げたつもりが。
あっ、鼻でふんって笑ったな!
「おまえが了承していなくとも、既に婚姻は成立した後だが?」
首を少し傾け、楽しそうに笑う皇子。
他人の不幸は蜜の味って言葉が似合いそうな、悪魔に見える。
皇子が悪魔でも、悔しいけどその言葉が現実で正しい。
覆せないのが事実で、反論できない。
だからって、このまま納得出来るはずないんだから!
「顔合わせだろうと婚礼だろうが、私には関係ない。本当の目的を忘れるなんて。全部なかった事にすれば問題ないじゃない」
独り言のように呟く。
皇子は私を黙って見つめた後、ゆっくりと告げた。
「俺達の婚姻は国が絡んでいる。そう簡単に解消出来ると思うのか?」
皇子の真剣な瞳に嫌な予感が胸をよぎった。
「解消出来ないの?」
恐る恐る問い返すと、皇子が視線を逸らした。
まるで自分の口からは言いたくない。そう言ってるみたいだ。
そんなウソでしょう……。
ああ、足の力が抜ける。
身体がふらついて、気がついたらソファーにお尻が着いていた。
国が絡んでる政略結婚。
皇子は外交問題になるって言いたいの?
外交問題、その単語で頭をよぎるのは、父様に読まされた歴史書。
大昔、政略結婚をした二人が不仲で、それが元になって両国の不和を招き、戦まで引き起こした。
そんな話があった。
晩餐の時、どんな会話をしたか覚えてないけど。
あの時何となく感じた皇帝の雰囲気からは、気難しい感じや怖そうな印象、厳しそうな感じはしなかった。
でも、政略結婚が破談になったら皇帝は、フェストランド側はプライドを傷つけられたと思って激怒する?
怒らせたら国境断絶、最悪は戦になっちゃったり……。
そんな事になったら…….。
穏便に円満解決なんて不可能なんじゃ。
私が思うほど簡単な問題じゃないんだ。楽観的過ぎた。
呆然となる私に皇子は無表情で現実を突きつけてきた。
「今さらどう足掻いても無駄だ。婚姻の話を受けた時点で、遅かれ早かれこうなると理解していたはずだ。諦めるんだな」
こうなるなんて、理解してない。
だって、フェストランドに滞在中に政略結婚解消するつもりで来たんだから。
タヌキ親父の策略のせいで、こんな展開になるなんて。
皇子を味方に引き入れられないかな。
「皇子は初めて会った私と、婚姻する事に抵抗はないの?」
えっ、突然席を立って何?
ソファーから立ち上がり、私の前にやってきた。
「他人を信じやすく、間抜けでお人好し。物分かりが悪く、単純な罠にかかるスポンジ頭」
なんか、悪口言われてるけど反論する余裕はない。
なぜって私を見下ろす皇子の精悍な顔が、ゆっくり近づいてくるから。
心拍数が一気に跳ね上がる。
皇子がソファーに手を着く。
「この手は何?」
「短時間で、おまえの事はそれなりに把握できたと思うが。外れているか?」
身をかがめさらに顔を近づけてくる皇子。
この至近距離感は落ち着かない。顔を上げられない。
だって、美形に免疫力がない私にはこの顔は毒だから。
直視出来ない。顔が赤くなってるのがきっとバレてるよ。
「さっきまでの勢いはどうした? ああ、男に迫られるのは初めてか?」
迫られてる、というより。
猛獣にいたぶられてる小型動物の気分なんですけど!
ひーーっ、耳元で喋らないで。頰を触られてる!
動いたら鋭い爪で引っ掻かれるか、凶悪な牙で噛み殺されそう。
この近すぎる距離も息苦しいよ。
皇子は口の端を少し引き上げた不敵な笑みで、私の顔を覗き込んできた。
青い瞳を意地悪く楽しそうに光らせながら、両手を伸ばしてくる凶悪な肉食獣。
「反応は面白いが、おまえのようなお子様に興味はない」
頬をむぎゅっと摘まれ横に引っ張られた。
「ひたひっ、らりふんの!?」
美形に免疫がないだけじゃなく、口説かれた経験もない私をからかうなんて!
私もお年頃、ちょっと凹むけど。
涙目で睨むと、摘まれた頬は解放された。
「痛いじゃないの!」
「俺はもっと賢く、物分りが良い常識のある王女が来る事を期待していたが……」
「なによその言い方。それじゃまるで」
世間知らずな頭の悪い王女だって、遠回しに言われた気がするんだけど?
皇子は私の抗議の声なんか聞いてなかった。
私から身体を離し長いため息を吐くと、肩をすくめた。
「返品できないのが悔やまれる」
ななな……なんですと!
今、返品って言った!?
「私は人です! 物じゃないっ!!」
遠回しな悪口だけじゃなく、注文した野菜の形が気に入らないから返品する、みたいな言われ方には頭にくる。
キッと睨む私に、皇子は両腕を組み不遜な眼差しで見下ろした。
「人の頭が付いているのなら、俺が今から言う事を黙って理解しろ」
何それ、上から目線!?
すっごく偉そうな言い方!
「イヤです!」
そんなの誰が従うって言うのよ。
ふいっと顔を背けると、片手で頭を掴まれギギギッと正面を向かされる。
「そうか。おまえには人の言葉が理解できないか?」
うっ、極悪そうな微笑み。
リンゴをグシャッと握り潰すみたいに、私の頭も……ひえっ、逆らえない!
「言葉はわかります。従うかどうかは別です」
「まあ、おまえの頭が鳥頭だろうと父王に騙されて我が国に来ただろうと、俺には関係ない」
鳥頭っ!
グッと我慢。頭が物質にされてるから言い返せない。
「妃としての務めは果たしてもらう」
…………はい?
「あのぉ、リピートお願いします」
せっかく丁寧にお願いしたのに、バカにしたように笑わないで!
頭は解放されたけど、バカにされてる。
「妃としての務めは果たせ、と言ったんだ」
妃の務め……、それはつまり。
世継ぎ問題の事を言っているんだよね?
でもたった今、皇子は私に興味がないって言ったばかりじゃない。
どうやって果たせって言うのよ?
世継ぎ問題、妃の務め……。
この手の話はどかこかで聞いたぞ。
ああっ、前にターニャ姉様の愛読書にそんな内容の物語があった!
つまり、皇子は……。
「子供が出来ない体質。だから私に他の人の子を産めって事? ちょっと待ってよ。それだとスキャンダルになっちゃう。皇家の血が途絶えちゃう……う〜…ん」
「おい」
今、考えてるんだから邪魔しないでよね。
「わかった! 子供が出来ない体質じゃなくて、皇子が誰かに子供を産ませて私にその子を、痛っ! 急に何するの!?」
皇子に耳を引っ張られて涙目で抗議する。
「おまえの頭の中はどうなってるんだ? そんな事は一言も言っていない。人の話は最後まで聞け」
「わかった、わかりましたってば!」
ズキズキ痛む耳をさすっていると、皇子が面倒くさそうにため息をついた。
「公の場では妃として振るまえといっているだけだ。おまえと寝室を共にするつもりはない。世継ぎに関しては俺がなんとかする」
それはつまり……。
話を元に戻すと、皇子は単純に。
「私に仮面妃をしろってこと? なぁんだ。紛らわしい言い方しないで、最初からそう言っ……ぶっぐ」
今度は両方の頰を両手で挟まれ、ギュムッと押しつぶされた。
「俺が話す前におまえが勝手に変な想像して、暴走したんだろ。話は最後まで聞けと、二度言わせるな」
人の顔をなんだと思って。暴力反対!
私の抗議を込めた睨みは完全に無視。
皇子は気にせず話を進めた。
「おまえは自分の貞操が守られ、俺は口煩い貴族連中を黙らせる事が出来る。利害一致した仮面夫婦と言うわけだ」
ちょっと待てよ。それなら。
「私が皇子の好みのタイプじゃない時点で、貞操は守られてる気がするんだけど」
私が仮面妃だなんて、わざわざそんな面倒くさい事する意味ないし。
利害一致してないよね?
首を傾げて皇子の顔を覗き込む。
と、皇子は面倒くさそうに小さく舌打ちした。
「おまえ、間抜けなくせに妙なところに気がつくな」
「褒めてくれてありがとう」
にっこり笑うと、無言と無表情で皇子が私の後頭部に手を回す。
グイッと引き寄せられ、真正面に皇子の顔。
唇が触れそうな距離に私は石化。
皇子の雰囲気が急に変わったのは気のせい?
「興味はなくとも、抱く事はできる」
今までの意地悪そうな声から一変、低く囁くような声。
貞操の危機に全身から汗が噴き出す。
さっきみたくからかわれてるんだよ。
しっかりしろ私!
私はラルエット最強の姉様達の妹!
小さな動物をいたぶる猛獣に負けてなるものか!
「そ、そんなに近づかなくても聞こえてます」
両手でグイグイッと皇子の体を押しのけると、意表を突かれた顔をした皇子は何を思ったかにやりと笑った。
「では、始めるか」
「えっ、何を?」
首をかしげる私を皇子は軽々肩に担ぎ上げた。
「おまえは本当に物分かりが悪いな。婚礼を挙げた男女が夜する事と言ったら一つしかない」
これはセシリア最大のピンチ!
「ちょっと待ってよ、冗談でしょ! 私をからかってるだけだよね!?」
両手足をばたつかせ抵抗しても、皇子はビクともしない。
それどころか、本気の声で。
「暴れると落とすぞ」
落ちるぞ、じゃなくて落とすの!
そんな事されたらあちこち打撲だらけ。痛いのはゴメンだ。
慌てて皇子の羽織っているガウンを掴む。
これしか自分の身を守る方法がないなんて、泣けてくるなぁ。
抵抗をやめた私を皇子は難なくベッドに運び降ろした。
ベッドに乗り上げてくる皇子、座ったまま後退する私。
堅い物が背中にあたる。行き止まりだ。
私の清らかな人生はここまでなの!?
皇子が私の顔の両わきに手を着き、見下ろしてきた。
「おまえが自分の身を守る方法は一つだけだ」
「それは仮面妃をしろって事?」
「わかっているじゃないか。俺が提示した条件を飲め」
私に選択肢はないんだね。
こんな理不尽すぎる条件飲みたくない。
「………」
黙って睨む事しか出来ないのが悔しい!
「おまえにとっては納得のいかない条件かも知れんが、ラルエットにとっては安泰だと思うぞ」
「それはどういう意味?」
「俺達が夫婦でいる限り、両国の強い結び付きや良好な関係が築ける。その反対に、全てにおいて大陸一を誇る我が国を敵に増せばどうなるか、王女ならわかるはずだ」
うっ、国を持ち出されたらぐうの音も出ないじゃないの。卑怯な!
悔しいけど、自分の貞操も含めて皇子の提案を飲むしかなさそうだ。
婚姻に納得がいかないと訴えたところで、式は挙げちゃったのだ。
その事は取り消せないし、もう自分だけの事じゃ済まなくなってる。
全部、気づくのが遅い自分が悪い。
父様にまんまと騙された自分が悪い。
ああ、泣き叫びたい!
皇子は私が答えるまで黙って見下ろしていた。
……………。
「わかった。妃として社交や宮廷行事に参加すれば良いんでしょ。 他には?」
私が承諾すると皇子が身体を起こしたから、私はほっと胸をなでおろす。
「公式行事がない時は好きに過ごせ」
素っ気ない一言に意表を突かれた。
だって、もっと細かい事言われるかと思ったから。
「何しても良いの?」
皇子はベッドから降りると、興味がないと言う風に手を振った。
「茶会を開くのも、商人を呼ぶのも自由。編み物に刺繍、装飾類。必要な物は侍女に言え。この夫婦共用の部屋も好きに使って良い」
「私がラルエットから連れて来た侍女は?」
どさくさ紛れにマーヤの安否確認。
「明日には会える」
良かった、マーヤが無事で。
ラルエットに帰されてたり、酷い扱いをされてたらどうしようかと思ったよ。
マーヤがいて、自由なプライベート。
「その言葉に二言はないよね?」
念押しすると、皇子が頷いた。
「おまえの私生活に口を挟むつもりはない」
私はベッドから降りると、右手を皇子に向けた。
「わかった。その条件飲むよ!」
契約成立の握手のつもりが……手、出さないんだ。
握手をしないと締まりが悪いじゃないの。
私は皇子の腕を取ってぶんぶん振って握手。
「鬱陶しい!」
ありゃ、成立の握手を振り払われてしまったよ。
でも、まぁ。契約成立って事で良いよね!
「話は以上だ。受け入れたからにはヘマするなよ」
皇子は部屋を出て行こうとして、扉に向かう途中で振り返った。
「大事になるから男問題は起こすなよ」
男問題?
恋多きターニャ姉様ならともかく、私には。
「ああ、おまえなら心配いらないか」
むっ、鼻で笑ったな!
言われなくても自分の容姿くらい理解してるよ。
「余計なお世話!」
手近にあったクッションを皇子めがけて投げつけた。
クッションは的にあたる前に、バフンと絨毯に落下。
皇子は振り向きもせずに部屋から出て行った。
私の人生、これからどうなっちゃうの!?